だからこそ、都会から面白半分でやってくる浮かれた人たちを見ると嫌になるし、そんな人たちに対して反旗をひるがえしたくなるのだ。木の駅プロジェクトに関して、私は徹底的に内側を向こうと思っている。この素晴らしい取り組みを広めたい気持ちはある。他の地域で始めたい人がいれば、最大限の協力をするつもりだ。
けれど、私はこの旭という地域にもっともっと深く関わりたい。広報は誰かに任せて、私は出荷者のおじさんたちと志を共にして、山の中で一歩づつ歩んでゆきたい。
だからこそ、都会から面白半分でやってくる浮かれた人たちを見ると嫌になるし、そんな人たちに対して反旗をひるがえしたくなるのだ。木の駅プロジェクトに関して、私は徹底的に内側を向こうと思っている。この素晴らしい取り組みを広めたい気持ちはある。他の地域で始めたい人がいれば、最大限の協力をするつもりだ。
けれど、私はこの旭という地域にもっともっと深く関わりたい。広報は誰かに任せて、私は出荷者のおじさんたちと志を共にして、山の中で一歩づつ歩んでゆきたい。
想像以上の反響だった。たまたま見てくれていた中学の同級生がフェイスブック経由で連絡をくれたり、番組hpからこのブログを読んでくれて、連絡をくれた人があったり、身近な人がたくさん「いい感じだったね」と、感想をくれた。
本当に恥ずかしかったが、これは私の役目だ。
私は、たくさんの人に認めてもらえなくても構わない。私の生き様を見て、共感してくれる人が数人いればそれでいいのだ。
だから新聞の取材も受けたし、このテレビも受けた。
私にとって大切なのは、まずこの星。母なる地球。わかりやすく言えば、自然だ。
そして、仲間たち。同年代の「降りてゆくオヤジの会」の5人や、山仕事仲間、旭の仲間たち。一年前に比べて、私の仲間も増えた。逆に袂を分けた人たちもいる。前にも書いたが、私は好き嫌いをハッキリさせる。そうやって、信頼されてきた。
ある人からメールで「本当に、ずっと生き方がぶれていないですね」と言われた。
とても嬉しい。問題や壁に当たることもしょっちゅう。けれど、山と対峙しながら、木に新たな命を吹き込むこの仕事を誇りに思いながら進んでいる。
ぶれようが無いのだ。私はこの仕事しかできない。でも、この仕事は私にしかできない。
2月18日(土) 22:54~ 中京テレビに出ることになっている。
放送は1分50秒くらいと聞いている。窯焚きの様子、人工林の間伐、里山の広葉樹伐採のシーン、私の家で薪ストーブと薪ボイラーを撮っていった。
恥ずかしいが、これも役目。是非、ご覧下さい。
私の家にはテレビが映らないので、山超えして携帯のワンセグで見られる場所まで車で行くことになりそうだ。
「誰とも戦わないけれど、俺は誰にも負けない」
時々、この言葉をかみ締める様に思い巡らせることがある。
誰かと競ったり、優劣をつけたり、比較したり・・・・
できるだけ、それをしないような生き方をしたい。
自分に対する評価は、自分で下す。誰かや世間の評価を得るために、右往左往したり、浮足立ったり、そんなことだけはしたくないと思っている。
毎日、やらねばならぬ(と思い込んでいる)ことに振り回され、時間に追われるような感覚に寒気がする。(しかし、それは自分自身で選んだ道だ)
だいぶ前、「宇宙貯金」と書いた。
それは、誰も見ていないところで、誰にも伝えず、自分の信念だけを頼りにひたすら働くことだと理解している。まだ見ぬ子孫のため、7世代先のことを考えてあらゆる事を決めるようなことだと思う。
宇宙貯金の残高を気にしているようではいけない。
食べてゆくだけの最低限の稼ぎと、地球の恵みを頂きながら、ひっそりと続ける仕事。
金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、そんなことじゃない。もっとピュアなモノ。
稼ぎのためには生臭いお金の話もするし、契約するときには利益を考える。
けれど、一番大切なことは、山の懐で生き抜いてゆくことなんだと、それだけは譲らずに、全てを受け入れ、全てを楽しんで、
私は頑固で楽天的な炭やき爺になりたい。