大正琴・・・現代大正琴研究会

日本で誕生した楽器「大正琴」の魅力を発信します

臨死体験と幽体離脱

2023-09-12 21:36:27 | 

古希を迎える年になりました。

コロナも第5類に移行して、風邪と同じ扱いになったことで

古希を共にお祝いしようと、同窓会の連絡が中学・高校・大学から来ました。

孫達のことがあるので、皆お断りしましたが、70歳まで生きられたんだってなんか感慨深いです。

・・・というのは、もしかしたら、もうこの世にはいなくてあの世に行っていたかもしれない経験をしてます。

 

次男を出産する時に、母子ともに危険な状態になって急遽帝王切開に切り替えられました。

全身麻酔で出産する時に 臨死体験と幽体離脱を体験しています。

それまでの経緯は・・

私は 骨盤形成不全で、2人流産してます。

その後、長男を妊娠したのですが、3カ月で切迫流産で入院して、また7カ月めに早産しかけて入院。

長男の時は 入退院の繰り返し。出産も33時間と異常分娩の一歩手前でした。

長男出産後、骨盤の検査をしました。

異常があって、やはり出産まで入退院の繰り返しをすると伝えられました。

そして、次回出産する場合は、長男の面倒見てくれる育児室が完備している病院にするように勧められました。

この間は ちょっと長くなるのでカットします。

次男の出産のとき・・・

臨死体験、今でもはっきり覚えているし、絵にも描けますが、

お花畑とってもきれいでした。でもその横で、そこは白黒の世界。

おかっぱの女の子が「おいで、おいで」て手招きをしてました。

何度も行こうとすると一緒に遊んでいた女の子が「遊ぼう」って呼び留めました。

それで、また戻る。また「おいで」と呼ばれて行こうとすると、「遊ぼう」と言われて戻る。

何度もそのくり返し。

後でわかったことですが、私が麻酔がきいたまま病室に戻ってきたとき、母が看護婦さんに

「娘さんは うわごとで色々言うと思いますが、それに答えると娘さんが疲れますので

名前だけ読んでください」と言われたそうです。

「遊ぼう」と聞こえてたのは、母の声だったんですね。

母の声掛けが無かったら、多分おかっぱの女の子の方に行っていて、今はなかったかもしれません。

その母もなくなってしまいましたが、母には感謝です。

 

幽体離脱の事は次回に書きます。

 


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