べんきょう、したくない
勉強(べんきょう)したいタイミングは、人(ひと)それぞれである、
学(まな)ぶは環境(かんきょう)に左右(さゆう)される、
苦境(くきょう)にたち這(は)い上(あ)がるために学(まな)ぶ、
無理(むり)やり学びその喜(よろこ)びを知(し)る、
親(おや)や人に褒(ほ)めてもらう環境(かんきょう)で学び喜びを知る、
親や人の近(ちか)くで学びを見(み)られているような喜びを知る、
漫画(まんが)や読(よ)んではいけない本(ほん)により学びの喜びを知る、
好(す)きな事(こと)に出会(であ)い好きなことから学ぶ喜びを知る、
自分(じぶん)に関心(かんしん)もたれる喜びを知る機会(きかい)は自身(じしん)で求(もと)める。
トルストイ曰(いわ)く「農民(のうみん)に教育(きょういく)を施(ほどこ)そうとおもったが農民が受(う)け入(い)れなかった」
大学中退(だいがくちきゅうたい)したトルストイが生活向上(せいかつこうじょう)の爲(た)に農民(のうみん)に教育しようと教育を施したが3日(か)の勉強が何年(なんねん)もかかり農民に学ぶ気構(きがま)えも無(な)かったとしている。
牛(うし)にムチをあてて水呑場(みずのびば)まで連(つ)れて行くより牛の咽喉(いんこう:のど)の渇(かわ)きを待(ま)てば、自(みずか:じぶんで)ら水を飲(の)む場(ば)に行く。
解釈(かいしゃく)
無理(むり)やり勉強しろとムチを当(あ)てても、勉強はやらないが、勉強の楽しさを知れば、自分自身で勉強する。
一龍一猪(いちりょういっちょ)幼(おさな)い時(とき)は、かわらないが学問(がくもん)することで、怠(なま)けて学ばない者(もの)との大(おお)きな差(さ)が出(で)てくる。
私の生き方考え方「語録」http://blog.goo.ne.jp/genkideluzo/e/dd326ab491d1945597a540ae2dedd619
影山 元気
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