「火の用心!!」カーン、カーン 拍子木の音が乾燥した外気を通して時折聞こえる。
「火の用心」と拍子木を叩き声をかけて回る夜回りとは、
江戸時代からの風習だと言われているが、
この風習が今でも残っているのは不思議な気がする。
日本橋で育った子供の頃は物売りの声が色々聞こえてきた。
お豆腐屋さんのラッパ、石焼き芋、金魚売り、風鈴屋、刃物研ぎ、屑屋お払い、
夜泣きそばのチャルメラ、按摩さん、さおだけ屋。
又裏の勝手口には経木に墨でしたためた本日の品書きをもって魚屋さんが御用聞きにくる。
お刺身を注文する時に、好みの魚を決めお皿を渡すと岡持ちにいれて、
刺身のつまと共に綺麗に盛られたお刺身を食事時に届けてくれる。
富山の薬屋さんは紙風船をくれたし、
氷屋さんは冷蔵庫に入る大きさに氷を鋸で引いて届けてくれ、
千葉からくる野菜の行商のおばさんは大きな背負い籠をしょって来た。
夏休みに遊びにいった家は大きなお倉のある豪農で2.3日過ごさせてもらった記憶がある。
地平線まで一面の西瓜畑で西瓜をもいでいただいた。(幼年時代なので畑の広さが曖昧・・・・)
屑屋お払いは新聞紙や本をうまく束ね天秤ばかりで重さを測り、
空き瓶や空き缶、金属類を布袋にいれて引き取り、
交換に幾ばくかの金銭のやり取りがあったような記憶がある。
天秤ばかりに興味があって屑~ィという声を聞くと居てもたってもいられなく
外に飛び出した。
各家の横には黒く塗られた木製のゴミ箱が置いてありバタヤさん(廃品回収業)が
ゴミ箱の蓋をあけ再生可能、換金可能のゴミを選別して、
背中の竹製の背負い籠に大きなトングのようなものでポイポイ落としていく。
今のように溢れるようなゴミは巷になく、再生や修理して使っていたものが大半だったのだろう。
今年の春、家のあった界隈、両国橋・浅草橋・柳橋・左衛門橋・美倉橋を散策し、
お昼に子供の時家族でいったり出前を頼んだ中国料理 鳳凰軒おおとりけん
でランチをいただいた。
当時あった店について鳳凰軒オーナーと思われる方に伺うと
すでに廃業をしているお店が多かった。
子供の頃家で出前をお願いした事を話すと、「ちょっと待って」と言われると
店の奥から勤続40年を超える出前をされていた方が挨拶に出ていらした。
須田町を抜け御徒町まで歩いた。 大人の足で歩ける距離。
冒険と称して、両国橋のたもとにあるももんじゃの店の前に吊るされているイノシシを見に行ったり、
ドーム型の両国国技館まで歩いていったあの頃・・・・・・・
子供の頃の距離感と今の違いにあらためて驚き。