発見が常識を覆す、覆った常識が時代を変える、変わった時代が人間と政治を変える

政治は知恵を出せ
政治家よ常識を変える発見をしろ
政治家よ時代と人間を変えろ
政治は誰にでも出来る物ではない

奇跡か?それとも”神がかり

2008年07月25日 | Weblog




     宇佐神宮
    八幡宮の総本山

何度も言うが・・彼女は普通の主婦だった・・
愛する者を失った代償で得た能力だ・・・・・

学問を積み重ねるという苦労で勝ち得た知識が・・学者たち
生きる苦労を重ねた苦労で得た知識・・・・・・・霊能力・・

給料をもらいながらする学者には・・
生きる苦労は無縁のもの・
霊能力を理解できない原因だ・・・

卑弥呼の場合は千年に一人・・・神がかった人物だった

神より授かった能力で大活躍・・・
やがて・・寿命が尽きた
亡骸は 夫と娘が眠る墓の隣に埋葬された・・

後に・・大和朝廷が社を建てた・・

彼女の活躍を称して・・神宮皇后と称号を与えた
だから・・      夫は応神天皇の敬称を得た
娘は・・・・一人娘で 一姫・・・

宇佐神宮の祭神だった・・・

卑弥呼のたぐいまれな知識は・・天から夫が教えたに違いない
なぜなら・・夫婦は一心同体、
心はこの世とあの世を繋がっているから

宇佐神宮の広大な敷地は・・墓守として・・
卑弥呼の弟(難斗米(ナシメ))に与えられた・・・
そして・・彼の子孫が増えて・・・分家していく
やがて・・宇佐神宮は・・八幡宮と称し 
本家は総本山となる・・・

百枚の銅鏡は・・ここに眠る・・たぶんここの・・あそこだ

宇佐八幡宮は天皇家の守り神・・・
湯気の道教・・和気の清麻呂がここにきてお告げを聞いた話は有名だ。

卑弥呼の謎が・・・もうひとつ・・・天皇家との密約がある・・はずだ

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卑弥呼の策略  2

2008年07月22日 | Weblog


魏の都は洛陽・・邪馬台国の都は宇佐・・
宇佐と洛陽を直線で結び・・20:1 4000KM:200km
そのポイントが・・金印の発見場所志賀島だ・・卑弥呼が金印を埋めた場所
金印は・・道しるべだった


南、投馬国に至るのに水行二十日。
長官を弥弥(ミミ)、次官を弥弥那利(ミミナリ)という。
五万余戸ばかりがある。
また南、邪馬壹国に至るのに水行十日・陸行一月。
ここが女王の都するところで、長官を伊支馬(イキマ)、次官以下を
弥馬升(ミマショウ)・弥馬獲支(ミマカキ)・奴佳(ナカテ)という。
七万余戸ばかりがある。
女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載できるが、その他の周辺の国は、遠くへだたり詳しく知りえない。


卑弥呼は思った・・・
魏の使者を招くにあたって・・・馬鹿にされては困る・・
まず・・魏の国は大きい・・倭の国は小さい・・
だから・・大きく見せたい・・・・・
そこで、卑弥呼は策略を練った・・・

策略 1・・対馬から志賀島から・・
      水行すれば・・5日
      陸行すれば  7日 のどちらかで邪馬台国に着く
それでは・・1か月もかかる魏の大きさに比べれば・・
あまりにも・・・・小さすぎるから

そこで工夫をした・・・・
最短距離をやめて・・右回りコースをとらせた・・・
佐賀ーー長崎ーー熊本ーー鹿児島・・薩摩湾に上陸し・・
後は陸行・・鹿児島ー宮崎ー大分を縦断させた・・

しかし・・それでも時間は余る・・・
あまった時間は魏の使者が消費した・・
「ノーパン、しゃぶしゃぶ」の接待だ・・
ここが・・「壱国です」と称し・・酒と温泉と女で・・接待・・
失った時間が・・距離が距離が増える・・

使者の立場から・・王に報告する・・倭とは何ぞや?
遊んで消費した時間は・・絶対に報告できぬから・・

この・・卑弥呼の策略は・・日本人の子孫まで・・騙せた・・

徳の高い霊能者・・・何をもって・・「徳が高い?」という

「できるだけ遠くの未来が見えるもの」だと私は思う

松本清張の邪馬台国

2008年07月21日 | Weblog
  魏より持ち帰った100枚の銅鏡
  卑弥呼の墓に埋まっている

汝が来使難升米・牛利、遠きを渉り、道路勤労す。今、難升米を以て率善中郎将となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。今、絳地交竜錦五匹・絳地スウ粟ケイ十張・セン絳五十匹・紺青五十匹を以て汝が献ずる所の貢直に答う。また、特に汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹.金八両・五尺刀二口・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各々五十斤を賜い、皆装封して難升米・牛利に付す。還り到らば録受し、悉く以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜うなり」と。

正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詣書・印綬を奉じて、倭國に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詣を齎し、金帛・錦ケイ・刀・鏡・サイ物を賜う。倭王、使に因って上表し、詣恩を答謝す。

その四年、倭王、また使大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口・倭錦・絳青ケン・緜衣・帛布・丹・木? ・短弓矢を上献す。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を壱拝す。その6年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、 郡に付して仮授せしむ。

その8年、太守王キ官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹エン史張政等を遣わし、因って詔書・黄幢をもたらし、難升米に拝仮せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。
卑弥呼以て死す。大いにチョウを作る。径百余歩、徇葬する者、百余人。更に男王を立てしも、國中服せず。


上記は魏志倭人伝の後半の部分・・一番重要な部分だ・・

卑弥呼以て死す。・・・・この記述を彼(松本清張)は殺されたと解釈してる・・・つまり・・特殊な死・・
日照りや洪水や不作が続き・・天災は王の不徳が原因だとして・・代わりの女王に変わったと・・・

私は、まったく違う解釈をしてます・・・

卑弥呼は徳の高い霊能者だ・・
100人もの人間()を殺すはずがない・・
とすると・・鏡・・「鏡は女の魂を吸い取る」という
だから・・魂を吸い取った鏡を殉教させた・・・・

魏からも持ち帰った鏡は平成の今日まで発見されてない。
100枚の銅鏡の発見が・・卑弥呼の墓だ・・・

もうひとつ・・卑弥呼以て死す・・・この意味は・・

卑弥呼の命を受けて魏に赴いて・・
「100枚の銅鏡と魏の軍旗を持ち帰った・・
さらに・・魏の公文書にこのことを書き残しました」・・と
卑弥呼に報告をした

それを聞いて・・(以て)・・・・
「あ~~!”私の使命は終わった・・
もう”いつ死んでも悔いはない」
・・・・と安らかに死んでいった・・

これが・・私の解釈です

三種の神器

2008年07月17日 | Weblog
テレビ番組で火曜午後8時・・新日本ミステリ~~~

この番組は歴史の謎を特集してる・・・
前回は三種の神器も一つのテーマだった・・・

関東に大王が居た・・勾玉と鏡と剣・・これが神器・・
この道具が関東で作られているらしいと・・・

長々と説明していた・・・

しかし”・・肝心の説明がない・・・

いつ・・誰が・・何の目的で・・作った?
神器の持つ意味は・・しかも三種・・・・

東大を出ようが・・京大を卒業しようが・・
肝心なことを知らねば・・・アホだ”