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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第114号
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こんにちは
今年最後のメルマガになります。
今年一年お付き合いいただき、ありがとうございます。
一年を振り返り、今年は再生の歩みを踏み出すことができた一年で
あったのかなと思っています。
日本の社会、政治も経済も含めて来年はさらに良い方向に向かうと、
楽天的な僕は、確信をしています。
日本の歴史にも闇はありますが、ヨーロッパが通過したような暗黒の社会とは縁遠い中に
あると、僕は日本の国体の素晴らしさを強く信じています。
< 目次 >
◇ 同時通訳をこの目で見て
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編
──────────────────────────────────────────────
◇ 同時通訳をこの目で見て ◇
11月27日に、名古屋とトリノの姉妹都市関係を進める目的で
次世代産業交流フォーラムがあり、ジェルマーノと一緒に参加して
きました。
名古屋からは、河村市長、名古屋市議議員などが参加、
トリノからは市長、商工会議所事務局長、また大阪のイタリア領事館
からも代表の方が参列されて、先方からの期待をも感じました。
フォーラムでは、同時通訳のレシーバーを渡され、僕は初めて触る
機械に興味津々、またホール内の通訳ブースというものも
実物を初めて見ました。
スピーカーのお話が始まると、レシーバーからほぼ同時に
翻訳された言葉が日本語、イタリア語で聞こえてきます。
最初はあまりもの流暢さに、きっと前もって渡された原稿を読み上げて
いるだけだろうと思ったほどでしたが、同時通訳の集中力は
数分というような大変な作業の中ですから、途中で言葉に淀むところ
が出てきて、ここで初めて、現場で訳しているのだと驚きの気持ちで
聞いていました。
公演者の話の内容も興味深かったのですが、翻訳の技術、
この言葉をどう訳したか、話をどうまとめたか、どこを省略して
どこに解説を加えたか、そちらのほうが興味深かったです。
僕も一年に数えるほどの回数で通訳の仕事を頂くことがありますが
そのときには極度の緊張で冷や汗をかきながらのこともあるのに、
同時通訳の現場は、やっと鉄棒で逆上がりができるようになった
者が、オリンピックの競技を目の前で見せられたような驚きです。
僕にはきっと無理なことだと確信していますが、自分に限界を
作ってはいけないと自分に言い聞かせていますので、はいずるように
でも前を見て進んで行きたいです。
──────────────────────────────────────────────
◇ JIJI-Milano ◇
ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。
前回、一つリンクできていないビデオがありました。
「日本の職員vsイタリアの社員」というタイトルで比較対照したビデオです。
http://www.youtube.com/watch?v=ypVWy6K0_Wk
イタリア人はこういった自虐的なユーモアに慣れていて、他国からの指摘にも
割と大らかなように思います。
随分前に、Facebookで見かけたアメリカのフィアット500のコマーシャルなの
ですが、典型的なステレオタイプを題材にしていて話題になっていました。
でも、多くのイタリア人も大笑いして寛容に受け取っています。
http://www.youtube.com/watch?v=1fBFm4OD2W0
さて、今回の話題ですが、まずは、2007年12月にさかのぼってみます。
そのとき、このような記事を書きました。
http://archive.mag2.com/0000123715/20071210101000000.html
今読むと、誤字、言葉の間違いなど見つけて恥ずかしくなるのですが、
それはさておき、今から5年も前に指摘されていた問題が、今月になり
死者7名を出す悲劇となってしまいました。
プラート郊外にある中国人による縫製工場が早朝、火災に見舞われ、
かろうじて逃げ出した人や見回りの警官により当初消火活動が
行われたものの間に合わず、消防隊の検視により逃げ遅れた7人の中国人
労働者が焼死体となって発見されました。
5年前の記事を読んでいただければ、この倉庫のおおよその様子がわかるかと
思います。また、この時の記事の元にした番組がこの火災事故にあたり
再度サイトに番組を掲載しています。全ての会話が文字で起こされている
ので聞き取りにくいところは目で確認できます。
http://www.report.rai.it/dl/Report/puntata/ContentItem-132f40c7-4377-4f83-a37f-78106ecb6dcc.html
プラートはもう何年も前から中国人の移住者が集中しており、今回の非人間的な
労働環境だけでなく、学校教育機関においてもイタリア語がわからない多数の
中国人児童の対処が問題になっており、一つの他国民が集中することによる弊害
が顕著に表れてしまっている街なのです。
今回の火災事故について、TVのニュースでは悲劇にも亡くなった労働者への
哀悼を告げる内容でしたが、一方、アジア、とりわけ中国の動向を観察研究して
いる人は厳しい見解を示しています。
例えば、公、民間、大小問わず、ありとあらゆる中国人起業家は自国で行って
いるような倫理観のない腐敗したやり方を、他国においても全くおかまいなく
やり続けており、これらは中国政府も共謀する犯罪であり、中国を「絶対悪」
として糾弾しています。
平たく言えば、賄賂を使っての技術獲得や、国際法に公然と違反するような
奴隷的な雇用方法を国家ぐるみで平然とやりのけていると言っているのです。
イタリアはアメリカやドイツなどと比べ規制が緩いのか、やりたい放題の
様子ですが、今回の事故から厳しい体制がとられるようになれば、輸出される
イタリア製品の品質低下にブレーキがかかるのではないでしょうか。
個人的な感覚かもしれませんが、今では多くの人が量的な満足は必要とせず、
質的な満足を求めるようになってきたのではないでしょうか。特に多くの
日本人は2度も大きな地震に遭い、経済的ショックも加わり、20年前の
価値観とは大きく変わってしまったのではないかと思います。もちろん、私も
その一人です。
質が求められるはずの高級ブランドが、中国人の労働力を当てにするように
なってしまっては、虚構の上にさらに虚構を上塗りしてしまっているだけ
のように見えます。しかし、以前にも書いたように、とりわけ今に始まった
ことではないのですね。
ところで、話が全然違うのですが、8年ほど前にミラノへ来て初めて、目の
前が真っ暗になるとはこのことか、と思うほどのショックを体験しました。
それは小泉再選のニュースでした。
先日、2度目となるその時と同様のショックを味わいました。もうお分かりかと
思いますが、例の秘密保護法案の可決です。今回、真っ暗になりながらも、前回
ほどではないのは、もうこのようなトリックに騙されない人が、たくさんいる
だろうと思えるからかもしれません。以前B層とされた人の中にもこれまでの
間に意識改革が行われた人がおそらくいるはずでしょう。
今はこれから、どうやって廃案にするか、できることには参加するようにして
いきたいと思っています。選挙の仕組みから変えていかなければならないと
いうことにも今更ながら気がつきましたし。
話がそれてしまいましたが、イタリアにもどすと、今、こちらはクリスマスを
間近に控えたムードが漂っています。私自身は夫も含め、クリスマスなど全く
関係ない生活を送ってきているので、休み中もスーパーが開いていて助かる
なあという想いしかありませんが、本来ならイタリア人にとって一年で最も
大切な日なのですよね。
みんなプレゼントの選別、購入に忙しそうです。街はイルミネーションが
輝き、各家庭にはそれぞれ個性的な樅の木が飾られ、お菓子屋さんには
パネットーネやパンドーロが並ぶのがこの時期見られるごく普通の風景です。
クリスマスに対する感慨が全くないので、これらを空虚に感じてしまうのです
が、メールやFacebookなどで簡単に挨拶できるのも余計にそう感じさせて
いるようにも思います。
インターネットでの情報交換が意識改革の助けになる一方で、伝統的な
ものへの希薄さに拍車をかけることにもなるのかと複雑な感じがしますが、
あまり深く考えず、皆様にはこの一年の締めくくりとして、拙い文章に
お付き合いいただいたことへの感謝と、良き新年をお迎えくださいますよう
ご挨拶申し上げたいと思います。
来年も宜しくお願いいたします。
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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇
5日目 6月4日(月)Merano → Trento → Bassano del Grappa
アスパラとグラッパの町へ
電車の駅から街の中心まで10分ほど歩きます。
ひとりでイタリアを旅し始めてから、常に訪ねてみたいと思い続けてきた場所
なので、何の根拠も無く、きっと気に入るだろうと確信を持っていました。
そのせいか、歩きながら目に入ってくる家や教会、広場など、気持ちにしっくり
馴染みます。
のんびりと散歩をしたい気分でしたが、まずはホテルを決めなければなりません。
ここだけは、ネットで気に入るホテルを探せずに、予約をしていなかったのです。
土地勘が無いために、どこにホテルがあるのか予想もつきません。
観光案内所もお昼休みの時間で閉まっています。
仕方なく、いつも使う手段をとりました。
どこかのレストランに入り、食事をしてお店の人にホテルを紹介してもらいという
方法です。
この町で唯一残念だったのが、気に入るレストランが見つからなかったことです。
あくまでも僕の個人的な好みなのですが、質素で、こじんまりとしていて、
それでいて少々洒落っ気があり、町の雰囲気に馴染んでいて、地元の人が
集まるような店が好きです。
旅行者を意識した、リゾート的な雰囲気、華美な外観は好きになれないのです。
あれこれと迷った挙句、中心地に近いレストランに入りました。
メニューを見ながら真っ先に探したのはアスパラの料理。
先日、Federicoたちと食べたピザがバッサノ風というもので、アスパラが
乗っていたのです。
残念なことにアスパラ料理はありませんでした。
アスパラは夕食に挑戦することにして、辛いサラミの乗ったピザとサラダ、
飲み物にスプマンテを注文しました。
味はそれなりですが、昼間からスプマンテが飲めるのが幸せでした。
食事の終わりかけに、オーナーさんらしき人にホテルの紹介を頼みました。
二箇所ほど名前を挙げていただいたのですが、奥さんと若い娘さんが
推していたほうのホテルを選びました。
レストランから15分ほど歩いたところにホテルがありました。
ドアが閉まっていましたが、呼び鈴を押すと中から老婦人が出てきて、
どうぞ、どうぞ、と値段の説明も無いまま部屋に通されました。
ちょうど雨が降ってきたので、部屋でシャワーを浴びて、荷物の整理をして
ほろ酔い気分で昼寝もしました。
部屋のドアには値段表が貼ってあり、『朝食別、シングル料金、80ユーロ』と
してあり、レストランでは値打ちナホテルと聞いてきた割には、
意外と高いと思いましたが、後にフロントで確認したら、45ユーロで
朝食込みとのことです。一体、あの値段表は何なのでしょうか?
夕方5時ごろには雨が上がり、散歩へと出かけました。小さな町ですから、
1時間もあれば見れてしまいます。
僕にとって、この町の魅力は何だったのだろうか?
今になって思い起こしてみると、特に記憶に強く残ったものは無いのです。
ただ、この町の背後に見えるGrappa山、町の脇を流れる綺麗なBrenta川、
街を取り囲む小高い丘と豊かな緑、起伏に富んだ斜面に、調和の取れた
中世の雰囲気の建物からなる町並み、赤茶けた屋根が作り出す一体感。
こうしたものが上手く混じり合って心地よさを感じさせてくれていたのだろうと
思います。(続く)
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。
YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。
神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は1月10日発行予定です。
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第114号
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こんにちは
今年最後のメルマガになります。
今年一年お付き合いいただき、ありがとうございます。
一年を振り返り、今年は再生の歩みを踏み出すことができた一年で
あったのかなと思っています。
日本の社会、政治も経済も含めて来年はさらに良い方向に向かうと、
楽天的な僕は、確信をしています。
日本の歴史にも闇はありますが、ヨーロッパが通過したような暗黒の社会とは縁遠い中に
あると、僕は日本の国体の素晴らしさを強く信じています。
< 目次 >
◇ 同時通訳をこの目で見て
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編
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◇ 同時通訳をこの目で見て ◇
11月27日に、名古屋とトリノの姉妹都市関係を進める目的で
次世代産業交流フォーラムがあり、ジェルマーノと一緒に参加して
きました。
名古屋からは、河村市長、名古屋市議議員などが参加、
トリノからは市長、商工会議所事務局長、また大阪のイタリア領事館
からも代表の方が参列されて、先方からの期待をも感じました。
フォーラムでは、同時通訳のレシーバーを渡され、僕は初めて触る
機械に興味津々、またホール内の通訳ブースというものも
実物を初めて見ました。
スピーカーのお話が始まると、レシーバーからほぼ同時に
翻訳された言葉が日本語、イタリア語で聞こえてきます。
最初はあまりもの流暢さに、きっと前もって渡された原稿を読み上げて
いるだけだろうと思ったほどでしたが、同時通訳の集中力は
数分というような大変な作業の中ですから、途中で言葉に淀むところ
が出てきて、ここで初めて、現場で訳しているのだと驚きの気持ちで
聞いていました。
公演者の話の内容も興味深かったのですが、翻訳の技術、
この言葉をどう訳したか、話をどうまとめたか、どこを省略して
どこに解説を加えたか、そちらのほうが興味深かったです。
僕も一年に数えるほどの回数で通訳の仕事を頂くことがありますが
そのときには極度の緊張で冷や汗をかきながらのこともあるのに、
同時通訳の現場は、やっと鉄棒で逆上がりができるようになった
者が、オリンピックの競技を目の前で見せられたような驚きです。
僕にはきっと無理なことだと確信していますが、自分に限界を
作ってはいけないと自分に言い聞かせていますので、はいずるように
でも前を見て進んで行きたいです。
──────────────────────────────────────────────
◇ JIJI-Milano ◇
ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。
前回、一つリンクできていないビデオがありました。
「日本の職員vsイタリアの社員」というタイトルで比較対照したビデオです。
http://www.youtube.com/watch?v=ypVWy6K0_Wk
イタリア人はこういった自虐的なユーモアに慣れていて、他国からの指摘にも
割と大らかなように思います。
随分前に、Facebookで見かけたアメリカのフィアット500のコマーシャルなの
ですが、典型的なステレオタイプを題材にしていて話題になっていました。
でも、多くのイタリア人も大笑いして寛容に受け取っています。
http://www.youtube.com/watch?v=1fBFm4OD2W0
さて、今回の話題ですが、まずは、2007年12月にさかのぼってみます。
そのとき、このような記事を書きました。
http://archive.mag2.com/0000123715/20071210101000000.html
今読むと、誤字、言葉の間違いなど見つけて恥ずかしくなるのですが、
それはさておき、今から5年も前に指摘されていた問題が、今月になり
死者7名を出す悲劇となってしまいました。
プラート郊外にある中国人による縫製工場が早朝、火災に見舞われ、
かろうじて逃げ出した人や見回りの警官により当初消火活動が
行われたものの間に合わず、消防隊の検視により逃げ遅れた7人の中国人
労働者が焼死体となって発見されました。
5年前の記事を読んでいただければ、この倉庫のおおよその様子がわかるかと
思います。また、この時の記事の元にした番組がこの火災事故にあたり
再度サイトに番組を掲載しています。全ての会話が文字で起こされている
ので聞き取りにくいところは目で確認できます。
http://www.report.rai.it/dl/Report/puntata/ContentItem-132f40c7-4377-4f83-a37f-78106ecb6dcc.html
プラートはもう何年も前から中国人の移住者が集中しており、今回の非人間的な
労働環境だけでなく、学校教育機関においてもイタリア語がわからない多数の
中国人児童の対処が問題になっており、一つの他国民が集中することによる弊害
が顕著に表れてしまっている街なのです。
今回の火災事故について、TVのニュースでは悲劇にも亡くなった労働者への
哀悼を告げる内容でしたが、一方、アジア、とりわけ中国の動向を観察研究して
いる人は厳しい見解を示しています。
例えば、公、民間、大小問わず、ありとあらゆる中国人起業家は自国で行って
いるような倫理観のない腐敗したやり方を、他国においても全くおかまいなく
やり続けており、これらは中国政府も共謀する犯罪であり、中国を「絶対悪」
として糾弾しています。
平たく言えば、賄賂を使っての技術獲得や、国際法に公然と違反するような
奴隷的な雇用方法を国家ぐるみで平然とやりのけていると言っているのです。
イタリアはアメリカやドイツなどと比べ規制が緩いのか、やりたい放題の
様子ですが、今回の事故から厳しい体制がとられるようになれば、輸出される
イタリア製品の品質低下にブレーキがかかるのではないでしょうか。
個人的な感覚かもしれませんが、今では多くの人が量的な満足は必要とせず、
質的な満足を求めるようになってきたのではないでしょうか。特に多くの
日本人は2度も大きな地震に遭い、経済的ショックも加わり、20年前の
価値観とは大きく変わってしまったのではないかと思います。もちろん、私も
その一人です。
質が求められるはずの高級ブランドが、中国人の労働力を当てにするように
なってしまっては、虚構の上にさらに虚構を上塗りしてしまっているだけ
のように見えます。しかし、以前にも書いたように、とりわけ今に始まった
ことではないのですね。
ところで、話が全然違うのですが、8年ほど前にミラノへ来て初めて、目の
前が真っ暗になるとはこのことか、と思うほどのショックを体験しました。
それは小泉再選のニュースでした。
先日、2度目となるその時と同様のショックを味わいました。もうお分かりかと
思いますが、例の秘密保護法案の可決です。今回、真っ暗になりながらも、前回
ほどではないのは、もうこのようなトリックに騙されない人が、たくさんいる
だろうと思えるからかもしれません。以前B層とされた人の中にもこれまでの
間に意識改革が行われた人がおそらくいるはずでしょう。
今はこれから、どうやって廃案にするか、できることには参加するようにして
いきたいと思っています。選挙の仕組みから変えていかなければならないと
いうことにも今更ながら気がつきましたし。
話がそれてしまいましたが、イタリアにもどすと、今、こちらはクリスマスを
間近に控えたムードが漂っています。私自身は夫も含め、クリスマスなど全く
関係ない生活を送ってきているので、休み中もスーパーが開いていて助かる
なあという想いしかありませんが、本来ならイタリア人にとって一年で最も
大切な日なのですよね。
みんなプレゼントの選別、購入に忙しそうです。街はイルミネーションが
輝き、各家庭にはそれぞれ個性的な樅の木が飾られ、お菓子屋さんには
パネットーネやパンドーロが並ぶのがこの時期見られるごく普通の風景です。
クリスマスに対する感慨が全くないので、これらを空虚に感じてしまうのです
が、メールやFacebookなどで簡単に挨拶できるのも余計にそう感じさせて
いるようにも思います。
インターネットでの情報交換が意識改革の助けになる一方で、伝統的な
ものへの希薄さに拍車をかけることにもなるのかと複雑な感じがしますが、
あまり深く考えず、皆様にはこの一年の締めくくりとして、拙い文章に
お付き合いいただいたことへの感謝と、良き新年をお迎えくださいますよう
ご挨拶申し上げたいと思います。
来年も宜しくお願いいたします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇
5日目 6月4日(月)Merano → Trento → Bassano del Grappa
アスパラとグラッパの町へ
電車の駅から街の中心まで10分ほど歩きます。
ひとりでイタリアを旅し始めてから、常に訪ねてみたいと思い続けてきた場所
なので、何の根拠も無く、きっと気に入るだろうと確信を持っていました。
そのせいか、歩きながら目に入ってくる家や教会、広場など、気持ちにしっくり
馴染みます。
のんびりと散歩をしたい気分でしたが、まずはホテルを決めなければなりません。
ここだけは、ネットで気に入るホテルを探せずに、予約をしていなかったのです。
土地勘が無いために、どこにホテルがあるのか予想もつきません。
観光案内所もお昼休みの時間で閉まっています。
仕方なく、いつも使う手段をとりました。
どこかのレストランに入り、食事をしてお店の人にホテルを紹介してもらいという
方法です。
この町で唯一残念だったのが、気に入るレストランが見つからなかったことです。
あくまでも僕の個人的な好みなのですが、質素で、こじんまりとしていて、
それでいて少々洒落っ気があり、町の雰囲気に馴染んでいて、地元の人が
集まるような店が好きです。
旅行者を意識した、リゾート的な雰囲気、華美な外観は好きになれないのです。
あれこれと迷った挙句、中心地に近いレストランに入りました。
メニューを見ながら真っ先に探したのはアスパラの料理。
先日、Federicoたちと食べたピザがバッサノ風というもので、アスパラが
乗っていたのです。
残念なことにアスパラ料理はありませんでした。
アスパラは夕食に挑戦することにして、辛いサラミの乗ったピザとサラダ、
飲み物にスプマンテを注文しました。
味はそれなりですが、昼間からスプマンテが飲めるのが幸せでした。
食事の終わりかけに、オーナーさんらしき人にホテルの紹介を頼みました。
二箇所ほど名前を挙げていただいたのですが、奥さんと若い娘さんが
推していたほうのホテルを選びました。
レストランから15分ほど歩いたところにホテルがありました。
ドアが閉まっていましたが、呼び鈴を押すと中から老婦人が出てきて、
どうぞ、どうぞ、と値段の説明も無いまま部屋に通されました。
ちょうど雨が降ってきたので、部屋でシャワーを浴びて、荷物の整理をして
ほろ酔い気分で昼寝もしました。
部屋のドアには値段表が貼ってあり、『朝食別、シングル料金、80ユーロ』と
してあり、レストランでは値打ちナホテルと聞いてきた割には、
意外と高いと思いましたが、後にフロントで確認したら、45ユーロで
朝食込みとのことです。一体、あの値段表は何なのでしょうか?
夕方5時ごろには雨が上がり、散歩へと出かけました。小さな町ですから、
1時間もあれば見れてしまいます。
僕にとって、この町の魅力は何だったのだろうか?
今になって思い起こしてみると、特に記憶に強く残ったものは無いのです。
ただ、この町の背後に見えるGrappa山、町の脇を流れる綺麗なBrenta川、
街を取り囲む小高い丘と豊かな緑、起伏に富んだ斜面に、調和の取れた
中世の雰囲気の建物からなる町並み、赤茶けた屋根が作り出す一体感。
こうしたものが上手く混じり合って心地よさを感じさせてくれていたのだろうと
思います。(続く)
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。
YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。
神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は1月10日発行予定です。
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