緊急公示(3)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
(11月6日2010年 土曜 午前5時半)
これはどちらでも良いのかも知れない。魔神である池田大作の創価学会の信仰を辞め日蓮正宗富士派の信仰を行えば良い、という考えが強い。
日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の偽作という説は以前から強く存在し、大石寺はそのことで強く非難されてきた。そして、その説がほぼ間違いないということがS氏の現代科学的研究で解ってきた。(ここは病院の医局でインターネットがない。記憶に頼っている。)
S氏はデジタルアナライザーで日蓮正宗大石寺の大御本尊が日蓮大聖人がある弟子に与えた曼荼羅を元に作られたことでほぼ間違いないことを証明した。そしてもう一つ、日蓮正宗大石寺にある日興上人の板御本尊も日蓮大聖人がある弟子に与えた曼荼羅を元に作られたことでほぼ間違いないことをデジタルアナライザーで証明した。また、ある重要な日蓮大聖人の御真筆の文書も日蓮正宗大石寺が花押を他の御真筆の文書からコピーしていることもデジタルアナライザーで証明されていた。日蓮正宗大石寺は偽造を習癖とする教団であると弾劾されている。インターネット上にS氏の研究は載っている。
S氏は幼い頃から創価学会員であったが第一次宗門戦争のとき宗門(日蓮正宗大石寺)に移った。しかし、数年後、宗門から離脱して現在、何処にも属さないで日蓮大聖人の信仰を続けているという。
北海道のある地区では日蓮正宗大石寺から保田妙本寺に入信する人が続出していると書かれてあった。
保田妙本寺の鳥本御尊氏がその地区の指導に当たっているという。
筆者にも鳥本御尊氏が連絡を取りたいと仰っていると法華講員(アンパンマン??)と思われる人からメールが来た。
保田妙本寺は千葉県にあると思っていたが、何故、北海道から連絡が来るのか訝しかった。保田妙本寺は北海道にあるのか?保田妙本寺の活動拠点は北海道なのか?と訝しがった。北海道はあまりにも遠すぎると思った。
何日か前、インターネットで鳥本御尊氏が北海道で活躍されていることを知り、メールを出したような記憶がある。しかし、何処のサイトからメールしたのか、はっきりしない。昨日の朝、インターネットで探したが、何処からメールしたか分からなかった。単に書き込みをしただけの可能性が高い。
昨日の朝、保田妙本寺関連のサイトをよく読んで保田妙本寺と日蓮正宗大石寺は現在、対立関係にあることを知った。
自分は創価学会から日蓮正宗法華講に移って悪い偶然は全く起こらなくなった。また、10年来の“うつ病”が一発で治った。人生の敗北者となる直前であった。現在、再燃の気配は全くない。日蓮正宗のお寺で勤行唱題すると元気一杯になり目は輝き、怖いものがなくなる。明日を心配することがなくなる。
とても迷うが、保田妙本寺に入ろうと思う。家庭の崩壊を避けるため、そして、ネット上の日蓮正宗法華講員に失望と怒りと落胆を禁じ得ないからだ。保田妙本寺は創価学会と対立していない。創価学会の狂信者である妻の一族も日蓮正宗でなく保田妙本寺なら露見しても許してくれると思うことが一つの理由でもあります。でも小さな理由です。
自分は日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の作でも全然関係ないと思っています。後世の作でも日蓮大聖人の魂が入っているからです。後世に作ったものに日蓮大聖人の魂が入ったのです。日蓮大聖人の御精神は民衆救済、広宣流布への燃えるような情熱、愛情にあります。形式ではありません。信仰は理屈でも理論でも証拠でもありません、感性です。信仰は人を救う愛情です。
もう一度書きます。
自分は日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の作でも全然関係ないと思っています。後世の作でも日蓮大聖人の魂が入っているからです。後世に作ったものに日蓮大聖人の魂が入ったのです。日蓮大聖人の御精神は民衆救済、広宣流布への燃えるような情熱、愛情にあります。形式ではありません。信仰は理屈でも理論でも証拠でもありません、感性です。信仰は人を救う愛情です。
http://sky.geocities.jp/mifune008/
ccc998@infoseek.jp
自分は日蓮正宗大石寺と保田妙本寺が以前のような同盟関係になってくれることを強く望んでいます。日蓮宗富士派として同盟関係に戻ってくれることを強く望んでいます。
法華経は宥和の経典と言われています。もう一度書きます。法華経は宥和の経典と言われています。
たくさんの信者さんが日蓮正宗大石寺と保田妙本寺が以前のような同盟関係になってくれることを強く望んでいることを確信しています。
対立は厭です。争いは厭です。日蓮正宗大石寺と保田妙本寺が以前のような同盟関係になってくれて、共々に日蓮大聖人御遺名の広宣流布へ邁進することを強く懇願します。また、そうでないと、日蓮大聖人御遺名である広宣流布は決して達成できないと思います。戸田先生が築かれた広宣流布の道を池田大作が破壊してしまいましたが、池田大作はもうすぐ死にます。池田大作が創価学会に悪鬼を大量に呼び寄せたために不幸が立て続けに起こっていた創価学会員が幸せになる創価学会が再生されることを熱望しています。
広宣流布を民衆救済を強く懇願します。お願いします。
(完)
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緊急公示(4)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
(11月7日2010年 日曜 午前4時40分)
自分は日蓮正宗を辞め保田妙本寺に行くことにする。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ本物の大御本尊であると思うからだ。
ネット上での日蓮正宗法華講員との確執も大きいが、それよりも保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ究極の本物の大御本尊であると思うからだ。そのネット上の狂気の日蓮正宗法華講員は池田大作と同じく軽症の統合失調症であると昨夜、眠れず、転々としている時に気付いた。池田大作のような軽症の統合失調症は見逃されている。
ネットの保田妙本寺のホームページと思われる所より保田妙本寺の五座の御観念文をPDFファイルで入手し印刷して、この4日程はその御観念文を祈っている。
第三祖日目上人までは同じであるが、第四祖が本寺開山の日郷上人になっている。もちろん、二座も異なる。末法万年救護大本尊になっている。
今までも遙拝勤行であったが、4日程前から末法万年救護大本尊を思い浮かべて祈っている。末法万年救護の大本尊を思い浮かべて勤行唱題すると違う。勇気が強く湧いてくる。創価学会の遙拝勤行ではほとんど何も感じなかった。日蓮正宗の遙拝勤行では勇気が湧いてきていた。しかし、日蓮正宗の遙拝勤行以上に勇気が湧いてくる。
当直室のベットの上で方便品自我解、そして二座の長行は日蓮正宗の経本を見て唱えている。御観念文は保田妙本寺の印刷した御観念文である。
今日も朝の勤行は終了した。病院の当直だから朝早く起こされることが多い。今朝は三時半に起こされた。一時間も眠っていない。しかし、心には保田妙本寺信徒としての自覚がある。負けない。
自分の住む九州には保田妙本寺系の寺院は確か無いはずだ。千葉県まで行かなければならないようだ。しかし、千葉県まではなかなか行けない。家人にどのような理由を言って良いか考えつかない。また極度の出不精の自分だ。今まで、九州から出たことは数回しかない。
しかも、10年間に亘るうつ病性障害の頃の習慣が身についてしまっている。家と職場である病院との往復以外はほとんどしない。
家では寝るかインターネットをするかのどちらかであることがほとんどである。食事はいつも5分ほどで済ませる。病院当直中は2分で済ませている。ほとんど呑み込んでいる。テレビも新聞も全く見ない。第一、アパートにテレビはなかった。新聞も聖教新聞と創価新報と大白蓮華だけであった。創価学会の会合中はいつも居眠りをしていた。福岡の脳外科の救急病院で9年間、働いてきた習慣である。00の00脳神経外科である。9年間、週3、4回の当直を続けてきた。うつ病性障害になり精神科に変わってからも、その習慣は残っている。
このまま末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行を続けるしかない。死ぬまで遙拝勤行が続くような気がする。幾ら寝ても疲労感が激しく、身体を壊してしまったようだ。これはうつ病性障害とは異なる。癌の可能性は高い。何だか未だ幼い子供に長い長い遺書を書いて死ぬような気もする。現代医学ではこれだけ症状が出て来てからは完全に手遅れである。でも保田妙本寺信徒は負けない。癌にも勝つ。身体を切り刻まれて苦しみ抜いて死ぬよりも保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に身を任そう。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は癌ぐらい治してくれるはずだ。保田妙本寺信徒は負けない。
(11月8日2010年 月曜 午前5時50分)
この(創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告)はここで終わる。自分は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を信仰し始めた。
もう、これに手を入れることはしないだろう。
これからは保田妙本寺の末法万年救護の大本尊の信仰に没頭する。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に関する本を書かなければならない。いろいろと資料を読まなければならない。そしてその資料はインターネット上に載っているだけだ。
鎌倉時代の終わり頃、日郷上人の弟子が日向で布教し100以上の寺を建てたという。日向ならば近い。千葉県も北海道もあまりにも遠い。
しかし、その100以上の寺は現在は残っているのだろうか? 痕跡しか残されていないようだ。保田妙本寺の信者は日本中に少ない。ネット上に2人、保田妙本寺の信者が居る。ネット上には創価学会と日蓮正宗の信者で溢れかえっている。自分が良く思っていないネット上の日蓮正宗の信者からは罵倒されるであろう。何故、ネット上の日蓮正宗の信者はあのように良くないのだろう。創価学会の成りすまし信者で溢れているのか? 創価学会の陰謀であるのか? 自分が通っていた日蓮正宗のお寺の信者達はみんなとても良い人ばかりだった。
3日間の当直はあと三時間近くで終わる。3日間での睡眠時間は五時間にも達していないだろう。今日は爆睡する。明日も爆睡する。3歳になろうとする娘と一緒に眠ろう。僕の恋人である。でもインターネットで保田妙本寺関連の勉強をしなければならないし、資料を印刷するかダウンロードしなければならない。
遂に真理に到達した。今、目の前は輝いている。希望に溢れている。
(完)
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mifune_008さん
信濃町さんへ(6)___誰が答えても良いです
今の創価学会製の御本尊はうつ病性障害を異常に多発することで有名なことはご存知と思います。普通の人のうつ病性障害は数ヶ月で自然と治ることが多いですが、創価学会員のうつ病性障害は治りません。これは非常に不思議なことです。
なお、創価学会本部に精神科医が通ってきていることは有名なことになっています。創価学会本部職員およびその家族にうつ病性障害が異常多発しているからと言われています。また、隣接する聖教新聞社にもうつ病性障害が異常多発しているとも言われています。 池田大作がうつ病性障害にならないのは池田大作は勤行をしていないからと言われています。
保田妙本寺を創価学会の新しい本山にすると、保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は本物の大御本尊ですから霊験あらたかで、間違いなく広宣流布は自然と進んで行きます。以前の折伏大行進のときのような苦労は必要なく少しの苦労で、広宣流布は自然と進んで行くと思います。
あの折伏大行進の頓挫は「池田大作が創価学会に悪鬼を怒濤のように流れ込ませたため」と以前有った創価学会内部改革派憂創同盟では考えていました。創価学会員に悪いことが余りにも起こりすぎるようになったから折伏大行進は頓挫してしまったのです。言論問題のためではありません。言論問題で池田大作が強引な折伏の中止を宣言しましたが、末端の創価学会員は功徳欲しさに折伏は以前ほどの強引さは少し影を潜めたにせよ、続けていました。
しかし、創価学会員に悪いことが起こり過ぎるため、頓挫したのです。自分の知人は創価学会を悪霊とまで言って毛嫌いしていました。当時、創価学会の看板を背負って歩いていた自分まで悪霊といって毛嫌いされました。池田大作のために創価学会は悪霊団体になってしまったのです。池田大作が第3代会長にならなかったら広宣流布は既に達成されていたのです。
―?
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mifune_008さん
池田大作と小沢一郎と麻薬ビジネス 創価学会の麻薬ビジネス
小沢一郎氏と池田大作氏とノリエガ将軍の三角関係
94年5月以来、ワシントンを起点にしてアメリカの各所に配られた「小沢批判リポート」はもう一つ重大なことに触れている。(中略)
同リポートは、小沢氏が、創価学会名誉会長で偽本尊を作ったりしてとかく会員の中でも批判のある池田大作と連携して、池田大作氏の野望である政教一致による日本の支配と、そのためのハク付けとして「ノーベル平和賞」の獲得に、小沢氏が協力している事実も暴露する。
池田氏と同盟を結んでいる小沢氏は、アメリカにとってますます好ましくない人間だとも明言している。
実はこのくだりを読んだとき、私もひとつ思い出すことがあった。それは、ブッシュ前大統領が金丸、そして小沢両氏を思うままに操っていたころ、両氏に与えるアメ玉だけでは説明がつかないと思うことがいくつかあったのだ。
そこで、CIAに近いアメリカ人が聞かせてくれたのが、小沢氏、池田氏、そしてパナマの独裁者だったノリエガ将軍を結ぶ線だった。
ノリエガ将軍は、ブッシュ氏がCIA長官時代には、その手先となって、キューバのカストロ首相やニカラグアなど中米の革命グループ攪乱に協力した。
そして、その代償として、パナマを中継地として、時にはCIAの輸送機も使ってアメリカに南米コロンビア産のコカインを輸出(?)する暴挙を大目に見てもらっていた。
このためにブッシュ氏の弱みを握ったとして、ノリエガ将軍は、ブッシュ氏が大統領となったアメリカを、好きなように操れると過信したのだ。
しかし、こんなノリエガを放置しておいたら自分の政治生命が危ないと知って、ブッシュ大統領は89年就任早々に、米軍による電撃的なパナマ侵攻をやって、ノリエガ将軍を「戦犯」として捕らえ、アメリカのフロリダにさらって来た。
そして、同将軍を「アメリカへのコカイン麻薬供給の罪」もつけて秘密裁判にかけて有罪とし、特別監獄の奥に閉じこめてしまった。
このノリエガ将軍が吐かされたものの中に、池田大作氏が創価学会の金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことと、このあがりから、池田氏は小沢氏へ相当な額を常時渡していた、というものがあった。
ーーーーーーネットを検索しているとやはりこの問題についての上記のようなものがあります。
自分としては信じられないことですが、これほどネット上に載っていると信じらざるを得なくなります。
どうなのでしょうか?
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正本堂御供養金返還運動に謀略で対抗
さて、盗聴は、宮本邸以後、しばらく中断されたが、日蓮正宗との軋轢への対応に迫られる頃から復活した。
日蓮正宗と創価学会の問題は、後に詳説する。ここでは、その他の事件や謀略について述べる。
昭和四十七年、正本堂が完成する年になって、創価学会幹部による集団造反事件が発生した。青年部部隊長であり、民主音楽協会職員であった松本勝彌氏が十数人の仲間とともに正本堂御供養金返還を求めて、創価学会を相手取り、民事訴訟を提起する事件が持ち上がり、マスコミにも騒がれることになった。
松本氏らは、創価学会が言論問題以後、国立戒壇論を引っ込め、正本堂建立の意義を変えたことを理由に「我々は騙されて寄付をしたのだから、返してもらいたい」と請求した。これに併せて“創価学会連絡協議会”(通称“創対連”)の人達が、全国的に御供養金返還運動を展開する動きを見せた。
早速、強力弁護団と訴訟事務局を編成して対応する一方で、松本勝彌氏の追い出しにかかった。当時、まだ民主音楽協会職員であった松本勝彌氏に対し、出入り業者を懐柔して、使い込みや業者からワイロを受け取っていたという嫌疑をでっち上げ、懲戒解雇した。松本氏は地位確認訴訟で応じ、事件は法廷に持ち出された。この事件で創価学会側は、現参議院議員・猪熊重二氏を中心とする弁護団が偽証工作を行い、解雇を正当化しようとした。
後に、この裁判の継続中に内部告発を行い、裏での偽証工作等を明らかにしたため、創価学会側は窮地に陥り、結局、多額の示談金を支払って和解した。
松本勝彌氏は、千葉県保田町にある大本山妙本寺の日蓮大聖人御真筆御本尊“万年救護本尊”こそ正しい本尊であり、大聖人の正流は妙本寺にある、と信じて行動していたが、当然、保田妙本寺住職との関係が問題になった。池田大作は、妙本寺に対し、二億円余の寄進をして本堂建て直しなどを行い、また、日蓮正宗に圧力を掛けて、住職の僧位を格上げするなど、懐柔に努めた。
本堂建て直しのための建設事務所には盗聴師団が常駐して、電話盗聴を行った。改装された建物の屋根裏には、半永久的な盗聴器がつけられた。
やがて、松本勝彌氏と妙本寺住職の関係が切れたことを確認したあと、住職と創価学会の北條浩氏とが、仲直りの酒宴を学会本部で行った。酒豪同士の対決ということで、互いに二升近くあけ、最後に妙本寺住職が腰を抜かして勝負がついた。北條浩氏は稀に見る酒豪だったが、昭和五十六年、飲み過ぎの為か、入浴中に倒れて死亡した。六十歳前の若さだった。
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p48-9)
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mifune0077さん
保田妙本寺を辞め、元来の創価学会内部改革派憂創同盟のみに戻った三船敏郎です。池田大作に対する攻撃は続けます。池田大作批判を起こすことを念願とします。
池田大作批判が起こらなければ創価学会員は不幸なままですし、実際、幽霊会員は池田大作に対する不満のために幽霊会員になっている人が多いです。
犀角独歩氏の富士大石寺の大御本尊のデジタルアナライザーでの研究により後世の贋作であることが現代科学的にも明らかとなり、一体、どれを目標に祈って行けばよいのか解らない現状です。
保田妙本寺はうつ病性障害になってしまうのでできませんし、保田妙本寺には民衆救済の精神がないようです。
しかし、創価学会製の御本尊にも祈るのが怖いので困っています。
天に向かい、勤行唱題して行けば良いかなあと思っています。
創価学会製の御本尊に祈るのが怖いのは自分だけでしょうか??
自分は何もかも知ってしまったのです。
補足
創価学会内部改革派憂創同盟残党としての池田大作攻撃は行い続けます。そのときIDが変わっているかも知れません。
とにかく池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡するのを避けるためです。
ベストアンサーに選ばれた回答
rsd37264さん
精神科医の三船先生にこんな事を言うのは”釈迦に説法”よりも酷い話かもしれませんが、恒常性(ホメオスタシス)を御存知ないのでしょうか。
先生は精神科医として創価学会員に鬱病患者が多い事実を十分に認識している筈です、そしてその原因についても。
慢性的な鬱病患者の場合には、鬱病患者は鬱病患者なりにその恒常性を保っているのです。
しかし、慢性的な鬱の状態から脱却しようとすると、紛いなりにも保たれていた恒常性が崩壊してしまうため、慢性鬱の状態よりも苦痛を味わう事になります。
まあ、これは一種の好転反応でしょうが。
その苦痛を克服しなければ、本当に慢性的な鬱からは解放されることはないと言えるのです。
貴方は創価学会が垂れ流す精神的麻薬の慢性中毒患者のようなものです。
その貴方が、”これではいけない”と決意して、その麻薬から手を切ろうとした瞬間から激しい禁断症状に襲われて、結局は”己心の創価学会員”の甘言に誑かされて、また麻薬を服用してしまったのです。
貴方の別の回答を見ましたが、古巣に舞い戻って貴方の精神は安堵感に浸っているのです。
お互いに惨めな疵の舐め合いをする創価学会員に貴方は心底馴染んでいるのですよ。
「日蓮聖人」の仰せられた「広宣流布」とは、真に主体性を確立した人間が社会に立派に貢献することであって、目先の御利益信仰を広めることでは決してないと思うのです。
せっかく多くの善智識に巡り会いながら、貴方は死王の領域を超えることが出来なかったのです。
貴方の言われる「創価学会内部改革派憂創同盟」なるものは、所詮は創価麻薬の中毒患者の妄想の産物に過ぎません。
その残党である貴方は、麻薬から手を切ることのできない患者が、麻薬からの脱却を訴えているようなものです。
惨めな負け犬の遠吠えのようなものです。
貴方の一連の行動は、如何に創価学会の施す洗脳が深層心理の奥底まで汚染しているのかを如実に示すものであるとともに、創価学会から脱会して良識を取り戻した方々が、如何に勇気と強靭な意志の力で、魔の領域を打ち破ったかを示して余りあるものでしょう。
まあ、そうしてウダウダと人生を浪費してくださいませ。”光陰矢のごとし”と申します。
あっと言う間に人生は過ぎ去ってゆくのですよ。
お大事に。
【追記】
三船先生、貴方は創価学会”狂宣部”じゃないのかね?(笑)
【usotukimeguさん】
「本門戒壇大本尊」の画像解析に使用された写真は由井一乗が提供して『日蓮上人』に使用されたものです。
ネット上に流出した奉安堂安置の同本尊と照合済した結果、映像が合致したのです。
正宗側がネット上に出している同本尊と「日禅授与之本尊」は縮尺補正ぜずに並べただけのものだから、反って嘘臭くなるのです。
仏眼寺の通称「飛び曼荼羅」といい「本門戒壇本尊」といい、日蓮図顕の本尊でないことは、曼荼羅評論家の阿部日顕氏がお詳しいようで。
雉も鳴かずば撃たれまいに。
日蓮正宗の人の決まり文句の登場ですね。すなわち「守文の徒」とかね。その程度しか言い返せないわな。
「縁遠い」ので結講ですよ。
私はただ、第三者の視点から回答してきただけですからね。
「依義判文」などという自家撞着の文献解釈は致しません。
kyougakukyoujyuさん
保田妙本寺信徒のyosihama453さんに教えていただきたいことがあります。
貴方は「最新の研究では『道郷論争』は無かったと言われています。あったのは妙本寺日伝師と大石寺日行、日時の東坊地(蓮蔵坊)を巡る係争です。」と教えていただきましたが、だとすると、大石寺が主張している大石寺東坊地の所有権を巡って日道と日郷が対立し、建武二年(1335年)の秋に日郷は大石寺蓮蔵坊を退出し、一時は小泉に留まって、旧縁のある安房吉浜に移って法華堂つまり現在の保田妙本寺の基礎を建立し、次いで小泉に蓮蔵坊(小泉久遠寺)を建立したとする宗史の中で、日道と日郷の東坊地の係争はなく、あったのは、次の代の日行、日時の東坊地を巡る係争だから『道郷論争』は無くと、七十余年続いた係争と日道・日郷の両者は無関係だと言う理解でよろしいのでしょうか?
その最新の研究でいう『道郷論争』とは、大石寺の四代目の跡目の事なのでしょうか?
rsd氏の過去の回答を読むと、大石寺側は大石寺の後継問題を単なる東坊地の相続問題にすり替えているとして『道郷論争』に於ける大石寺の言い分を斥けていますが、その端緒が日道・日郷の両者の時代にはなかったとすると、日郷師は純粋に跡目問題で日道と対立したのか、或は、対立そのそのものがなくて、独断で万年救護之大本尊や聖教類聚を持ち去ったかのようになってしまいませんか。
要するにrsd氏の主張する大石寺の問題のすり替え説が正しければ、日郷上人の門流に軍配が上がり、日道と日郷の両者の間にまったく論争なるものがなかったとすれば、日郷師は大石寺の言い分以上に、正当な理由もなく御本尊や什宝を持ち出したことになるのではないでしょうか。
rsd氏の言う、寺の相続には寺地や寺領の相続はつきもの、という当時の社会常識を考慮した意見の方が正しいように思うのですが。
また、近接する時期の問題を別立てで考えることは果たして可能なのでしょうか。
その「最新の研究」なるものの出所も教えて欲しいのです。
また『道郷論争』自体が無いとすると、後に北山本門寺と大石寺が袂を別つことになる小泉・保田VS大石寺の血脈問題の根拠は始めからなかったことになります。
極端な言い方をすれば、富士門流八本山は全て平等で、取り立てて正統を主張できる寺院なぞはないということでしょうか?
だとすれば、大石寺が正統ということも出来ない代わりに、保田妙本寺こそ正統とも言えない訳ですよね。
何分とも、学会教学しか学んでおらず、文献や最新の研究等は知らない者の質問です。
よろしく御教授のほど、お願い致します
。m(__)m
補足
早々に回答ありがとうございます。
要するに大石寺は卑怯にも日行・日時の頃に起きた東坊地の係争問題を、恰も日道師と日道師の時代に始まったかのように話をデッチ上げ、その事が契機となって日郷師は大石寺を退出したのであり、血脈問題は後からの保田・小泉のデッチ上げだと言ってますから、旧資料に依っているとは言えRSD氏の言うように、日蓮正宗は問題の本質を摩り替えたと言えると思います。
御見解を聞かせて下さい。
ベストアンサーに選ばれた回答
yoshihama453さん
日郷、日道の代には東坊地の係争はありません。
日郷については、その弟子の薩摩阿闍梨日叡の類集記(現存)に『日蓮聖人御出世御本懐御法門、日目聖人御相承ハ、弘安五年正月一日也。日目上人ヨリ日郷御相伝ハ元弘元年十月一日也』とあり、
また、大石寺所蔵の日郷自筆の系譜図には、受法は、『日蓮聖人―日興―日目―日郷』とあり、学法は『日蓮聖人―日目―日郷』とあります。
また、日目は本尊の授与書きにおいて日郷を『日目弟子也』と明記しており、日郷自筆の法系譜や日叡の類集記の記述からも日目から日郷への相承は充分、立証できます。
対して日道は、文献から確認できるのは日目との縁戚関係から田畑二箇所と奥州上新田坊並びに講師職を譲られています。しかし相承されたとの文献はありません。
東坊地については、南条家惣領の時綱より日郷へ建武五年五月五日に寄進を受けています。
それと、日郷は大石寺を退出はしておりません。日郷は日目の命で安房へ布教をしていて大石寺と安房とを往還しております。
従って、日目の跡目は日郷で間違いはないでしょうね。
東坊地は、日郷遷化後12年後に日行がの新地頭、興津氏に虚偽告訴による押領行為から始まります(南条家は既に退出)。
これは、日行が東坊地は先師(日道)から相続されたものであり、本主(南条)から寄進されたものであるとして興津氏に訴えたものです。
しかし、日道から相続されたとの主張は、時綱寄進状や日郷置文に照らせば不当な訴えで時綱や日郷が存命ならばまかり通らない暴論であることは明らかでした。もちろん日郷の跡目を継いだ日伝は、日行の訴えを看過するはずはなく駿河守護今川家に日行の『違乱妨』を成敗すべく訴えています。
すみません、字数制限で書きこめませんので新たな質問でお願いします。
質問した人からのコメント
僕たち学会員は日蓮正宗の大ウソに永年騙されていたのでしょうか。日道~日達も正統ではないということになります。僕は新聞配りまでして正本堂の御供養をしました。嘘で固めた正宗は学会員の怨念で滅びるでしょう。
RSDさんの過去の回答だけでも衝撃なのに、yosihamaさんの回答を読んで今夜は眠れそうにありません。
また、質問しますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。