饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)の右手の石の階段をのぼると津長神社(つながじんじゃ)です。
※伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社
五十鈴川西岸、宇治橋と対面する鼓ヶ岳の山麓、正前の森に鎮座していて、内宮末社の新川神社(にいかわじんじゃ)および石井神社(いわいじんじゃ)とともに祀られています。
(が、呼び名は津長神社です)
3社とも倭姫命の定めた神社であり、祭神は水神で、やはり大雨の中、参拝する事になり『激歓迎』を受けたのだろうと(勝手に)解釈しています。
お初参拝の神社で大雨が降る場合(しかも参拝している間だけ)は、縁の深い神社とか、喜んでくださっていると思って間違いないと思います。
激しい雨は、オーヴと混ざり合って写真にも写りこむのであとでパソコンで写真を見直すのは本当に楽しいです。
ウィキペディアより
津長神社は、『倭姫命世記』の記述に従い、垂仁天皇26年創建と考えられる。『皇大神宮儀式帳』によれば、社地は3町(約3ha)と現今に比べ大変広かった。往時の社地は五十鈴川の岸辺に近く、現今よりも重大な祭祀が捧げられていた。中世以後、祭祀が断絶し、寛文3年12月21日(グレゴリオ暦:1664年1月19日)に遷御(せんぎょ)の儀を行い再興された。再興した大宮司の河邊精長(大中臣精長)は『倭姫命世記』の記述に従い、古代の船着き場であったであろう江戸時代当時の河原に比定(注2)したのである。ただし、旧饗土橋姫神社鎮座地(宇治橋前のロータリー)近傍(注1)にあった「川端屋」という商家があり、その裏屋敷にあった石積が旧社地であったとする説もあった。明治4年(1871年/1872年)、津長神社に新川神社・石井神社を同座させる。新川神社・石井神社は元来別の場所に鎮座していたが、中絶したため、津長神社と同座することになったと、1879年(明治12年)の『伊勢国度会郡 神社明細帳』では報告している。社殿は1916年(大正5年)と1956年(昭和31年)3月に造り替えられ、1977年(昭和52年)に大修繕が施された。津長神社は、内宮の摂社27社のうち第14位である。鎮座地の古い地名を「津長原」と言い、五十鈴川を遡上してきた船の船着き場があった。倭姫命もここで上陸したと伝えられる。『延喜式神名帳』では「津長大水神社」とする。
注1)近傍(きんぼう)かたわら
注2)比定 比較して(成立年代などを)推定すること
祭神は栖長比賣命(すながひめのみこと)で、水神であるとされる。
大水上命(おおみなかみのみこと)の子であるという。
大水上命の御魂であるとされる御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)は、内宮末社の那自賣神社(なじめじんじゃ)で祀られている。祭神名「栖長比賣命」と社名「津長神社」は似ているが、祭神名と地名の起源はどちらが先かについては議論がある。
津長神社、饗土橋姫神社、大水神社・・・と内宮の宇治駐車場の裏手にあり、すぐに見つけることが出来ます。
内宮参拝の前にお参りに行かれるのもいいと思います。
※出来たら内宮参拝後よりは、その前にしてください。
地図で見た位置関係はこんな感じです。
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