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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第89号
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みなさま、残暑お見舞い申し上げます。
立秋を迎えましたが、暑さは、今こそ本番という勢いです。
自宅では以前からエアコン無しの生活をしていましたので
ことさら今年がどうだということもないのですが、
部屋の温度計が30度を超えているとさすがにげんなりします。
それでも疲れが勝って、朝までぐっすり寝てしまうので
人間の順応力は凄いものです。
震災の及んだ東北地方でも電力の供給量が限界を迎えそうで
停電にならないことを祈っています。
今月は(今月も)節約(書く)エネルギーという名目で、
やや手抜きにしました。さらっと目を通していただければ嬉しく思います。
< 目次 >
◇ 先取り。芸術の秋
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編(前置き)
──────────────────────────────────────────────
◇ 先取り。芸術の秋 ◇
先日、イタリア映画の試写会の招待を受けて、
邦題『あしたのパスタはアルデンテ』を鑑賞しに行ってきました。
(原題 mine vaganti)
これまでも試写会への招待は何度かありましたが、仕事と重なっていたり
気が向かなかったり(映画はあまり好きなほうではないのです)で
今回が初の参加となりました。
チラシに記載されていた『2010年 世界でいちばん愛されたイタリア映画』
というコピーに気がひかれたこともありました。
二度訪れたことのある南イタリア、バロックの美しい町レッチェが舞台です。
映画のシーンで時々垣間見る町の美しさが懐かしくもありました。
映画の評論は僕には無理ですが、主人公であるゲイの青年以外に
心に響く生き様を見せてくれる登場人物に涙や笑いが誘われることは
間違いないと思います。
この映画は、8月に東京での公演が始まり、名古屋では10月15日から
公開されます。サイトもありますので、ご覧になってください。
そして、もう一つ、すでに東京では公演が始まっていますが
精神病を患った人たちの挑戦を描いた『人生、ここにあり』
(原題 si puo’ fare!)も人気を博しているようです。
名古屋には9月10日にやってきます。こちらも紹介のサイトがあります。
日本では映画になりにくいテーマを扱っているような気がします。
あるいは映画にしてしまうと影の部分だけが強調されたりするかもしれません。
明るく、希望的に、しかも美しく描き出すイタリア映画の魅力を味わえることと
信じています。
日本での今回の震災の後、時々前を通るお寺の玄関にこんな表題が
掲げられています。
『なんでもない日常が、振り返ってみれば、どれほど幸せなことだっただろう』
明るい未来を見つめながらも、辛い現実もしっかりと見つめ
何よりも今日という一日をありがたくすごしてゆきたいと思います。
話しがそれましたが、暑い夏の次には実りの秋がやってきます。
東京では夏に公開されたこの二本の映画は、名古屋には秋にやってきます。
芸術の秋と洒落込んでみましょうか。
──────────────────────────────────────────────
◇ JIJI-Milano ◇
イタリア人の友人、ミラノのファッションカメラマンFedericoと
その奥さんの明子さんがミラノからフレスコな話題を
お送りするコーナーです。
***************************
7月と8月に結婚式に参列する機会がありました。
既にここでイタリアの結婚式について触れたことがあったかもしれませんが、
今回はこのおめでたい話をしたいと思います。
イタリアの式のスタイルには2種類あります。一つは私達が映画などで目に
する教会式、もう一つは役場が指定する公共の場所での式です。
この夏、私は両方のスタイルに出席することができて、それぞれとても
楽しかったです。
教会で式を挙げる場合は、新郎も新婦もイタリアではカトリックの教徒で
ある必要があります。7月に参列した式はトスカーナにあるコルトーナという
丘の上にある教会で行われました。
式までの準備のところからお話しましょう。
4時半からの式でしたから、新婦は2時半ごろから自宅で準備を始めます。
まず、美容師が来て髪をセットし、次にメイクさんが化粧を施します。同時に
新婦のお母さんやお姉さんも髪をセットしてもらい、あとはドレスをまとう
だけになります。
フェデリコはその日、カメラマンの仕事を請け負っていたので、この時の様子も
シャッターをきっていました。ドレスが着終わったところで、カメラマンは
一足先に教会へ移動して、新婦の登場を新郎やゲストと一緒に待ちますが、
新婦と家族はしばらくの間、庭に用意しておいた簡単な食べ物や飲み物を
近所の知り合いや親戚など訪問に来た方々にふるまい、挨拶していました。
その後、家族も新婦を残し一足先に教会へ行きます。
教会では、新郎とゲスト、そして家族も新婦の登場をいまかいまかと待ち
ながらお互い挨拶をかわし雑談をしています。
そして、オープンカーに乗って現れた新婦。その白いスポーツカーは白い
花やリボンで飾られ、まるで白い馬車に乗って贈られてきた、おとぎの国の
お姫様のような印象をうけました。本当に素敵な瞬間です。
教会外の階上で待つ新婦のお父さんのところまで、新婦の立会人となっている
お姉さんとお友達がエスコートしました。その前に新郎もゲストも皆、教会
に入り、席につきます。新郎と新郎の立会人だけは祭壇前で、しばらくして
新婦の立会人も新郎と並んで新婦を待ちます。
ここからは、おなじみの風景ですね。まず、籠を持った子供達が花嫁が歩く
絨毯上を花びらを巻きながら歩いて行きます。そのすぐあとを、小さな
クッションを大切そうに顔の前に掲げた子が行きます。これは指輪です。
そして、お父さんにエスコートされた花嫁さんが、しずしずとドレスの裾を
引きずりながら緊張の面持ちで祭壇まで歩いていくのです。その間パイプ
オルガンの音とともにソプラノ歌手の歌声が静かに響きわたっています。
さて、ここからですが、だいたい一時間ほどの式が終わると、たいていは
レストランへ移動し、食事となります。といっても、まだ時刻は6時にも
なっていないので、すぐ食事の席につくのではなく、庭に設けられた
スペースでアペリティーボを楽しみながらワイワイとおしゃべりしています。
新郎新婦は一時間ぐらい撮影となります。今回はコルトーナの街中を歩き
ながらあちこちで撮り、最後は先ほどのオープンカーを新郎が運転して
食事の会場までいくところの撮影となりました。
今回はホテルのレストランを貸し切っており、なんと、ゲストのほとんどが
このホテルにそのまま休めるよう全室予約で、つまりホテル丸ごと借り切って
行われました。ホテルはコルトーナの丘を降りて車で15分程行った
トスカーナらしい緑の中にあります。外の芝の中に温水のプールがあり、
プールに続く庭にはリラックスできるようテーブルや椅子が用意されて
いました。食事はガンベロ・ロッソにも紹介される有名なシェフによるもの
で、美味であることはさることながら、さすがトスカーナとうなずけるのは、
ワインの選び方でした。舌の肥えたイタリア人ゲスト達もトスカーナ地方で
作られた美味しいワインには、誰もが何か言わなければいられない様子でした。
パーティーは12時過ぎまで続き、朝の4時過ぎまで若い人達は残って楽しんで
いました。
教会式のパターンは以上ですが、公共の場所で行われる場合も式の場所が異なる
だけでおおよそ同じような感じです。
役場が指定する公共の場所と言っても、街によってはいろいろで、シエナでは
中心にある広場前の市庁舎であったり、宮殿の一部であったり、イタリアでは
ありませんが、8月に出席したスウェーデンの式では16世紀のお城の一室で
あったりと、豪華な会場もたくさんあります。
教会と違うのは、アットホームな雰囲気で、また結婚する二人の手作り感があり、
どれも個性的で皆それぞれ赴きが違うということでしょうか。
最後に、結婚後の名前について触れたいと思います。
日本では多くは女性が男性の姓に変更しますが、イタリアでは夫婦別姓です。
ですから、イタリア人同士の結婚であれば、当然女性も男性も姓名の変更は
一切ありません。日本人の私にしてみれば、ローマのお姑さんから送られる
郵便物の送り主のところに、夫の姓ではないお姑さんの名前が書かれている
ことに始め妙な感じがしたものです。
しかし、日本人の女性の場合、日本の習慣から三つの選択肢があります。
例えば、「鈴木花子」さんと「マルコ・ロッシ」さんが結婚したとします。
花子さんは、次の三つの中から結婚後の姓名を選ぶことになります。それは、
もともとの「鈴木花子」、
日本の習慣にならって夫の姓にした「ロッシ・花子」、
そして、少し長くなるのですが、双方の姓を並べた「ロッシ・鈴木 花子」。
私は、自分の名字にこだわりはないものの、しかも夫の姓は格好いいと思うの
ですが、日本人の顔で「レオーネ」と名乗ることに違和感を感じたので、イタリ
アの慣例どおり夫婦別姓、つまり旧姓のまま何も変えることはしませんでした。
ただ、「レオーネ婦人」と呼ばれることはありうるでしょう。
スェーデンで式を挙げた日本人の彼女は3番目のパターンを選択しました。
彼女も私と同様、日本人なのに外国人の名字を名乗ることに違和感を感じた
ものの、結婚後夫の姓を貰うという日本の習慣にも合わせたい気持ちがあったの
でしょう。
さて、国際結婚を控えている方、国際結婚をしたいと思っている方、どのように
お考えになりますか。
──────────────────────────────────────────────
◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇
この旅行の時期は2007年の6月です
前置き
皆さん、Trivenetoという言葉はご存知でしょうか?
皆さんのお使いの辞書に載っているかどうか分かりませんが、今回僕が旅行した
地域を合わせてTrivenetoという名称で呼ぶことがあります。
Triは数字の『3』で、Venetoは今回僕が旅をした地方を指す言葉です。
かつてはハプスブルグ家のオーストリアの影響下、チロル地方とも呼ばれた
Trentino-Alto Adige州、かつての社会主義国、旧ユーゴスラビアと
国境を分け合ったFriuli-Venezia Giulia州、そしてVenezia共和国の繁栄の
元にあったVeneto州がこの三州にあたります。
現在では、『イタリアの中の日本』とも比喩されるこの地域は、中小企業を
中心に産業が盛んで、失業率も5%と低く、ヨーロッパでもトップクラスの
生産性を誇っています。
昔からの町並みを残しながらも、活気があり、しかも人の心が前向き、
発展的な印象を、旅をしながら感じてきました。
この三州は、古代ローマの発展とともに町が形成され、その後、ゲルマン民族の
流入によりローマが滅びると、ヴェネツィアはビザンチン(東ローマ)の
影響を受けながらも、独自に海洋共和国として独立。
ナポレオンに滅ぼされるまで独自の文化圏を維持しました。
Trentino-Alto Adige州は早くから、フランク王国の下、ゲルマン文化に触れて、
チロル地方としての独自の文化を形成しつつ、後にハプスブルグ家の支配圏に
入ります。
Friuli-Venezia Giulia州は最初ビザンチン帝国(東ローマ)の支配を受け、
後に、ヴェネツィア共和国の元で発展し、ヴェネツィアの後退とともに
次はハプスブルグ家の支配に入り、最大の港町として発展をしました。
ざっと、簡単に歴史背景を書き出して見ましたが、古代ローマ、次に、
ゲルマン人主体のキリスト教、およびゲルマン文明、あるいは
東洋的なビザンチン帝国のキリスト教、またヴェネツィア独自の文化、
さらにはハプスブルグ家のオーストリアの影響、これらが微妙に異なる
配分で交じり合っている地方と言えるでしょう。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。
神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
問い合わせ、ご意見は mailto:ciao@giardino.jp までお願いいたします。
次回は9月10日発行予定です。
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第89号
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みなさま、残暑お見舞い申し上げます。
立秋を迎えましたが、暑さは、今こそ本番という勢いです。
自宅では以前からエアコン無しの生活をしていましたので
ことさら今年がどうだということもないのですが、
部屋の温度計が30度を超えているとさすがにげんなりします。
それでも疲れが勝って、朝までぐっすり寝てしまうので
人間の順応力は凄いものです。
震災の及んだ東北地方でも電力の供給量が限界を迎えそうで
停電にならないことを祈っています。
今月は(今月も)節約(書く)エネルギーという名目で、
やや手抜きにしました。さらっと目を通していただければ嬉しく思います。
< 目次 >
◇ 先取り。芸術の秋
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編(前置き)
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◇ 先取り。芸術の秋 ◇
先日、イタリア映画の試写会の招待を受けて、
邦題『あしたのパスタはアルデンテ』を鑑賞しに行ってきました。
(原題 mine vaganti)
これまでも試写会への招待は何度かありましたが、仕事と重なっていたり
気が向かなかったり(映画はあまり好きなほうではないのです)で
今回が初の参加となりました。
チラシに記載されていた『2010年 世界でいちばん愛されたイタリア映画』
というコピーに気がひかれたこともありました。
二度訪れたことのある南イタリア、バロックの美しい町レッチェが舞台です。
映画のシーンで時々垣間見る町の美しさが懐かしくもありました。
映画の評論は僕には無理ですが、主人公であるゲイの青年以外に
心に響く生き様を見せてくれる登場人物に涙や笑いが誘われることは
間違いないと思います。
この映画は、8月に東京での公演が始まり、名古屋では10月15日から
公開されます。サイトもありますので、ご覧になってください。
そして、もう一つ、すでに東京では公演が始まっていますが
精神病を患った人たちの挑戦を描いた『人生、ここにあり』
(原題 si puo’ fare!)も人気を博しているようです。
名古屋には9月10日にやってきます。こちらも紹介のサイトがあります。
日本では映画になりにくいテーマを扱っているような気がします。
あるいは映画にしてしまうと影の部分だけが強調されたりするかもしれません。
明るく、希望的に、しかも美しく描き出すイタリア映画の魅力を味わえることと
信じています。
日本での今回の震災の後、時々前を通るお寺の玄関にこんな表題が
掲げられています。
『なんでもない日常が、振り返ってみれば、どれほど幸せなことだっただろう』
明るい未来を見つめながらも、辛い現実もしっかりと見つめ
何よりも今日という一日をありがたくすごしてゆきたいと思います。
話しがそれましたが、暑い夏の次には実りの秋がやってきます。
東京では夏に公開されたこの二本の映画は、名古屋には秋にやってきます。
芸術の秋と洒落込んでみましょうか。
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◇ JIJI-Milano ◇
イタリア人の友人、ミラノのファッションカメラマンFedericoと
その奥さんの明子さんがミラノからフレスコな話題を
お送りするコーナーです。
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7月と8月に結婚式に参列する機会がありました。
既にここでイタリアの結婚式について触れたことがあったかもしれませんが、
今回はこのおめでたい話をしたいと思います。
イタリアの式のスタイルには2種類あります。一つは私達が映画などで目に
する教会式、もう一つは役場が指定する公共の場所での式です。
この夏、私は両方のスタイルに出席することができて、それぞれとても
楽しかったです。
教会で式を挙げる場合は、新郎も新婦もイタリアではカトリックの教徒で
ある必要があります。7月に参列した式はトスカーナにあるコルトーナという
丘の上にある教会で行われました。
式までの準備のところからお話しましょう。
4時半からの式でしたから、新婦は2時半ごろから自宅で準備を始めます。
まず、美容師が来て髪をセットし、次にメイクさんが化粧を施します。同時に
新婦のお母さんやお姉さんも髪をセットしてもらい、あとはドレスをまとう
だけになります。
フェデリコはその日、カメラマンの仕事を請け負っていたので、この時の様子も
シャッターをきっていました。ドレスが着終わったところで、カメラマンは
一足先に教会へ移動して、新婦の登場を新郎やゲストと一緒に待ちますが、
新婦と家族はしばらくの間、庭に用意しておいた簡単な食べ物や飲み物を
近所の知り合いや親戚など訪問に来た方々にふるまい、挨拶していました。
その後、家族も新婦を残し一足先に教会へ行きます。
教会では、新郎とゲスト、そして家族も新婦の登場をいまかいまかと待ち
ながらお互い挨拶をかわし雑談をしています。
そして、オープンカーに乗って現れた新婦。その白いスポーツカーは白い
花やリボンで飾られ、まるで白い馬車に乗って贈られてきた、おとぎの国の
お姫様のような印象をうけました。本当に素敵な瞬間です。
教会外の階上で待つ新婦のお父さんのところまで、新婦の立会人となっている
お姉さんとお友達がエスコートしました。その前に新郎もゲストも皆、教会
に入り、席につきます。新郎と新郎の立会人だけは祭壇前で、しばらくして
新婦の立会人も新郎と並んで新婦を待ちます。
ここからは、おなじみの風景ですね。まず、籠を持った子供達が花嫁が歩く
絨毯上を花びらを巻きながら歩いて行きます。そのすぐあとを、小さな
クッションを大切そうに顔の前に掲げた子が行きます。これは指輪です。
そして、お父さんにエスコートされた花嫁さんが、しずしずとドレスの裾を
引きずりながら緊張の面持ちで祭壇まで歩いていくのです。その間パイプ
オルガンの音とともにソプラノ歌手の歌声が静かに響きわたっています。
さて、ここからですが、だいたい一時間ほどの式が終わると、たいていは
レストランへ移動し、食事となります。といっても、まだ時刻は6時にも
なっていないので、すぐ食事の席につくのではなく、庭に設けられた
スペースでアペリティーボを楽しみながらワイワイとおしゃべりしています。
新郎新婦は一時間ぐらい撮影となります。今回はコルトーナの街中を歩き
ながらあちこちで撮り、最後は先ほどのオープンカーを新郎が運転して
食事の会場までいくところの撮影となりました。
今回はホテルのレストランを貸し切っており、なんと、ゲストのほとんどが
このホテルにそのまま休めるよう全室予約で、つまりホテル丸ごと借り切って
行われました。ホテルはコルトーナの丘を降りて車で15分程行った
トスカーナらしい緑の中にあります。外の芝の中に温水のプールがあり、
プールに続く庭にはリラックスできるようテーブルや椅子が用意されて
いました。食事はガンベロ・ロッソにも紹介される有名なシェフによるもの
で、美味であることはさることながら、さすがトスカーナとうなずけるのは、
ワインの選び方でした。舌の肥えたイタリア人ゲスト達もトスカーナ地方で
作られた美味しいワインには、誰もが何か言わなければいられない様子でした。
パーティーは12時過ぎまで続き、朝の4時過ぎまで若い人達は残って楽しんで
いました。
教会式のパターンは以上ですが、公共の場所で行われる場合も式の場所が異なる
だけでおおよそ同じような感じです。
役場が指定する公共の場所と言っても、街によってはいろいろで、シエナでは
中心にある広場前の市庁舎であったり、宮殿の一部であったり、イタリアでは
ありませんが、8月に出席したスウェーデンの式では16世紀のお城の一室で
あったりと、豪華な会場もたくさんあります。
教会と違うのは、アットホームな雰囲気で、また結婚する二人の手作り感があり、
どれも個性的で皆それぞれ赴きが違うということでしょうか。
最後に、結婚後の名前について触れたいと思います。
日本では多くは女性が男性の姓に変更しますが、イタリアでは夫婦別姓です。
ですから、イタリア人同士の結婚であれば、当然女性も男性も姓名の変更は
一切ありません。日本人の私にしてみれば、ローマのお姑さんから送られる
郵便物の送り主のところに、夫の姓ではないお姑さんの名前が書かれている
ことに始め妙な感じがしたものです。
しかし、日本人の女性の場合、日本の習慣から三つの選択肢があります。
例えば、「鈴木花子」さんと「マルコ・ロッシ」さんが結婚したとします。
花子さんは、次の三つの中から結婚後の姓名を選ぶことになります。それは、
もともとの「鈴木花子」、
日本の習慣にならって夫の姓にした「ロッシ・花子」、
そして、少し長くなるのですが、双方の姓を並べた「ロッシ・鈴木 花子」。
私は、自分の名字にこだわりはないものの、しかも夫の姓は格好いいと思うの
ですが、日本人の顔で「レオーネ」と名乗ることに違和感を感じたので、イタリ
アの慣例どおり夫婦別姓、つまり旧姓のまま何も変えることはしませんでした。
ただ、「レオーネ婦人」と呼ばれることはありうるでしょう。
スェーデンで式を挙げた日本人の彼女は3番目のパターンを選択しました。
彼女も私と同様、日本人なのに外国人の名字を名乗ることに違和感を感じた
ものの、結婚後夫の姓を貰うという日本の習慣にも合わせたい気持ちがあったの
でしょう。
さて、国際結婚を控えている方、国際結婚をしたいと思っている方、どのように
お考えになりますか。
──────────────────────────────────────────────
◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇
この旅行の時期は2007年の6月です
前置き
皆さん、Trivenetoという言葉はご存知でしょうか?
皆さんのお使いの辞書に載っているかどうか分かりませんが、今回僕が旅行した
地域を合わせてTrivenetoという名称で呼ぶことがあります。
Triは数字の『3』で、Venetoは今回僕が旅をした地方を指す言葉です。
かつてはハプスブルグ家のオーストリアの影響下、チロル地方とも呼ばれた
Trentino-Alto Adige州、かつての社会主義国、旧ユーゴスラビアと
国境を分け合ったFriuli-Venezia Giulia州、そしてVenezia共和国の繁栄の
元にあったVeneto州がこの三州にあたります。
現在では、『イタリアの中の日本』とも比喩されるこの地域は、中小企業を
中心に産業が盛んで、失業率も5%と低く、ヨーロッパでもトップクラスの
生産性を誇っています。
昔からの町並みを残しながらも、活気があり、しかも人の心が前向き、
発展的な印象を、旅をしながら感じてきました。
この三州は、古代ローマの発展とともに町が形成され、その後、ゲルマン民族の
流入によりローマが滅びると、ヴェネツィアはビザンチン(東ローマ)の
影響を受けながらも、独自に海洋共和国として独立。
ナポレオンに滅ぼされるまで独自の文化圏を維持しました。
Trentino-Alto Adige州は早くから、フランク王国の下、ゲルマン文化に触れて、
チロル地方としての独自の文化を形成しつつ、後にハプスブルグ家の支配圏に
入ります。
Friuli-Venezia Giulia州は最初ビザンチン帝国(東ローマ)の支配を受け、
後に、ヴェネツィア共和国の元で発展し、ヴェネツィアの後退とともに
次はハプスブルグ家の支配に入り、最大の港町として発展をしました。
ざっと、簡単に歴史背景を書き出して見ましたが、古代ローマ、次に、
ゲルマン人主体のキリスト教、およびゲルマン文明、あるいは
東洋的なビザンチン帝国のキリスト教、またヴェネツィア独自の文化、
さらにはハプスブルグ家のオーストリアの影響、これらが微妙に異なる
配分で交じり合っている地方と言えるでしょう。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。
神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
問い合わせ、ご意見は mailto:ciao@giardino.jp までお願いいたします。
次回は9月10日発行予定です。
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