
家の前の道路には
一枚の落ち葉すら残しておかない!
とばかりに
毎朝、毎夕、家の前の道路をホウキで掃くのである。
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オイラはこういう態度は好きぢゃない。
つまり
自然との共生が出来ない生き方だと思うから。
オイラは落ち葉の掃除など一切しない。
ありのままに落ち葉が積もった道が大好きだから。
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ところで・・・
なにやら国際的な盆栽(BONSAI)展とかいうのが
近々開催されるらしく
わが町の公園での掃除が急ピッチで進んでいる。
公園管理の若者、おじさん、お爺さんが
総出で、あっちでカサコソ、こっちでカサコソ。
あちこちにリアカー一杯の落ち葉が集められた。
どうやら、盆栽(BONSAI)展にかこつけた
来場者の急増を予想して
落ち葉を駆除しようとしてるらしい。
:
なんちゅう不自然な態度なのか?
こりゃ~町だけでなく
市や県のポリシーなのか?
ここまでくると
なんだか病的な精神を持ってるんぢゃないか?と
疑ってしまう。
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要するに
自然な公園を目指していながら(ウソかも知れない)
不自然(落ち葉が殆ど無いなんて)を目指すという
大いなる矛盾に対する鈍感さがおかしいと思うのだ。
:
ひるがえってオイラは
町の道路の上だって落ち葉だらけで良いぢゃないか?
と思ってる。
美しい自然ってそんなものぢゃない?
掃除する人たちの人件費だって貧乏な市にとっては
相当な負担ではないだろうか?
:
自宅前の道路の落ち葉を必死になって掃除している某家には
二年ほど前までは樹齢数十年の立派な桜があったのだ。
勿論、枯葉舞う小道だったな。
ところが・・・
駐車場が確保出来ないからという理由で
その桜は無残にも切られてしまったのだった。
なにやら、空恐ろしくなる話である。
ひょっとすると舞い散る枯葉の掃除が厭になって切ったとも邪推される。
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家の前を通る人々が季節ごとに咲く花の
美しさに感動していた桜の大木・・・
それは、木が生えている家の敷地に存在するとしても
もはや、個人の持ち物とはいえない社会性を帯びているものだ。
それを詰まらぬ理由で死に至らしめる心が空恐ろしいと言っている。
あの浅薄な文化的背景しか持たぬ米国においてすら
樹木の伐採は、たとえ個人のものであっても安易には許されないのが普通。
日本人ともあろうものが、世の中が変わったのか・・・
人の心が荒んだのか・・・
いずれにせよ桜に罪は無く、桜を頼りにしていたセミにも罪は無い。
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公園から流れ出る水路には
沢山の落ち葉が流れている。
それを掃除する人は誰も居ない。
こんな所を覗き込むBONSAI客は居ないと思っているのだろうか。
こういう奇妙な精神に出会うと、心が縮むように痛む。
しばらく、ブログを休みます。
11月に入ったら再開しますので、宜しく!!
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村の誰かが掃除が大変だからと文句を言ったらしい
落ち葉や花の散る季節など1年のうちのほんのわずかでしかないのに
役所も苦情だけ聞いて、他の周りの住民の意見を全く聞かない
で、人間が勝手に植えて、勝手に切る。
木の声に耳をそばだてる人が増えて欲しい。
そんな優しさも持っていたいと思います。