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読売の記事によれば、田中知事が「脱ダム宣言」でダム建設を中止した長野市浅川の治水策として、高さ最大30メートルの堰堤を設置するんだとか。30メートル高の堰堤というと浅川の流れを遮り、河道内に大きな高低差をもった貯水池が作られるわけで、これは実質的にダムと言えよう。ダム建設を前提とした毎秒350トン対応の河川改修工事を行っている事からも、他に手だてがないと言ったところであろうか。
しかし、この堰堤はダム案より堰が低く(ダム案では50メートル超)、従ってこれをもってダムの不在を補完するとなると、より平面方向に大きな遊水池を構築する必要がある。そもそも長野でダムが主流だったのは、山間部の急流を抜けるとすぐ扇状地を形成し、その辺りから市街となってしまうために川幅を拡張できなくなる地形だからこそだったはずである。
脱ダム問題といえば、以前にも砥川の発電所取水堰を、脱ダム派の主張に基づいて生態系保護への配慮としてスロープ状に改修したところ平成11年の洪水で被害が拡大したという悪例がある。「森林に吸収させる」などとした主張の主幹である「流域対応」の計算手法にも問題が多く、灌漑期には満水状態になっているはずの水田やため池の降雨貯留量を期待するような内容で非科学的な面もある。雨期と灌漑期は重なるのだから。
きちんと科学的に、環境に配慮した治水を行うのであればダムがなくとも文句は無い。しかしそもそも「コンクリートのダムはよくない、だから作ってはいけない」という知事の思い込みによって始まった脱ダム運動が、「ダムではなくて堰堤ですぅ~」なんて言い逃れで、場合によってはより悪い結果を招きそうなものを作ることになりかけている。「言ってから、検証」するのに「宣言」なんてするからややこしい事になるのだ。