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ショートショート「三つの願い」

2010-03-18 21:02:54 | コラムだお(^ω^ )
ある男が錠剤が入った瓶を見つめながら、一日を反芻していた。
それは彼の日課となっていた。
その薬を手に入れたときには、瓶一杯に詰められていたが、もう十錠ほどしか残っていない。

100年近い昔、とある乞食がいた。
彼は幸せな家庭を築いていたが、偶然が重なり、家も財産も、家族さえも失ってしまった。
彼が持っていたものは、就職祝いとして父親から貰ったコートと、命だけであった。
世捨て人になることを決意した彼は、さまざまな土地を転々とした。

ある暖かい日、ゴミ捨て場から幾ばくかの食料を手にした彼は、道端にあった毛の塊の様な物を見た時も、犬の死骸か何か
だろうと思った。
しかし、近くを通り過ぎようとした瞬間に、毛むくじゃらのものが彼の足を掴んだ。
「た・・・・・・たすケテくださ」
男とも女とも区別できないような声で、その毛むくじゃらは彼に話しかけてきた。
「お、なかが・・・・・すいて、何、か、食べる物を・・・・・・。」
彼はとっさのことに驚いたのと、昔飼っていた犬を思い出し、その日の戦利品を毛むくじゃらに与えた。

腹が膨れ毛の艶が良くなった毛むくじゃらは、満足そうに彼にお礼を言った後に、自分がこの星の生物ではないこと、何かお礼をしたい
ということを彼に伝えた。
「三つ位なら、何でも願いを叶えられますよ。」
男は三つの願いを伝えた後に、毛むくじゃらと別れた。



「金をくれ!一生使っても使い切れない金だ!」
一つ目の願いで、彼は莫大な金を手に入れた。 
彼はそのお金の一部を使い、仕事を始めた。その仕事は軌道に乗り、彼はすぐに社会的な地位を手に入れ、毛むくじゃらから貰った
金額と並ぶほどの財をなした。

「俺を不老不死で、健康な体にしてくれ!」
毛むくじゃらは、「それって二つの願いじゃないですか?」と言っていたが、彼は何とかその願いを叶えさせた。
彼の体は、持病の喘息に悩まされることも、花粉症で困ることもなくなったばかりか、どんなにきつい肉体労働をした後でも
一時間程睡眠を取っただけで回復するような強靭な肉体を手に入れた。
彼は一日中働いた。そうすると、結果は自ずと着いてきた。

「どんな人間でも殺せる薬をくれ!」
彼は、ただ不死の体で永劫生きるということを望まずに、成功することで社会を見返そうと思っていた。
社会は、仕事の対価としての財産に対して、無二の評価を与える。彼はそれを欲するために、働いているのであり、そしてその道を
貫くためには、敵が現れることを知っている。
彼がその昔、野良犬と同様の存在となったのは、その敵に負けたからである。
だから、彼はその敵を殺すための、最大の武器を毛むくじゃらから手に入れた。

彼は商売の邪魔となったものを殺してきた。
そうすると、当然彼にも、殺意の手は忍び寄る。銃弾を放たれたことも、ナイフを持った暴漢に襲われたこともあった。
しかし、彼は不老不死である。毛むくじゃらは、彼の細胞の再生する速度を超人的にした。その速度が通常の人間よりも、何倍も、いや何百倍も
速いということは、銃弾が体を突き抜けた瞬間、刺さったナイフが肉体から抜かれた瞬間には、もう傷口は跡形もなく消えていることになる。


彼の会社は、鉛筆から軍事産業までに手を広げていたために、1000年に一度の世界的な不況などどこ吹く風であった。
しかし、不況が長くなるにつれて、大国Aと大国Bの関係性は悪化の一途を辿っていった。
大国Aが大国Bに対して、核ミサイルを撃ち込んだのも、当然だった。
そのミサイルを皮切りに、世界的な戦争が起こった。
一発目のミサイルが発射した三日後にはその星の人口は半分になり、五日後には殆どの人類が死滅した。

周りの人間がどんどんと飢餓や怪我で死んでいく中、彼だけは健康そのものだった。
食べ物を食べなくても空腹を感じなければ、放射能に体が汚染されたとしても、彼の細胞は瞬く間に再生を繰り返した。

彼はまた歩き始めた。
最初は人間を一日に数人は見ていたが、三日に一人、一ヶ月に一人という風に、人間を見かける機会は減っていった。
日付の感覚なんてとっくに失ってはいたが、もう数年は人を見ていない。
彼は自分が、この星に残っている唯一の人間だと悟った。


彼は絶望することなく、自分の命の幕を閉じることを決意した。
彼が持っている薬は、どんな人間でも殺せるものであり、彼にも効くはずだった。
瓶を開け、錠剤を取り出し、口にした。
その瞬間、彼は気づいた。


「あ、使用期限切れてる!」

お笑い芸人スタンド理論。

2010-03-06 19:45:02 | コラムだお(^ω^ )
ジョジョの奇妙な冒険でお馴染みのスタンドは、大まかに分ければ、近距離型と遠距離型に分けられる。
近距離型は、パワーは強いが本体から遠く離れられないという性質を持ち、遠距離型はパワーは弱いが本体から遠く離れたところでも能力を発揮できるという性質であるのだけれど、お笑い芸人を分類する時にもこれが当てはめることが出来るということが、図らずもツイッターによってほぼ確信を得た理論、それが「お笑い芸人スタンド理論」。


そのサンプルは、オリエンタルラジオ中田と、南海キャンディース山里の二人。
この二人は、ツイッターをやっていて、なおかつ他のユーザーのレスに対して、積極的に大喜利的な返事を返していく二人なのだけれど、あえて断言させてもらえれば、ツイッター上のやり取りに関しては、面白さで言えば、完全に中田のほうに軍配が上がっている。

もちろん、俺は山ちゃんが大好きである。中田も大好きだ。もう、あっちゃんって書きたいところを中田と書いているのが心苦しいくらい好きだ。
ただ、ことツイッターでのやり取りに関しては、中田のほうが面白い。
あくまで、個人的な判断なので、羅列するから判断してくれ!


■オリラジ中田編

Q:しまっちゃうおじさんにしまわれちゃったひとはどこに行くのですか?
だいたいNSC!!

Q:フォローしてくれる人が少ないです。 あっちゃん…フォローしてください。
プロフィールに書いてある「お笑い大好き!トータルテンボス、ゆったり感etc…」俺はetcか!鎖骨折るぞ!

Q:若林さんと話します?
俺をパイプとして見るのはやめろ!腹いせに今日は春日さんとアドレス交換をした!ざまあみろ!

Q:最近のあっちゃんには、オーラがないと思う。
俺にオーラがあった時期などない!以前あったように感じていたとしたら、貴様はマスコミに踊らされていた哀れなマリオネットだ!

Q:実家に出戻り、初日から妹にきしょいと言われました(/_;)実家は送り出す場所で出戻る場所ではないのでしょうか?
もちろんだ!実家は蝉にとって脱け殻だ!脱け殻に戻るセミ、どうだ!?気持ちが悪いだろ!とっとと空を飛べ!人生の夏は短い!

Q:慎吾くんにフォローしてもらったのであっちゃんもフォローしてください!!(土下座)
ナンジャタウンのチケットでディズニーランドにはいってくるな!!

他のものを見てみたいかたはこちら

http://twitter.com/picolkun


■南海キャンディース山里編

Q:山ちゃんは繊細ですか?ガラスの少年タイプですか?
プレパラートの中年です

Q:ゴルゴ13についてはどう思われますか?
携帯の待受とか着メロとか初期設定のままのタイプだと思います。

Q:めちゃくちゃケンカ強いらしいですけど一番の必殺技は何ですか?
告げ口です


Q:次男が山ちゃんのファンなんです。山寺宏一さんの。
トラップ!!

Q:飛べない豚は、ただの豚ですか?
ちがいます、飛べる豚が異常な豚なんです

他のものを楽しみたい方はこちら

http://twitter.com/YAMA414


さて二人のを五つずつ紹介したけど、どうだろうか。
あっちゃんは(あ、あっちゃんって言っちゃった)テレビよりもキレがあって、山ちゃんはテレビと比べるといまいちな気がするのは俺だけだろうか。

山ちゃんは、てんぱり具合、見た目、その場で出るという瞬発力(ツイッターでもそうなのだとしても、確認は出来ない)含めて、面白いのであることを確認した。
つまり直接見たほうが(ブラウン管越しだとしても可)面白いタイプ。
本人でなければならないという、近距離型スタンドなのである。


一方であっちゃんは、「鎖骨折る」「哀れなマリオネット」「抜け殻」と字面が面白いものを多用しているからこそ、活字にすると面白いのである。
文字になると面白い、極論を言えば本人がいなくても良いという、近距離型とは真逆の、遠距離型スタンドなのだ!

このように、芸人は近距離型、遠距離型に分けられる。
近距離型は、キャラを理解されているということが前提が必要で、山里のほかには、ブラマヨ小杉・吉田、土田、くりぃむ有田、FUJIWARA藤本等が当てはまると思う。

遠距離型は、あっちゃん、ふかわりょう、いつもここから、伊集院光、ケンドーコバヤシ、さまぁ~ず大竹とかではないか。

うっすらと感覚をつかんでもらえれば有難いが。
あと、もう二つのタイプ「理論派」「感覚派」に分かれるのだけれど、それはまた後日。

駄目落語について。

2008-10-30 21:25:25 | コラムだお(^ω^ )
 苦笑の多い生涯を送ってきました。自分が苦笑されたエピソードを書くのも良いのですけれどなにぶん多いもので、紙幅に収まりきらないだろうと。
 卒業生の意地で、無理矢理にでも、「日本文学」と「苦笑」という二つのキーワードを見ながら、長いこと唸っていたのですが、やっとこさ良いモノを思いつきました。日本の文化に関係して、なおかつ在学時代に没頭したものがありました。


 それは落語です。ジャパニーズトラディショナルワゲイのラクゴです。
 大学一年生の頃に、父親から「大学に入ったんだからこういうのも聴け」と、古今亭志ん生の落語CDを手渡されたのがきっかけでした。
今考えたら、「大学に入ったんだから」というのは、落語を薦める理由として成立していない様に思われます。
 もともと漫才等が好きだったので興味を持っていたのと、ラジオを聴くのが趣味だったので、落語は抵抗なく楽しめ、大学在学中に色々な噺を聞きました。個人的にはテレビで見るように、動いている姿も一緒に聞くよりも、音声のみで楽しむ方が好きです。
 そうなると自然に、特別愛着の湧いてくる噺も多くなってきます。


 僕が好きなのは、「饅頭こわい」や「死神」「明烏」の様にサゲがスコンと決る噺でも、「芝浜」や「火焔太鼓」等の人情噺でも、現代でいうシュールな笑いの「粗忽長屋」や「あたま山」でもありません。


 「目黒の秋刀魚」「へっつい幽霊」「強情灸」「はてなの茶碗」「たらちね」等々。このタイプの落語が好きなのです。
 共通点は無さそうに思われるかもしれないけれど、これらは総じて登場人物がどうしようもなく「駄目」なのです。身近にいたら、苦笑してしまう。もしかしたら腹が立ってしょうがないかもしれない。それでも落語の登場人物が愛されるのは、ただ単に「駄目」なだけじゃなく、一所懸命に生きていてなお「駄目」なのです。
 「目黒の秋刀魚」のサゲ「秋刀魚はやっぱり、目黒に限る」という言葉だけで、殿様の世間の知らなさ、町民との生活の乖離というのを表し、認め、肯定している。そうすると、殿様が可愛く思えてくる。


 「強情灸」は、「江戸っ子二人が、お灸の熱さに耐える」という、ただそれだけの噺。勝ったところで何も貰えないのに。ただただ、自分が我慢強いってことを証明したいだけなのだろう。良い大人なのにやってることは、寝てない自慢をする中学二年生と変わらないメンタリティ。
 江戸っ子の我慢強さを表すのに、こんな小噺があります。
 「ある江戸っ子が、死ぬ間際に『最後に食べたいものはあるか。』って聞かれたんだと。そしたら、やっこさん『一回位は、汁をびちゃびちゃ浸けてそばを食べたかったなあ』ってさ。」
 えー、説明をしますと、江戸の蕎麦を食べる時、汁を少量しかつけなかったそうです。「好きな様に食えば良いじゃねーか」って田舎者が言ってもそういう訳にはいかないのが、江戸っ子なのです。粋じゃないねえ、その一言でつっぱねられてしまいます。


 「はてなの茶碗」「たらちね」の主人公二人とも真面目に生きている。自分が「駄目」だということに気づいてすらいない。いわゆる天然というやつ。その分、破壊力は増してしまうから面白い。ピエロというのは、自分が他のサーカスの芸人と同じように芸が出来ると思いこんでいるんだけど、失敗する。だからこそ、そこで笑いが起きる訳です。これがもし、どうせ自分には出来ないやなんて決めつけて挑戦するピエロは、誰からも愛されない。


 「へっつい幽霊」は、へっつい(かまど)に大金を隠したまま、死んでしまった男が、その大金惜しさに、現在の持ち主のところに化けて出てくるという噺。幽霊から事情を聞いた現在の持ち主も、もうこれは俺のもんだと言って返す気配はない。この幽霊、生前無類の博打好きだったものだから、その大金を賭けて博打を打とうと言い出す。 


 僕が好きな部分は、ここ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」じゃなく、「馬鹿は死んでも治らない」という人間の本質が見え隠れしている。是非にこの男は、賭場でイカサマがばれた結果、ヤクザにぼっこぼこにされて、す巻きにして東京湾に放り投げられて死んでいてほしい。そんな痛い目を見ても尚且つ賭博を打とうという発想が出てくるなら、本物だと思う。本物の駄目人間ということだけど。

 誰だって「目黒の秋刀魚」の殿様みたいに付け焼刃の知識を自慢してしまうことはあるし、江戸っ子の様に変な所で意地を張ったりする。今日は食べ過ぎたから、明日からは節制しないとなあなんて思っていても、寝て起きたら、昨日の決意はどこ吹く風だったりする。体重計乗って後悔なんかしちゃったりして。
 そう考えると、「ドラえもん」の野比のび太って、理想的な駄目人間なんですよね。出しゃばったり、意地をはったりするくせに、何回も失敗したりする。それでいて全く懲りない。それでも、たまに真面目に物事に取り組んだり、前に進もうとする。
 何でも藤子・F・不二雄先生は幼少の頃、落語全集を愛読していたらしいですからね。納得です。
 人間の性質って、滑稽で愚かで、駄目じゃないですか。でもそれをそっと肯定してくれる様な、生来の隠しきれない駄目さが愛おしくなる様な落語が大好きなのです。
 
  

オリラジ中田は評価されはじめ、キンコン西野は相変わらず嫌われている理由。

2008-08-22 01:31:40 | コラムだお(^ω^ )
オリラジが漫才のDVDを出したようで、その告知か何かをしていたという記事を見た。そのDVDもTUTAYAで見つけたので借りようとは思うが。
とりあえず、2ちゃんねるでその記事の書き込みを見てみると、ちょっと昔からは考えられないくらいの擁護、好意的なレスが多かった。
相変わらず、キングコング西野に関してのスレがたつと、罵倒や嘲笑としか言い表せないようなレスで埋もれる。
当初は大差がなかったこの二人に、こんな差がついたのは何故か。

単純に、ネタの良し悪しで考えることは置いておく。
それは個人的な嗜好になってくるからね。漫才の構造的なものとしては、m-1の時にできるなら比較したいとは思うが。


言ってもまだまだオリラジもキングコングも、ネタは相変わらず年末年始位にしか見ることができないから、この評価の上昇に関しての理由ということにはならないだろうしね。好きになって、youtubeで調べて、より好きになるってことはあるにしても。


じゃあ、オリラジ、特にあっちゃんが好かれるようになったのは、人柄の一言に尽きる。アイドル芸人から脱却を図ろうとしている本人からは、不本意ではあるかもしれないけれども。

人柄って言っても、良い人だからとかじゃなく、(2ちゃんねらーから見て)こっち側の人間だということが露呈してしまったことがあるだろうね。つまり、それは「アイドル芸人」として売りだそうとしている会社側の意向とは違う、マニアックで、学生時代ぱっとしなかったんだけれど、今芸人やっているということが好意的に映ったということか。

まず最初は、中田が書く絵のグロさから始まり、学生時代の狂ってるっぷりを表わすエピソード、そして、始まったオールナイトが「意外に面白い」に続いて、そして極めつけは、雨トーークや、めちゃイケ、すべらない話等の所謂ゲストとして呼ばれた番組で、意外に良い仕事をしたって事が、しだいに広まり、期待されるようになり、いつしか「意外に」という枕言葉がなくなっていったんだろう。
個人的には、ラジオではまった。

一方、キングコング西野は、ブログで大言壮語を吐きつつも、あっちゃんよりも結果を届け切れていない、しかも、アイドルとセックスすることしか考えていない感じは、まさしく2ちゃんねらーとはベクトルが真逆。嫌われるのは必然ということになる。

個人的に一番癪に障る点は、二年ほどm-1にすら参加していないくせに、今「芸人の中で一番、m-1に命をかけている」かのような振る舞いだね。
僕は、こういう「自分頑張っていますよ」ってのをアピールするくず野郎が大嫌いなんでね。



「オリラジ中田は評価されはじめ、キンコン西野は相変わらず嫌われている理由」として思いつく点はこんなもんかしらん。





そういえば、オリラジの漫才ライブを見てきたこと書いてなかったな・・・・・・・。
一本テレビサイズより長めの、漫才を数本やるというスタイルでした。
多分、m-1に向けてのネタの練磨という意味合いも持っているんだと思う。
ネタ自体は、若手にありがちな「銀行強盗」だとか、「学校時代の遊び」のようなスタンダードなネタだったのだけれど、学生時代友達がいなかった中田らしくボケやネタの流れ自体は、ちゃんと発想で勝負している感じがすごく好感を持てました。
今年は厳しいかもしれないが、三年以内にはm-1の決勝の舞台に立つかもしれない。頭の回転の速さは、若手の中でもトップなのだろうから、漫才の上達のスピードも速いだろうと期待する、
まあ、m-1が全てじゃないっちゃ全てじゃないんだけれども、今は邁進してほしい。

個人的には、オリラジと爆笑問題が何処とはなしに、だぶるようになってきた。
爆笑田中が、アイドル好きで、学生を謳歌していたように、藤森がそういう風に大学生ノリを突っ切ってくれたら、良い漫才になりそうな気がする。



「マブ論」論

2008-07-12 04:04:35 | コラムだお(^ω^ )
ライムスター宇多丸(入院している方ではない)が描いた「マブ論」というアイドルソングを批評した本を、今さっき読了しました。(つっても、この記事に一時間半かかったから、今さっきでもないんだけどね)
 2000年から「BUBKA」で始まったっていったら、ピンとくるように、この連載のタイトルは、つんくの「LOVE論」から引用してるんだよね。この今、阿部内閣の閣僚のどたばたをネタにする位、ピンとこねえわ!感は御愛敬。
 じゃあ、何で今更八年間しこしこと書きためてきた原稿が、日の目を浴びるようになったのかというと、最近のPerfumeのブレイクのお陰としか言えないわけです。とはいえ、初期の初期から、Perfumeの新譜に高評価を上げてきた、宇多丸の努力が報われたってもんです。

 勿論、それだけで読み応えがあるってわけじゃなくて、ハロープロジェクトの斜陽が、生き証人的に書かれているところがメインといっても過言じゃないくらいに、面白かった。
 劇薬的に登場したモーニング娘。を始めとして、その横で志半ばに倒れていったアイドル達を、愛をもって批評するスタンスは嫌いじゃない。特に、松浦亜弥の成功と、対照的な後藤真希の迷走に関しての説明は納得できるほど、納得した。


 そもそも、玄人筋には早くから注目されてたPerfumeは、「アイドル冬の時代、最後の希望」だとか言われていながら、「ブレイクしたのは奇跡」だと言われていたのがあまり掴みづらかったのだけれど、理解できた。簡単にいうと、商業的側面から、アイドルは特に、コンセプトをぶらさずに作品を送り出すことは困難だそうです。それはアイドルに見られる、よく言えばジャンルレス、悪く言えば売れ線への迎合。んで、必ずしも、それがセールスに繋がらないという悪循環、後に空中分解。
 だけれども、Perfumeの場合はそのコンセプトをぶらさずに音楽的成功を納めて尚且つ商業的成功も納めちゃった事が、奇跡!ってな事です。

 だけれど、今後は、フォロワーにすらならない劣化コピーを含め、モーニング娘。がアイドルひいてはJ-POPのターニングポイントとしての役割を果たした様に、どうPerfumeが牽引していくかは、今後も見守る価値はある!はずだと思う。
 冷静に考えても、世紀末とはいえ、あの「LOVEマシーン現象」は異常だったんじゃなかろうか。さしずめ、鎌倉時代に末法思想が流行って、踊り念仏が民衆に広まった様な異様さ。


 そもそも、Perfumeが認知されるようになったきっかけはACのポリリズムのCMなんだけど、その起用された理由が、木村カエラがラジオでファンと公言、毎週音楽をかけるというパワープッシュだそうです。
 あまり言われてないような気もするんだけれど、これって木村カエラが、椎名林檎的な、「生き方」の羅針盤としての役割を持っているという意味でのアイドルって事の証明にもなってるんだけどね。
 木村カエラの活動は、かつて吉本ばななを、一夜にしてベストセラーにさせた小泉今日子ともリンクしないでもない。音楽制作陣にマニアックな人選をする所とか。


 僕もPefumeは好きなんだけれど、(卒論書いている時に、ヘビーローテーションだったんだよなぁ。それを当時アピールしてれば・・・・・・。)これほどまでに、正統派アイドルでかつ、音楽の質も高い、何より、アイドルに必須な、「何か分からないけど、グッとくる感」を持っているのって、凄くないか?と思う。顔面だけ見たら、初代プッチモニから、後藤真希を抜いて、保田圭を1.5人投入したレベルじゃないすか。(誰が誰かに当てはまるのかを詳細に語らない点で、限りなく俺の優しさ、そして、ちょこっとのLOVEを感じさせる表現)
 
 宇多丸も言っているのだけれど、「モーニング娘。は、オーディションに落選した女の子が集められた」という点をスタート地点とする「物語」と並行して活動する事が母体となって活動を始めた。

これはある意味で、「アイドルになる女の子は挫折を知らない」という前提の、ど裏をいく方法なのだけれど(これが前述した劇薬の意味)、その「物語」を発表する場(ASAYAN)がなくなったことを引き金に、一気に足元が崩れ去る。それと比べて、Pefumeには最初からその「物語」がない。
 広島でのB級どころかC級アイドルとしての泥臭いことをまったく排除しているところが魅力の一つなんだと思う。それを狙っているのか、天然なのか分からないけど。

 その上、歌詞の世界感の様に、手塚治虫的レトロフューチャーから飛び出してきた様なアンドロイドのような感じがするのが、藤子Fイズムを受け継いでる僕としては限りなくツボナノデス。
 特に、のっちなんて、まんま「火の鳥~未来編~」から出てきた様な気がするじゃん!!
 アイドルには必要不可欠な、処女性を強く感じる。アンドロイドにはそういうことは排除されてるからね。
 アイドルから、処女性が喪失したのは、「物語」と並行して活動していたモーニング娘。が、限りなくリアルに近い存在としての身体を手に入れるのと同時に、グラビアイドルがバラエティで、ぶっちゃけトークをすることによって、その幻想を打ち壊したからだと思う。

 で、その処女性を持っていると生まれるパラドクスが存在する。それが、「だったら、俺と恋愛できないじゃねーか!」って問題が生じるのだけれど、これに対する答えが、童貞特有の御都合主義が生み出した「じゃー、俺が初めての彼氏(に限りなく近い存在)になれば良いじゃん!」ってことなんだよね。

 (に限りなく近い存在)ってのがポイントで、彼氏彼女の間柄に見えなくもないんだけれど、実際は断言できないという、寸止めプレイが重要!特にアルバム「GAME」で顕著なのが、限りなく主語を排除してること。「キミ」「僕」「二人」だけで成り立たせてることで、自己とアイドルを投影させて、擬似的なカップルを作りやすくさせてるってことにある。

 話はずれるけど、Perfumeの詞は、分かりやすい言葉ってのが特徴の一つだ。それは総プロデュースしている、中田ヤスタカの卓越した言語感覚だからこそ許される、言葉の肉抜きであって、才能がない人間がやったら、それこそ小学六年生の文集に載ってる詩になってしまう。
 まぁ、これはTHE BLUE HEARTS以降の一部のパンクロックにも言えるんだけどね。あれはヒロト、マーシーのような最高の言語感覚があってこそ成り立ってんだよ!!ぼけ!!!
 だから、僕みたいな凡才はつらつらと「長文乙!」ってなもんですよ。てへ☆
 もはやここで、殺人予告をしたとしても通報されないんじゃないだろうか・・・・・・。



 とにもかくにも、「アイドルの王権復古」の鍵を握ってるといっても過言ではない!と言い切りたい!
 今後の課題、としては、ジャニーズ等の男のアイドルを考えても楽しそうだ。