「地球を救う」・・・自惚れた言葉です。私たちが地球を救える訳がない。人間ごときにこの母なる大地を救える力は無いのです。本当に地球を救えるのは、地球そのものの再生能力だけです。
そんな事は初めから充分にわかっていました。それでも、地球を何とかしなければならないという心の声は日に日に大きくなるばかり。「地球を救う」事になるのはきっと、私たちの子孫の時代でしょう。
私が今できる事は、先人たちが冒してしまった、自然の摂理から離れ歪んだ山林の実状を、少しでも元に戻す事。地球自身の再生能力の手助けをするだけ・・・
具体的には炭を焼いてCO2を固定化する事ぐらいです。炭を焼く行為の中には、もちろん森林再生を含みます。人工林の整備はもちろん、私が挑むのは里山の復活。
足助の炭やき名人梶さんも同じ考えでした。一人一人の力は大した事無い。しかし、都会に暮らす人々の、山に対する意識を変えていく事によって、未来は明るい。
そして私の憧れる「マタギ」の考え方はこんな感じです。
樹木には木魂が宿り、生物には霊が宿るため、この天地自然を守り支えるのは「山の神」であり、峰々渓谷には神が宿るという山岳信仰を継承してきた。特にマタギ達は「自然のものは全て山の神が支配するもので、山の恵みは全て山の神からの授かりもの」として山の神を敬い祭りました。
今でいう自然保護の掟を破ること、山を汚すことは神を冒涜することであり、受難につながるとして安全と健康を祈願しました。従って入山行動の始まりには、山の神の保護と豊穣を祈願する拝礼を行い、終了時に感謝の拝礼を行なって自然と人間の共存共栄を喜び合ってきた。
そのとうりですね。全く、異論はありません。全てのモノに神が宿るというインディアンの考えにも通ずるものがあります。
無宗教だが信心深い。私もそうありたい。
山で仕事をする時は、山の神に感謝しながら萌芽更新を促すような伐り方を絶えず考える。大切なのは必要以上に伐らない事。来年の事を考え、必ず残す事。
長い目で見て、それも「地球を救う」事につながるはず。自惚れたこの言葉を敢えて使って、一歩ずつ進んでいこうと思います。