掲示されているものには、必ずとんでもない洗脳が含まれます。
特に、このブログで示しているような内容にふれてあることには。
たいてい、洗脳とは気付かせない構造性をもっています。
さきほど見て気づいたことから・・・
視覚的に、言葉の表現的に、
・あたかも周知のこと当然のことのように大嘘を示してある
主旨をはずして悪意無いかに見せかけて、
予備情報のほうで
あたかも前からの決まり事のように掲示してあり洗脳学習させる
・完全に間違った志向性のほうをほめたたえている
そのまま よい志向性や善処をけなしていることになる
・画像に印象操作が入っている または内容と一致しない
・おもに繰り返し目や耳にさせることで、言動的に 善人攻撃ものとしてのシュプレヒコールのような誘いをかけてある
このほど目にした日本国憲法としての文章表示が、すべて大嘘‼
非常に危険です!
最近、やたら目にする キャッシュレス
CMで日本に流行らされた プライスレス は、価格が無いと書いて 価格を付けようもなく価値がある意味とされていて、好印象をつけているかに無理にふるまわされたが、やはり、この無理ある表現は、アンチテーゼでした。無限の価値、たとえばウルトラプライスならそのままなのに、'価格なし'では貨幣価値にあてはまらないほど物凄い価値であるもの(そんな史実を示すような物事はすでに地球上から奪われつくされてきた)という存在感が極端に薄れてしまう。
かたやキャッシュレスは、つづいての好印象の言葉に思わせて、中身はそのまま、現金無くし⋯ていくのがいいことかのように洗脳してあるわけです。
貨幣というものは、経済のキモです。
これにほかの手段に導き段差をつけてきている事だけでもけっこう問題なのです。
貨幣は古来、庶民の強みである平等性。共通性高いから利便性高い、触覚や視覚的に状況確認 自己確認がしやすい、価値観がつかみやすい
そんな優れた現金を、さかんに嫌わせようとしているわけです。物にもの言わせて。
じつは考えぬかれていた 世界でも秀逸な日本の貨幣、
その肖像が変わるだけでも日本国憲法に改ざんを入れられるほどの痛手がありましたが、史実曲げてからやたらと何でもかんでもお金にこだわらせといて、
こんど現金を奪われるようなことがあったら、ほぼ完全に
悪の意図のすきにできる独裁政治です。
これまでは悪名高き独裁者としての名をあてはめていたのに変えて、結局はその黒幕も黒幕、悪そのもののすきにさせることになるんです!
キャッシュと貨幣はほぼ同義。
自分だけでなく、お互いが感覚や行為によって 安全をはかるメリット…
というより、ぜったいに必要な貨幣経済 を、手放してはいけない!
本当は現金以外の取引は、極力 認めてはいけませんでした。
せいぜい、クレジットまででしょう。これも本当は… がもちろんあります。
(自分できちんと往復管理していると、まるで悪のいやがる息が聞こえるかのごとくでした)
いばってキャッシュレスになびかせる者がいるなら言いたい。
算数くらいしましょうよ。ほかの動物だってちゃんとやってますよ。
日本の強みである、現金、大事にしましょう!
悪から盗まれたことが場面でわかるから、チェックしやすい。
とにかく危険で大迷惑になるのは、
改ざんに気づかない、気づかれないことです。
昨日 最初の記事にて、言葉の意味のことを記事にしたいとふれていましたので、とりいそぎ書きます。上記にも言葉のことがありますが、根の深くなっていた大事なことがあります。
日本語で 精神 といえば、人の心のあり方として非常に優れたことを意味します。
たとえば、美術や音楽といった芸術をほめるときに「精神性がある」
のように使われます。
精神という言葉 自体に 尊さ が宿っているわけです。
なのに
はっきりしたこと、
精神病院 および 精神病は、悪の投入造語でした。
昭和の日本では、近代西洋(フランスだけかも)に2つほどあった、よくないことをやっている野蛮な病院のことをもって精神病院と悪の投入語を使ってしまってはいましたが、精神病院のような接着用語は危険とにらんでいたのでしょう、
あらためて 精神の意味について くぎをさされていたのは。
とうぜん、日本では、とんでもない人権侵害にあたるそんな病院は絶対に認めない!とも習っていました。
なのにあろうことか、この日本で、非科学、逆科学な野蛮が、存在に至ってしまってた…
おそらく、物から決め事に作用させたりなど、変遷的に。
悪には都合の悪い、つまり人に優しいまじめな方々が、一発で殺されたり毒薬漬けにされての終わりなき拷問被害にあっては、早めに世を去っていかれたことを思うと…💧💧💧💧🌀
日本では古来から、自然の状態では脳が病気にはならないことが明確に確認されており公知とされていますので、それを忘れてはいけません。
発見の種の病名や症状名には、必ず責任をもった発見者の名前が冠される協定です。つまり、パーキンソン病くらいまでは、正式認可にあたります。アルツハイマーには、当初、傷病名でない名称または人名単独であり、どうもグレーゾーン、正式なものではない可能性が高いです。
これにさらにくっつけてきているのは最近であり、それはもう、悪の出回らせ語でまちがいありません。
拷問用語である認知症も とうぜん、悪の造語です。
認知は、人間社会の重要局面で必要となる、行為の意味をもった言葉です。世界の一般的言語での名詞と違い、日本語の場合には 名詞の形でも、行為を意味したり 形容を意味したりするのが特徴といわれました。
悪の都合の悪いことを認知させることをはばむために、
検査など一時的に違えたり、(取扱った現場で結局整合性がないと確認されている)
書きものなどを変形(改竄)させておいて当てはめさせた偏見用語。
人間社会に大事なステップである認知。その行為を無視させ、人間否定となっているはずで、そういったことをマに受け、物に左右される者は、収容所監視員より怖しい危険人物と化す。
これが、とんでもなく残酷なことは、そんなことにされた当事者本人にしかわからないでしょう。
まさに、拷問なんです。
追記 (注): 脳では、知的に劣ることに対する配慮などの必要の考え方はありました。脳の優劣の存在は否めないと。明確な線引きというわけではないようですが。
正しいかどうかの理解や自己判断ができないとなれば、救済や注意する必要が出てくるのでしょう。
昨今、金銭的な位置づけ(障害認定的にか)で名称を決めていると言う人はいましたが、お金と科学的なことを結びつけることは基本、禁じられていたはずです。
昭和の死因トップに胃がん(がんが、胃以外に及ぶことになったのは そののちのことです)、そして脳卒中でした。 いずれも食生活の変化や体質などに仮説がたてられましたが、わが系列はまるであてはまらなかったのに~でした。
'傷病'と名付けられていたのは、暗示のあったとおり、体内であっても傷を負っての病扱いという意味をはらんでいたことが、ようやくわかってきました。
ただ、仮説であった事項も 過剰摂取、一般の食生活や自然界ではあり得ない状態での濃度や総量の物質を体内にとりこまないに超したことはありませんし、血圧変化などは個人体調管理には生かせるだろうとの考えでした。 (6/3 13:25)
※この記事には 改ざんが入る恐れが非常に高いと思います。何日かブログから離れ当方から確認がとれなくなりますので、どうか余裕を見ての事後確認のほう、よろしくお願い申し上げます。
⋯
どうもまた編集強制ないやがらせがついてきています。gooブログさん、頼みまーす💦
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