炭やきは地球を救う

脱サラして10年。炭やき・木こり・木挽きを生業としています。

旭木の駅プロジェクト

2012-02-26 | 環境問題 地球を救う真面目な話

毎週、木曜日と土曜日の午後は木の駅プロジェクトのモリ券受付日だ。

昨日も何人か換券に来てくれたけど、みんな笑顔。本当に木の駅事<wbr></wbr>務局をやっていて良かった。
木の駅プロジェクトの主役は、ああや<wbr></wbr>って自分の裏山からタンコロ担いで降ろして、一日かけて軽トラ1杯くら<wbr></wbr>いの材を運んで、夕方に換券して、帰りに数枚のモリ券でお酒や孫<wbr></wbr>の土産を買っていくと嬉しそうに話す普通のおじいちゃんたち。
材<wbr></wbr>をどれだけ出したとか、数字なんて関係ない。ほんの少し、山がキ<wbr></wbr>レイになって、山の恵みで何かが手に入ることの喜びが復活しつつ<wbr></wbr>ある。
今まであきらめて放置されていた大切な山に対し、愛着を取り戻してくれたり、山持ち<wbr></wbr>としての誇りをちょびっと思い出してくれている。
地域の間伐材は<wbr></wbr>、60年前に植えた人たちの思いが篭っている大切な山の恵み。バ<wbr></wbr>サバサと伐るだけではいけない。第一もったいない。それを木の駅<wbr></wbr>プロジェクト出荷者の人たちは自覚してくれている。
そんな山の恵<wbr></wbr>みは、旭にえこひいきした形で、期間限定で旭でしか使えないモリ<wbr></wbr>券(地域通貨)に換える。1回の木の駅プロジェクトで数十万円が<wbr></wbr>この地域に落ちる。足助や豊田へはお金が出ていかない。だから商<wbr></wbr>店の人たちも喜んでくれている。
出荷者の人たちは、そんな取り組<wbr></wbr>みに自ら関わっていることを喜んでくれている。実行委員会は地元<wbr></wbr>の人たち中心。自分たちで、自分たちのことを決めてもいいんだと<wbr></wbr>いう、当たり前の事に気づき、それを楽しむ。これこそが自治。私<wbr></wbr>は旭に棲む山仕事人として、そこに関われる。

だからこそ、都会から面白半分でやってくる浮かれた人たちを見ると嫌になるし、そんな人たちに対して反旗をひるがえしたくなるのだ。木の駅プロジェクトに関して、私は徹底的に内側を向こうと思っている。この素晴らしい取り組みを広めたい気持ちはある。他の地域で始めたい人がいれば、最大限の協力をするつもりだ。

けれど、私はこの旭という地域にもっともっと深く関わりたい。広報は誰かに任せて、私は出荷者のおじさんたちと志を共にして、山の中で一歩づつ歩んでゆきたい。

そして彼らの笑顔や、私に対する暖かい言葉に支えられている。
こんな私でも、ほんの少しは地域のために役<wbr></wbr>に立っているという実感。忙しくて全くお金にならないけど、幸せ<wbr></wbr>。
毎日山の水を飲み、山の空気を吸い、山の懐に抱かれて眠る。金は無いけれど、心意気はある。山の恵みを自分の労働でいただく。都会の金持ちにも味わえない充実感。
私は豊かに暮らしていると、自信を持って言えるのである。


テレビ

2012-02-24 | 環境問題 地球を救う真面目な話

想像以上の反響だった。たまたま見てくれていた中学の同級生がフェイスブック経由で連絡をくれたり、番組hpからこのブログを読んでくれて、連絡をくれた人があったり、身近な人がたくさん「いい感じだったね」と、感想をくれた。

本当に恥ずかしかったが、これは私の役目だ。

私は、たくさんの人に認めてもらえなくても構わない。私の生き様を見て、共感してくれる人が数人いればそれでいいのだ。

だから新聞の取材も受けたし、このテレビも受けた。

私にとって大切なのは、まずこの星。母なる地球。わかりやすく言えば、自然だ。

そして、仲間たち。同年代の「降りてゆくオヤジの会」の5人や、山仕事仲間、旭の仲間たち。一年前に比べて、私の仲間も増えた。逆に袂を分けた人たちもいる。前にも書いたが、私は好き嫌いをハッキリさせる。そうやって、信頼されてきた。

ある人からメールで「本当に、ずっと生き方がぶれていないですね」と言われた。

とても嬉しい。問題や壁に当たることもしょっちゅう。けれど、山と対峙しながら、木に新たな命を吹き込むこの仕事を誇りに思いながら進んでいる。

ぶれようが無いのだ。私はこの仕事しかできない。でも、この仕事は私にしかできない。


テレビ・・・・

2012-02-16 | 環境問題 地球を救う真面目な話

2月18日(土) 22:54~   中京テレビに出ることになっている。

「ゲンキのトビラ」という番組

放送は1分50秒くらいと聞いている。窯焚きの様子、人工林の間伐、里山の広葉樹伐採のシーン、私の家で薪ストーブと薪ボイラーを撮っていった。

恥ずかしいが、これも役目。是非、ご覧下さい。

私の家にはテレビが映らないので、山超えして携帯のワンセグで見られる場所まで車で行くことになりそうだ。


嫌な感じ

2012-02-07 | インポート
とある名古屋のNPOが、この年度末に予算消化のために組むシンポジウムに呼ばれているんだけど、全く行く気がしない。田舎のおじさんたちを大勢街の真ん中まで呼び付けておいて、あーしろこーしろと偉そうに指図する。あげく、謝礼があるとぬかす。ますます行く気がなくなる。金出すから言う事を聞けと言わんばかりだ。木の駅プロジェクトは、地域自治で少しづつしっかりと立ててゆくのが正しい道だと思う。彼ら(NPO)はいつも、汗を流さずにおいしいところを持っていく。主役は、声の小さな、名も無き田舎のおじさんたちで、ステージは小さな裏山と田舎の商店なんだ。私は自分が住んでいる地域に、ほんの少し役に立ちたいだけ。 表面的な事を見てはしゃいでるNPOを見てると情けなくなる。 それでもまともな理事が一人だけいて、この前の会議では私を納得させてくれる話をしてくれたのに、事務局から届いたメールを見てガッカリ。 事務局は何もわかっていない。欲張りすぎて目的が何か、全くわからない。田舎のおじさんたちにワールドカフェなるモノに参加させて、ディスカッションしろだと。 そのおじさんたちは、本質的な部分をわかっていて、今更議論などしても仕方ない。他の地域の事例紹介と親睦ならわかるけど、ピントがずれたままの会合になるのは見えている。金が余っているなら、返せばいい。そのNPOは民間大手企業から金をもらって活動している。金をばらまくような手法で、付け焼き刃みたいな事をしても、誰も本気で対応しないだろう。 何かが違う。すごい違和感だ。


誰にも負けない・・・

2012-02-02 | 環境問題 地球を救う真面目な話

「誰とも戦わないけれど、俺は誰にも負けない」

時々、この言葉をかみ締める様に思い巡らせることがある。

誰かと競ったり、優劣をつけたり、比較したり・・・・

できるだけ、それをしないような生き方をしたい。

自分に対する評価は、自分で下す。誰かや世間の評価を得るために、右往左往したり、浮足立ったり、そんなことだけはしたくないと思っている。

毎日、やらねばならぬ(と思い込んでいる)ことに振り回され、時間に追われるような感覚に寒気がする。(しかし、それは自分自身で選んだ道だ)

だいぶ前、「宇宙貯金」と書いた。

それは、誰も見ていないところで、誰にも伝えず、自分の信念だけを頼りにひたすら働くことだと理解している。まだ見ぬ子孫のため、7世代先のことを考えてあらゆる事を決めるようなことだと思う。

宇宙貯金の残高を気にしているようではいけない。

食べてゆくだけの最低限の稼ぎと、地球の恵みを頂きながら、ひっそりと続ける仕事。

金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、そんなことじゃない。もっとピュアなモノ。

稼ぎのためには生臭いお金の話もするし、契約するときには利益を考える。

けれど、一番大切なことは、山の懐で生き抜いてゆくことなんだと、それだけは譲らずに、全てを受け入れ、全てを楽しんで、

私は頑固で楽天的な炭やき爺になりたい。