前から一度訪れたい場所であった内子・・・・はじめに内子座へ。
大正5年2月(1916)、大正天皇即位を祝い創建。昭和60年に修理復元工事完了。
この日は訪れる人もなく貸し切り状態だった為、奈落までゆっくり見学出来た。
内子の市街地を散策したが、商店の方が震災以来旅行者が激減したといわれていた。
町は静まり返っていた。
自粛ムードの中観光地は閑散としている。観光客が戻るのはいつになるのだろうか?
『木蝋と白壁の町並み』を堪能・・・・
後ろ髪をひかれながら午後の便で東京へ戻る。
前から一度訪れたい場所であった内子・・・・はじめに内子座へ。
大正5年2月(1916)、大正天皇即位を祝い創建。昭和60年に修理復元工事完了。
この日は訪れる人もなく貸し切り状態だった為、奈落までゆっくり見学出来た。
内子の市街地を散策したが、商店の方が震災以来旅行者が激減したといわれていた。
町は静まり返っていた。
自粛ムードの中観光地は閑散としている。観光客が戻るのはいつになるのだろうか?
『木蝋と白壁の町並み』を堪能・・・・
後ろ髪をひかれながら午後の便で東京へ戻る。
朝Nと幼馴染のEの案内で中町へ。
マンホールは開明学校
江戸中期から昭和初期の商家が立ち並び、その中登校途中の小学生が
あいさつして通り過ぎる。 古い街並みは時代を超えてとおい昔へといざなう・・・・
雨が上がったからとNの小学校時代からの友人でミカン農家に嫁いだ
Eが声をかけてくれて、急いで法ケ津のお友達の家に車で向かう。
トロッコでミカン山の上にのぼってNとEが小一時間で沢山の筍、蕨、すかんぽを収穫・・・・
伐採されたミカンの木がくべられて 子供の頃梅干しを筍の皮に包んでいただいた思い出をNが再現
すかんぽ(別名 虎杖-イタドリ)で水車を作ってあそんだというEが小学生にもどっている。すかんぽの節にきりこみをいれて水にさらすとくるっと丸まる。芯に割り箸をとおすと水車に・・・・土手のすかんぽジャワ更紗・・・・歌詞がうろ覚え? この歌を知っているのはEと私だけ。。。
筍ごはんと山菜をおなかいっぱい戴いたのに、最後にお餅を焼いて砂糖醤油でいただく
完全に子供がえりして楽しかった一日...
昨年末からの予定であった友人Nの故郷の締め切った家に
風を通しに行くのと墓参を兼ねる旅に同行させてもらった。
羽田から松山空港へ飛び、Nの幼馴染Eの出迎え。約70キロ車を飛ばして宇和町へ。
まず地元の市場を案内してもらい、揚げたてのじゃこ天を頬ばる。美味しさに絶句。
どんぶり館で地元の新鮮で廉価な食材に、豊穣な土地に住む人々の暮らしを垣間見る。
Nの昔からの行きつけ『やすい食堂』でお昼。 タケノコやぜんまいの小鉢をサービスしていただき
お値段が300円台とは驚き!
N宅の掃除、庭の雑草取り、納屋のお掃除で、懐かしい昔のものに魅入る・・・・
裏山に筍掘りにいったが、筍はまだ顔をだしていない、里山の散策何をみても感激
ニュースを聴くのが怖い毎日
人間が創造したものに絶対はない
盲信しているか、目を背けていた....
関東に住む人達の電力供給の為に、福島の人達が今避難民になっている
矛盾と心の痛みを覚える・・・・
原子力発電はクリーン・エネルギー・・・・
だが一歩間違えると空気や水、土壌を汚染し健康被害を
及ぼすなんて考えてもみなかった自分を反省している
電力消費を出来るだけ抑えて生活しようと試みている
これ以上の原発を作らせない為にも・・・・
大震災からまもなく4週間が経とうとしている
例年なら皆お花見で浮かれている季節
入学式、入社式・・・ 始まりの季節でもある
津波にすべて押し流されてしまった土地に種が芽生え、
又森になるのにこれからどれだけの時間が必要なのだろうか
ふと気がつくと庭のスノードロップ、ムスカリ、チューリップが花を咲かせ、
木々が芽生えている、季節は巡る
どんなに過酷でも人は今日を生き明日に繋げる、それを信じたい