いい伝えのイメージでは、ことに関西では 豊臣秀吉は、理想的、英雄的な存在でした。
庶民を知る男として、成し遂げた功績は実に大きい。
昔々、つまり本来の人間は(特に男児の?)出生率は低かったけれど、あとは飢饉で亡くなるようなことでもなければ、とくに亡くなるようなこともなく生きていたのです。人生は誰もがピンピンコロリだったんですね。うらやましい。これぞ史実です。 とくに昔でいうアジアでは、長生きすることを皆が尊び実生活で喜びました。
どんなに天才でも、正しい環境やお膳立てが無ければ、ものごと判断できるまでにならないし、経験の積み重ねでしかわからない物事を語るわけにはいきません。たとえ細々とでも、そういう継承や助言を大事にできた民族が、長く安定して生きてきた実績がありました。
さて、豊臣秀吉・・・
庶民から実政最高位の関白、太政大臣にまでなってからは、農民出身も 立場逆の規制を受けたことは 想像にかたくありませんが、 計画的な秀吉のこと それだけにより連絡ツールの重要性を最後まで理解していたはずです。
死因は病死ということにしてある とは、ただならぬ含みがあったのです。
毒殺とは断定できなかっただけで、50になったところで 老衰(昔でいう90 今だと110を超えてくるような年齢で身体衰えによる…これも現在になって定義が動いているような)ではなく、一般的にわかりきっていたような病気とも言えないと。
タイミングとして、死人に口無し にはもってこい。
秀吉にとって意気投合(石田光成が体調や状況に合わせて飲みやすい温度の水を差し出したことで高く評価したように)して、公私共になくてはならない存在になっていた自らの盟友のような利休に死罪くだすようなことは、まずありえないし、茶室というのは当時、重要な機密情報交換の場であったことが 利休との関係の重要性を物語っています。利休の茶室は、武士が肌身離さずか、寝るときも床の間に置く刀(かたな)すらも持ち込ませなかったのは、逃げも隠れもできない場所であるから それと、「壁に耳あり障子に目あり」を防ぐため 外側四面に人がいればわかる設計の一室一屋でした。
表千家と裏千家の違いなどは ちゃんとした習得に至りませんでしたが これはやむを得ないことが多少わかります。 私が聞いた当時は、伝統として茶道の形式と心を引き継いであることと、裏千家が本家筋であった ということです。茶道は伝統でありながら、時代に合わせて意義がいくぶん変動していたことがうかがえます。
昔は、親子関係も絶対的であったけど、
日本などでは特に、 親子関係に勝るとも劣らないくらいに 主従関係は重んじられ 自己と表裏一体にして、裏切りという重罪など生じなかったことでした。
これと 本能寺の変 の三日天下は、非常に強い関わりがあります。
じつは、事件現場が、べつに本能寺という寺の名称ではなかった との言い伝えがあります。
人間の本能に異変が起きたと、後世に暗示させていた事柄の命名だったのです。
人の本能というのは、事情や多少の意志の変化では惑わされない、生物に備わった絶対条件とも言える脳の働きを言います。
命に変えても惜しくないまでに育つ主従関係を なぜか急に壊してまで襲撃に及んでしまった 忠臣 明智光秀と、何があっても恩のある主人に そんなひどいことは許せないと怒り心頭の秀吉 という事件の性質を、本能寺の変 という名称で 語り継いできたのでした。
我が経験から言えば、まさしく、相手にその種の被催眠術が勃発した状況と完全マッチしていることが、(今だからはじめて)わかるんです。
これを悪が逆用してるのが 例えば最近できた 青垣山っていう改ざん名称。
家や敷地を囲う垣根を意味するのが 石垣の「垣」です。
和歌で 「たなびく青垣」というのは、左右前後に遠くひろがる おおいなる数々の山々(遠くになるほど青くなります)を、垣根にたとえた しゃれた表現です。
ちなみに、実際の垣根の向こうから見える絶景などを 借景 と言います。
自分の領地じゃないけど眺めはただってことですね😅
どうも我が家系は、徳川に至るまでのこの時代あたりに ・・が、 私を目撃証人者にしたてあげてきていた(🤨?)人々や幼少時から家の中で見ていた関連物から 暗示されております。
でも、はっきり言われなかったのは、証人者として客観的であるべきで、単なる判官びいきか 偏った見方にしないためだとすれば、よーく わかります。
小学校のときに 森鴎外の「安寿と厨子王」(漢字があってるか自信ありませんがそれ以外は正確です)を読んだとき、「うわー、子供たち 狙われたり追いやられたりで 最期まで かわいそう」と思うだけでなく、自分のそれまでのことから、どうも他人事とは思えぬような肌身で共通点を感じゾッとした経験があります。 それは なにしろ 元来は慎重というだけでなく、どうも 根っから危険なことを嗅ぎとる必要性が、長女の私にはあったのも たしかです。
💦事情 わかりますが、根無し草な生き方は つらいよ ではあります。
以上「キーマン 豊臣秀吉」
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これまで人より認知してきた人、今後も認知ができる人を、認知症と呼ばないでください。
言葉の意味と科学的関連は無に等しいか、逆。
万事'〇人に口無し'になり、しむけにのって人に責任を押しつけていることになって、ただ、被害者(冤罪)を増やしていたから できなくなったのでは?
日本国憲法では 争いごとを基本的に禁じています。
資本主義(の原理 市場競争)も、一部許可の試行導入にすぎません。スポーツおよびゲームもルール公平な遊びの範囲でという規定です。
ただし、切磋琢磨の競争(コンクールのような)や 論争のように、争うの文字が入っていても実質は技や論をつき合わせること、こういう性質は 法律上の争いとはみなされません。(←習ったこと)
しかし、共通理解が多いほど、議論から論争にいくようなことはなくなってくるものでしょうし、互いの論が 憲法に従う目的の共通や やりかたの一致なければ、論争すら成り立ちませんね。
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