仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

ワクチン薬害、祈りの科学的研究、人体構成分子によるオーソモレキュラー医学、医学の大罪、太陽系惑星文明の科学的証拠

ジェンナーの種痘の予防接種は、本当は大量虐殺のワクチン地獄だった、我々は騙されている

2023年06月29日 18時52分40秒 | ワクチン薬害・副作用: 自閉症・発達障害の原因

ジェンナーの種痘の予防接種は、本当は大量虐殺のワクチン地獄だった、我々は騙されている

 

エドワード・ジェンナー 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC

エドワード・ジェンナー(Edward Jenner、1749年5月17日 - 1823年1月26日)は、イギリス医学者

天然痘の予防において、それまで行われていた人痘接種法より安全性の高い種痘法(牛痘接種法)を開発した。近代免疫学の父とも呼ばれる。

(引用終わり)

 

ジェンナーの典型的な評価は、Wikipediaに書かれているようなものです。

しかし、実際には、種痘の予防接種は、大量虐殺でした。

その事実をご紹介します。

医学会や政府は、大嘘をついて市民を騙しているのです。

 

「ワクチン神話捏造の歴史」

ロマン・ビストリアニク (著), スザンヌ・ハンフリーズ (著), 神瞳 (翻訳), & 1 その他

でも同様に事実がまとめられています。ぜひお読みください。

 

古き地獄の時代については、既にお伝えしています。

「感染症の大幅減少は、上下水道・ゴミ処理などの衛生環境、栄養、労働環境の改善により発生した。

改善前の19世紀から20世紀にかけての悲惨な地獄の状況は、ブログの

スザンヌ・ハンフリーズ著: ワクチン神話捏造の歴史(26)の「古き地獄の時代1~24」を参照。」

 

その地獄の時代は、ジェンナーの種痘によるワクチン地獄の時代でもありました。

ワクチンとは、初めから大量虐殺だったのです。

そのため、反ワクチン運動が起きていました。

古き地獄の時代24

Anti-vaccination rally, 1920 反ワクチン集会、1920 年

 

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 

出典

危ないぞ予防接種―イギリスからのメッセージ すべての親が知るべきこと

レオン チャイトー (著), Leon Chaitow (原名), 藤井 俊介 (翻訳)

出版社 ‏ : ‎ 農山漁村文化協会 (1992/10/1)

発売日 ‏ : ‎ 1992/10/1

https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%9E%E4%BA%88%E9%98%B2%E6%8E%A5%E7%A8%AE%E2%80%95%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8-%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%A6%AA%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%8B%E3%81%B9%E3%81%8D%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BC/dp/4540920685/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=KU65JM5XQCX9&keywords=%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%9E%E4%BA%88%E9%98%B2%E6%8E%A5%E7%A8%AE&qid=1687828311&s=books&sprefix=%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%9E%E4%BA%88%E9%98%B2%E6%8E%A5%E7%A8%AE%2Cstripbooks%2C393&sr=1-1

 

第二章 予防接種の驚くべき歴史

 

要点

 

(1)一度種痘に成功すれば、二度と天然痘にかかることはないという彼(補足:ジェンナー)の主張は、これに反対する山の ような証拠があったにもかかわらず、広く受け入れられた。後になってヨーロッパでは、すべての幼 児たちが牛痘の接種を受けることになった。そのあげく (十九世紀後半に) 天然痘の大流行に蹂躙され、それがきっかけとなって、ジェンナーによって提唱された方法は禁止されたのである

 

リンドラールは次のようにいっている。

「一八七〇~一年にドイツでは天然痘が猛威を振るっており、一〇〇万人以上の人が罹患し、 一万 人が死亡した。ところが、これらの人の九六%は、種痘をしていたのである。たった四%の人が防衛 力のない状態だったにすぎない。そこで、ドイツの首相・ビスマルクは各州の政府に通達を送り、そ の中で、発疹性のおびただしい病人は種痘に起因していること、そして天然痘予防のための牛痘接種 の効き目は完全にいつわりであることが明らかになったことを述べていた」 (#)

 

(2)イワン・イリッチは、明確に指摘している。

「工業化時代の最初から優勢であった伝染病に対して は、どのような医療が効果的であったかを明らかにすることができる。

たとえば、結核は二世代に またがって最高潮に達した。 ニューヨークでは一八一二年に結核の死亡率は確実に最高であった。 そ してコッホが最初に結核菌を培養し菌体染色をした一八九二年までには、人口一万人当たり三七〇人 に減少していた。最初のサナトリウムが一九一〇年に開院したときには、その率は人口一万人当たり 一八〇人に減少していた。当時結核は、死亡率表の第二位であったけれど、第二次大戦後は、抗生物質が一般に普及する以前でも、一万人当たり四八人の率で、死亡率表の十一位にすべり落ちていた。

コレラ、赤痢、 チフスなども、医療にたよることもなく、同様にピークに達した後、衰えてしまった のである

病因論が解明され、特効ある治療法が確立されるときまでに、それらの学問は関連性の多 くを失い、必要ではなくなっていた。

猩紅熱、ジフテリア、 百日咳、麻疹の一八六〇~一九六五年間 の総死亡率は、十五歳以下の子どもでは、抗生物質の導入とジフテリア予防接種の普及する以前であ ったが、この期間に総計で、九〇%近くの減少を示している」

 

この死亡率の低下についての説明は、衛生状態の改善、住環境の向上、 そして何よりも栄養状態の向上のために、病気に対する抵抗力が強化されたこととともに、微生物そのものの毒性の変化に、 関連させることができる。

 

このようにして、天然痘や過去の多くの感染症の自然史は、よく似たパターンをたどった。 そして、 これは予防接種に関連があるというよりもむしろ、人間集団でのより良い環境、より良い栄養状態に 関連が大きいのである。このことは、これらの感染症を制圧する方法を改善するために、全力を注ぐ 立場に立って考える場合、我々に明白で重要なガイドラインを与えてくれる。

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

25

第二章 予防接種の驚くべき歴史

 

予防接種は、天然痘にかかったときの危険を最小限に食い止めようという、何世紀にもわたる試み から始まった。人々は天然痘を防ぐ種痘法の父として、エドワード・ジェンナーを知っているが、事 実は牛痘(牛の天然痘)の種を使ってこの病気を予防しようという試みは、彼が実験をする前の世紀 から行われていた。彼のアイデアは、この方法を使うことから生まれたのである。

 

古代のイギリスやドイツで魔術や予言などを業としていたドワルド派の僧侶たちは、徐々に身体の 抵抗力をつける試みとして、天然痘の患者の膿疱からしみ出した液を均質に薄めたものを使ったりし (#2) ていた。中世においては、同種毒療法として知られる天然痘の産生物 (膿や滲出液など)を使って病 気を治療しようとする方法が、当代一流の天才的医学者パラセルサスによって、特別に用いられた。 歴史家ル・デュクによれば、一六七二年シラクサの老女がコンスタンチノープルで同じような方法を 用いたとのことである。彼女は希望者の肌にX型に切り傷をつけ、傷口に天然痘の膿汁をこすりつけ た。そして、これが天然痘を予防する確実な方法なのだといっていた。また、こうした天然痘の分泌

 

26

物に触れることを勧める以外の方法として、敬虔な祈りを捧げること、肉食を絶つこと、四十日間断 食をすることなども行われていた。なかでも断食は、個人の健康上意味深い利益効果があるとして好 まれた。

 

なのに、この時代に天然痘がヨーロッパの広い地域に流行していたことは、記憶すべきことである。 しかも多くの地方でよく似た予防法が行われていたけれども、すべて自己満足にすぎなかったのだ。 しかしながらこのとき、エドワード・ジェンナーの仕事によって、種痘の組織的な実施が行われる ようになったのである。彼の職業は散髪屋で、手足を治療する医師でもあった。 バーナード・ショウ (#m) によると、天才というに値する彼のたった一つの資格は、牛の病気である牛痘に触れると天然痘にか からないという考えを、ジェスティという農夫から聞き出したという点だけなのである。

 

この話の実際は、もっと複雑である。というのは、牛痘にいつも触れている乳しぼりの人たちから 十分な情報を得ていながら、ジェスティの批判にもかかわらず、ジェンナーは「この防衛力は馬から 得られたものであって、牛たちは馬痘に感染していたのだ」と主張したのである。そして彼は、病気 の馬から直接人に接種することを主張した。にもかかわらず、彼の実験は当時の人々に幻想をもたら し、英国議会は総額三万ポンドの賞金を彼に与えたのである。

 

一度種痘に成功すれば、二度と天然痘にかかることはないという彼の主張は、これに反対する山の ような証拠があったにもかかわらず、広く受け入れられた。後になってヨーロッパでは、すべての幼 児たちが牛痘の接種を受けることになった。そのあげく (十九世紀後半に) 天然痘の大流行に蹂躙され、それがきっかけとなって、ジェンナーによって提唱された方法は禁止されたのである

 

リンドラールは次のようにいっている。

「一八七〇~一年にドイツでは天然痘が猛威を振るっており、一〇〇万人以上の人が罹患し、 一万 人が死亡した。ところが、これらの人の九六%は、種痘をしていたのである。たった四%の人が防衛 力のない状態だったにすぎない。そこで、ドイツの首相・ビスマルクは各州の政府に通達を送り、そ の中で、発疹性のおびただしい病人は種痘に起因していること、そして天然痘予防のための牛痘接種 の効き目は完全にいつわりであることが明らかになったことを述べていた」 (#)

 

バーナード・ショウは『ネイション」誌上に、次のように書いている。

「種痘によって生命を守るのに失敗したことが否定しきれなくなると、とどのつまり、七年間はまだ 有効だといい立てる(七は特別な魔法の数である)。そして多くの場合、再接種を義務づけたのだ。 たとえば、さまざまなお上のサービスにつき合わされ、あげくの果てに、へき地に隔離されたりした。 種痘がなかったころは死の災害は七年目ごとであったものが、七ヶ月目ごとになり、記録上天然痘の 最も驚異的な大流行が起こって、種痘の義務接種が再高調に達した一八七一年には、毎日誰かが死の 災害を受けたのである。この状態は、一八八一年の他の大流行まで続いた。ついでではあるが、この一八八一年には私も接種されたが、病気にかかってしまった。だが私は祖父よりも幸いであった。 祖父は旧式の接種をし、種痘をし、その上自然の天然痘にかかったのであるから」

 

それから後は、専門家たちは種痘にのみ頼ることは止め、発生を抑制する方法として隔離を始めた。

すると、この方法は驚くべき成果を上げ、衛生学の進歩とあいまって、 天然痘の発生をみごとに低下 させた。こうして種痘の強制は大失敗に終わり、ついに廃止されることになったのである。

しかし、このように失敗が明白であり、その上副反応が多発したにもかかわらず、種痘主義者は、 強制接種をしている期間はヨーロッパ全体として発生が低下しているとして、種痘を正当化しようと 試みた。

もちろん、この低下と種痘とが相関しているならば、他のすべての方法は排除され、この方 法の失敗よりも発生率が低いという長所のために、種痘の継続を促進することが重要であることを示 していたはずではある。けれど、天然痘の影響力の低下に対する栄誉を種痘に与えることはできなか った。なぜなら、種痘をするしないに関係なく、ヨーロッパすべての地域で低下が起こっているとい う事実があったからである。もしいくらかでも効果があるならば、コレラ、チフス、結核、赤痢とい った同時代に流行した他の多くの「死に至るやまい」の減少に対しても、同程度には効果があると認 められるべきであった。

 

イワン・イリッチは、明確に指摘している。

「工業化時代の最初から優勢であった伝染病に対して は、どのような医療が効果的であったかを明らかにすることができる。

たとえば、結核は二世代に またがって最高潮に達した。 ニューヨークでは一八一二年に結核の死亡率は確実に最高であった。 そ してコッホが最初に結核菌を培養し菌体染色をした一八九二年までには、人口一万人当たり三七〇人 に減少していた。最初のサナトリウムが一九一〇年に開院したときには、その率は人口一万人当たり 一八〇人に減少していた。当時結核は、死亡率表の第二位であったけれど、第二次大戦後は、抗生物質が一般に普及する以前でも、一万人当たり四八人の率で、死亡率表の十一位にすべり落ちていた。

コレラ、赤痢、 チフスなども、医療にたよることもなく、同様にピークに達した後、衰えてしまった のである

病因論が解明され、特効ある治療法が確立されるときまでに、それらの学問は関連性の多 くを失い、必要ではなくなっていた。

猩紅熱、ジフテリア、 百日咳、麻疹の一八六〇~一九六五年間 の総死亡率は、十五歳以下の子どもでは、抗生物質の導入とジフテリア予防接種の普及する以前であ ったが、この期間に総計で、九〇%近くの減少を示している」

 

この死亡率の低下についての説明は、衛生状態の改善、住環境の向上、 そして何よりも栄養状態の 向上のために、病気に対する抵抗力が強化されたこととともに、微生物そのものの毒性の変化に、 連させることができる。

 

このようにして、天然痘や過去の多くの感染症の自然史は、よく似たパターンをたどった。 そして、 これは予防接種に関連があるというよりもむしろ、人間集団でのより良い環境、より良い栄養状態に 関連が大きいのである。このことは、これらの感染症を制圧する方法を改善するために、全力を注ぐ 立場に立って考える場合、我々に明白で重要なガイドラインを与えてくれる。

 

そして、その場合、宿主(ホスト)とその免疫機能が、 中心的で最も重要な視点となる。論争の常として、免疫機能を高める最高の方法は病原菌を弱めたり菌体の限られた一部分を取り出した感染源(すなわちワクチン)にさらすことだと考える人もいれば、免疫機能を高めるには住環境や栄養要因を改善しなければならないと考える人もいる。もちろん、もしわずかの危険だけの予防接種で効果があるならば、 -我々は、そうだと信じさせられているが――その論争は、公平に考えられるものとなるであろう。

 

しかしながら、 予防接種は本来短期や長期の危険性をはらんでいることが判明してお り、またどれほど防衛効果があるかも疑わしいという指摘もあるので、すべての該当者への大量集団 接種には、再評価を加える必要があるのだ。

 

とにかく、ジェンナーによって推奨された方法は、十九世紀には悲劇的な失敗に終わった。そして 強制接種計画は、終局的には崩壊してしまった。

種痘を経て予防接種までに発展させる考え方と方法 論に、再び火をつけたのは、ルイ・パスツールの天才的な巧妙さと、行政への働きかけであった。け れど、パスツールが公開デモンストレーションにおいて得た結果は、この方法の望ましい点を評価し ようと試みる際の一つの大きな困難を明らかにしている。 予防接種は、個人単位では、特殊な微生物 に対するある程度の防衛力を刺激することを明らかにすることができた(我々はこの本の後の章で、 この過程に含まれているメカニズムを、いっそう厳密に検証するであろう)。しかし、もう一度声を 大にして「しかし」というが、この手法に内在する短期や長期の反動は、どうなのであろうか。

問題の要点は、けっきょく、予防接種によって一つも望ましい効果を得られないことがしばしばあ るというのではなくて、受容しがたい負担を負わないかぎり、健康に対して望ましい効果は得られな いということなのである。しかも、悲劇は、損失が明確でないという点にもある。 というのは、損失 の実態は長年の間現れないことがしばしばだし、たとえ現れても、因果関係を明らかにすることは必 ずしも容易ではないからである。 幸か不幸か、最近の医学調査では、予防接種に起因する健康上の長期にわたる危険の可能性はけっして思いすごしではなく、真剣に注意を払う価値のある問題であるこ とが示されている。

 

たとえば、麻疹のようなまれだけれど亜急性硬化性全脳炎を起こす恐れのある病気の予防が確立さ れたならば、どんなに多くの親が予防接種を受けるようにという勧告に喜んで応じ、愛する者を危険 にさらすことから免れることであろうか? また百日咳のような、不快な、まれには重篤化する病気 に対する予防接種の短期間の副反応が、脳障害やてんかんといった重い症状(それはまれではあるが) を起こすことが知らされたならば、どの親がその危険を冒すだろうか?

これら二つの例では、その 答えはわかりきっており、もしこの恐ろしい副反応と予防接種との間に確実な関連があるならば、接 種を受ける人はたちまちのうちにほとんどいなくなってしまうであろう。

また麻疹でも百日咳でも、いずれにしても、罹患したときの危険がごくわずかなものであることが わかっていたり、また子どもの健康状態が十分な栄養や摂生のおかげで申し分ないならば、接種を受 ける人は、さらに減少することであろう

しかも、実際には、面倒な副反応の可能性はありうるば かりではなく、起こることがほぼ確実だということ、そして子どもが罹患したときの危険は、基本的 医学的手段さえとられておれば、最小限に食い止められるのである。

 

*たしかに、麻疹の余病は、肺炎を始めとして、日本では非常にまれになっている。 ここに述べられている亜急性硬化性全脳炎も一〇万人に一人と、きわめてまれである。(毛利)

 

現に、きわめて重い脳障害の危険は、百日咳ワクチンでは実際に存在する。麻疹のようなワクチンでも、長期にわたる慢性の変性疾患の危険が存在する。 そして、この事実は氷山の一角にすぎないの である。

たとえば、百日咳ワクチンが脳障害を引き起こす事実を示すことはできるが(第五章参照)、 この深刻な副反応と取るに足りないような副反応との間に、どのような種類の副反応が存在するであ ろうか。ある一部の子どもには、わずかな行動上の変化が起こるかもしれない。他の子どもたちには、 健康状態を低下させる副反応が、注目されるかもしれない。このような反応の問題は、「起こるか起 こらないかどちらか」といったタイプではないからである。 最も深刻な副反応しか起こらない、とい うことはありえないのだ。 重篤な反応は、非常に劇的なものとして注目される反応ではあるが、長年 にわたって、あるいはひょっとすると生涯、子どもたちの健康と行動に降りかかってくるのは、無数 のちょっとした副反応なのである。 しかし、健康に影響を与えるすべての分野で何が危なくなってい るかを、合理的に理解しようとする我々としては、これらのちょっとした副反応も深刻で明白な副反 応と関連があるということを、心にとめなければならない。

 

さて、我々が次に考えなければならない問題は、医科学界で異彩を放つ存在として、誇張して見られているルイ・パスツールの業績についてである。

 

パスツールと彼の遺産

 

医科学界の多くの変革者によくあるように、 ルイ・パスツールは医学者ではなく実験化学者であった。ここに医学史上の彼の立場の再評価を考慮しなければならない根拠がある。というのは、彼の誠 実について疑いが表明されているからである。 実際、彼の偉大な「発見」のいくつかは、同時代の科 学者アントン・ビーチャム教授に負うところが大きい。

 

アーチー・カロケリノス医博とグレン・デッ (#) トマン哲学博士は、次のような論争を書いている。

「近代医学は、病気についてはパスツールの細菌学説を基礎としている。ある特定の有機体が特定の 病気を引き起こし、特定のワクチンが防衛力を与えるという学説である。 ある先天的体質の子どもは、 予防接種でも防衛力が得られず、接種時に死亡することもあるという事実を観察すると、このパスツ ールの独断の正当性に対して疑いの影がよぎるのである(第五章参照)」

 

人間はさまざまの理由で病気にかかりやすくなり、病原菌そのものも感染状態で簡単に優位に立つ ということが、やがて明らかになった。したがって、感受性のある者に予防接種をすることは、必ず しもその人たちに免疫を与えることにはならない。それは逆効果になるかもしれないのだ。

その上パスツールが、同時代の偉大な科学者ビーチャムの研究結果を剽窃したことが明らかになっ とき、この問題が白日の下にさらされた。この鋭い観察者によれば、生命の基本となるものは細胞 ではなくて、彼が「マイクロザイマ」と呼んだ生きた「遺伝子」なのである。 マイクロザイマは栄養 環境によって、ウイルスになったり細菌になったり、有毒になったり無害になったりと変化して、進 化できるのである。そして明らかにある特定のウイルスは、よく似た有機体を産出できるが、これは ある特定の環境状態が存在する場合にのみ可能なのである。他の状態下にあるときは、他のウイルスや細菌に変化することが起こりうるのである。

同じように、感染も、マイクロザイマの進化の過程による展開しだいで、 内因的にもなるし外因的にもなりうるわけである。こうして、ワクチンの誤りが説明され、細胞のおかれている栄養環境の重 要性が述べられているのである。

 

しかし、パスツールを剽窃者だと単純にきめつけてしまうことは、複雑な免疫の問題を理解するた めには役に立たない。我々が冒頭で提起した注目点は、パスツールと彼の後に続く者たちに対するも のである。もちろん、それは二十世紀の人たちの心に深く刻み込まれた、彼の業績に根ざす学説をめ ぐる、いくつかの論争に関するものである。

パスツールは化学者であって、彼の初期の業績は、結晶学に関するものであった。 結晶構造の変異 に関する研究と、これらを分離しようという努力の過程で、彼は、特殊な微生物は変異種を識別でき るので、実験に使うことができることに気づいた。彼はその後半生に、ブドウ酒、ビール、果実酒で の異常な変化について、原因を突き止めることを依頼された。それは、外見上同じ環境にあって何事 も起こっていないように見えているのに、酒が酸っぱくなったり不適当な発酵が起こり、経済的に大 きな損害をこうむるという問題であった。 この分野での彼の最初の研究は、牛乳に関連したものであ った。そしてその結果彼が得た結論は、分離することはできなかったが、特定の微生物が牛乳を酸っ ぱくする酸敗反応を示すのだということであった。次いで何年間もビール、ブドウ酒、酢、バターと、 発酵と酸敗に関連する珍しい事象の研究を行い、これらの生産物中のさまざまな変化はその中で活動している微生物に関係していると結論づけた。こうしてパスツールは、酸っぱいミルクの中には、酸 っぱいブドウ酒の中とは違った微生物が存在することを示した。 そして変則的な変化が起こったとき には、違った微生物が存在していることに注目した。

 

この成果を、イギリスの科学者ジョセフ・リスターが発展させた。 彼は殺菌した傷口からは感染し ないことを示し、外科的処置にこれを応用し、石炭酸を用いることを始めた。

さらにパスツールは、多くの人間や動物の病気にまで研究を広げた。彼はそれぞれの感染症には、 それぞれ特定の微生物が関係していると結論づけた。そして、これらの微生物を同定することによっ て、ジェンナーの初期の研究に関連している考えを用い、病気を防ぐことを始めた。パスツールが追 い求める微生物は、同じ環境の中で生活している宿主にまったく寄生していて、動物や人に外部から 感染する、と彼は信じていた。

ところが、パスツールが華々しく活躍したときと同時代のビーチャムの業績は、反対の意見を示し ていた。というのは、マイクロザイマと呼ばれる材料から、細胞中で微細な有機体の自然な変化が起 こることを、彼は信じていたからである。これら微細な粒子は、適当な環境の下にあれば、ウイルス や細菌そのものに変化することができると、ビーチャムは主張している。こうして感染の外部感染源 説は、パスツールがワインの発酵過程についての発見を「借用した」その人によって、対論が出され た。ビーチャム自身、彼の著書『血液とその要素』で、次のように述べている。

(#6)

「一八七二年、パスツールは、彼の最も大胆な剽窃を試みた。ブドウ酒発酵の酵母は、ブドウの中に自然に存在するということを私が発見した八年後に、いきなりそれを「発見」した。 これに関連して、植物や動物の構成物の中には、小さな細胞の中で、遺伝子がなくても、自発的に物質変化を起こさせ るものが通常存在していることをパスツールは発見した」

 

ビーチャムの学説によれば、マイクロザイマは生命現象の最小単位とみなさなければならない。細 胞ははかない存在のように見えるが、生理学的には不滅のマイクロザイマから構成されている。十九 世紀後半において、X線や電子顕微鏡の助けもなしに、 ビーチャムが、遺伝コードとしてのDNA構 造の二重ラセン形成のためにマイクロザイマが結合することを著述していることを知るのは、素晴ら しいことである。彼は著書の中で、次のように書いている。「マイクロザイマの集合体は、二重ラセ ンを形成する」。彼は、はっきりと具体化された率直な方法を用いた。そのおかげで、一九六〇年代 (ノーベル賞受賞者のウィルキンス、ワトソン、クリックがX線屈折を用いて証明する)までは、十 分に表現できなかったものを見ることができるようになったのである。 ビーチャムの方法は偏光を用 いることであった。これは第一のプリズムを通った光の波の振動を、第二のプリズムを通して見ると いうものである。

 

広く宿主の体内にマイクロザイマ(つまりはDNA) と呼ばれる基本物質がほぼ確実に存在してい るという事実を、ひとたび受け入れたならば、我々はウイルス粒子の起源について、理解しやすくな (#) る。雑誌『タイム」の記事によると、ウイルス粒子はビーチャムのいうマイクロザイマに、非常によ く似ているようで、「ウイルス粒子は生命最小単位のモデルである。それはただ単に遺伝物質の核の

み―DNA分子やRNA分子 から形成され、保護のサヤはタンパク質からできている」。だが、 ウイルスは、我々が知っているように、すべての生命体に共通の構成物である細胞構造が欠けている。 『タイム』は続けて、

「真の生命体とは違って、それは栄養代謝を必要としないしできもしない。宿主の助けなしには成長 しないし、増殖もできない。もしウイルスを試験管の中に入れても、そのままで何も起こらない。そ れは自分自身のコピーを作ることすらできない」

 

ビーチャムは次のように述べている。

「細胞は永久的な組織発生の要素ではない。その存在ははかないものであり、生命現象の単位でもあ りえない。細胞はマイクロザイマであるというよりは、マイクロザイマが細胞を作り、細胞が破壊さ れたときには作り直す働きをする。それは組織された生命原基の要素である一

不利な条件下では、このマイクロザイマ(いいかえれば原初期のウイルスあるいはバクテリア粒 子)は病原となることができる病気を引き起こすことができる)。 そして、このことは病的状態が 体内で生ずるのか、あるいは外部の病原から移ってくるのか、どちらにせよ真実なのである(ビーチ ャム説を支持する最近の証拠については、第六章参照)。

 

こうして、感染の起源について、外部説を信ずる者と内部説の信奉者の間で、論争が続いている。

たしかなことは、前者は近代医学で業績を上げている多数者である。しかし真実への決め手として、ビーチャム説を支持する意見もまた大きな広がりをもっている。 実際には、感染性有機体の起源について二つのまったく異なった見解があり、けっきょくこれが予防接種の一番の関心事となっているの だ。微生物発生の起源についての外部、内部両説には、真実についての大きな要素が存在するのであ ろう。というのは、両説とも尊敬すべき支持者によって、十分にそして大きな力と論理をもって、議 論されているからである。

 

予防接種に反対する人たちの立場からは、ビーチャムの業績は、身体の健康の重要性、免疫組織の 活力、そしてそれによる病気への自然抵抗力を強調しているように見える。それは哲学的概念を抜き にしても、細菌を弱めたもの(あるいは感染過程の他の副産物)を使って身体の防衛力を刺激し、さ まざまな微生物からの攻撃から身体を守ることを目ざしている人々とはかけ離れた、もっと大きな分 野のことに思えるのである。

そしてこうした見解の相違は、標準的な免疫獲得のためにどちらを選べばよいかを理解するのに、 基本的な問題となる。まず、予防接種の不利益がどんなものであれ、他に実行可能な選択がないかぎ り、それに対する反対論は崩壊してしまう。 また、現在受け入れられている方法に、「科学的」な根 拠があるといっても、その基礎となっている方法論と論理が不十分ならば反対意見の有無にかかわら ず、その根拠は崩壊してしまう。

で、実際を見ると、不適当に作り上げられた方法論と論理を基礎として行われている予防接種には、 基本的な難点がある。いいかえると、予防接種の結果として浮かび上がり、我々が今見ている失敗は、 不可避なのだ。なぜなら、それらが合理性に反する体系に基礎を置いていることのほかに、実験室での無菌状態で適用される原理は日常生活とはあまり関係がないということがいえるからである。もち ろん外部から細菌が入って起こる感染は、論争するまでもない。しかし、環境と適応状態にある身体 の中でも自然に発症しうることは、現存のウイルスによる「感染」の範囲の広さから、強く示唆され る。また、このようなウイルスや細菌の多くが、明らかに健康な人の体内でも発見される場合がある という事実も、同様に示唆されているのである。とすれば、毒性の程度がどうであれ、外部から引き 込んだ感染源でさえ、当然のこととして感染を起こすのではなく、ただ宿主(人間)がその活力を維 持することができず感染源に対し適切な環境を与える場合にだけ、病気が発症するということになる。

 ところで、この問題と現代の天罰エイズとの関連性が、ますます注目されつつある。サンフランシ スコのロス・カリフォルニア大学でエイズを研究しているジェイ・リビイ博士は、「エイズウイルス は、必ずしも人にその病気と接触させることを必要とするものではない。他の感染症、麻薬使用、栄 養不良、ストレス、睡眠不足が免疫(防衛)組織を弱める方向に影響する可能性もあるようだ」とい (#∞) う言葉を、『タイム』誌に引用している。「もし人の免疫組織が、このようなことで悪影響を受けない ならば、それはエイズウイルスと闘って撃退し、病気を悪化させないようにできると私は信じる」と も語っている。これは事態の正しい展望といえる。宿主すなわち感染した人と彼の免疫組織こそが、エイズ(あるいは何か他の感染症)に罹患するかどうかを決定するのだ。 もし身体がそういう事態を許すような状態ならば、そこはウイルスあるいは細菌のかっこうの活動の場となるのである。

ロックフェラー大学のデュボス教授は「ウイルスや細菌は、他の何かがないと、それ単独では感染(#9) 症を引き起こさない」と述べている。カロケリノス、デットマン両博士は、それにつけ加えて「ウイ ルスと細菌だけが、感染症の唯一の原因ではない。他にも原因はある」といっている。両博士がいう ように、「重要なのは、ウイルスや細菌が引き起こすものではなくて、それらを病原体に変身させ攻 撃的にさせるもの、たとえば細胞の栄養状態などである。だから我々の生活態度が重要になってくる のだ」と述べている。

 

そんなわけで、エイズ感染の基本原因としては、エイズに接触した一〇人のうちの一人だけに深刻 な感染を引き起こす可能性があると考えられているウイルスよりも、麻薬の乱用や無分別な性交や無 軌道な生活のほうが、大きく関係すると考えられるのである(エイズの原因については、ぜひ第七章 を見ていただきたい)。こうしたことは、すべての感染症に当てはまる同一の基本的な事実である。 なのに、これまでは病気を起こす主たる要素として微生物の重要性を強調しすぎたため、健康管理 に対する個人の責任を放棄させてしまったのである。

我々は後の章でこのことについての状況を論ずるが、この段階では、読者は次の二つの考え方が生 み出す異なった強調の仕方に留意していただきたい。一つは、我々は微小な生物の気まぐれと危険に 陥りやすく、もし我々に、先天性あるいは後天性の免疫力がなければ、それらの力に負けて病気にか かるという考え方である。この考え方にかかわるかぎり、自然に獲得された防衛力はうまく働くか働 かないかの問題であるから、人為的な免疫によって、感染源から我々が「守られる」必要があるとい うことになる。そして、もう一つは、我々一人一人の最も重要な関心事は最善の健康維持であるべきだ、という考え方である。この考え方による恩恵は、感染に対抗できる十分な免疫力を含めた健康障 害に対する抵抗力と防衛力であり、また感染したとしても完全に対抗できる能力であろう。しかし、 人体防衛のメカニズムが確実にこの目的に対して影響されうることが証明できなければ、現行の予防 接種に対する批判はただ単なるアラ探しになるように思われる。

 

そこで、この本が明らかにしようとしている論争の核心は、次のようなことになる。 予防接種が行 われた当初には、明らかな変化が起こる。この変化は、特定の微生物に対する抵抗力が高められると きには、ある程度の利益があるかもしれないが、その場合でも、利益はその人の生まれつきの健康そ の他によって、大いに加減されるといったこと。そして、もう一つ明らかにしようとしているのは、 見せかけの防衛力に伴った大きなマイナスの効果と危険とがあり、その見せかけの防衛力がそうした マイナスを覆う効果を果たしているということである。もちろん、個人への悪影響の程度は、先天的 体質や接種されたときの健康状態とともに、ワクチンのタイプによってもさまざまである。まず予防 接種に必ず伴う局面として、接種直後の有害な副反応はよく知られている。また、これらは詳しく述 べられ、強調されるであろう。けれど、長期にわたる危険はほとんどわかっていない。 この点はもっ と調べられ、広く公表されなければならない。なんといっても、こういった危険が意味するものは、 人間の苦悩の点で深く重いからである。

 

栄養と健康維持の疎外

 

さて、論争は、予防接種がまったく効かないということではなくて、それがどの程度効果があるの かということである(多くの接種を受けた人たちは今もなお、免疫をもった状態にある)。そしてそ れに付随する危険は、許容範囲を超えているのである。まして許容範囲内のリスクをもった人がたく さんいることは疑いもない。そんな状態にあっては、予防接種を全世界に広めるために一方的に政府 後援のキャンペーンを行い、接種に反対する議論を意図的に却下することは納得できない。予防法を 強調することばかりが推し進められているが、他方で一人一人のあらゆる意味での健康状態を増進す るという基本的な重要性についての認識ももたせるべきである。そうしてこそ、感染源にさらされて も十分な抵抗力が得られ、もし罹患しても感染症から安全に回復できるはずだからである。これは予 防医学の主眼目が、男、女、とくに子ども一人一人を最高の健康状態にすることにあることを意味し ている。

このように概観すると、身体を刺激して防衛態勢を作るために弱毒化した微生物や感染副産物の接 種によって行う免疫力の強化は、多くの人たちにとっては、粗末な次善の選択でしかありえない。 適の栄養と身体の自然防衛能力を維持し増進させるなどの、さまざまの要因を集約することを基礎と した摂生と健康維持を強調することこそ、予防医学の最も望ましい目標なのである。

 

ところが、パスツールの遺産によって、人々はこの目標から大きく逸らされてしまったようなのだ。貧乏、無知、と きには誤った選択のために、多くの人たちは、予防接種よりももっと大切でもっと望ましいものとし て、良い栄養と摂生があるということを指摘できる指導者には従わなくなっているといういくつかの 指摘がある。いずれにしても、予防接種には欠点と選択権があるということを、人々の利益のために 周知させるべきなのである。

ところで、こうした前世紀以来の考え方と方法を見るために、パスツールやこれから議論をする研 究者たちの実験方法が日常生活とははるかにかけ離れた状態で行われていたことを強調するのは、大 いに価値あることである。組織培養あるいは実験動物に関連して、 実験室で特殊な微生物を用いたこ とは、日常生活の環境の中で感染にさらされている普通の人々にとっては、あまり関係のないことで あった。特殊な状態での特別な事柄についての考察が医学の分野で支配的になったために、感染も含 めた最も一般的な病気に対する多角的な原因の背景について、人々は盲目にされてきたのである。 実 際、毒性微生物にさらされたり、それが体内に存在しても、明確な感染が起こらないことがある。こ のようなケースは、以前に感染し、それによって免疫を獲得した可能性がある場合とはまったく異な っている。この事実は、健康状態(この定義には、何らかの論議が必要である)にある人間はだいた いにおいて、感染源にさらされたときにも、十分に対応できるということを示している。

不自然な状態にあると病気を引き起こすきわめて危険な微生物でも、じつは無力であるという証拠を、免疫学の先覚者たちは面白い方法で示している。 衛生学の分野でのリーダー、マックス・フォン・ペッテンコーフェル博士は、致命的な症状のコレラ患者から得られた百万個のコレラ菌を飲み尽 くした。著名なロシアの細菌学者エリ・メチニコフもまた二十世紀初頭に、多くの他の実験者が行っ たと同様の実験を行って、自分の見解を示した。 彼らの大便の中には活性コレラ菌の存在が示された が、症状の最も重いのが下痢であった。 これは実生活の状態と、人体に特定の微生物を入れることに より特定の病気が現れるという信念との間に、大きな相違があることを際立たせている。

著述家ル ネ・デュボスは、コッホやパスツールのような研究者に言及して、彼らは自然界での出来事というよ りは実験的な工芸品を取り扱っているのだから、そこで再現されたことを自然に当てはめるのは不可 能だと書いている。なにしろ実験のもつ性格として、当然のことながら、いろいろな限定条件を自然 現象に押しつける。そこで、そのような環境では、自然は人間が考えだす問題に対する答えを用意さ せられてしまうのである。また、これらの答えは、問いかけられている問題の性質によっても、大き く影響されがちである。

こうしてパスツールの牛乳、ビールなどの初期の研究は、彼の考えを方向づけた。彼は特殊な菌が ミルクを酸っぱくし、特殊な菌がグレープジュースをワインに、さらに酢に変えることを知った。そ こで彼は次のように仮定した。 人間の身体はビール樽のように、病気を引き起こす外部からの微生物 によって支配されている。 それは、樽の中の液体がミルクであれワインであれビールであれ、外部の 菌が発酵を起こすのと同じである。このように微生物が特定の病気を引き起こすということを示して、 パスツールとその仲間の研究者は、空気中で病原体にさらされると病気にかかるということを信頼し

なかったし、むしろ患者の身体から取り出した物質を人体内に入れることによって病気にかかると考 えたのである。彼らは、生命の複製に失敗したのだ。 そのために彼らの見つけたものは、怪しげな借 物となった。

医学雑誌『ランセット』(一九〇九年三月号)は次のように論評している。病原細菌が動物に感染 したとき、元の病気と臨床的に類似関係にない病気を引き起こすことがしばしばある。 そしてそれが、 新しい細菌を生み出す。そのことをビーチャムは、「病気は我々自身のものとして、我々自身の中か ら生まれる」と表現する。 このようにみてくると、病気に対する防衛は、身体の健康増進、摂生状態 と健全な栄養といった要因に依存していると考えられる。自然治癒療法のパイオニアの一人、ヘンリ ・リンドラール氏は次のようにいう。 「健康は正しい生活によって得られる。我々の考える・感ず る・息をする・食べる・飲む・手足を動かす・風呂に入る・着るといった習慣、さらにまた性的、社 会的活動も大切である。これらのことはすべて、我々の生存の法則にかなった、調和のある関係にな ければならない」と。

要するに、感染の事態と程度を決定するのは、宿主と細菌の相互作用なのである。したがって、病 原菌のことばかり強調することは、感染する運命にある身体には最小限の注意しか払わないことにも なって、被害を大きくしてしまうから好ましくない。たとえ確実な根拠があっても、免疫作用の防衛的な面にのみ依存していては、より健康になることはできないのである。 栄養と人間の生理学的、心理学的なあり方を適当な状態に保つことは、禍をもたらすウイルスや細菌などよりももっとはるかに重要な考慮を払うべき、価値のあるものなのだ。

 

ところで、パスツールは無情な熱中と献身をもって、彼の認識のもとになるものを考えた。そして、自分を売り出すための鋭い第六感をもって、一人で激務を果たし、二つの能力をフルに使うことにし た。彼の開発した炭疽病予防と狂犬病治療のワクチンの効力を示すデモンストレーションが公開され、 新聞は好感をもって報道した。 羊の致死病である炭疽病から、予防接種によって羊を守ったとされる 劇的なデモンストレーションは、数百人の人たちによって確認され、パスツールの名声は一気に高ま った。しかし、これらの実験では猛毒の炭疽病菌を注射して、一部の不幸な動物を炭疽病にかからせ たのだが、このような方法では正常な羊はこの病気にはかからないということに注意すべきなのであ る。その点で、彼のワクチンによってもたらされた防衛力は、じつに十分なものであったといえる。 というのは、試験的にワクチンを接種された羊は回復し、ワクチンで防衛されなかった羊は恐ろしい 死を迎えたからである。つまり、ワクチンによる防衛力は、血液中での細菌の増殖には打ち勝つのだ が、自然に起こる感染には対抗しないのだ。

そこで注目に値するのは、野生動物は感染性の細菌と完全に調和して生きているという事実である。 動物の自然の生活圏では、重大な感染はあるとしても、とるに足りないものなのである。 なのに、動 物が家畜化され不自然な環境の中で暮らすようになると、我々がよく知っていように、感染に負ける ようになってしまうのだ。 もともとは自然状態の動物とその体組織中で見つけられる細菌との関係は、 動物にとっては危険なものではないのである。とすれば、当然のこととして、人間もまたあまりにも不自然な状況の中で生活し、伝染病の流行にさらされているということになる。そこで問題は、すで に健康な身体がもっている防衛力を故意に働かせるために、人体を異質の相入れない生物製剤の注入 にゆだねることが、その人の利益になるかどうかということになってくる。

一八八五年パスツールは、狂犬病の子どもを治療した。それは子どもの命を助け、成功であった。 こうした分野での彼の仕事の正確さは、微生物によって起こる病気の原因の特異性に関する彼の信念 へのひたむきな貢献を示している。さらにパスツールが発見したものは、たぶんに偶然ではあるが、 元来は猛毒の微生物を弱めたり薄めたりした変種を用いて身体を刺激しておけば、元来の病原にさら されたときに身体を守れるようにできるということであった。これが今なお多くの免疫に関する研究 の基本になっている。その当時パスツールと彼の後継者たちには、この分野での科学研究者の援助者 (パトロン)がいた。彼らの多くは、免疫学での正統的な考えに大きな期待を寄せていたのである。 彼らの中にはドイツの細菌学者ロベルト・コッホも含まれていた。彼は炭疽病菌の研究を行い、一 八七一年には創傷感染という炭疽病菌の特性に関するデモンストレーションにも成功したのである。 そのほか彼の多くの業績の中には、結核菌の発見もあった。この分野での彼の業績は、この菌から抽 出されるツベルクリンと呼ばれる物質を取り出したことである。これは結核を治療することはできな かったけれど、感染診断用の薬剤として現在も用いられている。すでに結核菌に感染している人(あるいは動物)の皮下に注入すると、局所発赤が生ずることが判明したためである。 なお、コッホには また、当然のことというか法則としてというか、微生物が特定の病的過程の原因と考えられるかどうかに関連した業績があったことが知られている。

 

これに関する陳述は次のとおりである。 「細菌はい つも問題の病気に関連しているに違いない。 そして、もし細菌が分離でき培養もでき、健康な動物に 接種できたならば、再び病気を引き起こすであろう。そのときには、病巣部から同じ細菌が同定され、 培養できることになる」。しかし、この一見きれいな体裁をもつ論の誤りは、患者のことを無視して いることにある。

 

ノースカロライナ大学のG・T・スチュワート教授は、次のことを提示した。

「人間は、標準量の 微生物の接種に対して、さまざまな反応を呈する。したがって、特殊な細菌の接種の後には感染と病 気が起こるはずであるというコッホの仮定は、宿主にもまた注入された物質によっても違ってくる」。

教授は「この仮定は、生物学的変異を考慮しておらず、 自然の状態 (実験室の状態は、条件を設定で きるかもしれないが、生活を写すものではない)で感染に影響を与える複雑な状態を考慮していない。 コッホの仮定は、特定の細菌が、普段は正常な状態で関連している他の多くのものとは分離され、感 染しやすい実験動物に人工的に注入される場合に適用できるもので、これは、自然環境にある動物 (及び人間)の場合とは非常に異なっているのだ」と述べている。

 

我々はすでに、スチュアート教授の見解を読んで、感染源そのものだけではなくて、宿主の健康状 態を強調するといった進歩に気づき始めている。 そして、これこそが、防衛力 それはどの程度か 疑わしいのだが――を得ようという期待をもって組織内に毒性物質を注入することをできるだけ避け ようという、予防医学の中心課題そのものなのである。

 

初期の免疫学に影響を今なお大きく影を落としているもう一人の大立者は、ドイツの細菌学者パウ ル・エールリッヒである。彼は、細菌の毒素と抗毒素を標準化するためのガイドラインを決定する業 績とともに、伝染病菌を殺す物質を用いることにも業績を上げた。この成果こそ病原体を梅毒と細菌 性伝染病の治療に役立てることに導いたのである。 エールリッヒは、伝染病菌や毒素が血液中に入っ たときに、人体内で何が起こるかを説明する学説を提出した。このことが起こると、宿主の体内で抗 体とか抗毒素とかと呼ばれる物質が生産されるような刺激が起こることを、彼は提示した。いったん この物質ができてしまうと、生体は、以前ならば致死量に達していた毒物にも、耐えることができる ようになる。エールリッヒの説明によると、そのことは人体細胞が受容体という部分をもっていて、 そこに毒性物質が付着すると、毒力がなくなるために起きてくるのだという。こうして毒素と受容体 の結合した分子は、毒素の攻撃に反応して、身体が作り出した新しい受容体とともに血液中に押し出 される。そして、この「抗体」は、細菌や毒性物質による侵害で身体が傷つけられる前に、それらに よる侵害を中和することができる。 これが、ワクチンや少量の毒素が侵入したときに起こると考えら れることである。こうしたエールリッヒによる初期の「サイドチェイン (側鎖)説」と呼ばれる学説 は、その後の知見によって大きく修正されたけれど、抗原と抗体の概念を科学的に解明しようとする 最初の試みであった (次章参照)。

 

さて、これらの研究者や弟子たちが初期に努力したことは、細菌であろうと他の物であろうと、病原物質の同定と分離であった。それを弱めた形で用いたり、あるいは感染過程での副産物を用いることによって、その後、本当の感染にさらされた際に対抗できる身体の防衛力を刺激するようにと試み られた。これに対して、行政機関と報道機関は、ただちに熱心な反応を示した。かくして、ついにそ れまで人間を支配した無数の病気について説明ができるようになり、医学が治療できるようになった というわけである。当時はびこっていた伝染病への対策の明らかな成功によって、人々はこの熱狂を 誤りようのないものと確信したようである。

 

だが、本当にそうであろうか? さまざまなワクチンと免疫学的な処置の導入によって、多くの成 功が外見上は達成されたようではあるが、その反面、さまざまな他の理由によって、これらの病気が 減少したことを示唆する非常に多くの証拠が集められているのである。

そもそも感染の自然のなりゆきとはどんなものであろうか? その研究においては、ワクチンなど によって身体の防衛組織を人工的に刺激することを含めて、さらに厳密にいくつかのメカニズムを検 証することが必要であるが、それは十分に努力のしがいのあることなのである。そうしているうちに、 有効性と安全性についての批判に対して細かく吟味することに失敗した処置の例として、BCG(結 核)やポリオワクチンの場合を取り上げて見直す機会があるであろう。これらの免疫についての知見 は、以下の章で、 他の特別な形の免疫と関連してさらに詳しく説明する。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古き地獄の時代24 | トップ | 1衛生・栄養・労働環境の改善に... »
最新の画像もっと見る

ワクチン薬害・副作用: 自閉症・発達障害の原因」カテゴリの最新記事