あんぬんつぃ ジャルディーノ

イタリアとイタリア語に関するちょっとした情報、旅行記です。

今月のメルマガ 2014年12月

2014-12-22 18:32:21 | お知らせ
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第125号 

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みなさん、こんにちは。
突然のように寒さがやってきて、急な雪の知らせまであり驚きました。
忙しい年の瀬、体調を管理しつつ過ごしてゆきましょう。

まもなく選挙もありますね。20歳以上の国民であれば、当然のように一票を
投じることができる平和な日本。これも明治以降のさままざな出来事を経た後に
国民に与えられた大事な権利です。投票権のある方は、ぜひ、選挙に行ってくださいね。
イタリアはいろいろ政治的な混迷がありますが、投票率は高いです。
国際的な目から見れば、投票率の低さは、日本国民の評価を下げることにもなりえます。
当日予定がある人は、ぜひ期日前投票を利用しましょう。

< 目次 >

◇ 終わりよければ全て良し
◇ JIJI-Milano
◇ イタリアのポップ

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◇ 終わりよければ全て良し ◇

今年も最後のメルマガになりました。
みなさまにとって、2014年はどのような年でしたか?
でも、まだ20日ほど残っています。今年やり残したことがあれば終えておきたいですね。

イタリア語で終りを表す名詞 fine そして動詞 finire その語源はラテン語の finem
という言葉で『領土の境目』を示していて、イタリア語の国境や境目を示す confine
という言葉の語源でもあります。

いくつかこの『終り』を含んだ、イタリア語で使われる諺を紹介します。

Alla fin del salmo si canta il《gloria》
賛歌はグローリアで終る。
意味: 物事にはお決まりの結末がある。

La fine corona l’opera.
最後が作品に王冠を被せる
意味: 作品、あるいは作業は終わってから完成となる。

Cio’ che si comincia, si finisce.
始めたことは、きちんと終わらせるものだ。

Tutto finisce.
すべてのものには終りがある。

シンプルな諺ですが、深い意味合いをもっていると思いました。
どうか良い一年の締めくくりと、新しいよき年をお迎えください。

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。


もうあと数週間で2014年も終わりますが、どのような1年をお過ごしでしたでしょうか。
私自身のことで恐縮ですが、個人的には精神的に辛い1年でした。
しかし、一方では色々な出会いや心の触れあいもあり、ある意味充実していたのかもしれないと今ではそう考えています。
イタリアに住んでいて私が特に助かっていることの一つは、周りにいるイタリア人の両手を広げて迎えるような暖かさです。
ここでは特別なことではなく、ごく普通にする会話の中にいたわりある言葉や、気遣いのある優しさがあり、
それは特別に親しい人に限定されず発せられるものだと感じています。イタリア人の特質なのだと思います。
「友人」の定義が良くも悪くも広い範囲にわたっておりときどき顔を合わすだけの人も、
まるで昔からの友人のように会話が発展することもあります。
社交辞令が苦手で、表面的で軽薄な会話が嫌いなので、心から話してくれる彼らの率直な気持ち、
もちろん一切の社交辞令がないわではありませんが、しっかりと感触のある言葉のやりとりに一語一語を発する楽しさを教えられます。

そんな寛容で暖かみのあるイタリア人を一人挙げるなら、今回、19世紀を代表する音楽家ヴェルディをとりあげたいと思います。
恥ずかしいことに、私はヴェルディについて何の知識もありませんでした。唯一トラヴィアータを見たことがあるという
だけでしょうか。
ほんの数日前に友人が Casa Verdi のガイドツアーに誘ってくれたことがきっかけで彼の生涯を垣間見て知ることになりました。
Casa Verdi というのは、ヴェルディの私財よって作られた音楽家のための"老人ホーム"です。
現在もヴェルディが残した遺産によって運営されており、かつて活躍した数十名の音楽家たちがここで老後を過ごしています。
養老院としてだけでなく、コンサートホールや若い人材を育成するためのレッスン室などがあり、
現役を引退しても培ってきた技量を次の世代の人たちに受け継ぐ場としても機能しています。
音楽家のための"老人ホーム"というだけで既に世界で唯一の存在ですが、建物の美しさ、機能性においても
こういった他にはない特徴があります。
ヴェルディが贅を尽くして作らせたCasa Verdiですが、彼自身のために建てたわけではありません。
その頃年金など整備されておらず彼の周りの偉大な音楽家が老後苦労していたのを見て構想したもので、
ヴェルディ自身は利用する意図はなく、彼の死の2年後から運営が始まりました。
彼の友人に、自分の作った作品の中でどれが一番気に入っているかと聞かれたとき、
ヴェルディは世界的にヒットした数あるオペラ作品を挙げず、このCasa Verdiと答えたと言われています。
当時、ヴェルディはイタリア一の大金持ちでした。ですから、Casa Verdiを設計した建築家はもちろん、
建築資材、内装デザイナー、全て有名一流の人材、資材が惜しみなく集められて建設され、確かに素晴らしいものに仕上がっています。

当時、音楽家が老後苦労していたというのに、何故ヴェルディはイタリア一の大金持ちだったのか、という疑問が湧きます。
確かに彼の作品は世界中で公演されその著作権だけでも巨額になるのでしょうが、彼は音楽家であるだけでなく
農業にもあかるく、200名もの従業員を雇用する農園経営者でもありました。
もともと、農夫の家に生まれたこともあり、農業の大切さを理解していたのでしょう。
ちなみに、イタリアには随分昔から日本の柿があったようですが、これはヴェルディがフランス公演中に植物園で見つけ
イタリアへ持ち込んだのだと、ガイドの人が言っていました。
Casa Verdi には今でも二本の柿の木が残っているそうですが、残念ながらそれは新しく植え替えられたもののようです。
音楽家でもあり、事業家でもあったヴェルディは、さらに病院も作っています。
当時、ヴェルディの農園近くには病院がなく
一番近いところではパヴィアと、メモしていなかったのでどの街だったか忘れてしまいましたが、
とにかく馬車で2時間はかかるような遠方にしかなく、移送中に亡くなってしまうことがよくあったそうです。
そこで最寄りのVillanova sull'Ardaに建設したのだそうです。
また、イタリアで一番の高額納税者でもあったヴェルディは上院議員にも選出されたこともありました。
しかし、実際に政治にかかわったことはありませんでした。
彼の遺言では、葬儀は下層級の庶民と同じ質素なものにしてほしいということで、実際そのように行われミラノの墓地に
埋葬されたのですが、これもガイドの話をメモしていなかったので誰だったかわかりませんが、
知人の一人が偉大な音楽家の墓がこんな質素なものでは駄目だと激怒し、死後1か月度にミラノ記念墓地からCasa Verdiまで
棺を移送させました。
移送中の沿道がミラノ市民で埋め尽くされた様子が今でも写真に残っており確認することができます。
彼の意に反し壮大な葬儀が行われ、今では美しいモザイク装飾がほどこされた墓室に眠っています。
こちらはいつでも見学できるので音楽に興味のある方は是非ヴェルディの眠っているCasa Verdiの正面奥まで
足を運んでみてください。但し、建物内のガイドツアーは無料ですが予約が必要です。
定期的に行われているわけではなく希望者がある程度集まれば行われるそうです。
ツアー中コンサートホールの方へ移動する際、ちょうど休憩室でお茶をしている老婦人グループのところを通りかかりました。
ガイドさんがここにはヴェローナで30年ソプラノ歌手として活躍していたプリマドンナがいると言ってみんなに紹介してくれました。

おそらく80歳は超えているかと思われます。
みんなに是非ちょっとだけ歌声を聞かせてあげてほしいと頼んでくれました。
彼女は髪も服装もきちっとしており、美しく背筋を伸ばし、すくっと立ち上がると、一切の発声練習もなく
いきなり天井を抜くような美しい高音のオペラの一辺を聞かせてくれたのです。
1分もなかったでしょうが、その場にいた私たちは全員が彼女の歌声に魅了されてしまい、しばし呆然としていました。
小さなサロンを後にしてホールの方へ向かうとき、ガイドが「彼女は重度のアルツハイマーで10分後のことは
全く覚えていないんだ」と言っていました。それでも、舞台で歌っていた曲は歌声が劣ることなく覚えているということなのですね。
観光する場所の少ないミラノですが、記念墓地と合わせて是非訪れてみてはいかがでしょうか。

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◇ イタリアのポップ ◇

mancare という単語があります。
何かが欠如している、欠けている、 あるいは何か、誰かがいなくて寂しい、困るという
意味合いを表すために使われます。
欠如しているもの、いなくなっている存在自体が主語になり、寂しく思っている
不都合な状態に置かれているものは、前置詞 a を伴ない間接補語の形で表現されます。

Al tavolo mancano due piatti. テーブルには皿が二枚欠如している。
Al bambino manca la madre.  子供はお母さんがいなくて寂しい。

Mi manchi(tu). 君がいなくて(僕は)寂しい。
Ti manco(io)? 僕がいなくて(君は)寂しい?
Vi manchiamo(noi)? 僕たちがいなくて(君たちは)寂しい?
Ci mancate(voi). 君たちがいなくて(僕たちは)寂しい。

この mancare を使った、曲を紹介したいと思います。

Simone Cristicchi という男性アーチストが歌っている
Mi manchi というタイトルの歌です。

音声は動画サイト、youtubeなどで検索してみてください。
Mi manchi という題名の歌は他にも複数存在していて、色々なアーチストが歌っています。
検索の場合は、歌のタイトルとアーチスト名を両方検索にかけてみてください。


Mi manchi 君がいなくて寂しいよ
come manca il mare a un'isola 島にとって海が無いみたいに
come ad un bottone l'asola ボタンにボタン穴が無いみたいに
come un mese a un calendario カレンダーに月が一つ欠けているように
e a un teatro il suo sipario 劇場に幕(どんちょう)が無いみたいに
a una suora il suo rosario シスターにロザリオが無いみたいに
come le ali a un aereoplano 飛行機に翼がないみたいに
l'altalena ad un bambino 子供にシーソーが無いみたいに
la sua patria a un emigrato 移民に祖国が無いみたいに
Mi manchi 君がいなくて寂しいよ
come l'ago ad un pagliaio 麦わらの山の中で(無くした)針を探しても見つからないくらい
                  途方も無く 
allo Yeti il suo ghiacciaio ヒマラヤの山男に氷が無いみたいに
come il vento agli aquiloni 凧に風がないみたいに
come il cacio ai maccheroni マカロニに(振り掛ける)チーズが無いみたいに
e la penna ad un notaio 公証人に筆がないみたいに
come manca un pesce all'amo 釣り針に魚がかからないみたいに
come a volte manca il fiato 時々、息苦しくなるみたいに
e a me dirti che ti amo そして、僕には『君を愛している』と言う機会がないみたいに
Lo nasconder? でもこれは伏せておくよ
questo nostro amore この僕たちの愛は
perch? tu non lo veda 君にはこのことが分からないように
perch? tu non ci creda 君が思い込むことが無いように
quando ti dir? che ti amo ancora もしも再び、君を愛していると言うことがあるならば
e che mi manchi...そして君がいなくて寂しいと
Mi manchi 君がいなくて寂しい
come le radici a un albero 木に根が無いかのように
come il campo ad un trattore 耕運機に畑が無いかのように
come al lampo manca il tuono 稲妻に雷鳴がないかのように
e al peccato il suo perdono 罪の思いに、許しが与えられないかのように
al mercato il suo frastuono 野外の市場に賑やかさがないかのように
al ciclista la discesa サイクリストに下り坂がないかのように
a un altare la sua chiesa 祭壇に教会がないかのように
ed a Dio la mia preghiera そして神に、僕の祈りの言葉が無いかのように
Lo nasconder? このことは伏せておくよ
questo grande amore この大きな愛を
perch? il mondo non veda 世間に知られないように
perch? tu non ci creda 君が信じ込まないように
quando ti dir? che ti amo ancora もしも、君をまだ愛している、と言うことがあるならば
...che ti amo ancora... 君を今でも愛していると、、、
e che mi manchi...そして、君がいなくて寂しいと
...quando ti dir? che ti amo ancora 君をまだ愛していると、君に言うならばe
che mi manchi...そして、君がいなくて寂しいと
Mi manchi 君がいなくて寂しいよ
come tela ad un pittore 画家に画板が無いかのように
come adesso le parole ちょうど今、言葉がなくなってしまったように
come a me manca il tuo amore  僕に君の愛が欠けているかのように

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。

YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。
ただいまskypeを利用してのレッスンも行っています。

神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は1月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年11月

2014-11-13 18:40:56 | お知らせ
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第124号 

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秋も深まり、寒さを感じる日も多くなってきました。これからは街中でも紅葉の姿が
みられるようになってきます。
今年はどこに紅葉を見に行こうかと思案中です。
ランの館が、新たに入場無料の公園として一般に開放されています。
ここでも秋の雰囲気を感じることも出来ますが、道を一本挟んで、矢場地蔵のある、
清浄寺(小林城址)にもとても小さいですが、見事な紅葉の木のある庭園があります。

< 目次 >

◇ お知らせ
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編

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◇ お知らせ ◇

来年はミラノで万博があります。ミラノでの開催は1906年以来の
109年ぶりだそうです。
開催に向けて新たに再開発されている地域もあるそうで、
これを機会にイタリアに再び好景気の風が吹いてくれると良いなと
期待しています。

東京都美術館で展示会が開かれています。
有名な作品も来ていますのでルネッサンスの芸術の愛好家には
うれしい催しです。

ウフィツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまでArte a Firenze da Botticelli a Bronzino: verso una 'maniera moderna'
2014年10月11日(土) ~ 12月14日(日)

名古屋とトリノの姉妹都市関係を祝って、ミラノの、デザイナーの卵である学生たちの
デザインの中から投票で選ばれたデザインを市バスにラッピングしたものが、
名古屋祭りで披露され、その後も期間限定で市内を3台のバスが運行します。

バスの片側が、トリノの学生のデザイン、もう片方は、スポンサーとなる企業の広告が
載っています。
スポンサーの1社である、デンソーのHPを見つけましたので、こちらに転載します。

協賛期間(すなわち、バスの運行期間)2014年10月17日(金曜日) ~ 2015年4月16日(木曜日)


バス走行路線名駅16号系統 (主な走行エリア:名古屋駅 ~ 栄・東新町)

バスデザイン今年開発20周年の節目を迎えるQRコードを基調としたデザイン

イタリア・トリノ市にある芸術・応用デザイン大学院(IAAD)の学生がラッピングデザインをした
名古屋市営バスが、10月17日(金曜日)から名古屋市内を運行します。
        
これは、名古屋市が姉妹都市であるトリノ市との国際交流の一環として実施しているもので、
2014年10月に名古屋市長がIAADを訪問した際に提案し、11月にトリノ市長が名古屋市を訪問した際に、デザイン 交流事業として進めることについて合意されました。
この事業は、2015年のトリノ市との姉妹都市提携10周年を盛り上げるプレイベントとして
実施され、また「ユネスコ・デザイン都市なごや推進事業」としても位置づけられています。
デンソーは、名古屋市とトリノ市が更なる交流を深めるという本企画に賛同し、
協賛に参加しました。

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。


こんにちは。ミラノは寒くて暗くて、雨の多い11月になりました。イタリア人
にとって、そして、もはや私にとっても、これからクリスマスまでの期間は
一踏ん張りしなければならない、なんとも辛い時期のように感じます。私も
とうとうバカンスを楽しみにしてしまうようになってしまいました。

さて、遠い夏のお話になりますが、今年7月、名古屋に一人の男子学生を
送り込むことができました。

数年前に、日本で勉強したいという学生を、東京や大阪ではなく、イタリア語や
英語に接触しにくい環境へ送り出したいという願いから地元名古屋の学校を斡旋
する企画を思いつきました。

しかし、すぐに地震があり一旦頓挫した企画だったのですが、今年、名古屋で
勉強したいという学生が現れたので、再び実現できることになりました。

彼、クリスティアンからメッセージをもらっているので、ここで紹介させて
もらう承諾を得て掲載させていただきます。私のほうから日本滞在についての
感想を書いてくれないかと頼んだところ、文章を書くのは苦手だけれどと
言いながらも喜んで引き受けてくれました。

まずは、彼の書いたイタリア語から。そしてかなりの意訳になりますが、
私が日本語にしたものを紹介します。

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La mia prima esperienza in Giappone e stata indimenticabile,
devoinfatti ringraziare la mia sensei di giapponese in Italia che
mihaaiutato e suggerito dove andare.In Giappone ho conosciuto
tantissime persone fantastiche, e ho finalmente visto il paeseche
tanto ammiro con le sue tradizioni la gente e i suoi paesaggi unici.
Appena arrivato ho conosciuto la famiglia che mi ha accolto per
tutto il tempo passato li eche ora sono diventati i miei genitori
giapponesi. Nagoya, e veramente un posto bellissimo dove e facile
passare il tempo divertendosi.Si puo girare per le vie piene di
negozi, visitare il quartiere commerciale, prendere da mangiare
tra le varie bancarelle di cibo e se si ha bisogno di un po’ di
fresco per riposarsi dal caldo dell’estate Giapponese andare nella
metropolitana a riposarsi ( ho almeno e quello che facevo io
quando faceva tanto caldo).inoltre si possono vedere moltissimi
templi sparsi per la citta e il castello di Nagoya che e veramente
molto bello da visitare. Alla sera e una citta piena di vita quindi
non c’e mai da annoiarsi.I bus e la metropolitana li ho trovati
molto facili da usare e molto economici, mentre il treno regionale
l’ho trovato un po’ caro e per prendere un biglietto era abbastanza
complicato. Il cibo era veramente buono ho provato molti piatti
che vedevo solo nei fumetti e devo dire che sono veramente buoni
l’unico piatto che fa un po’ effetto a noi europei e il natto per il suo
odore forte ma devo dire che da mangiare e molto buono. La scuola
che frequentavo YWCA e veramente un ottima scuola gli insegnanti
e il personale sono qualificati e molto bravi nell’aiutare gli studenti
e la lezione e semplice da seguire. Il corso estivo intensivo e
veramente troppo intensivo la mia difficolta piu grande e stata
tenere il passo nello studio di tutti i vocaboli aumentavano di
giorno in giorno ma per il resto mi sono trovato benissimo.
Per finire posso dire che e stata davvero una splendida esperienza
infatti non vedo l’ora di tornare e continuare a visitare piu posti
possibili.

私の初めての日本滞在は忘れられないものとなりました。どこで勉強するのが
よいかアドバイスしてくれた日本語学校の先生には感謝すべきでしょう。

日本では素敵な人たちにたくさん出会い、そして、これまで夢に見てきた
日本の伝統や他にはない風景にようやく触れることができました。日本に
到着してすぐ、ホームステイファミリーが迎えてくださり、その後ずっと
一緒にすごしているうちに、今では私の日本の両親といえる存在になり
ました。

名古屋は本当に素敵なところで、娯楽を見つけるのに難しくない町です。
お店がたくさん並んだ通りや商店街へ行ったり、いろいろな露店で食べ
たり、暑さをしのぎたかったら地下鉄に乗ってくつろいだり(自分は
とても暑い日にはそうしてた)できるのです。他にも町中にはたくさんの
お寺があるし、本当に綺麗な名古屋城、それらも見に行くことができるの
です。夜もにぎやかで全然退屈することがありません。

バスや地下鉄は安くて簡単に乗りこなせるのですが、電車はちょっと高く
て、切符を買うのは難しかったです。多くの料理は漫画でしか見たことが
なかったのですが、本当に美味しくて、まあ、実に美味しいのです。ただ、
唯一ヨーロッパ人に難しいと思われるのは独特の匂いのする納豆です。
でも、納豆も実は食べてみると美味しいのです。

私が通ったYWCA学院は本当にいい学校で、熟練した先生方は生徒達が
楽に授業についていけるように指導してくれます。夏期集中コースは、
名前のとおり本当に「集中」したもので、日々増えていく新しい単語の
習得に大変でしたが、それ以外はとても居心地のいい学校です。

最後になりますが、本当に素晴らしい経験ができました。次回はもっと
たくさんの場所をおとずれることを楽しみにしています。

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彼に名古屋を勧めた者としても、地元の人間としても、ここに書かれている
ようにいい体験ができ、また戻りたいと思ってくれるのは嬉しいかぎりです。
私からも、滞在でお世話になったホームステイ家族の皆さんを始め、彼と
関わった全ての方にお礼申し上げたいです。一人のイタリア人青年に
名古屋の、そして日本に対する印象をさらによく深めてくださったこと
本当にありがとうございます。

クリスティアンからは、上のようなメールをもらいましたが、ついでに
幾つか質問もしましたので、それも意訳つきで掲載致します。

以下がそのやり取りです。

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1. Che cosa ti ha piu colpito della casa giapponese?

Mi piace molto lo stile delle case giapponesi, anche se sapevo gia del fatto di
non entrare in casa con le scarpe mi ha colpito molto vedere l'ingresso con
il piano rialzato, anche il bagno giapponese e molto interessante, ma la cosa
che mi e piaciuta di piu e la stanza con il tatami.

2. Prima di andare in Giappone qual erano le tue preoccupazioni
riguardanti l'homestay?

La mia preoccupazione maggiore era di non riuscire a ambientarmi a qualcosa
di completamente nuovo, ma in realta mi sono trovato veramente benee
ringrazio molto la famiglia che ho conosciuto.

3. Qual e stata la cosa piu utile di stare in home stay?

che serve veramente molto per imparare piu velocemente la lingua e poi
ti aiutano a conoscere tutto del loro paese.

4. Se andassi in Giappone di nuovo, andresti a Nagoya?

certamente, non vedo l'ora di ritornare in questa bellissima citta.

5. Hai qualche messaggio per la famiglia che ti ha ospitato?

certo che li ringrazio tantissimo per quello che hanno fatto per me e spero di
andare a trovarli presto.

1.日本の家屋について驚いたことはなんですか?

日本の家は大好きですし、玄関で靴を脱がなければならないことは知っては
いたのですが、それでも玄関よりも床が高くなっているのを見たときは
驚きました。お風呂も面白いつくりだけれど、一番好きになったのは
畳の部屋です。

2.日本へ行く前にホームステイについて心配したことはありますか?

一番の心配は全く新しい環境に自分自身が適応できるかどうかということ
でしたが、実際は全く問題などなく、とても快適でした。
ホームステイファミリーにとても感謝しています。

3.ホームステイをしていて役立ったことは何でしょう?

日本語が早く身につくことと、色々わからないことについて助けて
もらえることです。

4.もう一度日本へ行くことになったら、また名古屋へ行きますか?

もちろん。この素敵な街へまた行けることを楽しみにしています。

5.ホームステイ家族に何かメッセージをもらえますか?

私のためにいろいろしてくださったこと、本当に感謝しています。
またお目にかかれることを祈っています。

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来年の夏、名古屋へ学生を送り出せるかどうかわかりませんが、もし
名古屋へ行きたいという学生が現れましたら、そのときは皆様、どうぞ
宜しくお願い致します。

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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

7日目 6月6日(火)Orvieto → Bagno di Tivoli

Barではパニーノを頼みましたが、中に挟む具材が選べたので、サラミ、トマト、
モッツアレッラを選ぶとその場で作ってくれました。飲み物も合わせて5ユーロ
程でした。パンも軽く焼いてくれ、ボリュームもあり、軽い食事としては
丁度良かったです。
雨は激しく降っていますが、風が強く吹き始め、遠い空から徐々に明るい箇所も
見えてきました。食事を終えて、一服し終えた頃にはすっかりと雨は上がっていました。
ヴェスタ神の神殿から、何かを感じ取れないかと、しばらくじっと見つめた後、
庭園を後にしました。
ホテルに戻るバスの停留所は町の至る所にありましたので、安心して町中を
ブラブラと気ままに散歩しました。
歴代ローマ法王の避暑地として栄えた小さな町、とりわけて町の特徴というものも
僕の目からは見出せませんでしたが、ただただ美しい眺めと、ローマ近郊でありながら恵まれた自然に感動しました。

雨上がりに再び輝き始めた夕日の美しさを眺めつつ、ホテルに戻るバスに乗り込みました。ホテルまでは一本道、
行きのバスの中で、景色を確認してきましたし、
ホテルの手前には、温泉水のプール施設もありますので、降りる場所を
間違える心配も無く、安心して帰りの道のりをくつろいで過ごしました。

Bagno di Tivoli に到着した後には、お目当てのジェラートを求めて、
お店に向いました。残念なことに、前回感動して食べた無花果のジェラートは
無かったのですが、アマレーナ(チェリー)とメロンのジェラートをいただきました。1ユーロ30セントです。
このお店のジェラートは本当に美味しいです。
日本では、盛夏以外には滅多にアイスクリームなど食べないのですが、
こうした美味しいジェラートがあるならば、年間を通じて、もっとジェラートを
食べる気がします。
ホテルに戻り、夕食までの間、疲れを取るために休息しました。
ホッとした気分でもあり、旅の疲れが一気にやってきたような気もしました。

翌日の帰国の準備をし、テレビを見て、その後、近くのトラットリアで
イタリア最後の夕食を楽しみました。
定番のトマトのスパゲッティ、サラダ、豚の炭火焼、コーヒーで17ユーロです。
サラダには、トマト、レタス、そしてウイキョウが入っていました。
日本では香辛料としてウイキョウの実が使われることもありますが、
サラダとして、茎や葉っぱを食べる機会はあまりありません。
セロリのように多少癖のある味ですが、シャキシャキした歯ごたえがあり
美味しいです。豚も塩と胡椒だけでグリルで焼いたもので、疲れた体には
最高のご馳走でした。
夕食後は、風呂に入ってすぐに寝ました。

8日目 6月7日(水)Bagno di Tivoli → Roma → 帰国

今回泊まったホテルは、朝食込みで50ユーロです。
電車は途中一回の乗換えで、込み合うテルミニ駅を経由せずに空港まで行けます。
電車の値段も7ユーロ以下で安いです。
ローマの人込みが嫌な人にはお勧めの場所です。

朝食には、オレンジジュース、カップチーノ、甘いパンを頂き、空港へと
向いました。電車は途中で5分ほど止まってしまい、気を揉みましたが
無事に間に合って到着しました。
カウンターで無事にチェックインを済ませ、出国手続きも終えて、旅行記は
これで終了とします。

この旅行を最後に、かれこれ4年ほどイタリアには出かけていませんが
次回は、北イタリアか、再度のサルデニアに行けたらと願っています。

長い間、お付き合いいただきありがとうございました。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。

YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。
ただいまskypeを利用してのレッスンも行っています。

神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は12月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年10月

2014-10-21 11:14:06 | お知らせ
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第123号 

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こんにちは

先日、皆既月食がありましたが、ご覧になりましたか?
仕事がなければずっと見ていたかったです。

秋になり空が澄んで月明かりがとても綺麗ですね。


< 目次 >

◇ イタリア生まれの『かたつむり』が世界を巡る
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編(今月は休みます)

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◇ イタリア生まれの『かたつむり』が世界を巡る ◇

手紙が通信の唯一の手段だった時代から、電話やFAXの時代を経て、
今ではメールでの伝達が主な手段の一つになっています。
メールで欠かせないのがアドレス、そしてアットマークと呼ばれる
“@”の記号です。
イタリア語では愛嬌を込めて、chiocciola(かたつむり)
もしくはchiocciolina(ちいさなかたつむり)と呼んでいます。

このアットマーク@について、古い記事を読み返していて改めて思い起こした
ことを、お伝えしたいと思います。
Wikipedia で説明されていた内容も合わせて紹介します。

この@は当時33歳だったアメリカ人のRay Tomlinsonによって
発明されたE-mailの中で利用されて、今のような誰でも知っている記号
として存在していますが、元々は一つの単位として利用されていました。

パソコンやメールが存在しない時代の辞書にも@は載っていて、英和辞典では
@は前置詞 at の略語として説明されています。

この記号を発明したのが、実はイタリア人であるというのです。
さかのぼれば、すでに7世紀にはヴェネツィアの商人の間で使われていた
そうです。
公式文書の中ではっきりと使用が証明されているものが、1536年の貿易の
書類です。
この○の中の a が表しているのは、anfora という古代ギリシャから
存在する二つの取っ手を持つ壷のことで、その壷を容器としてワイン、油、穀物
などを計ったり、取引の単位として利用したのです。

このマークが作られたは、a と d 二つの小文字の表現であり、 
ラテン語の ad は方向を示す言葉です。
その後、英語圏の中で、ad は at と音を変えてゆきました。

記号の発生は、d の縦線が、左側にカーブして a に巻きついてゆく中で
起こったようです。

18世紀に入ると、一つあたりの値段を現す記号として使われるように
なりました。
この文字は1902年にニューヨークのタイプライターの文字として採用され、
次に1961年にIBM Selectriによって採用されます。
ここでは@は『at a price of / ~の値段で』という意味を表していました。

この7世紀に誕生した古い記号ですが、時代の流れの中で新しい役割が
与えられ今では世界中で利用される存在になっていますが、この新しい役割を
持って誕生したアットマークは、世界では、それぞれの国ごとに呼び名が
つけられているようです。

いくつかWikipediaに載っていたものを紹介します。

チェコ語 : 巻きニシン
台湾の中国語 : 小ねずみ
朝鮮語 : 巻貝
デンマーク語 : 象の鼻
フィンランド語 : 猫の尻尾、『猫の鳴き声(にゃー!をフィンランド語で)』
ギリシャ語 : 小さなアヒル
オランダ語 : 猿の尻尾
ポルトガル語 : アンフォラ(単位で1/4を表現)
ロシア語 : 犬
スゥエーデン語 : シナモンロール
ドイツ語 : クモザル
ハンガリー語 : うじ虫

最後に、目を疑ったのが、日本語で『なると』と書かれていました。もちろん『アットマーク』とも書かれていたの
ですが、皆さんの周りで@を『なると』と読む人がいますでしょうか?

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。



こんにちは。すっかり肌寒くなりミラノでは厚手のジャケットを
羽織っている人をちらほら見かけるようになりました。「寒がり」
というより彼らの心理的な問題だと私は思っているのですが、どうも
一般的なイタリア人は冷えを恐れる傾向にあるようです。

そういえば9月の半ばのことですが、フィレンツェで大粒の雹(ひょう)の
嵐があり、建物や車など損壊の被害があちこちで起きてしまいました。

こちらのビデオでそのときの様子が伺えます↓

http://www.youtube.com/watch?v=jyKTAKKnQUQ

写真はこちら↓

http://www.lastampa.it/2014/09/19/multimedia/italia/firenze-in-bianco-vento-e-grandine-in-toscana-qea2xL2hOPX4gZfr4AbfaJ/pagina.html

写真からおわかりのように、このときまだ夏の装いでした。朝晩は多少
冷えるものの日中は半袖でも十分の気候が、突然このような嵐になるのは
9月では大変珍しいことだったのではないでしょうか。イタリアに来て
大粒の雹はさほど珍しい現象ではないように感じていますが、今回のような
雹の嵐はミラノではまだ体験したことがありません。

今年の夏は冷夏だったので、冬はことさら寒くなるだろうと言われています。
ミラノは通常ならこれからしばらく憂鬱な天気が続くのでちょっとうんざり
させられますが、それならばいっそのこと大雪が降ってほしいものです。

さて、今月に入り10ユーロ札のデザインが刷新され出回り始めるという
ニュースを聞きました。私の手元にはまだ新しい10ユーロはやって来て
ませんが友人が持っているのは目にしました。色などは大してこれまでの
ものと変わりがなく若干赤みが強くなったくらいでしょうか。

あと偽造しにくい新たな加工がしてあるとかなんとか紹介していましたが、
この新10ユーロ札のニュースのオチは、「ナポリでは世界最高技術の偽札
印刷機が開発され存在してきた」というコメントでした。こんな些細な
ニュースでもいつも笑わせてくれるのがイタリアらしいですね。

最後に注目されたビデオがあるのでご紹介します。

X-Factorという番組をご存知でしょうか。アメリカで人気になったタレント
発掘のオーディション番組です。今や色々な国で同様の番組が制作されて
いるので日本にも既にあるのでしょうか。

その番組に出演した日本人があまりにも面白いというので、Facebookなどで
一気に広がり目をひいていました。

おそらく、ほとんど演出に違いないでしょうが、「日本人」イコール
「マンガっぽい」「コミカル」「変」という現代日本人のステレオタイプが
どんどん定着しているのだなという印象を持ちました。
映画「Lost in Translasion」を思い出します。

それとは別に、私のものの見方がイタリア人寄りになってきているのか、
素直に笑えるのですが、皆さんの中にはもしかしたら、なぜこの人が?という
疑問を持つ方もいるかもしれません。99%は演出でしょうからあまり真剣に
とらえず、まずは、審査員のコメントや表情など楽しんでみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=NFvcTdu2dks

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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

今月は休みます。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。

YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。
ただいまskypeを利用してのレッスンも行っています。

神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は11月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年9月

2014-09-24 18:49:18 | お知らせ

こんにちは

8日は中秋の名月、そして9日はスーパームーンでしたね。
今年は名月が三度楽しめる年だそうで、月に心癒される僕には
うれしい一年でもあります。

これから深まってゆく秋も楽しみましょう。


< 目次 >

◇ ジェラート、アッフォガート、セミフレッド、ズッコット そして話はまた脱線
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編

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◇ ジェラート、アッフォガート、セミフレッド、ズッコット そして話はまた脱線 ◇

最近、ジェルマーノの店に行くとよく食べるのがセミフレッドです。
ジェラートでもなく、ケーキでもなく、甘い物好きの友人が一口食べて目を
丸くして『これ、どうなっているの?』
と聞いてきたぐらい、下触りがよく、甘さは程ほどで、多少ひんやりした温感で、口の中でまろやかに
溶けてゆくデザートです。彼の作ったものには、さらに粒子状のナッツと
蜂蜜がかけられていてさらに風味が勝っています。

彼の手による手作りで、作り方を聞いた所、まずは一言『企業秘密』とのこと
ですが、僕に向って『家で作りたい?』と訊ねてきましたが、
僕は失敗の可能性もあることを時間をかけて試すよりも、
彼の店にいって食べる方が良いと思っています。

ジェルマーノの説明では、主な材料になるものとして、1.ジェラート 
2.生クリーム 3.卵
ということでした。パソコンで幾つかレシピーを見てみると、生クリームと
卵を使ったものが主流で、日本語でも数多くのフレーバーの、セミフレッドの
作り方が紹介されています。

彼の話では、ジェラートをベースにしたものが一番楽で作りやすい、(多分、何かを混ぜて)好きなように
形を整えて冷やすだけ、という感じでしたが、
ジェラートをベースにしたレシピーは見つけられませんでした。
ジェラートなら、そのまま食べてしまう方が良く、それに手を加えるとしても、エスプレッソをかけた
アッフォッガート(コーヒーに溺れたジェラートの意味)にするか、何かをトッピングするぐらいがせいぜいなの
だと思います。エスプレッソの苦味とジェラートの甘味の調和、冷たい状態から、エスプレッソの熱によって
溶けてゆく過程での食感の変化、シンプルですが絶品の一つだと思っています。

セミフレッドについて話しているときに、ズッコットというデザートの話が出ましたので、すこし紹介したいと
思います。以下の説明はWikipediaから抜き出したものに若干の手を加えたものです。

ズッコット(zuccotto)とは、トスカーナ州Firenzeでルネサンス期に誕生した丸いドーム型をしたもので、
セミフレッド(半ば凍った、または半解凍状態の氷菓)を用いたデザートである。

名称は15~16世紀の兵士のドーム型金属製兜「ズッコット」、またはカトリック聖職者の半球形頭巾の
トスカーナ方言での別名「ズッケット」(zucchetto)に由来。
ズッコット、ズッケットはどちらともズッカ(zucca)から派生した語である。
16世紀中ごろ、建築家、彫刻家、画家、軍事技術者、演劇デザイナーであったベルナルド・ブオンタレンティ
がメディチ家のために創作したと伝えられている。

ブオンタレンティは氷に硝石にを加える食品冷凍技術の発明者としても知られる。
半球形の形は敬愛するブルネレスキの代表作でありフィレンツェの象徴である、Duomo
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ(丸屋根)でへ名誉を捧げたものとも言われる。

フランスのオルレアン侯アンリ(後のアンリ2世)に嫁いだメディチ家のカテリーナ・ディ・メディチが
菓子職人とともにセミフレッドをフランスに持ち込んだと言われ、現代のアイスクリームの原型の一つとされる。
現代のアイスクリームとの違いは鶏卵を含まず乳製品主体であることである。

ズッコットは長く忘れられていたが、1950年代にフィレンツェの老舗洋菓子店
シエニ(Antica Pasticceria Sieni)が16世紀のレシピを復元し、復活させた。
フィレンツェのレストランやトラットリアのデザートメニューとしても登場するが、ティラミスやパンナコッタなどに比べ
製法が複雑で時間がかかることから自家製である場合は少なく、また家庭で作られることも比較的稀である。
製法は、パン・ディ・スパーニャを焼き、帯状に切り分け、半球形の型の内側にパン・ディ・スパーニャの
表面の焼き色をクーポラの肋に見立て放射状に敷き並べる。
パン・ディ・スパーニャにリキュールを染み込ませ(近年では酒類を入れないものも多い)、
細かく刻んだナッツ、果物の砂糖漬けや刻んだチョコを入れた生クリーム、甘みをつけたリコッタチーズ、
ヨーグルトなどを詰め、パン・ディ・スパーニャで蓋をして冷凍庫などで凍らせる。
型から取り出し、室温でセミフレッド(半解凍状態)に戻し切り分けて供する。
粉砂糖、カカオパウダー、溶かしたチョコレートなどで表面を飾る場合もある。
本来のセミフレッドのズコットとは別に、イタリアのジェラテリアには、スポンジ生地に卵白を含むジェラートを
詰めたzuccotto gelatoを置いているところもある。

YouTubeで検索したところ、元お菓子職人というおじ様が、大胆かつ手際よくズッコットの作り方を
三分間クッキングのように作って見せてくれている動画がありました。
見ていると僕でも作れそうな気がして来ましたが、多分、材料を買いに行く時点で面倒になって
断念することでしょう。

美味しそうな話はここまでで、話が脱線します。
身近にある食材に手を加えて、練り上げて、形にして、ソースをかけて食すというパスタ文化と
いう言葉でイタリアの食文化を説明していた本を読んだことがありますが、
日本も同じように、練り上げて、形を作って、ソース(あるいは別の添え物を使って)などで
味に変化を楽しむという愛情のこもった豊かな食文化があります。

今では出来合いの加工食品、惣菜、冷凍食品や、レトルトなどが幅を利かせてきて
危機をも感じるのですが、和食が世界遺産になったことをきっかけに、豊かな食文化が

伝承され、またさらに豊かになっていくことへの期待もしています。

ここで物を食べるということで、もう一つ大事なことが失われつつあるのではないかと危惧をしている
ことがあります。見かける数は少ないのですが、地下鉄や通勤電車の中で飲食をする人、
また、街中のコンビニの前で、買ったばかりのおにぎり、カップめんなどを立ったままで食べる人など、
食事をする時間も無いほど仕事に追われているのかも、と察すれば気の毒な思いにもなるのですが、
その姿をみて、心に湧いてくる思いは穏やかなものではありません。

礼儀作法を守らないマナー違反というような単純なことではなく、僕なりに思うに、日本人の
豊かな感性が失われていることの表れなのかもしれない。

食事というのは、単に口に物を入れる作業でもなく、エネルギーの補給ということだけでもなく、
食欲を満たすという自己完結の動作でもなく、もっと崇高なことではないでしょうか。

命の源を与えてくれる自然と、食を準備してくれた人々への感謝、そして食することを
通じて一緒に喜びを共感できる、とても素晴らしい機会であると考えています。
両手を合わせて『いただきます』と感謝の思いを発して、自然の恵みと、愛情を感じる
素敵な場であるのが日本人が抱き続けてきた精神であり伝統なのだと思います。

車内で物を食べる人、街頭で食事をする人に対する違和感は、例えが悪いかも
知れませんが、自分で一人きりで冗談を語って一人で笑っている人を見る思い、
あるいは殺風景な場所で愛の告白をする恋人の姿をみるような思いなのかも
知れません。

以前にも同じようなことを何度も書いたような気がしてきましたが、また機会を見て
言霊の勉強をしてゆく中で学んだこともあわせて書いてゆきたいと思います。

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。




今年はピエモンテでバカンスをすることにしました。

多くのイタリア人は海へと出かけるなか、多数派ではありませんが
山で過ごす人もいます。イタリア北部にはスイスとフランスと共有する
アルプスが横たわっています。この山脈には天国をイメージさせるような
美しい谷や草原があちこちに存在しています。

また尾根や山頂近くまで登ってみると、そこにはこれまでに見たことの
ない風景が広がっていて言葉には表せない感動があります。スケールは

違いますが、きっとチベットもこんな感じなのだろうかなどと、ふと
マライーニ氏が書かれた「ヒマラヤの真珠」という本を思い出しました。

始めてのピエモンテでの散策でしたが、期待していなかっただけに嬉しい
期待はずれ満載のバカンスでした。

そのうちの一つ、山登りの合間に訪れたFenestrelleという村にある要塞を
紹介したいと思います。

Fenestrelleはトリノから車で1時間半ぐらいのところにある人口600人弱の
小さな村です。そんな小さな村ですが、そこにはヨーロッパ最大の要塞が
そびえています。

写真はこちらから
https://www.flickr.com/search?sort=relevance&text=forte%20di%20fenes trelle

とても美しく剛健な建築物ですが、現在の姿になるまでには地元の人たちの
惜しみないボランティア活動があったことがうかがえます。

というのは第二次大戦後以降1990年まで完全に放置されたままとなり、
その間草木が生えわたり建物のあちこちが崩壊してしまいました。

90年以降、少しずつ修復していき、修復したところから公開し、その
とき集めた資金でまた修復し、公開し、を繰り返し、現在に至るようです。
45年間も手つかずで荒れ放題だったのをここまで蘇らせた地元の人たちの
熱意は素晴らしいものだと感服しざる終えません。

この修復に始めから関わってきたガイドの老人からは、まだ完了していない
ミッションの途中のような淡々とした熱意が感じられました。

この要塞を訪れるには、予約が必要で全てガイド同伴のツアーとなります。
コースは3時間と7時間のコースがあり、私たちは朝9時集合の7時間の
コースを申し込みました。

ツアーに参加する際の注意事項として、トレッキングシューズなど山歩きに
支障のない靴・衣類の着用、昼食持参、あれば懐中電灯の携帯、という3つ
のことがあげられました。

要塞は山の尾根添いに建てられており標高差が600メートル以上もあり
ます。靴についてですが、昇りは要塞にある二つの階段をあがりますが、
あまり足場がいいわけではありませんし、下りの際には、要塞外の山道を
降りるためです。

標高差600mがどのようなものか、山登りしない人には想像しにくいかも
しれません。要塞に作られた二つの階段のうちひとつは2km、段数にして
4000を超えます。金比羅山が1368段ということですから比較して
想像してみてください。

ですから、参加者の体力によってツアー時間が伸びてしまうこともあるよう
で、実際、4時解散の予定が1時間もオーバーして5時の解散になって
しまいました。私とフェデリコは幸い既に1週間山を登り降りして体力万全
だったので息を切らしながらも難なくついて行くことができましたが、初日
だったら少し大変だったかもしれません。

ほんの少しだけ要塞の歴史に触れると、全体の設計は1727年に遡ります。
イグナシオ・ベルトラという人の設計によるもので、それから100年以上の
月日をかけて建築が行われました。

しかし、18世紀の段階でまったくのゼロから作り始めたわけではなく、
5世紀頃作られた城壁が既にあり、それをさらに増強築させていったとガイド
が話してたように記憶しています。

壁の厚さはどこも2mあること、立地的に防御、攻撃に最適であることから
一度も攻撃による崩壊、損傷を被ったことはなかったようです。これほどまで
に巨大で強固な要塞を取り崩そうなどとは誰も考えなかったわけです。

攻撃自体は受けないものの、国際政治上、フランス軍のものとなったり、
サボイア家のものとなったり、と所有者が行き来しました。
その後、刑務所や捕虜の収容所として利用されたり、軍隊基地として利用され
たりしてきました。そして、その後は先に触れたとおりです。

放置されていた1960年代には麓のバール3件ほどが商業利用目的の
買取申請をしていたこともあったようです。そんなことが実現しなくて本当に
よかった、と思えるのも、現在の様子に蘇らせてくれた有志の人々のおかげ
なのだと思います。

ガイドの老人の話し振りから、自分はこれほどまでにこの要塞を守るために
闘ってきたのだというそぶりは全くありません。しかし、真摯に語る要塞の
歴史、詳細部分についての彼なりの思い入れなどからは、胸の奥にはまだまだ
しなければならないことがあり、この要塞を守って行かなければならないのだ
という想いが伝わってくるようでした。

こんな凄い遺産がどうしてあまり知られていないのか不思議です。周りの
イタリア人に聞いてみましたが知っている人はほとんどいませんでした。
ユネスコの世界遺産に登録していないのも意外でしたが、きっと何か
意図があるのかもしれません。

トリノからレンタカーで行くことになりますが、是非一度訪れてみて
ください。一見の価値有りです。

要塞のサイト
http://www.fortedifenestrelle.it




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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

7日目 6月6日(火)Orvieto → Bagno di Tivoli

ローマの郊外にあるTivoliは、歴代のローマ法王たちの避暑地、別荘として
栄えた町です。ローマ時代の庭園なども残っていて、多くの観光客がやってくる
場所です。
宿泊地からTivoliまでは、バス1本で行けます。バス代金は片道77セント、
当時で約100円です。
Barで切符を買いに行くついでに、さっそくジェラートの店に立ち寄りました。
昼食前に、前菜代わりにジェラート!と張り切っていたのですが、店は閉まって
いて、しかも張り紙がしてありました。
もしかして閉店?それとも定休日?と不安な思いで張り紙に目をやると、
『ただいまジェラート製作中』と書いてありましたので、一安心して、
帰りの楽しみにすることにし、バスへ乗り込みました。

Tivoli行きのバスは、ローマが始発点なので、すでに多くの乗客がいました。
大半の人の目的地はTivoliに着く前の Villa Adriana(ローマ皇帝、ハドリアヌスの
別荘)です。そこで大勢降りてゆきました。
一時期は存在すら歴史の中から忘れられていましたが、19世紀に再発掘された
ものです。次の機会には是非とも訪れてみたいです。

バスはその後、町に入り、集合墓地の手前にある広い駐車場が終点です。
町には見所の一つとして、Villa d’Este という枢機卿の美しい別荘もあり、
今回僕が観光したVilla Gregoriana(ローマ法王グレゴリウス16世の別荘)は
人気の順では三番目かも知れません。
町にいられる時間が短かったので、手短に見られる場所を選びました。
バス停から別荘を目指して歩き始めると、しばらくして雷鳴と共に雨が
降り始めました。一時期はかなり激しく降り、雨宿りしたり、傘をさしたりして
庭園に行き着きました。

庭園には、雨のせいか、時間帯のせいなのか、ほとんど観光客はいませんでした。
半ば人工的に作られた庭園ですが、歩いていると自然の、山の中の散策路を
歩いているような雰囲気です。

じっくり歩くと1時間はかかるでしょうか、かなり広く、起伏も激しいです。
この庭園の一番の見世物は人口の滝です。
庭園の上に溜池があり、そこから引いてこられた水が落差100メートル以上の
大きな滝となり、落ちてきた水は、ネプチューンの洞窟と呼ばれる暗く深い
穴の中に飲み込まれてゆきます。
その深い穴の中を興味心から覗きこんで見ましたが、なにやら出てきそうな恐ろしい思いになりました。
上のほうに視線を移すと、ヴェスタ神の神殿がそびえています。
人工的に中をくりぬいて、通過することの出来る洞くつもありました。
小一時間の間でしたが、人工的に作られたものであれ、自然の様々な風景と
同じようなものを楽しむことができました。
散歩中だけは雨が止んでくれていたので、傘なしで歩けたのは幸運でした。
出口のところにbarがありましたので、遅い時間の昼食を取ることにしました。
Barに入ると再び雨が降り始めました。今回は今まで以上に激しい雨でした。
雷も鳴り響き、まるで古代ローマの神々の出迎えを受けたかのような
錯覚におちいるほどでした。(続く)

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次回は10月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年8月

2014-08-16 11:58:34 | 今月のメルマガ
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第121号 

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こんにちは

残暑お見舞い申し上げます。

台風が早くも2度も日本に上陸しています。
被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。
世の中を騒がす、不安を呼ぶニュースも連日のように流れてきますが
悪いことがあれば、それと同じだけの幸せも起こっている。
最近読んだ本にそのようなことが書かれていて、納得しているところですが
世界にも、日本にも明るいニュースが多く流れますことを願います。




< 目次 >

◇ 15年ぶりにアカデミー賞受賞のイタリア映画
暑い夏にイタリアンポップを
ミラノ万博のスタッフの募集
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編

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◇ 15年ぶりにアカデミー賞受賞のイタリア映画 ◇

8月に、いつもの名演小劇場で、二本のイタリア映画が上映されます。

ひとつは、イタリア語の原題『La grande bellezza』 
邦題が『グレート・ビューティ 追憶のローマ』です。
試写会に参加する機会に恵まれましたので見てきました。
40年ぶりにアカデミー賞を受賞した、ロベルト・ベニーニの
『ライフイズビューティフル』の受賞以来、
さらに15年ぶりの入賞作品で、試写会にも多くの人が来ていました。

映画の紹介の中に、フェデリコ・フェリーニ監督、
俳優マルチェッロ・マストロイアンニの『甘い生活』が
盛んに引用されていましたが、この映画を見る中に、
たしかに『甘い生活』を思い起こさせる構成や映像、状況などが多く見られました。

永遠の都、ローマのセレブコミニティの、派手な交流関係の中に映画を
見ているうちに引き込まれてゆき、そして、主人公を通じて心の中に
語りかけてくる、心の動揺と渇望感、
最後に大きく状況が展開し、主人公の中に全くこれまでと違ったある種の
静寂感のようなものが生まれてくるのを、あたかも、自分が体験しているような
気になりました。



ローマという場所、いや、イタリアという国自体が、長い歴史の
1ページ1ページが上書きされること無く、重なり合って現在に展開されている、
そういう特殊な場であるのだろうという思いも持ちました。

いい意味でも悪い意味でも、日本の精神性である『みそぎ』『水に流す』という
再生の場ではなく、全てが重なり合い、過去も現在の未来も、お互いに影響を
露にしながら命の営みがなされているような印象を受けました。

とても複雑で、ひとつひとつの場面に、込められた深い意味合いがあるので
しょうが、それはこの映画を何度も繰り返し見なければ、僕のような凡人には
読み取れないのかも、とも思います。

もう一つの映画は、原題は30年教師の仕事をしてきたマルコ・ロドリの書いた
著書『赤と青』から同じ名前を取って『il rosso e il blu』、
邦題は『ローマの教室で ~我らの佳き日々~』です。8月30日公開です。

この映画では、『教師は学校内の教育だけをすればよい』を信条にする女性校長
『生徒にやる気を起こさせる!』と使命感に燃える熱血の若者教師
『生徒はみんな頭が空っぽ』と嘆く皮肉屋の老教師

ローマの公立高校で、この三人の教師それぞれが生徒やかつての教え子との
関係から教師である前に、人間としてどうあるべきかを見つめなおしてゆく
話です。

暑い夏に、ポップな曲を

ここ最近、イタリアのラジオで良く流れている曲で、とても聞きやすい歌い声で
歌詞も分かりやすいです。
曲のタイトルは『Buonanotte giorno』、一瞬何のことだろうと思いましたが、
意味合いとしては『(今日の)日よ、おやすみなさい!』ということだと思います。
歌っている人は、Gabry Pnte名前を聞いたことが無かったので調べて見ましたら、本来の仕事は、
若手の人気DJのようです。
有名なアーチストとも一緒に仕事をしているようで、きっとイタリアの
POP好きな若者には人気があるのだろうと想像しています。
本職はDJですが、歌唱力もなかなかのものだと思います。

YouTube などでも聞いていただけますので是非どうぞ。

Si spengono le stelle 星の輝きが消えてゆく
la luna si avvicina 月が近くに寄ってくる
poi si spegna anche quella e piano piano そして、その月明かりも消えて、
そしてゆっくりと
nasce un’altra mattina また一日の朝が生まれる
la strada scorre silenziosa verso casa (車を走らせる)道は静かに上の方へと流れてゆく
dai che tra poco si arriva さあ、まもなく到着だよ
guardo il cielo che si stacca dagli alberi neri 空を眺めると、
暗がりの中の木々から、明るい空が分離していく
e disegna al mondo il suo contorno 空の周りに、
この世界が浮かび上がってくる
Buonanotte giorno 今日の一日よ、おやすみなさい!
e sogner? di te 僕は君のことを夢見るよ
di quello che faremo insieme 一緒に僕たちがすることを夢見るよ
e poi ti stringo a me 君を僕の方に抱き寄せて
che ? quello che mi fa star bene それは僕を元気にしてくれることだから
e sogner? di te 君の夢を見るよ
di mondi da scoprire insieme 一緒に新しい世界を見つけることを夢見るよ
e poi ti stringo a me 君を僕の方に抱き寄せるよ
che ? quello che mi fa star bene それは僕を元気にしてくれるから
e dormir? tra le tue braccia 君の腕の中で僕は眠るんだ
e mi strofino con la faccia su di te 君に僕の顔をくっつけて、
e sogner? di te…君の夢をみるんだ
Si accendono le luci (家々の)明かりが点いて行く
e tutto prende vita そして全ての生活が始まる
si rincorrono i suoni e i rumori 様々な音が次々と聞こえてくる
come un’eco impazzita あたかも、夢中になった木霊のように
cammino piano e silenzioso verso casa 僕はゆっくり、静かに家のほうにあるいてゆく
e la citt? mi saluta 町が僕に(朝の)挨拶をしてくれる
mentre i bar si profumano di caff? バールからはコーヒーの香りがする
e di cornetti ancora caldi di forno そして焼きたての、まだ暖かいコルネットの香りが
以下、繰り返し

Buonanotte giorno e sogner? di te di quello che faremo insieme
e poi ti stringo a me che ? quello che mi fa star bene
e sogner? di te di mondi da scoprire insieme e poi ti stringo a me che ? quello che mi fa star bene
e dormir? tra le tue braccia e mi strofino con la faccia su di te e sogner? di te…
E sogner? di te di quello che faremo insieme
e poi ti stringo a me che ? quello che mi fa star bene e dormir? tra le tue braccia
e mi strofino con la faccia su di te e sogner? di te…
想像するに、この歌い手がディスコでDJとしての仕事を終えて帰宅する、早朝の夜明けの頃の
様子を歌ったのだろうと思います。夏の朝の様子がうまく、爽やかに描かれていますね。

来年のミラノ万博

2015年の4月からミラノで万博が行われます。
これを機会に、イタリアの経済や、雇用状況が好転することを願っていますが、
この万博に出展する日本館のスタッフの募集があります。
詳しくは募集専用のサイトをご覧ください。


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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。




夏休み真っ只中ですが、今年のミラノは涼しくて過ごしやすいです。

今月に入ってからはさすがに日中は30度を超えるようになりましたが、
朝晩はひんやりして、うっかりすると風邪をひいてしまいそうなほどです。

七月があまりにも温度があがらなくて、また、よく雨が降ったせいで、
11月のような七月だというので「Lugliembre」と揶揄されていました。

悪魔払いの言葉のように「11月よ、7月から出て行け!」といった
冗談もちらほらと目にしました。蒸し暑いのが苦手な人には嬉しい冷夏ですが
イタリア人の中にはギラギラした暑さが大好きという人が少なくありません。

冷夏の他に、8月になっても人の気配が多く残っていることも今年は
記録的のように感じます。バカンスの日数を減らしたり、または時期を
ずらしたりする人が増えているのでしょうが、それに比例するかのように、
ペットを捨てることを注意する広告も少なくなったような気もします。

毎年、この季節になると犬や猫を捨てる人がたくさんいるようで、実際
私たちも4年前の6月、路上に紙袋ごと捨てられていた母猫と生まれて
まだ数週間ほどの子猫を拾ったことがあります。

どこのテレビ局だったか忘れましたが、毎年この時期限定でペット同伴で出勤
してもよいことになっているのか、オフィスには大小さまざまな犬が机の上や
下のあちこちで寝そべっている様子をスポットとして流しています。

これらが夏の風物詩となっていたのですが、少しずつ何かが変わってきている
ようです。しかも来年はミラノでエキスポが開催されます。そのため、市では
中心街の店舗に無料のWIFIを設置するよう奨励し、ファーストフード店には
来年のこの時期の営業時間を延長するよう呼びかけています。

ミラノ市内にはバールが約6300店あると言われています。ですが、ほんの
数年前まで、8月に営業しているバールはドォーモの周りの数店ぐらいでした。
来年の今頃はきっと活気づいていることでしょう。

バールの数ほどではありませんが、ジェラート店もあちこちに見つけることが
できます。最近、世界中のジェラテリアから選ばれた20店の中にミラノの
店もあるという記事を目にしました。

ここなのですが、

http://www.lagelateriadellamusica.it/galleria-foto/

残念ながら中心地からは外れているので旅行者には行きにくいところです。
しかし、ミラノには、ミラノだけでなくイタリアのあちこちに、美味しい
ジェラテリアがたくさんあります。私が見た記事で紹介されていた店が世界の
20選に相当するかどうかは次回までに検証してみますが、きっと大した
ことないだろうと推測しています。ミラノからこの一店が選ばれる根拠が
よくわかりませんが、他店と比較して次回お知らせしたいと思います。

いくつかお勧めできるジェラテリアはありますが、きっと日本の雑誌でも
紹介されたことがあると思われるところで、内装も日本人好みな
ジェラテリアをひとつ。(ちょっとだけ高いですが。)

https://www.facebook.com/pages/Il-massimo-del-gelato/168946799950449


さて、話は変わって、最近のニュースで気になったことをお知らせしたい
と思います。

一つ目は、2012年に座礁事故を起こし、横倒しになったままだった
コンコルディア号がようやく起こされ接岸されて、解体作業が本格的に
行われるとのことです。夏はバカンスで賑わうところということもあり、
このオペレーションで海を汚してしまうことを極力避ける方法を試行錯誤
していました。それもあり時間が掛かってしまったのでしょう。

そして、事故を起こしたコンコルディア号のスケッティーノ元船長ですが、
なんとも変なニュースがありました。1ヶ月ほど前の7月5日、ローマの大学
に招聘されて「緊急時のパニックを管理する」というテーマで講義をしていた
というニュースでした。

始め、悪ふざけの偽記事かと思ったのですが、テレビのニュースでも同様の
ことを言っていましたし、各紙のサイトにも記事があがっていました。当然
色々な所から批難の声があがっていたわけですが、しばらくして、実際には
専門家を対象とした3日間の犯罪心理学セミナーの最終日に、コンコルディア
の事例説明をした講師のコメンテーターとして、用意された内部構造を3Dに
した映像とともに10分ほどのコメントをしただけでした。

セミナーには犯罪心理学に関する色々なテーマで複数の講師が講演しており、
コンコルディアの事故についてとりわけ取り上げていたわけでもありません
でした。

場所も大学の構内ではなく、近くの航空士センターで行われており、運営は
法廷の犯罪科学者によるものでした。ただ、3日間のセミナーのプログラム
には、サピエンツァ大学のロゴを記した用紙が用いられているので大学と
無関係なわけではないようです。

セミナーから一ヶ月経って、このような報道がなされたのにどんな意図が
あったのでしょうか。しばらくしたら、また何か見えてくるのかもしれません。

あと一点、8月6日には広島原爆投下から69年、犠牲者を悼む式典が
ローマのパンテオンの前で行われていました。日本からは外務省のお役人さん
が参列しています。

そのときの様子はこちら。
http://it.blastingnews.com/politica/2014/08/video/roma-ricorda-le-vittime-di-hiroshima-0019701.html

世界各国でこうして原爆の悲劇について式典を催し平和を喚起しているのに、
日本人である私たちが知らん顔というわけにはいきません。日本ではこの日
各局で特別な報道がなされたでしょうか。

最後、フィウミチーノ空港でのショーペロについて。

破産しかけているアリタリア航空がアラブ首長国連邦のエティハド航空との
経営協定にあたり、解雇を予告されている荷物整備員らがストを敢行しました。
何千、何万ものスーツケースが分別されることなくそのままになっています。

これを書いている時点で既に4日が経っていますが、未だ解決していない模様
です。こんな時にローマに到着してしまった人たちは大変だったことでしょう。
ストをするならするで、着陸まえにアナウンスをして何らかの対処をすれば
多少の混乱は回避できたのでしょうが、そんな配慮は全くなかったようです。

この荷物係員のストにしても、元船長の大学招聘のニュースにしても、こう
いった自国のいたらない場面に遭遇すると、イタリア人は"Paese di merda"と
いって批難します。いかにも、こんな恥ずかしい自体はイタリアだけだろうと
いうような強い自虐の念がこめられているように感じます。ときに、
「やっぱりイタリアだ」という開き直りも見られますが、イタリア人自身が
どこかで「イタリアは駄目な国」というふうに自覚していること、それ自体が
なんともイタリア人らしいなと私などは思ったりします。

今月は以上です。
それでは、短い夏を満喫するバカンスに出かけてきます。


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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

7日目 6月6日(火)Orvieto → Bagno di Tivoli

全くの静けさの中で、ぐっすりと眠り、朝早く目を覚まし、すぐさま窓の外を
眺めました。まだ日が昇る前で、あたりは霧の覆われており幻想的な雰囲気です。
日が昇ってくるまで外で新鮮な空気に浸っていると、徐々に明るくなってきて
同時に霧も晴れ渡り遠くの景色が見えるようになってきました。

シャワーを浴びて身支度をし、宿屋の大家さんの家に朝食をいただきに
行きました。通された部屋は天井が高く、素敵な絵が掛けられ、調度品も高級品に
見えました。
天井にも絵が描かれていて、見事なシャンデリアが華を添えています。
シリアル、パン、ジャム、ヨーグルト、コーヒーというシンプルな朝食でした。
一泊の料金53ユーロを支払いお別れしました。
また機会があれば泊めていただきたい場所のひとつになりました。

ローマに移動するために駅に向かいます。途中で町の顔であるDuomoの中に
入ってみました。華やかな外観と比較して中は非常に素朴に感じました。
Orvietoの駅には英語を話す人、ドイツ語を話す人、外国人観光客らしい人が
非常に多かったです。
日本人観光客にはそれほど人気でもないこの町は欧米の人には好まれて
いるのかも知れません。
駅のホームで日本人のカップルに遭遇しました。
電車の中でも隣り合わせになり、少しお話もしました。
滋賀から来られたカップルで、イタリアにはすでに一ヶ月滞在中だという
話でした。大都市の雰囲気に馴染めずに、Firenzeも早々に去りOrvietoに
来ていたそうです。

電車は9時にOrvietoを出て、10時過ぎにはローマのTiburtinaで乗り換え
11時過ぎに Bagno di Tivoli に着きました。
この町に泊まるのは二回目です。
混雑したローマ市内を避けるためと、空港まで行く時にテルミニ駅を経由せずに
行けるのがこの町に滞在する理由です。

もう一つの理由は、この町の地名に Bagno と付いているように
ここには温泉が出るのです。その温泉のお湯を使った大きなプールが
駅から程遠くない場所にあるのです。
前回は水着まで持ってきて張り切って入場する気があったのですが、その時は
夏の営業前で涙を飲みました。
今回は、逆にプールへの関心が消えてしまっていました。

町の外れに、ジェラートショップがあり、前回立ち寄った時に食べた無花果の
ジェラートに非常に感動して、そのジェラートを再び食べたいという
理由もありました。ちょっと恥ずかしい理由ですけど。

ホテルはまだ出来たばかりの新しいところで、部屋も建物もピカピカです。
オーナーの人の人柄も気に入って、とても好感をいだきました。
部屋も広めで、主要通りから一本中に入っているので静かでもあります。
この町と、隣町のTivoliの案内地図をもらいましたので、その地図を眺めながら
一休みした後、すぐに観光へ出かけました。(続く)

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。

YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。
ただいまskypeを利用してのレッスンも行っています。

神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は9月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年7月

2014-07-24 12:39:53 | 今月のメルマガ
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第120号 

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こんにちは

昨日、セミの声を聞きました。雷鳴のとどろきも聞きましたので、梅雨明けの
しるしを見つけた気分です。台風が過ぎ去ってくれれば梅雨明けのニュースを
聞くことになるかもしれません。
今年もあの暑い夏がやってきますね。


< 目次 >

◇ 起源を求めて(その2)
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編

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◇ 起源を求めて(その2) ◇

一曲イタリアの歌を紹介したいと思います。
今年の春のイタリア、サンレモ音楽祭の受賞曲で、歌手は Arisa という
女性です。
曲の雰囲気、メロディーと歌手のハリのある声が、春らしさを感じさせると思いました。

僕がこの曲に興味を引かれた理由は後ほど述べたいと思いますが、
まずはタイトルの controvento ですが、 contro という 
『立ち向かう』『反する』『面と向って』などの意味合いの言葉と、
vento『風』 から出来た言葉です。

日本は海洋国家であり、江戸時代の長い鎖国時代があったので、『島国根性』
などという言葉に卑下される『内にこもる国民性』が、まるで日本人の特性の
一つ、のようにいわれたりもしますが

僕としては、古代から日本人は海を通じて国外に盛んに出て行った
海洋民族の特性をも、持っているのだろうと思っています。

古代のローマ人が、地中海を我々の海と呼び、まるで中海のように自由に
航海したように、また後の時代に、ジェノバやヴェネツィアなどの海洋共和国が盛んに
海を通って交易をしたような面もすくなからず持ち合わせていたのだろうと
想像しています。

この controvento という言葉ですが、まだエンジンによる
船が登場する前、船の操縦は漕ぎ手による人の力で進むか、風の力を使って
進むしか方法がなかった頃から、現在のようにヨットのように
風の力を使って操縦したり、逆にエンジンによる船舶も風の影響を制御する
時代にいたるまで船と風というものは切っても切れない重要な関わりがある分、
風を表現する言葉の一つとして日常的に使われてきたものだと想像しています。

この表現が、人生の局面や、日常生活の状況を表す言葉の中にも使われるように
なったのだろうと考えます。

以前に(たぶん、10年ぐらい前かも知れませんが)この会報に、風についての
表現がイタリア語の語彙の中には豊富にあるということで紹介をしましたが、
再び、取り上げてみようと思います。

小学館の辞書から引用します。
alisei 貿易風      breva 寒風   brezza 微風
ciclone サイクロン   controalisei 反対貿易風
ghibli 熱風      grecale 北東風
libeccio 南西風    maestrale 北西風
mistral 冷たい北西風  monsone 季節風
mulinello 旋風     scirocco シロッコ
tempesta 嵐      tifone 台風(イタリアには台風は無い)
tormenta 吹雪     tornade トルネード(アメリカの現象)
tramontana 北風    tromba 竜巻
turbine 旋風     uragano ハリケーン

これらの言葉が、専門用語として使われているのか、日常的にもよく使われる
のかの判断は僕には難しいのですが、かなり豊富な表現があるといえると思います。

それでは、歌の意味を見ていきましょう。
これは天気の歌ではないので、生活の中、人生の中での心持を綴ったものです。

歌の意味合いが伝わるように(あくまでも神野なりの解釈ですが)多少、
意訳してありますので実際の単語の意味などは調べてみてください。

Io non credo nei miracoli, 私は奇跡を信じようとは思わない
Meglio che ti liberi それよりも、あなたは自分自身を解き放ちなさい
Meglio che ti guardi dentro そして自分の内面を見つめなさい
Questa vita lascia i lividi  人生は傷を残すこともあるし
Questa mette i brividi 恐れに震えることもある
Certe volte ? pi? un combattimento 時には、闘うこともあり 
C’? quel vuoto che non sai, 味わったことの無い虚しさもある
Che poi non dici mai, あなたは口には出さないけど
Che brucia nelle vene come se 体中の血が燃えるようにも感じる
Il mondo ? contro te e tu non sai il perch?, まるで世界全体が
あなたに敵対しているかのように
訳もわからないままに
Lo so me lo ricordo bene 私は知っているし、よく覚えているわ
lo sono qui 私はここにいるわよ
Per ascoltare un sogno 夢の話を聞くために
Non parler? 私からは話さないわ
Se non ne avrai bisogno あなたが必要と思わないならば
Ma ci sar? でも、私はここにいるから
Perch? cos? mi sento なぜって、そうすれば、
Accanto a te あなたの側にいるって感じるから
Viaggiando controvento 逆境の中にあっても
Risolver? なんとかするわ
Magari poco o niente ほんのわずかか、もしかしたら、全く出来ないかも
しれないけど
Ma ci sar? でも私はここにいるわ
E questo ? l’importante そして、これは大事なことだけど
Acqua sar? 私は水になるわ
Che spegner? un momento そして、一時の間、あなたの燃えたぎる心の火を消すわ
Accanto a te あなたの側にいて
Viaggiando controvento 逆境の中にあっても
Tanto il tempo solo lui lo sa, 時間だけが、そのことを知っている
Quando e come finir? いつ、どのように解決するのか
La tua sofferenza e il tuo lamento あなたの苦しみや、あなたの悩みが
C’? quel vuoto che non sai あなたが知らない虚しさもある
Che poi non dici mai あなたは口には出さないけど
Che brucia nelle vene come se 体中の血が燃え上がるような
Il mondo ? contro te e tu non sai il perch? あたかも世界中があなたの
敵になったかのように
その理由はわからない
Lo so me lo ricordo bene 私は知っているし、覚えているわ(繰り返し)


controvento の歌に興味を持ち、紹介してみようと思ったいきさつは、サンレモ音楽祭の受賞曲ということで
動画サイトを見たときに、
この歌の中に出てきた画像がある記憶を呼び起こしたことにあります。

本当は、動画と記憶とを繋ぐ物は、瞬間的なイメージでしかなく、後々考えて
みればこの曲とは関係はないようなものですが、僕の記憶の中に蘇ってきたものは
ローマの郊外に、Ostia Antica という古代ローマの遺跡の町があるのですが、
広大な遺跡の町の、敷地の一角に、彫像や壁画などをあつめた美術館があります。

そこで見たローマ時代のフレスコ画に心を奪われたというか、感銘を受けたのです。
時間が許すならば、数時間でも眺めていられたかも知れません。
その後、感動と印象だけがぼんやりと記憶の中に残り、はっきりとした画像や
モチーフは心の底に沈みこんだままでした。

それが、この歌の中に時々あらわれる色鮮やかな花や鳥、魚などの描写から
同じような感覚を受けたのです。
今はネットの時代、インターネットでも、この遺跡の町の美術館に展示されて
いるものの数点は見ることができます。

ここで、改めて、イタリアの芸術ということを考えた時に、やはり代表的なものはキリスト教の宗教画であったり、
ルネッサンス期の理性的、合理的な美の表現と
いうものが来るのだと思いますが、僕自身の好みというか、心に最も響いて
くるのは、古代のローマ時代の草花、動物、空や海などの自然を描いた
素朴だけど色彩に富んだフレスコ画なのです。

宗教画が『信仰』を描き出し、ルネッサンスが『知性』『合理性』や『理想』を
描いたとするならば
古代ローマのフレスコ画は『感性』『自然との心の交わり、調和』を描いたもの
だと僕なりに解釈しています。

『信仰』も『合理性』も、神が中心か、人間が中心かの大きな違いがあっても、
そこにはひとつの方向があって、そちらに垂直的というか、ピラミッド型というか、
力によって意識をひっぱり上げようとする意識を感じます。

その方向性のようなものに、多分、僕は違和感を覚えて、『美しい』が『惚れ込む』ことはない、
『素晴らしい』が『身近に感じない』という気持にさせるのかと
思ったりします。

これまでの時代は、宗教の力であったり、強力な国家の力だったり、
あるいはひとつの主義やイデオロギーなどの強力な力で、あちらこちらに
散らばったものがまとめられて、方向がひとつ方向にひっぱられ、
様々な色合いのものが単色に染められたりしてきた、そんな傾向があったのだろう
と思っています。
ことあるごとに、僕が批判をしているグローバリズムというものも
そんな強力な力の一つだろうと考えています。

ここで、今回も、語源を取り上げたいと思います。

人間が意識できる、言い換えれば、言葉として表現、認識できる、私たちを
取り巻くひろがりを一番大きなものとして『宇宙』と呼んでいます。

宇宙生成のお話は古事記にも記されていますので、昔から日本人は認識して
いたのでしょうが
いったい、どういう表現をしていたのでしょうか?いつから『宇宙』という
言葉を使い始めたのか興味のあるところです。
『宇』の字は空間を、『宙』は時間を表しているというので見事な表現だと
思うのです。

イタリア語では、universo, cosmo, spazio で表します。

Universo は 大学、universita’ の語源にもなっています。
Uni- は『一つ』という意味で versoは『方向』を現します。
神という一つの存在に、全てのものが『方向』を示している、という、秩序を意識させる言葉という印象を持ちます。
語源はラテン語です。

cosmoは 花のコスモスの語源と同じです。
コスモスの花の美しい形が、古代人に宇宙の調和した姿を連想させたのでしょう。
語源はギリシャ語です。
日本に明治時代に伝わったコスモスは、原産地がメキシコだそうです。
菊科の植物なので、天皇家の菊の紋章をもイメージします。
反対の言葉がcaosカオスです。

spazioは、スペースシャトルに使われる、英語でのspaceと同じ
言葉です。語源はラテン語です。
もともとは、領域、空間、そして時間をも表します。

同じ宇宙を示す言葉でも、表現する内容には違いがありますね。

さらに、もう少し、言葉を見てゆきましょう。

ひとつはordineという言葉で、もうひとつはorganoという言葉です。

ordineには、順序、順番、整然とした配置、身分、階級、などなど。
ある意味で、なんらかの強い意識、力の働きの結果として成立している状態を
考えます。

それに対して、organo、これは動植物の器官、臓器、機関、機構、そして
なじみのある楽器、オルガンのことも指しますが、欧米人のイメージする
オルガンとはパイプオルガンのことです。
家にオルガンがある、とか、幼稚園の歌の時間に先生がオルガンで伴奏すると
欧米の人に言うと、一瞬驚くと思います。
日本のオルガンは、armonio(armonium)と呼んだほうが良いでしょう。

教会にある、あの大きな装置のような楽器の姿に、ひとつの宇宙の姿を
見ていたのでしょう。

強力な一つの方向性を意識させる、universo,ordine 調和や美を思い起こさせる cosmo、organo
希望的な推測ですが、21世紀の人間の社会は、後者の姿に近づいていくだろうと思っています。
その過程の中で、今世界で起こっている、秩序を乱すような動きも良い方向に収束されていくことを願っています。

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。



今回は、近年最も解明が難しいと言われている13歳少女の殺害事件について
お知らせしたいと思います。

事件があったのは、2010年11月26日のこと。ベルガモ地方のある町で、
当時13歳だったヤラさんが新体操教室を出た後で行方不明となり、大掛かりな
捜査が始まりました。その頃、少女が狙われる事件が相次いでおり、イタリア中
がこの事件に注目し心配していました。しかしながら、残念なことに翌年の
2月末にヤラさんは遺体となって発見されることになります。

謎につつまれたまま、もう事件解明はむりなのではないかと思っていたところ、
事件後3年半が経過した先月、なんと犯人とされる人物が逮捕となりました。

個人的に気になる事件ではありました。事件内容よりもこの犯人逮捕に至る
経緯がなんともミステリアスというか、小説風な展開だったので、ここで
お知らせしたいと思ったわけですが、その犯人にたどりつくまでのプロセスが
実に面白いのです。

警察は遺体が見つかった空き地に最も近いディスコに注目しました。そして、
そこに通う人物のDNAを片っ端から集めることから始め、ベルガモ住人
に限らずあらゆる地方の人物、約1万8千人のDNAを採取しました。

その中から、ヤラさんの衣服に残っていた犯人のものとされる血痕のDNAに
非常に近い若者を見つけ出しました。そして、その若者の親戚全員のDNA調査
に至ります。

すると、その中から15年前交通事故で亡くなった、当時61歳だった
ジュゼッペ・グエリノーニというトラック運転手に行き着いたのです。
ジュゼッペのDNAからはジュゼッペが犯人の父にあたるということが
判明します。

しかし、ジュゼッペの子どもの中には犯人とされる人物は見当たらなかった
のでしょう。この辺りについて、おそらくプライバシー保護のためなので
しょうか、あまり詳しく報道されていないのでわかりませんが、ジュゼッペには
婚外子がいることがわかります。犯人とされるもののDNAはジュゼッペと他の
女性のDNAから成っていたのです。

今年に入り、検問で飲酒検査をした中から、犯人と一致するDNAが検出され
ます。それが逮捕となったマッシモ・ジュゼッペ・ボッセッティ44歳です。
母親は既にマッシモが婚外子であることを認めており、更なるDNA鑑定により
逮捕されたマッシモが、ジュゼッペとこの母親のDNAを受け継いでいること、
ヤラさんのシャツに付着していた血痕と一致することが再確認されています。

母親はこの事件でマッシモが逮捕されるまで、父親が違うことなど誰にも漏らし
ませんでした。ですから、逮捕されたマッシモも本当の父親が15年前に事故で
亡くなったジュゼッペという人物だとは知らなかったのです。事件とは関係ない
思わぬ事実が副産物としてあらわとなってしまいました。事実は小説よりも
奇なりというのは本当のようです。

DNA鑑定の他にも、体操教室のある体育館近くのカメラにマッシモの車が
事件発生頃に確認されていること、携帯電話の追跡により事件付近にいたこと
などが確認されていますが、まだ犯人であることが100%確定したわけでは
なく捜査は引き続き行われます。

何よりも不思議に思うのは、遺体発見までに3ヶ月もかかったことで、その間、
遺体発見場所付近には警察犬による捜査が慎重に行われていました。疑わしいと
された外国人移民の誤認逮捕もありました。そして、現在ボッセッティは無実を
主張しており、DNAの再調査を依頼しています。

これからボッセッティに対する尋問が始められます。今後の展開が気になる
ところです。そして、早く事件が解明され、ヤラさんのご両親の気持ちの
やすらぐ日が訪れることを祈ってやみません。


ところで、話がとびますが、先日Facebookに知り合いがこんな
ビデオを載せていました。

https://www.youtube.com/watch?v=sHQN_vWhzPo

「中国での電車の乗り方」と題していますが、明らかに日本の、おそらく
80年代頃の映像だと思われます。なんだか異常な世界ですが、同時期に
野々村県議員の映像をアップしていた人もいて、ますます日本のイメージが
台無しになっているなと残念な気持ちになりました。あのような態度から
彼は本当に日本人なのか、とても疑問に感じます。

しかし、日本人の器用さ、礼儀正しさ、親切さ、我慢強さには昔から定評が
あるものの、一方で、「変な国」「変な人」というイメージが着いて回って
いるのも事実です。

これ以上、イメージダウンに繋がる出来事が起きてほしくないものです。

さて、ミラノはなんとも涼しい7月を迎えています。涼しいを通り越して肌寒い
くらいですが、夏の太陽の日差しが大好きなイタリア人には、まだまだ夏本番
とはいえませんが、そのうちきっとアフリカからの熱風による猛暑もやってくる
のでしょう。

皆様も寒暖の差による体調不良などお気をつけ下さいますよう。




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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

6日目 6月5日(火)Bassano del Grappa → Padova → Orvieto
高台にある神秘的、魅力的な町

小一時間ぐらい散歩した後、宿屋の奥さんに教えてもらったレストランに
行きました。散歩の途中には、町の規模にしては多すぎるほどのレストランの
看板を見ました。予想するにグルメも豊かな町のようです。

レストランの名前は La Palompa という名前で、『鳩』という意味です。
白ワインとお水を頼み、前菜の盛り合わせをいただきました。
お皿には、プロシュット、サラミ(2種)、スペック(干し肉)、
ガーリックトースト、ブルスケッタが盛られています。
一の皿には手打ちの太麺にアラビアータのソース、メインには日本では
なかなか食べられないソーセージをいただきました。
大きなソーセージが三本もお皿に盛られていて大喜びです。
イタリアのsalsicceを知らない人には、ソーセージと呼ぶよりは、スパイスの
聞かせた細長くて太いミートボール状のものと思った方が現物に近いものを
イメージできるかもしれません。
付け合せにはポテトフライ、デザートにはパンナコッタに山イチゴのソースを
かけたものをいただきました。
これだけたっぷり食べて、30ユーロ以下でますます嬉しかったです。
良いレストランを教えてもらえて感謝しました。
ほろ酔い気分で、黄土色の家並みが、オレンジ色の街灯に照らされた道を、
宿まで幸せ気分で歩いて行きました。(続く)

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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次回は8月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年6月

2014-06-16 18:33:19 | 今月のメルマガ
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第119号 

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こんにちは

名古屋は先週に入梅しました。
5月末は例年になく暑く、晴れが続いていましたが、にわかに紫陽花が
色づき始めてきて不思議に思っていたところ、突然の入梅の知らせと
いうのが僕の印象です。

年を重ねるにつれ好きになってきた梅雨の時期、楽しみたいと思っています。
青々と風にそよぐ田んぼの光景も大好きです。


< 目次 >

◇ 起源を求めて
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編

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◇ 起源を求めて ◇

日本語の中で、外来語としてオリジナルという言葉が良く使われていますが、
国語辞典では 1.原型 2.原作 3.独創的 と定義されいます。

イタリア語ではorigine(女性名詞:起源、発生、出身、原産地)
originale(形容詞:独自の、本来の、原文の、原産の / 男性名詞:原典、原語)

語源となるラテン語では origo(生まれる、起源を得る) 
ということですから
英語を経由して外来語として日本に定着した言葉は、元の意味からは
それほど乖離していないようです。

最近のイタリアの情勢は、数少ない情報源(時々聞いているイタリアの
インターネットラジオのニュースを含めて)からは、大きく関心を引くような
出来事は伝わってこず、モンティ氏、レッタ氏に続き、新たにレンツォ氏が
首相になったということや、有罪判決を受けたベルルスコーニ氏が懲罰として
週に一度、老人の施設で奉仕活動をすることになった
などということぐらいしかなく、逆に若者の失業率が依然として
3割近い水準であることや、貯蓄残額や、出費の総額が減っただの、
あるいは自動車保険がEU諸国の中で飛びぬけて高く、保険に入らずに
運転をされている車が少なくないということで、
耳に入るニュースだけで判断すれば心が暗くなるようなことばかりです。
実際のイタリア人の日常生活では楽しい、わくわくするようなことも多く
あるのでしょうが残念ながら情報としては、(少なくとも僕のところへは)
伝わってきていません。

イタリアに関心が向かない分、世界全体の動きや、日本国内のことに目が
向くのですが、やはりここにも、日本を巻き込みながら大きく動いていこうと
する一つの方向が伝わってきています。

大航海時代、ヨーロッパからアメリカ新大陸発見、海路での世界一周の偉業が
された時代から、大西洋がひとつの大きな舞台でありましたが、21世紀には
大西洋から太平洋へと歴史の舞台が移りつつあるという見方があります。
TPPという経済の枠組みもそういう考え方があってのことでもあるのかと
考えています。

ロシアとウクライナを巡っての対応でも国際ルール遵守という基準から
ロシアへの制裁という対応を、表向きは足並みをそろえていますが、
表面的にそうみえる世界という大きな枠組み作り、
またはEUやTPPという広範囲の枠組み作り、世界はひとつ、という
方向付けがなされている流れがありますが、僕はあまりこういう見方や流れには
納得していません。

求心力的に世界をまとめようとすれば、逆に遠心力的に離れていこうとする力が
同じような力で働くと考えています。
かつて、東西の冷戦が終結したときに、これからは価値観や宗教観の違いにより
さまざまな衝突が頻繁に起こるようになるという意見を聞いたことがあります。
圧倒的な世界的レベルの力が衰退する中で、エゴとエゴの衝突、が21世紀の
動きの中心になるという言い方をしている人もいましたが、
僕はあまりこうした後ろ向きな表現は好きではないので
冒頭に引用した起源(origine)を求め、その起源を巡って個人レベルでも、
地域レベルでも民族レベルでも、国家レベルでも大きな運動が起こってくると
考えています。

自分自身の起源、民族の起源、国の起源を探り、追求していく思いは、
ごく自然な心の働きであり、
さまざまな外からの規制、枠組みが緩む中で、息吹のごとくに蘇ってくるのでは
ないだろうかと考えるのです。

政治や国際関係の中でなされているルール作りなどの動きは、個人や地域や
国家を均一のものとしてひとつにまとめあげてしまう(グローバリズム)として
機能するのではなく、起源をもとめ動きが激しくなる中で
武力や圧力のぶつかり合いによって悲惨な結末を迎えないための筋道、補助的な
役割を果たすべきものだと思っています。
さまざまな文化的、歴史的背景を持つ国家や民族、異なる信仰や信条をもつ人々が、
個性豊かな人々が、互いを尊重しながら、互いを生かしながら一つの調和した
生活環境を作り上げていくのが理想だと考えています。

そういう時代の流れというものを思いながら、日本人として、日本という国が
どういう役割を果たすことができるのか、自分自身のこともなかなか
思い通りにできない身でありながらも、
こうした身の丈違いのことを考えるのが僕にとって、ある種の憂さ晴らしで
あるのかも知れません。

以前に岡倉天心のことを書きましたが、その後、彼の著書である『東洋の理想』
を再び読み始めています。
数年前に読んだときには難解な印象を受けたのみで、それほどの
感銘も無く本を閉じてしまいましたが、今回はもうすこしまともに向きあえて
います。

日本人はどこからやってきたのか?という民族の出発の謎にまつわることから
始まって、現在の日本の文化というものは、外国の様々な方面から
流入してきたというのがおおまかな捉え方だと思うのですが、
この考え方から導き出される一つのことは、
日本には独自のものが少なく、多くは外国のもの(その中でも多くは中国などの
大陸に由来)という考え方であるのですが、ここから一歩進んで日本の
独自性や、日本の起源を探る作業をしていきたいと思っています。

日本はまるで『びっくり箱』のようだ、というこ意見を聞いたことがあります。
それは昔ながらの伝統や文化が根付いていて、日常的に目にする光景でありながら
もう一面、町にも社会にも最先端のものが目立っている、そしてある一つの事柄を
掘り下げていくと、そこには『○○の研究家』『○○の愛好家』などという
存在があり驚くほどの情報や秘宝と呼べるほどのものが所持されていたりします。

岡倉天心も著書の中で、かつて大陸で花開いた文化は、大陸に於いては時代の
流れの中で完全に消滅しているのに、日本に伝わった一片の文化が、細々とでは
あったとしても脈々と受け継がれているということを指摘しています。
そして、打ち寄せる波のように、次々と相異なるものが流れ込んできても、
打ち消しあったり淘汰しあうことなく、何らかの調和の形で日本の文化の中に
溶け込んでいるのです。
これは、ひとつの日本らしさ、日本の起源と呼んでもよい、重要な事柄で
あるのだろうと思います。

日本の歴史の中でも、外国からの流入の波が非常の大きく、膨大な量であった
時があり、それがいつかしか日本らしさに吸収され、新しい形で根付く
ということが理想であるのだと思います。

岡倉天心の本を読みつつ、もうひとつ、合気道の開祖である植芝盛平の難解な
口述を自分なりにも読み解くために、神道の勉強もすこししています。
神道を信仰の観点というより、文化的、哲学的にわかりやすく述べている
本を読んでいますが、
その本の中にも、日本に入ってきた仏教、儒教、道教なども神道の影響を
受けて、日本に定着している一面が語られていました。明治以来の欧米的な
ものの考え方、技術、科学など今一度、じっくりと消化してより深いものに
してゆく時期なのではないかと気付かされます。

神道は『言揚(ことあげ)せず』といわれるように、教義も教えもほとんど
耳にすることがないのですが
学んでみれば、日本人のこころの起源は神道の中に少なからずあると感じざるを
得ません。
ただ、この『言揚せず』の態度が、日本が外国から誤解される、理解されにくい
という一面を作り出していることもあるのでしょう。
しかし、ここにこそ、新たな日本人の目指す方向があるような気がしています。

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。



先月お休みさせていただき、ご無沙汰していますが皆様いかがお過ごし
でしょうか。今年は5月末まで肌寒く、こんな寒い5月は初めてでした。

しかし、ミラノもようやく夏本番という感じで日差しも強くなり、蒸し暑い
日が続いています。今年は一体どんな夏になるのか予想がつきません。

さて、毎年この時期になると恒例の結婚式の話題となります。ここでも何度か
お話してきましたが、今年は5月にローマでの教会式に出席し、今月20日
にはミラノで役場婚(というのかわかりませんが)に出席します。

とても対照的な二つの結婚式に出席するわけですが、どちらも共通している
ことは晩婚ということです。ローマでは新郎が49歳、新婦が39歳、
ミラノでは新郎が39歳、新婦が45歳です。

日本での結婚に対する認識では晩婚というカテゴリーに入れられるので
でょうが、イタリアではそもそも「晩婚」という言葉がありませんし、
とりたてて珍しいことでもなく、むしろ晩婚は、北イタリアに限っては
ごく普通のこととして考えられています。

というのは、日本でいう「恋人」である期間が10年以上というのはざら
だからでしょう。ただ、恋人と言っても単に入籍していないというだけ
であり、双方の名義で口座をもち、家を所有し、子どもを育て、結婚して
いるかしていないかなど全く関係なく夫婦としての生活を続けています。
ミラノのほうの友人がその例で、彼らは6歳になる息子さんと3人で
式を挙げます。

対照的な二つの結婚式と言いましたが、教会婚と役場婚だからということ
だけでなく、かたや伝統的なクラッシックスタイル、一方はカジュアルで
モダンなスタイルというのが両極端な印象を放つのです。

イタリアの伝統的な結婚式では、その後のパーティまで、まるまる1日が
費やされます。しかし、カラブリア地方など南の方へ行けば1日どころか
2日間いろいろなことが行われるそうです。

私のローマの友人の時には、4時からの教会式のために2時頃友人の支度を
のぞきに行き、私たちは式の30分前には教会で待機します。新郎新婦を
迎え、その後の式は約1時間。挙式後招待客は披露宴会場となるレストラン
へ移動し、新郎新婦は撮影のため寄り道しながら会場へ向かいます。

招待客はレストランでアペリティーボをしながら二人を待ちます。その日は
5月にも関わらず雷を伴う雨降りで3月並みの寒さでした。そのため教会から
なかなか皆出ることができず、随分長い時間教会にとどまってしまうことに
なってしまいました。

それ以前に、結婚指輪を運ぶ役の子ども家族が教会へ30分ほど遅れてきた
ため既に式開始が遅れていました。二人の撮影も雨模様を見ながら限られた
場所で苦労しながら行われたため時間がかかったようです。

そんな具合で、私たちがテーブルに着いてプリモを始めた時には22時を
まわっていました。

パーティの途中、いろいろな催しが行われましたが、日本のように招待客が
スピーチや歌を歌うということはありません。客人に負担を掛けるようなこと
は「招待」とはならないという考え方がもとにあるのだと思います。

途中マジシャンがマジックを披露してくれたり、給仕の人だと思いきやコメ
ディアンが紛れ込んでおり、突然芝居が始まったり、長い食事の間も退屈し
ないよう工夫されていました。また、招待された方ですが、イタリア人の場合
じっとしていることはまずありません。食事の手が離れればすぐに新郎新婦の
ところへ行ったり、そして、新郎も新婦もずっと高砂席に落ち着いている
ことはありませんでした。

そんなこんなでデザートが来た時間は1時。その後、用意されたセットで、
それぞれが新郎新婦との写真撮影を好きなように行います。日本のように全員
で写真撮影することはありません。私たちは2時過ぎには会場を後にしました
が、残っていた友人たちと新郎新婦は朝4時頃までワイワイとやっていたそう
です。

結婚式に出席するにはまるまる24時間は必要なわけですが、南の地方、カラ
ブリアでは、式の前日に新郎は一人で抱えるのがやっとのほどの木の切り株を
新婦の家の庭へ運びます。そんな大変なことをするのは、新婦への求愛がこれ
ほどまでに真剣であることの証なのだそうです。

また、その晩、新婦の部屋の窓の下で、新郎とその友人達が歌を歌って愛を
告げるのです。映画でそんな場面を見たことがありますが、カラブリアだけ
ではないのかもしれません。

そしてさきほどのように24時間続く式とパーティがあり、初夜を邪魔するか
のように友人達は新婚の二人の部屋の窓の下で楽器とともに歌い騒ぎ立てます。
二人は邪魔されないよう、サラミやチーズなどを友人らに提供し、それらを食し
終わればまた歌い、また食事を提供してもらい・・・ということが一晩中繰り
返されるということです。

近所の人が迷惑がって、怒られないのか心配になりますが、近所の人も加担して
くれるのだそうです。ミラノであれば間違いなく我慢しきれなくなった上階の
人がバケツ一杯の水を彼らの頭にぶちまけることでしょう。

一方のミラノのモダンスタイルの結婚式ですが、ファッション、広告業界の
一線で働く二人なので期待するまでもなくオシャレなものであることは間違い
ありません。既にドレスとスーツを見せてもらいましたが、「さすが」の
一言です。おそらく今まで出席した結婚式の中で最も粋でファッショナブルな
ものだと確信しています。彼らの式が待ち遠しく本当に楽しみでなりません。

というわけで、今回は結婚式の話題でした。
次回はイタリア語検定を受験した体験話でもお伝えできたらと思っています。



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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

6日目 6月5日(火)Bassano del Grappa → Padova → Orvieto
高台にある神秘的、魅力的な町

Padovaを12時前に出て、Bolognaには1時過ぎに到着、20分後に乗り換えて、
Orvietoには夕方の4時ごろに着きました。
Bolognaの駅では、よくある電車の遅れがあり、しかも電車の到着直前に
ホーム変更のアナウンスが入り、冷や汗をかきながらダッシュして乗り込みました。
その車内では、座席指定のダブルブッキングのいざこざを目の前にして
やはりイタリアだな、と変に感心してしまいました。

前の座席に座っていた男性が、どこかで買ってきた大きなパンを半分に割いて、
次にハム屋で買ってきただろう包み紙からハムを取り出してパンに挟み、
おいしそうに食べ始めました。
こういう質素だけども、美味しい素材の組み合わせが最高なのだろうなと、
空腹であったのこともあり、非常に羨ましかったです。

遅れて出発した電車は、遅れを保ったまま、予定の20分後にOrvietoの町に
着きました。町はそびえる高台、城壁の中にあるのです。
電車の駅からは、バスで登るか、ケーブルカーを使います。
ケーブルカーで数分登っていくと町の入り口に着きます。

すぐ脇に公園があり、城壁を越えた視線の向こうには、周囲に広がる草原や
丘陵、山々が美しい姿を見せています。
しばらくその景色に見とれていましたが、遠くから雨雲らしきものが
流れてきましたので、宿へ向うことにしました。

今回宿泊した場所は、駅のある所とは、ちょうど町の正反対に当たります。
しかし、小さな町ですから、急いで歩けば20分ほどで行き着くことが
できます。
城壁に沿って歩いてゆくと、地下に発見された通路を巡る見学コースの
入り口が目に付きました。もっと時間があったら参加してみたかったです。

さらに先に進むと、中部イタリアでは最も異彩ではないかと思う、美しい
Duomoが現れてきました。
とがったゴシック様式の屋根に、黄金とパステル色のファサードの調和が
見事です。思わず我を忘れて見入ってしまうほどです。

周囲の質素な土色、黄土色の建物の中に、光輝くような存在感のある姿は
一種の違和感をも醸し出しながらも、町の重要な圧倒的な魅力として
町の光景に溶け込んでいて、不思議な印象を受けました。
Duomoを背にして、背後には今にも雨が降りそうな、灰色というか
銀色のような空の色合いで幻想的な光景でした。

情緒と趣に満ちた町の小道に沿って宿へと急ぎました。
もうそろそろ町が果てるのでは?と思う頃に、すこし大きめな館があり
そこにB&Bの貸し手の奥さんがいました。

鍵を借りて、部屋の使い方と説明を聞き、翌朝の朝食の場所と時間の
確認をして一人で部屋に入りました。
館近くの一軒の離れです。
バスルームからは城壁を越えて眼下に広がる周辺の自然が眺められます。
やや広めのリビングルームという雰囲気です。
部屋の中央に中二階のような空間があり、キングサイズのゆったりとした
ベッドが備えてあります。
まるでイタリアで一人暮らしを始めたかのような気分にしてくれます。
鍵もありますから、いつでも好きなように出かけて、帰ってこられます。
部屋から一歩出ると、テラスになっていて自然を楽しめます。
良い場所に泊まれたなと嬉しい気分です。

この日はお昼を食べなかったの、夜はおもいきり食べようと、奥さんに
レストランの情報をもらっていました。楽しみです。
部屋に入り、ほっとくつろごうとする時に雨が激しく降り始めました。

しばらくして雨が止み始めた頃に、レストランの場所の確認を兼ねて
町を散策しました。
古代のエトルリアをイメージさせるような、全体が土の色をしたような
質素な雰囲気で、しかも細くくねった道がなんとも言えず魅力的で、
古い町の雰囲気が好きな僕の気持を刺激しました。(続く)


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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。

YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。
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神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は7月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年4月

2014-04-17 11:47:41 | 今月のメルマガ

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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第118号 

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こんにちは

ようやく春らしい暖かい日が続くようになってきました。
桜はそろそろ散り始め、新緑が目立つようになってきました。

世間では消費税の改定、あるいはウインドウズXPのサポート終了での
買い替え、あるいは花粉症、あわただしく、憂鬱なこともありますが
すこしでも多くの喜びごとがあることを期待しています。


< 目次 >

◇ イタリア人の名前
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編(今月は休みます)

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◇ イタリア人の名前 ◇

かなり前ですが、ミラノの明子さんが、イタリア人の苗字について書いて
くださったことがあります。
名前に比べて、苗字の方は非常に変化に富み、数多くの苗字が存在します。

繰り返しになりますが、もう一度、イタリア人の学生のための参考書から
説明を引用したいと思います。
(DeAgostini出版社)

☆ 母親、父親の名前から取ったもの
De Rosa(Rosaの息子、の意味)
Di Vincenzo(Vincenzoの息子、の意味) Vincenzi(ラテン語の語尾変化、
Vincenzoのもの、という意味)

☆ 出身地、出生の民族の名前を示す
Celentano(Cilento出身) Persico(ペルシャ人)

☆ あだ名、呼び名など、身体的な特徴をあらわしたもの
Neri(黒い人) Grassi(太った人)

☆ 職業名、動物、器具、衣服から引用したもの
Fornai(釜屋、今でいうパン屋さん) Gallo(おんどり) 
Barile(樽や桶) Cappello(帽子)

☆ お祝い、あいさつの言葉
Benvenuto(ようこそ!) Bongiorno(Buongiorno、こんにちは )

外国の言葉に由来するもの
Macri’(ギリシャ語で、やせている) Lupo(ラテン語で狼)
Coi’n (ヘブライ語で神父) Morabito (アラビア語で聖人)

明子さんが書いてくれたものには、なじみのある苗字が多かった気がしますが、
この引用はすこし奇妙な気もしますが、きっと本当なのでしょう。
誰かBongiornoさんのお一人と知り合いになってみたいです。

さて、名前の方に移りましょう。

イタリアの民法の仕組みは知りませんが、多分、苗字を自分の意思で変える、
改名するというのは基本的に無理なことだと思うので、
日本と同じように親からそのまま引き継ぐことになると思うのですが、
名前の方は出生時に新生児に与えるものなので様々な種類があっても
良さそうなのですがイタリアの場合は苗字の多様性と比べれば、
名前の方は定番のものが多いような気がします。

日本では最近、きらきらネームというのが話題(時に疑問視、問題視も)に
なっていますが、多分イタリアではそういう現象は無いのではないかと
想像しています。
また、ネットで最近話題になった国会議員で水脈(みお)という名前の方が
いるのですがインタビューの中で、『とうとう、きらきらネームの国会議員が
登場した、と言われていますが、これは万葉集の中にでてくる言葉で、
パソコンなどの文字変換にも入っています』と語っていました。

名前では少なくても、苗字には良くある、難易度の高い漢字の読みなのですね。

では、本題に戻ります。

名前の由来になると、かなりイタリアの歴史、あるいは宗教との関わりが
強く感じられます。

☆ ラテン語由来のもの
Barbara (外国人の意味)  Claudio (片足が不自由な人)
Laura (月桂樹) Cesare (髪の毛が多い) Paolo (小さい)

☆ ギリシャ語由来のもの
Agnese (純粋) Alessandro (人類の守護者)
Andrea (勇気がある) Elena (松明、たいまつ)
Filippo (馬を愛する) Stefano (冠、王冠)

☆ ヘブライ語由来のもの
Anna (恩恵)  Daniele (神は私の裁き手)
Giovanni (神は憐れみを示された) Maria (愛された人) 
Sara (王女)

その他の言語から
Carlo (ゲルマンの言葉で、自由人)  Federico (ゲルマンの言葉で、平和を持って治める人)
Dario (古代ペルシャ語で、善を所持する ) 
Rossana (古代ペルシャ語で、輝く)
Nadia (ロシア語で、希望)

日本の場合は、漢字や言葉の意味で子供の名前をつける場合が多いと思います。
僕の名前の敦は、親の言うところでは、文明の始まり、交流点の『敦煌』から
取ったそうです。
長男の僕は『敦』、次男が生まれたら『煌』にする予定だったそうですが、
実際には、弟は別の名前になりました。

イタリアの場合は、言葉の意味よりも、聖人と同じ名前にあやかったり、
親族の名前を継承してつける場合が多いように思います。

名前に関して、もう少し深くお伝えしたいと思います。

ひとつ、これまで4人ほど僕が出会ったことのあるFedericoという
名前を例に取ります。(Wikipediaを参照しました)

1.名前のバリエーションがあります。
Federico という名前以外に、Federigo、
Frederico、Fedrico 
さらに女性版の Federicaという名前が存在します。

2.愛称(呼び名)があります。
Federicoの愛称として多いものに、Fede、Chicco、Ico、
Rico、Fredo などがあります。

さらに外国に行けば、外国のFedericoさんは
Fred(フレッド) とか Friduric(フリードリッヒ)などにもなります。

もう一つ、Giovanni という名前を挙げます

愛称では Givannino、Gianni、Ioanni、Ianni、
Gianetto、Giannino 
さらには Nanni、Vanni、Nino、Nanetto、Ivano、
Nane、Zan などもあり

僕は Ivan というイタリア人に始めて出会ったときに、
ロシア人の『イワン』を想像して
『あなたはロシア系の人ですか?』などととんでもない質問をしたことが
ありました。 

女性版で Giovanna になります。

Giovanni に もうひとつ名前がくっついたものもあります。

Giovanni + Paolo → Gianpaolo
       + Carlo → Giancarlo
さらに Gianfranco、Gianluca などもありますが、
これは大介花子のような漫才のコンビ名ではなく、ひとりの人の名前です。

外国に行けば、 Giovanni は Jean(ジーン)、John(ジョン)、
Johnny(ジョニー)、Johanenes(ヨハネス)、Ivan(イワン)にもなります。

元々は、イエスキリストの弟子のヨハネ、あるいは洗礼ヨハネから来ていますから
キリスト教の普及している欧米では最も人気のある名前の一つなのでしょう。
名前のみを取り上げても、ひとつの文化が語れるのですね。

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。


日本では桜が満開の中、皆様それぞれの新年度を迎えていることかと思います。
ミラノも春らしく木々の新芽や小さな花々がほころび始めています。食べ物も
色どりを増してきて、6月末頃まで新鮮な野菜果物に恵まれます。

穏やかな天気も続き、週末はあちこち出かけたくなる季節、ミラノの人は
たいてい、郊外へ出て行ってしまうのですが、市内にも散歩にうってつけの
場所はいくつかあります。

今回は、見所満載なのにも関わらず、意外と閑散とした「ミラノ記念墓地」
を紹介したいと思います。

地下鉄Porta Garibaldiから徒歩5分ほどの所で、この界隈は最近建築が進み、
この5年程の間に来年行われるエキスポに向けてあれよあれよと様相が
変わってきました。"意外と閑散とした"とはいうものの、ドゥオモの次に
訪問者が多いとかで、実際、団体旅行客を連れた大型バスがよく止まって
いますし、無料ガイドによる1時間半のツアーも毎日行われています。

記念墓地は知らない人が見れば、教会だと思われることでしょう。最初に目に
入るこの教会風の建物は"Famedio"と言われる建物で、複数の有力者、著名人を
まつる廟となっています。

Famedioは1863年から3年の歳月を掛けてCarlo Maciachiniの設計により建て
られました。面白いことに、このFamadioの落成式が行われたのは、1866年
11月2日。祝祭日ではないのですが、この日は「死者の日」とされており
偶然なのか選んでこの日にしたのかはわかりませんが実に象徴的です。

このFamedioに納められるには条件があります。当然、ミラノ市民であること、
ミラノで生活していること、そしてもう一つの条件として産業界や文化芸術
分野での功労者であることです。その代表者としてこのスペースの中心には
I Promessi Sposiの作家アレッサンドロ・マンゾーニが眠っています。

マンゾーニの廟には、ちょっとしたエピソードがあります。1960年10月

改修のため廟の蓋が開けられました。そのとき、花窓から指した太陽光が棺の
中を照らし、それにより色とりどりの光線が発せられたといいます。

実は石の棺の蓋の下にはさらにクリスタルガラスの蓋が設けられており、それに
太陽光がさし光線を発したというのがそのカラクリです。当時の新聞にも紹介さ
れたとかで、偶然の出来事とはいえ改修に携わった人たちを驚かせたようです。

さらに、マンゾーニの死から80年以上経ったにも関わらず遺体は全く変わらず
死後直後のままだったという不思議も紹介されました。しかし、これにも
ちゃんと訳があり、単に腐敗処理がされていただけということでした。

まあ、有名著名な人物についてのこういった都市伝説的なエピソードは
当時も今も紙面を賑わせていたようです。

さて、Famedioを抜けると、次に納骨堂があります。納骨堂を抜けると「屋外美
術館」と称される墓地が広がっています。墓地という名前がふさわしくないほど
美しく閑静な空間で、高木の並木も美しく「屋外美術館」という名前以上に芸術
作品満載の豪華庭園なのです。

1万5千近くある墓にはそれぞれ有名無名の彫刻家がほどこしたあらゆる時代
スタイルの墓石があり、1200以上もの礼拝堂が建てられています。

墓石一つ一つ見ているだけでもかなり楽しめますし、フォンタナとポモドーロ
ぐらいしかわからない私でも、洪水のように立ちならぶ数々の豪勢な彫刻に
圧倒されるばかりで作者を特定できなくても十二分に楽しめます。

ガイドの解説をこっそり盗み聞きし、随分うろ覚えで確かではないのですが、
60年代ごろ、まだ無名の彫刻家たちがスタジオがわりにこの墓地で作品を
作り、目にとまればそのまま墓石として売り、同時に作品の発表の場となり
名声を挙げていったといいます。ですから、墓地としてでなく、彫刻家に
制作発表の機会を与える場所としても機能していたようです。

墓石の彫刻よりさらに度肝を抜かれるのが、数々の礼拝堂です。これ以上贅を
つくすのは無理だろうと思われるほど材料もデザインも凝っています。
ピラミッドやスフィンクスのエジプト様式、ギリシャ神殿様式、ロマネスク、
ゴシック、バロック、アールヌーボー、合理主義・・・まるで歴史芸術美術館
を廻っているようです。

この墓地庭園の奥には旧火葬場があります。イタリアで最初に作られた火葬場
で、当時としては革新的な存在だったと思います。火葬事情については以前に
も触れたことがありますのでこちらをご参照ください。

http://archive.mag2.com/0000123715/20100910101000000.html


この火葬場ですが、1865年よりKellerという絹産業に従事する事業家により
建設が始められました。当時、まだカトリックの教義により火葬は受け入れ
られていませんでした。このKellerさんは、建設の支援だけでなく、なんと
ここで火葬された最初の人物でもあるのです。1876年の完成間近に亡く
なったため、彼の功績を讃えてのことだと思います。しかしKellerさんは自分が
支援した火葬場に最初に焼かれるなどとは決して想像していなかったことで
しょう。

25ヘクタールもある記念墓地を、フラッと入って散歩するもよし、ガイドを
予約して説明を聞きながら要所要所を無駄なく廻るのもよし、なにせ無料です
から心置きなく散策できます。

ガイドは無料ですが、事前予約が必要です。解説があったほうが断然楽しめます
ので是非ご利用ください。(こちらから↓)

https://www.comune.milano.it/portale/wps/portal/CDM?WCM_GLOBAL_CONTEXT=/wps/wcm/connect/ContentLibrary/elenco+siti+tematici/elenco+siti+tematici/cimitero+monumentale/visite+ed+eventi/visite+guidate/cimitero+monumentale_visite+guidate+bis


おそらく、ガイドが話さないだろう都市伝説的な解説の一つに、この記念墓地も
ドゥオーモも15世紀に作られた秘密結社フリーメーソンのものだと言われて
いることがあげられます。

というのも、私は知らないのですがどうやらドゥオーモの装飾の中にそれを
暗示するシンボルがあるらしく、この記念墓地にもそれが確認されています。

先ほどあげたKellerさんの彫像が火葬場内部の葬儀場に置かれています。彼が
そのフリーメーソンのメンバーだと言われており、彫像の頭上にはピラミッド
の三角部分に一つ目のシンボルと、その下には秘密結社のシンボルでもある
物差しと定規も施されています。

ただ、彫像が手にする紙切れに書かれた文章は未だどんな意味なのか解読されて
いません。

ミラノは発見の少ない都市だと思っていましたが、調べればいろんな隠れた逸話
がでてくるのに驚きました。どうぞ、皆様も一度この記念墓地を訪れて新しい
発見をされてみてはいかがでしょうか。

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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

今月は休みます

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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4月からの新規の受講生を募集中です。

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神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は5月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年3月

2014-03-11 11:55:23 | 今月のメルマガ
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第117号 

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こんにちは

立春が過ぎ、啓蟄を迎えたと言うのに、外の空気はすっかりと冷え切っています。
それでもお日様の輝きは日増しに強くなり、それに呼応してか、すでに
咲き誇っている花もあり、また小さな蕾が徐々に膨らんできています。
月末には日本人の愛する桜の開花の便りが聞こえてきますね。

春にあわせて、幸せと喜びの心も育んでゆきたいです。

名古屋の皆さんへ、今週の木曜日にピノキオの無料公演があります。
イタリア文化会館の催しです。
この後、大阪や京都でも行われるようです。

日時:3 月13 日(木)18 時30 分開演(開場18 時)
場所:5/R Hall&Gallery(名古屋市千種区今池1-3-4)
JR 千種駅改札口・地下鉄千種駅4 番出口より南へ徒歩2分
お問い合わせ:5/R Hall&Gallery
(tel: 052-734-3461)
水曜日休館 受付時間は11:00-19:00


< 目次 >

◇ この小さな大切な愛
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編

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◇ この小さな大切な愛 ◇

イタリアのインターネットラジオで、一昔前の懐かしの歌を流すコーナーがあり、
そこで何度か聞いたことのある歌です。
ラジオのパーソナリティが懐かしそうに紹介をしていた曲です。
Claudio Baglioni の歌った『questo piccolo grande amore』です。

曲名の中の amore は『愛』とも理解できるし(訳の中では愛、としました)また『恋人』とも取れます。
恋人と理解すれば曲名は『この小さなも大切な恋人』にもなり、どちらかというと、僕は、恋人の意味合いで
理解する方がしっくりくるような気がします。

ラジオの番組の中では、曲が流れる間、パーソナリティは曲に合わせて歌っていたようで、
歌詞をすべて暗記していたようでした。
それだけ愛された曲だったのでしょう。多くのカラオケ動画も作られたと言っていました。

イタリアにも、日本からカラオケ文化が輸出され、イタリア語でもkaraokeとして辞書に載っています。
イタリア語からすれば外来語ですので、基本的に男性名詞扱いになります。
辞書にもkaraokeは男性名詞として載せられていますが、ラジオのリスナーからの電話会話では
カラオケは曲(una canzone)の一種ということだからなのでしょう。
私は una karaoka を歌った(karaokeの単数形ならば カラオカになる(?!))と
いう会話がありました。
日本からイタリアに渡っていった果物の柿がイタリア語ではcachi なのですが、
これが複数形扱いされて、一個の柿は un caco と使われることもあり、日本人として
不思議な扱いを受けているのを感じます。

さて、曲は、思春期の若者の恋愛を歌ったものですが、別れてしまってからの過去を振り返っている
男性の思いを伝えています。
何故別れてしまったのか、それは歌詞の中からは読み取れないのですが、イタリア語のウィキペディアで
書かれていたことによれば、この曲の収録されたアルバムのほかの曲に、
この男性が兵役に行ったことで分かれることになったと記されていました。
ドラマチックなストーリーのあるこの曲は、映画化もされたようです。

歌詞の中に la paura e la voglia di essere nudi 裸になることの不安と欲望
という箇所があるのですが、当初は性的な描写にあたる恐れからか、苦情を受け
la paura e la voglia di essere soli 二人きりになる不安と欲望
と変えられていたそうですが、今では元の歌詞に戻っています。

ローマ法王のお膝元という事情があったからなのではと想像していますが、現在は問題も
なくなっているのは、時代の流れなのでしょう。
カトリック教会が一貫して否定している、離婚、避妊をイタリアは国民投票で法改正をして
可能にしてきた経緯があります。
かつての国王を、やはり国民投票で追放し、共和制に国を変えたこともやはり
大きな決断だったのでしょう。

インターネットで歌詞名で検索して頂けば、聞いていただけます。
ご興味があれば、是非どうぞ。

メロディーは甘く、歌声は渋く、歌詞の内容は、すっぱく苦い。
文句なしの名曲だと思います。

余分な話ですが、文法的な勉強になる項目も満載です。

《 QUESTO PICCOLO GRANDE AMORE 》
quella sua maglietta fina 彼女のあの薄い服
tanto stretta al punto che m'immaginavo tutto 僕にすべてを想像させるぐらいタイトな服
e quell'aria da bambina そして、あの少女のような雰囲気
che non gliel"ho detto mai ma io ci andavo matto 一度も彼女に言ったことは無いけど
夢中になるぐらい気に入っていた
e chiare sere d'estate 夏の澄み切った夕べ
il mare, i giochi, le fate 海、遊び、魅力的な女性たち
e la paura e la voglia di essere nudi 裸になることの不安と欲望
un bacio a labbra salate 塩の香りの唇で口づけ
un fuoco, quattro risate たきぎをし、大笑い
e far l'amore gi? al faro...灯台の下で愛し合う
ti amo davvero ti amo lo giuro...ti amo ti amo 『君を愛しているよ、本当に。誓うよ。愛しているよ』
davvero! 『本当にだよ』
e lei すると、彼女はlei mi guardava con sospetto 僕を疑い混じりの目で見つめていた
poi mi sorrideva e mi teneva stretto stretto そして微笑み、僕を近くに寄せてくれた
ed io そして僕は
io non ho mai capito niente これまで何も理解できなかったんだ
visto che ora mai non me lo levo dalla mente これまで僕が一度も頭から離したことがなかったことを思うと。
che lei lei era それは彼女が、彼女は
un piccolo grande amore 小さく、偉大な愛だった
solo un piccolo grande amore ただ単に、ある小さな偉大な愛だった
niente pi? di questo niente pi?! (でも)これ以上のものは何もない
mi manca da morire 無くなってしまって、死ぬほど寂しい
quel suo piccolo grande amore あの彼女の小さな偉大な愛が
adesso che saprei cosa dire 今だったら、何を言うべきか分かるだろうけど、、、
adesso che saprei cosa fare 今だったら、何をするべきか分かるだろうけど、、、
adesso che voglio 今、僕は欲しい
un piccolo grande amore ひとつの小さな偉大な愛が

quella camminata strana あの彼女の見慣れぬ歩き方
pure in mezzo a chissacch? l'avrei riconosciuta 誰の中にいたって、彼女だって見分けられただろう
mi diceva "sei una frana" 彼女は僕にこう言っていた『あなたは困った人ね』
ma io questa cosa qui mica l'ho mai creduta だけど僕はそんな言葉を一度も信じなかった
e lunghe corse affannate そして息を切らしながら、長い距離を競走した
incontro a stelle cadute 流れ星に向って
e mani sempre pi? ansiose 僕の手はますます思いを抑えなれなくなっていた
di cose proibite 禁じられたことへの
e le canzoni stonate 音を外しながら歌い
urlate al cielo lass? 遠くの空に大声で叫び"
chi arriva prima a quel muro..." 『あそこの壁まで、どっちが先に到着できるか、競走だ』
non sono sicuro se ti amo davvero 『僕は自信が無いよ、本当に君を愛しているのか
non sono...non sono sicuro...自信が無い、自信が無い』
e lei すると彼女が
tutto ad un tratto non parlava 突然、ふさぎこんでいるのに気付いた
ma le si leggeva chiaro in faccia che soffriva でも、彼女の顔から読み取れた、心を痛めているのが
ed io そして僕はio non lo so quant'? che ha pianto 彼女がどれだけ泣いたのか、分からない
solamente adesso me ne sto rendendo conto 今になって、やっと、分かり始めてきた
che lei lei era それは、彼女は
un piccolo grande amore 小さく、偉大な愛だった
solo un piccolo grande amore ただ単に、ある小さな偉大な愛だった
niente pi? di questo niente pi?! (でも)これ以上のものは何もない
mi manca da morire 無くなってしまって、死ぬほど寂しい
quel suo piccolo grande amore あの彼女の小さな偉大な愛が
adesso che saprei cosa dire 今だったら、何を言うべきか分かるだろうけど、、、
adesso che saprei cosa fare 今だったら、何をするべきか分かるだろうけど、、、
adesso che voglio 今、僕は欲しい
un piccolo grande amore ひとつの小さな偉大な愛が

例によって色々カバーしているのを探しました。素人さんでしょうか?Riccardo Sancarloという
人の歌い方が気に入りました。時間があれば、曲名と人名で検索してください。
イタリア旅行から遠ざかって何年かになります。イタリアの旅日記を書き終えて
にしたいと願っています。

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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。



3月8日は国際女性デー。イタリアでは女性にミモザの花を贈ります。
ミモザは冬の終わり頃につぼみが膨らみ始め、3月初めにちょうど花開くため
もともとあった習慣と結びついて、この女性の日のシンボルとなりました。

週末と重なったこともあるのか、美術館が夜12時まで開館となったり、
女性は無料になるなど様々なイベントが用意されています。このあとパスクア
の休みもあり、イベントだけでなく気候も穏やかですし、北イタリアへ旅行
されるなら、これからの季節は最高でしょう。

ミラノも2月の末から春らしくなってきました。これから5月いっぱいまでは、
天気のいい日も多く過ごしやすく、どこへ行っても新緑が美しく、また
何よりも新鮮な果物や野菜が美味しく食べられる季節です。

イタリアに住んでいて何よりも嬉しいのは、やはり食に関することだと実感して
います。

現在、消費税は22%にひきあげられ(ただし食品については4%)、全体的に
物価が上がっていますが、それでも生鮮食品については日本と比べ随分安いよう
に思います。

野菜、果物、肉、乳製品の大半はメルカートで調達するようにしているのですが
値段はスーパーの半分ほどで手に入るうえ、新鮮で味もいいので、この季節は
ついつい買い込んでしまいます。

いつでも買い物ができるスーパーと違い、メルカートでの顔ぶれはほとんどが
年配の主婦、おじいちゃん、おばあちゃんです。初めの頃は、お年寄りが店の
人にする愚問を面白おかしく聞いていたのですが、最近になり自分も同じ質問を
していることに苦笑してしまいました。

メルカートの場合、商品は店の人に何をどれだけか、ひとつひとつ言って袋に
入れてもらいます。(客が勝手に持ったり、触ったりすると注意されます。)
そんなとき、「それから、イチゴ...どう?美味しい?」と聞くのです。
店の人はもちろん、"FOVOLOSE!"か"BUONISSIME!"と回答します。

お店の人に、「それ美味しい?」と聞くのは、なんだかおかしくないですか?
「あまり美味しくない」と答えることもあると想定しているのでしょうか。
そんなはずないのに、おばあちゃんたちは買う前によく「どう?美味しい?」
と聞くのです。

初めのうち、変な質問するなと、笑っていたのですが、気がつくと私もするよう
になっていて、なんとなくおばあちゃんたちの心理がわかるようになってきまし
た。

メルカートでの買い物は、コミュニケーションの場です。毎週、決まった所の、
決まった店で、決まったものを買っていくのですが、何か新しい旬のものが
出回り始めたとき、「美味しいよ」と返事されるのがわかっていながらも、
確認して安心するために、つい「どう?美味しい?」と聞いてしまうのです。

イタリア人は目新しいものにすぐに飛びつくということはあまりしません。大抵
既に知っている人の意見や感想をもとにし大丈夫だと確信してからでないと動き
ません。ですから、新しいものに踏み込むのに相当時間がかかります。しかし、
何度か試してみて安心できたら、その後はずっと変わらず定期的に続けていき
ます。

だから、常連のお客さんに対しては、友だちのように手厚く扱ってくれますし、
融通も効かしてくれます。長年通いつづけているおばあちゃんたちは、お店の
人と名前で呼び合って、まるで家族のようです。

子どもの頃を思い出してみると、日本でも近所の八百屋さんとこんな関係で
した。イタリアでは大型スーパーができた今でも八百屋、肉屋、乾物屋など、
昔ながらの風情を残していられるのはどうしてなのでしょう。もしかしたら、
先ほど話したイタリア人の気質も少し関係しているのかもしれません。


さて、恒例のSalone del Mobileがもうすぐ始まりますが、今年は4月8日から
13日までの5日間です。北イタリアへ旅行される方は是非一度足を運んで
みてはいかがでしょう。面白い出展があれば、また改めて報告いたします。

皆様、季節の変わり目に体調など崩されませぬよう。








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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

6日目 6月5日(火)Bassano del Grappa → Padova → Orvieto
高台にある神秘的、魅力的な町

朝食をパンとハム、チーズ、コーヒー、ヨーグルト、フルーツと、やや急ぎ目に
いただいてホテルを出発しました。
Bassano del Grappa でのホテルは朝食込みで45ユーロでした。
旅行中の移動は、可能ならば、行きと帰りは違う経路、異なる移動手段で動きたい
僕は、Padovaまではバスで戻ることにしました。

町への入り口にもバスのターミナルがあるのですが、わざわざ足を伸ばして
始発となる電車の駅まで歩いていって乗りました。
8時20分に出発し、9時40分にPadovaに到着です。

バスの車窓から、手工芸や小規模産業を基にした小さな町が現れては消えてゆく
様子を眺めていました。
町と町の間は、広々とした草原や畑が続いています。
会社員時代に、この地方には良く来ていたので、見知っている町も通っていった
ような気もしましが、後ほど地図で確信しましたら、似てはいるけれども
別の町でした。

ただ一箇所、まるで中世の城壁に囲まれたような町を思い出させる場所だけは
会社員時代に目にした場所だったと思っています。
周囲が何キロにもなるほどの四角い城壁が続き、その中にすっぽりと町が
納まっているのです。
日本で出版されているガイドブックでは紹介されているのをこれまで目にした
ことがないですから、あまり知られていないのでしょう。
二回ほど、その城壁の中の町で、コーヒーを飲んだり、食事をした記憶が
あります。いつの日か、この足でもう一度訪ねてみたいです。

バスの料金は4ユーロです。電車よりもさらに安いです。

Padovaについた後、改めて駅で乗り継ぎを調べてみました。
予めわかってはいたのですが、かすかな期待で確認を取りましたが、12時近く
まで電車が無いのです。
そこで、二階建ての観光バスで町を一週回ると丁度良い時間になるということを
知り、さっそく利用しました。

観光バスの料金は7.50ユーロで、小奇麗な二階建てのバスで、備え付けの
イヤホンからは町の案内が流れてきます。
また途中で下車して、観光をして、後続のバスに再び乗ることも自由です。
ある意味、一周し終わるまでは丸一日利用できるのです。
イヤホンでの解説は、イタリア語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、
さらにポーランド語に加えて日本語もあったのです。

語学の勉強云々よりも、日本語の案内で、しっかりと町の歴史や文化を
知ることを優先させました。
日本語のアナウンスの発音も、そして訳されたであろう解説文も全く自然な
日本語で非常に聞きやすく、興味をもって観光を楽しめました。

始めは一階に座ろうとしたのですが、スタッフの人の勧めを受けて
景色の良い二階に座りました。
二回から眺める景色は、現代風に、あるいは商業風に改築された表情は
目に入らず、昔ながらの町の様子を切り取って眺められたような気もしました。

いろいろ解説を聞きながら、Padovaには多くの芸術品があることも再確認し、
ひとつも美術館に入らなかったのは、もったいないことをしたものだと
残念な気持にもなりました。
いつか、時間を取って、フレスコ画を始めとするPadovaの芸術にも
触れる機会があることを期待したいです。

バスでの観光を終えた後、車内でサンドイッチでも食べようと食材を探して
駅の構内をあちらこちら歩いたのですが、どうも出来合いのものは気にいらず、
この日の昼は何も食べなかったです。(続く)

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。
4月からの新規の受講生を募集中です。

YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。
ただいまskypeを利用してのレッスンも行っています。

神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は4月10日発行予定です。

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今月のメルマガ 2014年2月

2014-02-13 12:51:12 | 今月のメルマガ
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イタリアあれこれマガジン”あんぬんつぃ” 第116号 

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こんにちは
立春を迎えたと思ったら、大雪になりました。
本当の春が待ち遠しいです。

< 目次 >

◇ はじまりは5つ星ホテルから
◇ JIJI-Milano
◇ イタリア旅行記 北イタリア編(今月は休みます)

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◇ はじまりは5つ星ホテルから ◇

2月15日から、名演小劇場で『はじまりは5つ星ホテルから』が上演されます。
5つ星ホテルの覆面調査員の仕事をするイレーネ。誰もが憧れる華やかな仕事を
する一方、私生活では40歳独身、家族も子供もない。
ある出来事をきっかけに自分の行き方を見つめなおしてゆくという
ストーリですが、映画の舞台は世界7つの5つ星ホテルです。

7つのうち、2つはイタリアのホテルです。
ひとつは、トスカーナ州にある、自然に恵まれた環境の中の、
温泉滞在型のホテルで
Fonteverde Tuscan Resort & Spa.

もうひとつは、プーリア州にある、アドリア海を望むお城のようなホテル
Borgo Egnazia

どれもため息がでそうなホテルばかりですが、一番泊まってみたいと
思ったのは、このプーリア州のホテルでした。

一人旅をすることが多い僕は、ひとりで行動するからなのか、宿泊先に
選ぶ項目として
できれば家族経営 
部屋数が少ない 
サービスは適度で、客の立場からみたら放っておかれているような
    気がするぐらいが丁度良い。
4.  それでも顔をあわせれば、あれこれと話ができる距離感

こういう場所を選んでいます。
設備よりもホテルの人の人柄が満足度につながっているようです。

話を戻しますが、映画の主な舞台はため息が出るよな素敵なホテルですが、
一方、主人公を取り巻く人間関係はしっくりとこない、
うまくかみ合わない形で展開されます。
あるときに色々な事柄がきっかけになり、主人公は本当の自分と向き合い
始めるのですが、これがこの映画の一つの大きなテーマであると思います。

再び脱線しますが、昨年末に作曲家、歌手の大瀧詠一さんが亡くなりました。
僕は特にこの人のファンでもなく、よく知ってもいなかったのですが、
一昔前、カラオケに時々通っていた頃に、数少ない歌える曲のレパートリーの
中にこの大瀧詠一さんの曲があったのです。
ネットでも追悼のコメントがたくさん見られて、多くの人に慕われていたのが
確認できました。

この人の曲に『さらばシベリア鉄道』という歌があり、
YouTubeで見ていくと
太田裕美さん、坂本冬美さん、中には福山雅治などが歌っているものがあり、
休み中で時間も有ったので聞き比べたりしました。
実は、カラオケで歌っていた頃は歌詞の意味など分かっていなかったのですが、
本当は恋に悩み、相手への疑心にさいなまれた女性が一人でシベリヤに旅立ち、
旅先から男性に宛られた手紙に、この男性が返事をするという歌詞に
なっています。

この歌の最後の方にこういう歌詞が出来てきます。男性の方の言葉なのですが
『疑うことを覚えて人は生きてゆくなら、不意に愛の意味を知る』という
箇所があります。
この女性と男性が、その後どうなったのかは歌では明らかにならないのですが、
僕は二人は再び心を通じ合わせるのだろうと思っています。

この女性と男性の心の機微を一番上手く歌い上げているのは、
僕には作曲した本人の大瀧詠一さんの歌う『さらばシベリア鉄道』だと思いました。

映画の話に戻りますが、覆面作業員という仕事はいってみれば『疑うこと』から
始まっています。それを自らの生き方や、人間関係に当てはめてしまえば、
しっくりこない、ギスギスしたものになるのは目に見えています。
そこでこの主人公は『不意に』『愛の意味』を知ったのです。

『さらばシベリア鉄道』に歌われる女性は、多分に、日本人の多くに共通する
発想をもっているのでしょうか、悩みの答えを求める時に、
シベリアに象徴される『厳しさ』『孤独』のなかに一度身を置いて
自分を確認しようとするのですが、
イタリア人の共通の発想をもつ、この映画の主人公は、自らを確認するために
どこへ向ったのでしょうか?

これは映画を見てのお楽しみということにしてください。


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◇ JIJI-Milano ◇

ジャルディーノの生徒さんで、フェデリーコと夫婦になり、ミラノで日本語を教えている明子さんからのお便りです。



いつも底冷えがするミラノですが、今年の冬は平年より暖かく感じます。
ただ、雨ばかりで太陽を見る日が一週間に1日だけだったりで、これには
気が滅いります。風邪を引いている人もちらほらで、体調管理には十分気を
つけたいです。

日本ではインフルエンザが流行っていると聞きましたが、今年、イタリアでは
不思議なことに予防接種について、何も言いません。4年ほど前だったでしょう
か、トーポジージョを使ったコマーシャルで、何度も何度もインフルエンザの
予防接種をするよう喧伝していました。お昼のニュース番組でもインフルエンザ
が流行っているので気をつけましょう、ということが何度も繰り返されたりして
いて、なんだか異常な印象を受けました。

幸い、イタリア人は彼らが言うほど印象操作に簡単に洗脳されないようで、
無意味に妄信して、慌てて接種を受けに行くということはなかったように
思います。それは、マスコミが言うほどインフルエンザの威力は大したこと
はないということを、一般の人々が体感してわかっていたからではないかと
思います。

実際、その年のインフルエンザは予想されていたよりも、かなり穏やかなもので
あの異常なほどワクチン接種を推奨する宣伝は何だったのか、今でも不思議で
なりません。

一方で、大量のワクチンの杜撰な保管状態をスクープする報道もあったことから
もしかしたら、政府が無計画に大量購入したワクチンの消費を促すために
マスコミを使って煽動しようとしてたのではないかと勘ぐっています。真相は
わかりません。


話は変わり、先月のニュースの中で、 今回お知らせしようと思っているのは
「修道女妊娠 」のニュースです。

時々、イタリアのニュースは冗談じゃなかろうか、と思うことがあります。
食事中にテレビをつけていて、思わず吹き出してしまううこともあり
要注意です。

さて、イタリアのほぼ中心にある、ラツィオ州リエーティというところでの
話です。

その町の老人ホームで働いていた、エルサルバドル出身の修道女(32歳)が
腹痛をうったえ、自分で救急車を呼び、運ばれていきました。医師からは
妊娠を指摘されたものの、「そんな覚えはない、妊娠などしていない」と言い
続けながら分娩室に運ばれ男児を無事出産した、という話です。

一緒に生活、仕事をしている他の修道女らは、彼女の妊娠には全く気づくことは
なく、単に最近太ったのではないかぐらいの認識だったといいます。また、ここ
最近は一人閉ざしている様子だったと。救急車がやってきて初めて彼女の妊娠を
知ったと言いますが、そんなことがありうるのでしょうか。かなり疑わしく
思います。

修道女の間では、最近彼女が母国エルサルバドルへ帰ったときになにかあったの
のでは、と噂されているようです。このところの神父など教会関係者の性的
スキャンダルの報道をみると、疑いは教会の中にも多いにあるわけですが、密閉
された世界ですから真相は永遠に謎となることでしょう。

3500グラムの男児は法王の名をとり、フランチェスコと名付けられました。

フランチェスコといえば、宇多田ひかるさんの婚約者もフランチェスコさん
ですね。こちらのニュースでもいち早く取り上げられていましたが、彼の名前も
顔写真も出身、両親についても報道されていました。映画「ノッティングヒル」
に例えられたり、シンデレラボーイと呼ばれたりしています。

日本語を学習している若い生徒の中には、熱烈なJポップファンもいます。
23歳のごく普通のフランチェスコさんの結婚に羨ましく歯がゆい想いを
している人もいるのではないかと思います。また、今まで以上にシンデレラ
ストーリーを夢見させるべくイタリア人男性を刺激してしまったのでは
ないでしょうか。

二人はプーリアにあるポリニャーノ・アマーレという小さな町で式を挙げる
とのこと。日本からの報道関係者や観光客と街の見物人で賑わうしょうが、
きっと、Jポップファンのイタリア人も集まることでしょう。

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◇ イタリア旅行記 北イタリア編 ◇

今月は休みます。ごめんなさい。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

ホームページがあります。どうぞご覧下さい。
『イタリア語スクール ジャルディーノ』で検索してください。

4月からの新規受講者の募集をしています。

YouTubeで同様に検索して頂けば、動画でのレッスンも公開しています。

ただいまskypeを利用してのレッスンも行っています。

神奈川にあるジャルディーノの姉妹校もよろしくお願いします。
次回は3月10日発行予定です。

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