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漫画は商品でしかない

2008-04-13 18:37:01 | コラムだお(^ω^ )
 とある雑誌が創刊されるので、それに密着したドキュメントを昨日見ました。
そこで、その雑誌の創刊号でデビューするという漫画家の卵の紹介があった。
とりあえず、ボツや書き直し、編集のてこ入れなんてキナ臭い言葉は知っていたものの、漫画家の視点からのそれでしかないイメージを、編集という立場から見ることで少なからず考えさせられた。

1995年をピークに漫画雑誌というのが減少していったグラフを見せられたわけなんだけれど、やっぱり一概にネットのせいではない。作り手、送り手だけじゃなくて、受け手もヒット漫画の骨組みを何となく見抜くようになってしまい白けてった時代なんじゃないだろうか。今流行の言葉で言うと、ホワイトキックである。
江川達也じゃないけれど、ジャンプが「勝利、友情、努力」という方程式を見つけた時に少年漫画は熱量を失ったんじゃないだろうか。
 ジャンプというメインカルチャー(あくまで少年達の仲で)が軸をしっかり作りすぎたことで、サブカルチャーに流れ込む人間が増えたんじゃないのだろうか。
 まあ、メインだサブだっていつも言っているけど、便宜上でしかないよ。例えば、「坂の上の雲」が発売当初は大衆小説だったのに対して、今は教養の部類に入るし。女子がジャンプを読むことは、サブカルの部類に入っていたけれど、今はそうでもない。男子が少女マンガ好きなのは、相変わらずサブカル臭い。そこら辺が曖昧になってしまうけど。


 95年というと、皮肉にも、といえばカッコ付けになるけれど、俺が漫画にハマった年が小学校五年とかそこら辺なんだよねー。
閑話休題。
 漫画雑誌が黄金期のジャンプのように600万部売れてれば、実験をする余裕が出来るんだろうね。つの丸やら、漫画太郎やら、苅部誠(地獄戦士魔王の作者ね・・・未だに読めるギャグ漫画なんだけれどね・・・)やら、なにわ小吉やら、うすた京介やら、味のあるギャグ漫画がジャンプで読めるってのは凄いことだった・・・と思う。最後にギャグ漫画で冒険したのは、純情パインの尾玉なみえか?
スピリッツやヤングジャンプ等の成年誌で、中川いさみや和田ラジヲが連載しているのとは根本的に意味合いが違うのでR。


 ただ、雑誌が売れなくなってきちゃうと、余裕がなくなっちゃうもんだから、方程式に当てはまったお利口な漫画で手一杯になるんだろう。まあ、そゆ意味では今の冨樫先生の不良っぷりは予定調和を破壊する感じで好きです。まあ、色々な漫画家から批判されているみたいだけれど。
で、その新人の原稿にてこ入れしたり、相談したりするって様が映っていたのだけれど、編集がどこまでその原稿に介在していいのかってことになっちゃうんだよね。蚊帳の外で理想論を騒ぐ不表現者としてはね。


 新人漫画家の漫画のヒロインの可愛さが「RPGでいうと五番目の村で仲間になるタイプ。いるんだけれど使わない」(これはそのドキュメントで使われていた比喩)ってレベルだから、もうちょっと可愛い子にしてきてっていうのは、的確なアドバイスなんだろうけれど、悪く言えば、方程式にのせる感じになって、面白くないんじゃないのかなーと穿った見方をしてしまう。少年誌というより、対象年齢がコロコロとかより若干上っぽかったから、冒険しすぎてもアレなんだろうけど。
 涼宮ハルヒや碇シンジだって、既存のキャラにあてはまらないからこそ、ヒットの要因となりえたんだろうし。ましてや創刊号なら、そゆことを無視していいんじゃないかなとは思う。
例えば、同人誌やweb漫画で発表した作品があるとする。それに商業が入ってきたら必ずしも良くなるって訳じゃないし、駄目になるって訳でもない。
編集者の仕事ってのは、原石の泥を落とす仕事であって、原石の加工の最終工程までは入るべきじゃないってのが理想だろう。最終工程までやってしまうと、小粒の宝石にしかならなくなってしまう。十把一絡げにまとめられて通販で売られるのがオチなのだ。自分で加工していくってのも、才能の一つだ。


 鳥山明が鳥島さん(良い子の皆にはDr.マシリトと言った方が分かるはずだよね)に発掘されたのは、絵は下手だったんだけれど、原稿の擬音がアルファベットだったからという理由らしい。
 それから泥を落とされて今の鳥山あ・・・今のじゃ駄目だな・・・ドラゴンボールのピッコロ大魔王編(初代)になっていったんだから。
でも、方程式を与えられて尚且つ、そこでオリジナリティを出すってのも才能なんだから、どうしようもない。

 好きなように漫画を書くにはデビューして、言い方悪いけれど編集の傀儡となって何作かを終えるって事が必要なんだろう。好き勝手やるには実績と評価が必要なんだ。よく言えば、編集者という、同じ団地に住むお兄ちゃんからオナニーの仕方を教わったほうが良いに決まってる。大抵、一人っ子ってのは変なオナニーの仕方がまともだと思い込んでて、修学旅行以降で変なあだ名が決まってしまう。そういえば、シャワニーと呼ばれていた彼は元気だろうか。
 そう考えると、「オナニーのし過ぎは馬鹿になるぞ。」という言葉は奥深く、含蓄がある。

 
 ミュージシャンのアルバムが1st以降、持っている熱量が消えてしまうのは、漫画を作る過程と逆だからかもしれない。主観だけれど漫画家は、ミュージシャンと比べて、デビュー作が最高傑作と評価されるのは、少ないんじゃないかな。

 男のオナニー映像なんて買う人なんてごくわずかだろうけれども、それを商業が「男より女の子にさせようか」という一言言うだけで、また女のオナニー映像なんて別のものが出来上がる。そこで、悪い編集ってのは、その為のアダルトグッズを用意するようなことだろう。良い編集ってのは、何も用意しないだろうし、才能ある作者は既存のアダルトグッズを上回るものを持ってくる。そういうものだろ。



 書きたいことがまとまらなくなっているけれど、一つだけ言えることがある。
この漫画雑誌に関わっている人が、「小中学生はオリジナルに敏感」だと。
ただ、この雑誌のメインが真島ヒロなのである。
矛盾という言葉の起源になりかねないよね



※この真島ヒロて漫画家はオリジナリティどころかワンピースに似てるでおなじみ。
しかも、デビュー作より、二作目の方がワンピースに似ているというのが恐ろしいところである。

縮小するメディア、拡大するメディア

2008-02-24 05:46:08 | コラムだお(^ω^ )
今月号のクイックジャパンという雑誌(爆笑問題が表紙)が、濃密に「お笑い」を特集していてて、とても面白かった。

爆笑問題が20周年ということで、順風満帆のデビューから、紆余曲折を経て、漫才のDVDを半年に一枚出すという「今」に辿りつくまでを、特集していました。
それは太田光の「我々は一生漫才師でありたい」という言葉の重みを感じさせるもので、ファンならずとも楽しめるものだと思いますよ。

今までは「舞台に立たない芸人はクソだ」と少なからず思っていたのだけれど、そうじゃなくて、「帰る場所が無い芸人は消費される一途を辿る」ってのが妥当だろうなーなんて思います。例えば、落語家をやめた伊集院光にはラジオというホームがあるし、ダウンタウン松本は、あえて「テレビの延長としての、映画」を模索し始めているってな具合です。

よく「最近のテレビは、規制が多くなってつまらない」なんて出る側、作る側の声を聞くけれど、だったら、規制を逆手に取るような企画をやるとか、金回りは良くないかも知れないけれど、ネットで放送するとかを自分達からアクションを起こせよって気持ちも無くはないんだよね。


だから、テレビに留まり続けて現状を憂うよりも、本当に万策が尽きたのかを自分の胸に問いただして欲しいとは思う。流れない水は腐るんだからね。



鳥居みゆきという芸人が、ネット放送の未来への鍵になりえるんじゃないかなーなんて思っていたいリします。彼女は、インターネット放送のgyaoで流したものが、youtubeやニコニコ動画に流れてリピートされることによって火がついたわけだからね。

たとえば、そのコンテンツにCMをつけて流すなら、企業イメージってのは上がりこそすれ、下がることはないと思います。テレビコマーシャルが、女性向けのものが大半を占めていることを考えると、インターネットで流すコマーシャルは男が好む商品をメインにやれば良いと思うんですよ。ネットでわざわざお笑いを見るのは、男のほうが圧倒的に多いと思うし。んで、CMをカットして流すような輩には厳しく罰することもしたら良いんだよ。



あ、鳥居ついでに言うと、彼女の営業妨害になるようなことを言うと、とても常識人だと思うよ。「今日は、この舞台をケーブルテレビで放送するということなので、テレビでは出来ないネタをやります」と前置きした後に、連語赤軍、浅間山荘、重信房子ネタを繰り広げたりしますからねw
そのチョイスは常識がないと出来ないと思いますよ。


多分だけれど、鳥居みゆきに影響されてか、彼女が常識人だということを見抜けないで、フォロワーにすらならない、ただ危険なことを並べて、俺はアングラでおもしろいことやってるぜみたいな奴が出てくると思いますよ。正統派な芸が評価を受けないような土壌だと思うので、今のお笑いブームは。10年後、俯瞰したらどう見えるか楽しみでもあるね。


模倣犯が最も頭の悪い犯罪だってのは、誰の言葉だっけか。



教養と高校生

2007-08-16 04:19:23 | コラムだお(^ω^ )
 会う人、会う人に「太った?」と言われるのですが、正確に言うならば、「太った」のではなく、中学時代に「戻った」なのです。高校時代20kg痩せたというのが、意味が分かりません。元気な赤子6人です。
 ポストが満杯になっちゃうよ!!!で御馴染みの、平良です。

 内面が変わったのかと聞かれると、至極難しい質問だね。
 こないだ、N君のボケの一つ一つ嬉々として、ツッコミを入れていたら、「お前、変わってないな」と言われましたよ。

 最近とみに思うのだけれど、「感受性」が無くなってきている。大体、20歳を迎えたあたりから、心が揺さぶられるという感覚が少なくなってきた。死ぬほど好きだといえる作品に会えなくなって久しい様な。

 「感受性」を失って何を得たのかというと、「知識」だ。大した量の知識ではないにしろ、得た知識を体系的にまとめて思考する能力が20歳以降から着いてきて、自らの肉となっている。例えば、戦争に関しても、ある種、青臭い感情論で考えてきた部分は少なからずある。大学三年と四年という時期は、それを知識で軌道修正してきた2年間だと思う。

 そういうことを考えると、多分今後は、感受性だけでなく知識の吸収率まで減少していく。だとしたら、それは恐ろしく勿体無いことのように思える。

 もう少し、活字に、知識に、自分に向かいあえる時間が欲しい。まぁ、就職活動をしない理由、というか言い訳。



 今、ど深夜(02:55~)から爆笑問題の「日本の教養」という番組の再放送をしていますよ。
 ちょうど、寝る間際なんで見ているのですが、この「教養」ってのが、クセモノなんだよね。

 今までの爆笑問題がネタとしてきたものというのは、時事ネタなんだけど、それは生ものだから、しばらくすると使えないネタになってしまう。でも、この番組でネタにしているのは、「教養」。ある種タイムリーな物事でありながらも、タイムレスな面も含有している。

 「教養」というのは、人生においてさほど利便性の高いものとは言えないだろう。俺も定義を明確には出来ない。

 それこそ「感受性」のアンテナがビンビンだった頃に、この番組があったのならば、俺は理系に行っていた可能性も十分にある。ネットもつないでいなかったので、興味があるのが、活字だけという狭まった環境だった。


 その狭まった世界で、高校生の俺の「教養」は育たなかった。だからこそ、文学部という選択肢(まぁ、一応「宗教」「哲学」もあったのだけれど)しか無かった。

 もっと高校生は、生活の役に立たない「教養」に向かう必要があるのだと思う。
 

落語と現在喜劇における考察

2007-01-24 00:51:07 | コラムだお(^ω^ )
 最近は、レポートを仕上げるために文献を読んですぐに寝るために、頭が働いてるとなかなか寝付けないんですね。だからDSやったりラジオ聞いてるのですが、昨日は落語を聞きました。
 
 落語というのは、「一生の趣味」と言われる類の一つです。クドカンのドラマで一時火がついたブームも一息ついたかなという感じですが、大分窓口は広がった思いがします。そこまで根付かなかった理由として挙げられるのは、垂れ流しのメディアに慣れすぎているからでしょうね。落語というのは、話をがっつり集中して聞かないといけないので。

 僕は、落語は「受け手の想像力が介在出来る余地」がある芸だと思います。
 噺家が骨格を渡し、それに受け手が想像力で肉付けをする。
 だから、受け手にも相応の力量を要します。

 その肉というのは分かりやすい所で言うと、(この場合、古典落語に限り)江戸時代の風俗、言葉遣いに関する知識です。それが欠如してしまったなら、貧弱な江戸時代や登場人物になってしまうわけです。

 だからこそ、知識が高まるたびに、同じ話でも、毎回違った風に感じることが出来るのです。だからこそ何度聞いても、何年たっても色あせない。

 想像力の介在をキーワードにしました。それは三島由紀夫が不道徳教育講座で書いていた「人は謎が多いものに惹かれる」という言葉に通じるもので、想像力の介在は全ての作品のテーマになるわけなのだけれども、今回はお笑いに限って述べたいと思います。

 え!?今まで、枕!!??

 ってな感じだけれど、着いてきてください。多分尻すぼんじゃうんで。
 
 さて、現在の落語を受け継いでいるジャンルとして、漫才とコントがあるわけですが、今回は落語、漫才という聞かせる芸とは少し種を異にした、見せる芸のコントを考えて見ましょうか。

 
 漫才といえば何処かといわれれば、殆どの人が関西と答えるだろうけど、落語といえば、関東。もっと言えば、東京になります。
 恐らく、好きなコント師ランキングを作らせたなら、大阪以外が多くランク入りしてくるでしょう。それこそ関東勢が多く入るでしょう。

 この共通点は何なのでしょうか。

 基本的に関西のお笑いは薄味である。

 大阪のお笑いというのは、コテコテと言われる様に味が濃い。
 それは登場人物のデフォルメの度合いだと思います。
 関西のほうがデフォルメを強くして、関東はその逆。

 関西の若手のコントに出てくるボケは大抵、とてもズレている人が出てくるのに対して、それ以外は、ほんの少しズレている人がボケ役になる。
 つまり関西のほうが非日常的であり、関東のほうが日常にあるズレが軸となっている。それから派生した、あるあるネタは日常に即したものであり、その元祖と言われるふかわりょう、つぶやきシローは共に関東出身(神奈川、茨城)である。

 それは日常のことをネタにする落語から派生したものと考えても不自然ではないと思います。かと思えば、「あたまやま」や「粗忽長屋」のようなシュールレアリズムなものもあるから落語は奥深いんだけれど。

 
 落語とコントのプロットにおける共通する部分を書いたので、次は演じ方の話。

 落は、言葉から肉をそげ落とすだけでなく、演じ方からも余計なものをそげ落としている。そば、キセル、戸を叩く音etc・・・それらを扇子一つで行う。
 舞台は、座布団一枚大。

 それなのに、世界は無限に広がる。これはそぎ落としてそぎ落としぬいたからこそ、受け手が世界を広げることが出来るわけである。

 コント番組は、会社なら会社、交番なら交番のセットが用意されている。制服やら、メイクもする。これでは、発する側にウェイトが全部のしかかって、こちらとしてはそれをまるっと受け取るしかない。つまり、想像することが出来ないわけである。演者も、想像させることに力を注がなくなる。


 それに徹しているのがラーメンズで、彼らの舞台は、そぎ落とされている。無駄なものがない。美大出らしく、時たま自作の小道具を使うのだけれど、それも素晴らしく想像力を書きたてる出来である。バナナマンも、ラーメンズほどではないにしろ、舞台に無駄なものがないです。

 江戸っ子の、付け足すなんて野暮ったいことなんてやってられっかという気持ちがひしひしとつたわる。

 

 色々と思いついたんだけれど、今日はこれくらいにしよう。
 俺なんかがこねくり回したところで、それこそ野暮ったいってもんだ。

 お後がよろしいようで。




 ランキングです

 http://blog.pr.arena.ne.jp/cgi-bin/in.cgi?gennnari
 

食とメディア

2007-01-22 02:07:04 | コラムだお(^ω^ )
 よく「麻雀は人生の縮図だ」なんて言われる。それほど奥深いゲームということらしい。残念ながら僕は全くといって出来ない。中学の時の友達の殆どが出来ていたにも関らず、覚えなかった。覚えようとしたにはしたのだけど、頓挫したのだ。

 それはそうと今回の「あるある騒動」は日本に於けるメディアの悪しき部分の縮図といって良いかも知れない。

 テレビで納豆がダイエットに効果があるといって、それを流す。翌日には今まで、納豆に見向きもしなかった人間が買い占める。実際、嫌いだったのに無理して食べたという声もあったとか。
 そしてそれがデータの捏造によるものだったという素晴らしいオチ。

 受け取る側も発信する側も、愚の骨頂としかいえないものだった。こんなものは喜劇にもならない。

 本当に迷惑していたのは、普段から納豆を食べていた人である。


 こうなったら、公共広告機構に、伊集院光が納豆をもりもり食べているCMを作ってもらうしかない。少しは、「考えて受け取る」という行動が身につくんではないだろうか。



 時事ネタについて、もう一つ。


 不二家騒動は、にちゃんのまとめサイトで知ったんだけれど、書き込みの内容としては比較的擁護する内容が多かった。
 日数の問題ではないにしろ、俺の中でお菓子は少し傷んだもので製造するという認識だったので、そう憤慨はしなかったので、擁護とまではいかないまで、メディアは少し叩きすぎの印象を受けた。ベテランが賞味期限切れの材料を使うことにOKを出したことに対しても、「悪しき職人気質」とまで言っていた。

 情報を探しているうちに、ミスタードーナッツの対応は立派だったという記事を見付けて、それを見ると、ドーナッツの中に小石が含まれていたということが合ったようで。

 この事故については恐らくだけれど、不二家よりは報道されていないんだろう。
 それを引き合いに出して、立派もへったくれもあったもんじゃないんだけれど、興味深い書き込みを見つけた。

 概要は、不二家はCMをあまり流さないから叩きやすいんだろうみたいなものである。たしかに、スポンサーとしての役割が大きければ、叩けば叩くほど後々尾を引く事はあるかもしれない。

 やっぱり、政治ですかという感じの印象を受けた。この一連の流れからはね。
 こうなると、ミスドを擁護した記事を書いた所は太鼓もちとしか思えない。


 と最近まで、頭の中で記事を繰っていたら、何か製品の中に虫の卵が入っていたことが隠蔽されていたという記事を見て擁護側に立つのもなぁって思っていたんだけれど、記事にしました。


 でも国内の製品回収はまだ許せるとしても、台湾とどっかに輸入したものを戻すのはやりすぎな気がする。いや、別に外国に駄目なものを送れとか言うのではなくてね。


 それにしても、こういうことに目くじらを立てている人は、きっと防腐剤や農薬でずぶずぶな食材は気にしていなさそうだ。食べ物を無駄にするなだとか講義もしそうだ。