水道橋博士から見る太田光

2009-10-27 20:00:12 | 日記だお(^ω^ )
水道橋博士のラジカントロプスというpodcastが面白かった。
それは、まず博士の生い立ちの紹介から始まる。特にひどかったのは大学生活で、全く大学に行かないでは、同郷の友達と(東京での友達はいなかった)、パチンコに明け暮れていた。
本人曰く、その時は「ゴキブリホイホイにいるみたいだった」と言っている。


大学もただ、たけし軍団に入りたいというだけで、明治大学を受けた博士は、結局、そのときは弟子志願なんて山ほどいたために、弟子になりたいことを言い出せずにいた。卒業のころに、このままじゃ、なにをしに東京に来たのかわからないと思い、奮い立って大学卒業のころに、弟子志願に行く。

時代錯誤にも思える師弟関係とかは、爆笑問題からは聞けないので、とても興味深い。逆に師弟関係といえば伊集院を思い出すのだけれど、伊集院と楽太郎のようなべったりと付き合わないといけなかったものと違って、博士とビートたけしは全く会話をしなかったようだった。

博士がビートたけしも働いていた、フランス座というストリップ小屋でで働くようになってからは、一日千円で16時間労働という19世紀のイギリスでも真っ青の労働環境だった。振り返り「バブルのころによくあんな貧乏できたな」と語っている。




■水道橋博士の太田光論

オールナイトニッポンでたけしが休んだときに、代役が軍団ではなく、爆笑問題になったときに、浅草キッドがラジオに乱入したということがあった。
それは、爆笑問題が「キッド!悔しかったら乱入しにこい!」とあおったからであって、それは別にガチンコなわけではなくて、ネタの一環。


もともと博士は、舞台ではじけて、私生活では大人しい様な芸人に色気を感じるようで、目もあわせたくないほど嫌いというわけではない。
自分は太田とは共通する部分はある。たとえば、小倉さんに、生放送中に「髪の毛」ネタをやったことは、たけしチルドレンとしてよくわかる。だけど、自分にはあれは出来ない、そういうライオン的な行動ができるという意味でたけしの後継者だと思う。
博士は、「自分はたけしになるレースから降りた」と言っていて、それよりも今は(というか本来?)天才を見ることに興味がある。
そういう意味では、中学時代の夢だったルボライターに近いことを今やっている。
田はたけしと差別化をはかるために、太田総理をやっていて、たけしがやらないことをやっている。



主な内容がこれらのこと。



最初の「ゴキブリホイホイにいるみたいだった」っていう表現は物凄くしっくりきた。大学時代も、目標もなく無為に過ごしていたおれにはよく分かる……。




砂の女

2009-10-27 19:20:18 | 携帯だお(^ω^ )
砂の女/安部公房


■あらすじ(wikipediaより)

主人公は砂漠に新種のハンミョウを採集しに向かうが、砂漠の中の村で寡婦が住む家に滞在するように勧められる。村の家は一軒一軒砂丘に掘られた蟻地獄の巣にも似た穴の底にあり、はしごでのみ地上と出入りできる。一夜明けるとはしごが村人によって取り外され、主人公は女とともに穴の下に閉じ込められ、同居を始める。

村の家々は常に砂を穴の外に運び出さない限り、砂に埋もれてしまうため人手を欲していた。村の内部では、村長が支配する社会主義に似た制度が採られている。主人公は砂を掻きだす作業をしながら、さまざまな方法で抵抗を試みるのだが……。


■感想

読みすすめていくうちに、じめじめとしていながら、砂が体にまとわりつき肌の水分が失っていくような感覚に襲われる小説。
穴や、女性、脱出、砂が、それぞれのキーワードが何かのメタファーなのだろうかと考えて読んでしまう。
恐らく現代社会がどんどんと進歩すればするほどに、この小説がもつ特異性、陰湿製というのは輝きを増していくだろう。


賽の河原のような終わりのない作業を続けていくなかで、男の精神状態は「どうかしている」状況に陥っていく。
最後の結末は肩透かしを食らったように思ってしまうかもしれないが、それすら何がしかの哲学的な意味を持っているように思えるし、実は全ての答えを拒否しているようにも思える。



カイジ好きな人はおすすめ。