大正琴・・・現代大正琴研究会

日本で誕生した楽器「大正琴」の魅力を発信します

続・・・臨死体験・幽体離脱

2023-09-23 20:22:03 | 

次男を帝王切開で出産したのはもう40年以上前のことです。

 

先回書きましたように、長男はどうにか正常出産できました・・・

二人目を妊娠した時に、長男の時の入退院の繰り返しがありましたので、

その時の先生のアドバイスに従い、長男を一緒に面倒見てくれる病院を捜しました。

幸い近くに「ナーサリー」付きの病院がありましたので、そこに決めて通院しました。

妊娠3カ月に入った時、流産の兆候が出たので、

4カ月の安定期に入るまでの約3週間入院しました。

その間、主人が朝長男を連れて病院の子供を見てくれる「ナーサリー」に預け、

夕方また子供を迎えに来る生活をしました。

私は、長男と夕食、朝食を一緒に食べましたが、まだ2歳の長男が甘えたいのを一生懸命我慢している様子に

こちらも思わず涙がこぼれてとてもつらかったです・・・

退院してからは、階段の上り下りも無理しないように言われていたので、

買い物全てダンナサンにしてもらい、安静にしていたのですが、

今度は7カ月で早産の危険性がでてきて再度2週間入院。

いったん退院したんですが、また陣痛のような状態になってまた2週間入院。

その時に主治医の先生と相談して、10ケ月までいけば、何時出産してもいいとのでことで

予定日は6月中旬でしたが、2週間早く計画出産することにしました。

9カ月目に入って、たまに陣痛のような状態になってすごく不安でしたが、

どうにか早産せず、10カ月を迎えることが出来ました。

5月30日計画的に入院。

陣痛促進剤を打って出産予定・・・・でしたが。。。

陣痛が起きても、暫くするとおさまってしまう。

何回かその繰り返し・・・

そのうち、胎児の心音がとても弱くなってきて、私の体調も徐々に悪くなってきたので、

先生が「何か異常が起きている可能性がありますので、帝王切開に切り替えます」

と言いました。

後でわかったことですが、主人・母・子供と家族全員病院に来るよう言われたそうです。

そして、輸血の車も来て、主人も母も何事が起きたのかととても不安だったそうです。

先生から私に「執刀医は、他の病院から来ます。私は立ち合います」と言われました。(個人の産婦人科病院)

そして、手術室に入って全身麻酔の注射をされました。

「数を数えてください」と言われましたので、1・2・3・4・5・6・7・8・9と数えていたら、

「先生、麻酔が・・・」という看護婦さんの声が聞こえました。ここまでは覚えています。

その後、私は深い眠りに入りました。

私見ですが、麻酔がききすぎて、麻酔から覚めるのがおくれたのかもしれません。

その手術中、臨死体験と幽体離脱を経験しました。・・

臨死体験は・・・

前回書いたように、それはとてもきれいなお花畑がありました。(何とも表現できない美しさ)

そしてそのお花畑の右側に大きな木が立ってました。

その木に縄跳びの縄をくくりつけて、私ともう一人の女の子と二人で縄跳びで遊んでいました。

そうすると右上にトンネルがあって、そのトンネルの左側におかっぱの女の子が立っていました。

だけど、そこだけは白黒の世界でした。

そして女の子が「おいで、おいで」と手招きを私にしました。

私が、その女の子の方に歩いて行こうとすると、一緒に遊んでいた女の子が「遊ぼう!」

って声をかけて私を呼び止めました。

女の子と一緒に遊んでいると、またおかっぱの女の子が「おいで、おいで」と手招きをしました。

それで私が行こうと歩き出すと、また一緒に遊んでいた女の子が「遊ぼー」て呼び止めました。

それの繰り返し。お花畑なので、これが臨死体験なんでしょうか?

そのうち画面が変わって、今度は私は手術室の上にある大きなライトの上に座っていました。

そして下をのぞき込んでいました。こちらは、幽体離脱でしょうか?

そこに見えるのは、手術台の上に寝ている人。(これが私)

お腹の上には白い布が掛けられていて、そこが盛り上がっていました。

その横に、白衣を着た女の人と男の人が何やら話ながら立っていました。(手術を担当した先生と主治医)

するとまた画面が切り替わってお花畑になりました。

またその繰り返し。

そのうち、手術台の上に座って下を見ていた時に、

「あれ? もしかしてあそこに寝ているのは私?・・・ そうだ!私、今出産中だ!子供を産んでいるんだ!」

って何となく意識が戻ってきて

「私、はやくあそこへ(下)戻らなくてはいけない」と・・・一生懸命戻ろうとしました。

そのうち、ボーっとした画面になって・・・

・・・目が覚めたら病室で、主人・母・子供の顔が見えました。

「私、どうしたの?赤ちゃんは?」と聞いたそうです。

看護婦さんもいた思うけれど?

前回書きましたが、母が私の名前を呼び続けたそうです。

トンネルに歩いていく私を呼び止めてくれたのは、母の声だったんですね。

もしおかっぱの子の方に歩いて行って、トンネルに入っていたら、この世にはいなかったかもしれませんネ。

 

この時は、変な夢を見た、何だろうってあまり気に留めていなかったけれど、

丹波哲郎の死後の世界の事が話題になった時期があって、

何気なくテレビを見ていて、丹波哲郎の話の中に出てきたトンネルの女の子の絵を見た時

「あ!あの女の子だ!同じだ!」と凄い衝撃を受けました。

それで、私の経験はもしかして 臨死体験と幽体離脱では?って思いました。

この時のことは今でも、はっきりと鮮明に覚えています。

 

これは、私が体験した出来事ですので、

本当にそんな世界があるのかは 私にもわかりません。

いつか この記憶を絵に描けて 残したいって思っているんですが、

なんせ、絵が下手なので

私が見た夢の内容(例えば 大きな木 二人で縄跳びをしていた)等、

何を表現しているのか解明したいのですが、いまだに謎のままです。

====

出産後説明されたのは、子供の首にへその緒が巻き付いていたのが原因で、心音がどんどん弱くなり、

親子共に危険な状態だったそうです。

また、輸血の件を尋ねましたが、輸血はしなかったとの返答でした。

のちに、輸血の事が大きな社会問題になりました。(何の事件か忘れましたが

===

生死をさまよって生んだ息子も、3人の子供の父親になっています。

・・・息子よ!あんたもホントは、この世にはいなかったかもしれないんだよ。

母さんは、あなたは生むのにとっても大変な思いをしたんだよ!・・・

 

~~~下手な文章に最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。~~~

 

 

 

 

 


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