科学的に逸脱を許してきた精神病(そもそも科学根拠を持たない概念)というのが、
じゃあ現代、悪の運用、悪用は 何なのか といえば、その主因の1つは、
この人のことは、人として言ってる事の権利を ”考えなくていい”
とする、単なる偏見(誤解)導入 を意味していたのでした。
おそらく従来、悪のやり用で、本人に特定できないことについて、
いったん保護預かりの側面であったところ、またたく間に
悪から、悪用定義に変えられてきてた経緯があったと思われます。
いずれにせよ、仕掛けは悪です。
ある時期、「精神鑑定に持ち込むとみられます。」と、
あたかも本人だけでわりきれてると誤解させる言葉が
しきりに持ち出されるようになり、 こういうもの(誤報の先回り)が
あちらの言っていた「(ばらされないために)人を精神病にするシステム」
というのと同義だったよう。
いったん息をひそめたかに見える悪が、現在までに 規模変えて再来。
さすがに昔の誤解や悪習はあるまいと、前世紀過ぎるまで
思って(誤解して?)いたのは、意外と私だけだったのか。
とにかく、
人間の、知れていない部分における 悪の猛威 というのが、
いかにすばやい大きな影響力をもつかということ。
だから、何でも知るに越したことない という、
憲法に哲学の類の考え方は、やはり正しいと思います。
おおかた釈迦に説法かもしれず、申し訳ありません。
見ざる聞かざる および言わざる は、
これをすると、偏見をやってる示しで、無感情になり、
少なくとも人間の発展、進化は無い との戒めだったのに、
どうもどこかで違うようにされたらしいように見受けられます。
今や、そうしないと結局、悪から何かバッシングでも受けている? とすら。
人とは区別される動物の猿と違ってきたところは、
人間が 見ざる聞かざる言わざる をやらないようにして、発展方向を
ふさがないできたこと だけに過ぎない⋯
もっとも、
人間を貶めていく 悪のためには好都合に なるってことなんだけど。
「洗脳」は、深刻なことなのだとだけ習いました。
近年、
もはや目の前で、瞬時に 私に浴びせられたように、
相手が記憶、態度、感情を入れ替えられるのを目の当たりにすると、
ただの暴力をはるかに上まわってきて、
その大変さが 連続爆撃的に伝わるけど、
一見ちょっとした考え方のトレンド(癖、偏見)でも、
相当ひどい洗脳になり得るのだと、
先日、会ってきた旧友か、その偽者の発言でも わかってきました。
たとえば、
単独の数字等を、すべてに当てはめてしまう
何でもかんでもやたら勝負結果だけで判断する
こういう考え方はどうも、現世代にも 多いのかも。
その、お結果が正しくあり続ければ、さほど問題ではないけれど、
判断力を頼るまでにしみついてしまうと、
現在までに相当な洗脳に結びついています。
偏差値を指標として出してきている時代、先生方は、
きちんと計算方法と、何を示すかを教えたうえで、
別途、
「このような数字だけに影響されるのは危険です」 と、
しっかり警告されていたのです。
聞いた時には、自分で、「え?なんで?」って思ったのですが、
それから偏差値が示されてしばらく、計算照合していて、2回め、3回めで、
数字が大幅に合ってないことに気付きました。
(こっちのほうだったか!)
それから今まで、計算するような機会もなく、使ってない計算式は忘れましたが⋯。
経済指標だってしかりです。
なのに、数字の嘘通り超えて、指標の人為操作公言までして
狙い撃ちで損害出させているんですから。
(ちなみに自分のことは度外視で申しています)
なんでもかんでも 平等じゃないのもいいかげんにしてほしいもの。
今の政府関係は、無責任ほど、珍重されますね。
* * *
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。