あんぬんつぃ ジャルディーノ

イタリアとイタリア語に関するちょっとした情報、旅行記です。

今月のメルマガ 2011年12月

2011-12-15 12:29:29 | 今月のメルマガ
みなさま、今日は。

今年締めのメルマガになります。
毎年の事ながら、振り返ってみれば一年は瞬く間に過ぎてゆくものですね。

震災や大きな災いが多かった今年でしたが、来年は本格的に復興が進み
新しい希望が見えてくる一年になることを願って止みません。

さて、今回も映画のお知らせですが、
ルキーノ・ヴィスコンティ監督による『ベニスに死す』のニュープリント版が、
いよいよ12月17日から名古屋名演小劇場で上映開始です。

来年1月7日からは『ミラノ、愛に生きる』(原題 IO SONO L’AMORE )が
上映されます。
残念ながら、試写会には参加できず、パンフレットの紹介からしか内容が
分からないのですが、文面で僕なりに読み取れるのは、
衣装、ジュエリー、インテリア、美術、音楽、料理、さまざまな『美』を
結集したような作品であるようなのです。
もちろん映画ですからストーリーと役者の演技がメインなのですが、それ以外の
面でも楽しみに出来ることが多そうです。
公式サイトもありますので、ご興味のある方は、まずはサイトをご覧ください。

< 目次 >

◇ 1年の諺
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編

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◇ 一年の諺 ◇

2012年に向けて諺を12個紹介します。

直訳を付けておきますので、読み取る教訓は皆様方にお任せします。

1月 Gente allegra il ciel l’aiuta.
心の明るい人、天はその人を助ける。   

2月 Dopo la pioggia risplemde il sole.
雨の後、再び太陽は輝く。

3月 A ogni uccello il suo nido pare bello.
どの鳥にも自分の巣が素敵に見える。

4月 Si deve parlare a tempo e a luogo.
時と場所(を考えて)に合わせて話をすべきだ。

5月 Tante teste, altrettanti pareri.
頭の数だけ、考えも様々。

6月 A goccia a goccia s’incava la pietra.
一滴一滴が石をも穿つ(うがつ)。

7月 Quattro occhi vedono meglio di due.
4つの目(二人)は2つの目(一人)よりもよく見える。

8月 Meglio perdere che straperdere.
大負けするよりは、(適度に)負けるほうがましだ。

9月 Il mattino ha l’oro in bocca.
朝は口に金をくわえている。

10月 Tutto arriva a chi sa aspettare.
全ては待つことが出来る人にやってくる。

11月 Nessuno cade con i piedi degli altri.
他人の足で転ぶ人は誰もいない。

12月 Oggi ci penso io, domani ci pensa Dio.
今日のことは私が考えるが、明日のことは神が考えてくれる。

何年か前に、奈良町にある『時の資料館』で聞いた話を思い出しました。
なぜ、お店や会社が年末にカレンダーを配るのか、ということです。

『江戸時代には暦を民間で配ることは禁じられていた。明治維新を迎えて
、明治5年に太陰暦に代わって太陽暦が採用され、16年には暦は誰でも
出版できるように自由化された。この流れの中で、暦に商店名を刷り込み
宣伝を兼ねて配布するようになった』

当時のカレンダーには商売の神である、大黒様と恵比寿様の絵が載っていて
『福を引く』という言葉のありがたみもあって普及した、という話だったと思います。
カエサルの導入した太陽暦が明治維新と共に日本でも使われるようになった
のですね。

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さん
からのお便りです。

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月日が経つのは早いもので、今年ももうあと20日となります。2011年は
皆様にとってどんな一年でしたか?私はイタリアに住んでいるというものの
3月の震災以来、心の奥底に絶えず不安や恐怖を抱えて過ごしてきたよう
に思います。

このままの状態で新しい年を迎えるのは、なんだか寂しい気がします。
そこで、今回はちょっとほっとする、または面白おかしい話題をお伝えしたい
と思います。

まずは、マイク・ボンジョルノの盗まれた棺についてです。

RAI局からベルルスコーニ氏のメディア・セットに引き抜かれ、開局以来
ずっと第一線で司会業を努めていたマイク・ボンジョルノ氏が2009年9月に
突然亡くなりました。彼の葬儀はミラノのドゥオーモで行われ、参列者は縁の
ある有名人は勿論のこと、ベルルスコーニ氏もお別れの挨拶をした一人
でした。

そして、その約一年後、何者かにマイク氏の棺が盗まれてしまったのです。

イタリアでは地域にもよりますが、80%以上が埋葬だということを以前お話し
たかと思います。埋葬と言いますと、私達は映画で見るような、土を深く掘り
返し、そこへ棺ごと埋めるのを想像しますが、大きな墓地では、墓石の下は
3~4メートルほどの深さをコンクリートで整えられ、3、4段の棚が設けられ
ており、そこに家族、代々祖先の棺が収められるようになっています。

ですから、埋葬の度に大理石の墓蓋を開け、以前亡くなられた親類の棺と
対面することになります。しかし、年数は忘れましたが、何年かすると古い棺
は取り除くということです。また、コインロッカーのようなスペースのお墓もあり
こちらは大理石の蓋をする前にコンクリートで頑丈に覆っておきます。そして、
一人に一つのスペースですから、他の祖先と共有することはありません。

マイク・ボンジョルノ氏のお墓は前者のタイプだったのでしょう。大理石の墓の
蓋はかなりの重量がありますが、大人の男性なら2人でなんとか動かせるで
しょうから盗むのはそんなに難しいものではないはずです。

マイク氏のご子息がテレビで何度か返してくれるよう訴えていましたが、
偽者が身代金を要求してくるなどの騒動があっただけで、全く進展がありま
せんでした。

それが、今月8日、ミラノ郊外のヴィットゥオーネという街でマイク氏の棺が
見つけられたのです。この数週間、テレビ番組でマイク氏の息子さんが再び
返してくれるよう訴え続けていたところだったので、その声が届いたのだと
思います。

税率の引き上げや、年金受給年齢の引き上げなど、気の重くなるニュース
ばかりのなか、棺が返ってきたこのニュースには、イタリア中で安堵の息を
ついたことでしょう。まだ、遺体が本当にマイク氏のものかどうかの鑑定が
なされている最中ですが、そうであることを祈るばかりです。

それから、このニュースの前日には思わず吹き出してしまった出来事が
テレビで流れました。

12月5日月曜日、ジェノバの銀行で起きた出来事です。ジェノバの北に
位置するするところにアレッサンドリアという街があります。ミラノと
ジェノバのほぼ真ん中あたりの所ですが、そのアレッサンドリア市郊外の
サンジュリアーノヌオーボという村に住む67歳の男性が、大金を持って
やってきました。

目的はその大金を現通貨ユーロに換金するというものです。つまり、彼の
持参した大金というのは旧流通通貨であるリラだったのです。金額は
なんと7億2千万リラ、現通貨にすると約36万ユーロ、日本円で4千万円
ぐらいでしょうか。よくも現金でこんな大金を保有していたものです。

12月5日というのは、リラの換金できる最後の日でした。高額な換金である
こともそうですが、リラの換金となるとイタリア銀行でしか行っていないの
でしょう。それでジェノバまで出向いたのだと思いますが、彼はここで大きな
過ちを犯してしまいました。

道中の身の危険と大金を守ることを考えて、なんと彼はコートのポケットに
拳銃を忍ばせて移動していたのです。そして、銀行内へも銃を保持したまま
換金にやってきました。

窓口で、7億2千万リラの入ったカバンを開けようとしたときのことです。
動きを誤ったのか、ポケットに入っていた拳銃がスルッと滑り落ちてしまい
ました。行内には、大理石の床に重量のある銃が落ちた音が響き渡り、
行員はビックリ仰天だったのは勿論、すぐさまアラームを鳴らしました。

67歳のこの男性は、瞬く間に警備員に押さえ込まれ、そのまま警察に
引き渡され、また、拳銃は勿論のこと、現金の入ったカバンも凶器として
没収されてしまいました。問題だったのは、拳銃の携帯許可証を得て
おらず銃刀法違反を犯していること。そのまま留置所行きとなってしまい
ました。

その後、この男性宅に家宅捜査に入ったところ、タンスの奥などから
32万ユーロの現金が見つけられたと言いますから、なにやら怪しい匂い
もします。

7億2千万リラがただの紙くずとなってしまったかどうかは、ニュースからは
わかりませんでしたが、イタリアのコメディ映画を思い出すような話に思わず
笑ってしまったものです。

さて、イタリアはすっかりクリスマスに向けて師走のムードが漂っています。
休日もプレゼントのためか、人が溢れかえっています。24日までこんな
状態が続くことでしょう。

少し早いですが、皆様、良い年末、清々しい年始をお迎えくださいますよう
お祈りいたします。また、来年も宜しくお願いしたします。

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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

この旅行の時期は2007年の6月です

一日目 5月31日(木)Roma → Venezia → Grado

久しぶりに利用したキャセイパシフィックのローマ便は予定よりも一時間早く
到着しました。
さっそうと入国審査に向かうと、僕の前のアジア人らしい男性がかなりの時間を
かけて調べられていました。
中国人かな?と思っていた時に、イタリア人の役人が片言の日本語で、
その男性に向かって『ニホンノ・コッカ・キミガヨ』と言うのが聞こえました。
その男性は戸惑いながらも『君が代は。。。』と歌い始め、その結果無事に通して
もらえたようです。
幸いなことに、僕は君が代を歌うことなく通してもらえましたが、求められたら
役人が驚くぐらい大きな声で歌ってやろうかと思っていたのです。
あの男性は一体何を怪しまれたのでしょうか?それともロシアンルーレットの
ように突然指名が下るのでしょうか?謎です。

次に関税のコーナーですが、係員も誰もいません。そのまま通過で、あっという
間に外に出られました。
過去に時間がかかった時は、空港でバスに乗せられ、入国審査で長蛇の列に並び
1時間ほどかかったこともありましたが、今回はついていたのでしょう。
10分もかかりませんでした。
入国審査の遅れを計算して、国内便の乗り継ぎを二本ほど遅いものを予約して
いたので、逆に時間を持て余してしまいました。空港のロビーで、無料配布の
新聞や、置き去りにされている新聞などを読みました。

この日の主なニュースはこのようなことでした。
到着日は全国規模のタクシーのストライキだったようです。いつもなら、
到着ロビーから出たところに鬱陶しいほどに声をかけてくるタクシーの
ドライバーが一人もいなかったことを思い出しました。
もぐりのドライバーも共同してストライキをしたのか、正規のタクシーが
居ないので、もぐりのドライバーが呼び込みをする暇が無いほど
引っ張りだこになっていたのかどちらかでしょう。

二つ目には、結核に感染したアメリカ人が、一旦はイタリアの病院に
収用されたにも関わらず、イタリアの医療に不信を持っていたために
強行的にアメリカに帰ってしまったという話でした。
感染力の強い結核菌の種類だったようで、帰国中のアメリカ人と
同じ飛行機に乗り合わせた人の二次感染が心配されていました。

三つ目には、イタリアに増え続ける、不法滞在をも含む外国人の数の
増加につれて、イタリア人の大半が不安に感じているということが
調査結果として載っていました。
日本でも外国人の起こす犯罪数の増加が一つの社会不安になっていますが
イタリアはその比ではないでしょう。
近郊の海を渡って、あるいは陸を伝って、どんどんと外国人が入ってきている
状況ですから。
そうであるにもかかわらず、外国人を排斥したり、表立っての差別行動などを
起こしていないのは、古代ローマの時代から、他民族の流入、受容、登用などの
歴史があったからでしょうか?
最近読んで感銘を受けた本で町田宗鳳教授の『ニッポンの底力』というのが
ありますが、そこに『文化の祖型』というテーマが語られていましたが
イタリアには外交人を受け入れて新たな命を生み出してきた『文化の祖型』が
あるのかもしれないと思ったりしています。

今回は、国内線のカウンターに並んでいた自動チェックインの機械を
使ってみました。アリタリアの会員カードを挿入すると、予約したフライト情報が
画面に出てきました。三列席の中央に席が取られていたので、画面で窓側に変更、
次に印刷ボタンに触れると、搭乗券がプリントアウトされてきました。
今の時代、当たり前のことなのでしょうが、アリタリアでこういう体験が
出来るなんて、ちょっと感動しました。(続く)

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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次回は1月10日発行予定です。