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新コーナー「Day-1-pics」開始。どうなることやら。

ねえ…もう…無理しないで… 民主岡田新代表、早くも矛盾発言

2004-05-19 00:23:15 | JPN/日本のニュースなどにからむ
民主党両院議員総会での岡田克也新代表の就任あいさつより
>>小泉純一郎首相は自らの未納問題について「未納と未加入は違う」と訳の分からない論理を展開し、国民に謝ろうとしない。

おお、元気いいなジャスコ、と思ったら。

朝日新聞記事より
民主党の岡田克也代表は18日の就任記者会見で、自らの国民年金加入歴を公表した。(中略)大学生時代、当時、学生は任意加入だったため加入していなかった。


…( ゜д゜)ポカーン
こんなのが野党第一党党首です。そりゃ安倍さんも苦笑するわ。

小沢氏代表就任見送り ~年金問題でマスコミが犯した罪~

2004-05-17 23:23:53 | JPN/日本のニュースなどにからむ
ほーら、たいへんだ。
おもしろ半分意図的半分で混同報道続けた結果が、野党第一党を大混乱に陥れてしまった。

マスコミが煽りに煽って「年金未納(期間が過去にある)者は年金議論の資格無し」なんてバカバカしい「世論」を作り上げたお陰で、年金議論の実体や社会保険庁の責任という「正せる」現在進行形な問題よりも「わかりやすい」事象である年金魔女狩りがヒートアップした訳で。

大事なのは今だろ、今。
そりゃ昨日まで払ってませんでしたって人間には、年金議論直接参加の資格はなかろうが、20年前払ってませんでした、だとはあそうですかだからどうした状態。
江角の問題はリアルタイムに払ってなかった訳で、今回の事件とはそもそも異質。その違いをわざと隠しておいて「江角マキコに端を発した」と言って騒ぎ立てちゃったマスコミと政治家、それに乗っかっちゃった国民は正直な話どっちもバカ。尻拭いでこんな文章書いてる私も含めてバカ。

さあて、マスコミの罪は重いぞ。勝手に「議員の資格」を作り上げちまった。この件の落としどころ、どうするのかな。年金未納より重い犯罪はいっぱいあるからな…
この調子で駐車違反歴、速度違反歴にはじまり、高校時代の万引き歴、中学時代の赤信号無視歴、小学校時代のスカートめくり暦までひっくり返せば、全議員が「議員の資格がない」ことになるどころか、全国民から「議員の資格」を奪い取ってしまうことになるんじゃないの?
あ、そっか。だから(日本の)法律を犯した経歴がなさそうな外国人に被選挙権を与えたがってんのかマスコミは。流石だな。

小泉首相に年金「未加入期間」アリ のニュース

2004-05-14 18:54:43 | JPN/日本のニュースなどにからむ
酷い報道w

一般国民の故意の不払いと、立場ある人間の納付ミスを一緒に論じる報道のばからしさは江角以来ずっとだけど、未加入と未納をひとくくりにしての報道はもう報道の域を超えたな。

ここに未加入期間の詳細まで書いて有るのではっきり言えるが、加入義務のなかったものについて、加入していないから金を払っていないというのは、「未納」ではない。どころか、何の問題があるのかわからない。
だって加入してないものにどうやって金払うのさ?w
バカじゃなかろうか。

まあ、ぶっちゃけた話としてこれまでの回答から、任意加入の期間に未加入だった経緯があるのは予想ついてたし、それはマスコミ各社も同じでしょう。だからこそ、ここまでさんざん未納「問題」を盛り上げた上で「スクープ」しようという動きがあった。私はそう読んでます。

逆言うと、これはマスコミを試す格好の機会。首相側もあえて訪朝と同じ日に発表してくれたわけで、この「ニュース」の本質である「未加入」ということについて無視して騒ぎ立てるか、国民保護のかかった再訪朝について報じるか。ニュースバリューというものを「視聴率が稼げる」という規準でつけているかどうかがハッキリすると思われ。

nyとパチンコ

2004-05-14 02:19:49 | JPN/日本のニュースなどにからむ
金子さんが捕まってからしばらくになりますが。

winny開発行為が開発者意思を含む全体として著作権法違反幇助ならば、景品引換所を含むパチンコ店は全体として刑法第186条違反じゃあないのかなあと思う訳で。
京都府警の活躍に期待しております(´ー`)

対マスコミNPOの可能性を考えてみる。

2004-05-02 00:42:19 | JPN/日本のニュースなどにからむ
更新さぼってました。いや、さぼってたわけじゃないんですが。

NPO。プロ市民と混同されたりして迷惑被っている存在ですが、いわゆる「サヨク活動家」がイメージアップのために呼称を濫用しているのが原因でしょう。

んで。本当に今、日本でNPOにしかできない仕事。
それはマスコミの監視です。国がやれば言論弾圧と言われ、その他のマスコミは深いラインまで踏み込めません。


そうですね、例えば…「市民による軍事報道監視委員会」なんてどうでしょう?日本には一般大で軍事学を教える学校がありませんので、国民ひとりひとりにとってマスコミの軍事報道とそれに付随する説明は貴重な情報源です。
まして憲法改正へと国が動いている中、正確な軍事へのリテラシーがなければ、改憲論議についてまわる憲法9条の問題を「論理」ではなく「感情で」判断することになってしまいます。国民が軍事を知り、理解するようにした上での改憲でなければ、どんな結果であれ、正当な判断が下ったとは言えません。
しかし軍事が教育されていない以上、ほとんどの日本国民にとって軍事報道の検証はできません。軍事マニア以下の知識しか持たない社会部員が書いた軍事記事に明らかな間違いが含まれていても、指摘の声は黙殺されてしまいます。
国民がそうした誤った情報で「知っている」と思い込むことは、本人にも国にとってもよいこととは言えないでしょう。

そこで、軍事専門家、防衛大・自衛隊OBを中心に、外国の知識人(米・独・露・豪が望ましい)等をスーパーバイザーに招いた専門家チームによって、軍事報道の誤りを指摘、公表していく活動があるべきじゃないかと考えたのです。


『対人地雷が日本にあっても、日本の防衛のために日本国土で使うのならば「地雷を廃絶する世界の流れ」とはまったく関係がないじゃないか』という軍事知識をもつ誰もが感じた批判が、どうして新聞では触れられなかったのでしょうか?
「憲法改正で徴兵制が…」といった報道に、「徴兵制は近代化された軍にとって最もマズい選択肢で、そんなことはありえない」と公に指摘する動きがなければ、どんな結果が待っているでしょうか?


ひとつの答えに国民を向けるためではなく、国民がより正確な情報を持って判断し、虚偽を見抜けるようになることが必要ですが、残念ながら現在の有権者に対して軍事に関する教育を行う時間はなさそうです。ならば、より正しい情報を発信し、指摘し続ける機関が民間に必要となるでしょう。

だれか、相応の知識と地位のある方が読んでいらっしゃればいいんですが。

「危険を冒す」ならばやるだけのことをやれ

2004-04-17 22:30:07 | JPN/日本のニュースなどにからむ
あーもう、腹が立つ。

相応の防衛装備を持て。逃げる勇気を持て。訓練を受けろ。隠し金を用意しろ。連絡を密にしろ。行動を逐一知らせろ。簡単に心を開くな。簡単に人を信じるな。簡単に死ぬ覚悟をするな。誰の期待も感じるな。仕事に義務を感じるな。生きて帰ることが義務だ。生き残れるだけでラッキーな場所だと思え。本当に信用できる者だけを頼れ。本当に信用できる者のいないところに行くな。ジャーナリストなら貴様がニュースになるな。

ジャーナリズムの必要性が否定されてるんじゃなくて、命がけと無謀の区別がつかない人間がジャーナリストと言って危険地帯に入ってるのが問題だと言われてるんだっつーの。オマエらそれでも本当に報道関係者か?そんな読解力でどうしてフリーで喰って行けるんだ?

キャパはユダヤ人を父に持つが、金のためにナチス宣伝雑誌の写真を撮った。それでいい。思想や理想で行動を正当化/否定する人間が書いて、「真実」などと銘打ったジャーナルなど私は読みたくない。最初から「弱者の視点から」なんて言ってるヤツが記事を書くなら、結論が分ってるんだから読む必要はないじゃないか。お前の頭の中の「弱者」と合致する人間に取材したんじゃないかと言われて、反論できるのだろうか?

偶然爆弾が落ちた家を取材するなら、偶然爆弾が落ちなかった家も取材しろ。それでこそ現地に入っての報道の意味がある。そのへん今回拉致されていた安田氏は、わきまえているフシがあるようだ。こちらによれば「私は、イラクの民間人の死体が転がっている前で、アメリカ良くやってくれたと言っている人を大勢見てきたので、一口にあの戦争はおかしいと言えない思っています。そういう所は現場を知らないと分からないと思うんですよ」と語っている。人間の盾ビザで滞在、楽しそうにしているととられるサイトもあったが、見るところはちゃんと見ているし、思想や結論に凝り固まってはいないようだ。「大義」なしで行動できる人なのだろう。こういうジャーナリストには、他の邦人が拉致されている状況で自己防衛を怠り、ふらふら武装勢力の案内について行ってしまうような形で死んで欲しくはない。だからこそ「自己防衛責任」が言われてる。こういうジャーナリストが自分をちゃんと守りながら取材できたら、いい記事になるだろう。

こんなことが続くと、「命がけでカッコいいとおもった。ついかっとなってやった」みたいなバカが出そうでヤなんです。頼むから業界の自己批判をやってくれないか…

3邦人拉致―WPN他の抗議活動を見る

2004-04-14 23:56:59 | JPN/日本のニュースなどにからむ
このエントリーは、13日のフリーズで失われたのを書き直したものである。
拉致犯と独自の接触を持ったりしているワールドピースナウを中心とした団体が、13日に行った自衛隊撤退を求めるデモでトラブルがあったとか。
もうこのレベルの人たちにはうんざり。「警察は帰れ!」「抗議活動の妨害をやめろ!」「我々は権利に基づいて抗議している」という言葉は、彼らというものの性質を明らかにしているように思う。
デモによる意思表示は、憲法によって国民にみとめられている権利である。しかし、憲法下の権利はすべて「公共の福祉に反しない」という前提が付随する。それゆえデモは届け出制であるし、警察の警備及び整理がつく。彼らの「主張する権利」は警察によって安全を確保され、それ故安心して何でも言える。反対意見のデモ等とはかち合わないように、警察によって調整されている。そのように安全確保をする義務が警察にはある。1100人が4列縦隊だから警官200~300人程度の動員だろうか。無論、公金による出動である。
一方、その主張のために公共の福祉を害さないよう、行動は警察によって制限される。そのことにはデモ届け出の段階で同意しているはずだし、他の日の抗議活動などの写真を見れば彼らは「1車線のみで行進する」「あらかじめ決めた地点以外の路上などで行進を停止しない」というデモによくある申し合わせは守っている。これらも警察による制限だというのに、こちらには従うらしい。
そして、警察が制止したということは、この「首相官邸前のシュプレヒコールを目的とした場所移動」は届けに無かったか、あるいは東京都の集会に関する条例第三条許可条件要項にある「官公庁の事務の妨害防止に関する事項 」や「交通秩序維持に関する事項 」で定めた条件に反する恐れがあったということだ。これらに反すると公安委員会によってデモの許可を取り消され、その場で解散を命じられる。そう、警察は彼らの主張する権利を最大限に確保し、デモを最後まで行うために制止に入っているのである。

はっきり言って、上のデモ隊の発言は憲法で禁じられた「権利の濫用」である。そんな人々が「憲法9条を守れ」と言って、国民の税金で守られながらの抗議活動。こうした無責任な権利主張が、規制を強める原因になるのである。

権利を守るための権利主張の自粛というのは、資源保護のための漁業制限に似ている。「権利」という魚を乱獲する船がいると、私たちが穫ることのできる魚が将来的に減りかねない。表現の自由を行使し、将来的に何かに対する抗議活動を行う可能性が一片でもある国民として、こうした濫用には目を光らせる必要がある。

靖国判決ーー司法がそんなことしていいの?

2004-04-07 19:24:59 | JPN/日本のニュースなどにからむ
朝日新聞の記事で詳細が載ってますね。

亀川裁判官の述べた以下の部分が、最も問題を多く抱えていると思われます。
「自民党や内閣からも強い反対意見があり、国民の間でも消極的意見が少なくなかった。一般人の意識では、参拝を単に戦没者の追悼行事と評価しているとはいえない」とありますが、毎日新聞の世論調査結果によれば2003年1月14日の参拝について「評価する」が47%、「評価しない」が43%とほぼ二分されています。亀川裁判官のこの発言では、どのような証拠、規準によって「国民の間でも消極的意見が少なくなかった」「参拝を単に戦没者の追悼行事と評価しているとはいえない」と事実認定しているのかが明らかではありません。さらに言えば反対意見にも、対中外交上の配慮という政治的な判断が含まれていることから、単純に「参拝すべきか否か」を問うような世論調査等は国民が「宗教的行為であるから参拝すべきでない」としている証拠とはなり得ません。どのような証拠を以てこの判断がなされたのか、マスコミは明確にした上で報道するべきです。
同様に追及されるべきは「戦没者追悼場所としては必ずしも適切でない靖国神社を4回も参拝したことに照らせば、憲法上の問題があることを承知しつつ、あえて政治的意図に基づいて参拝を行った」という部分です。「戦没者追悼場所としては必ずしも適切でない」という判断の理由が全く示されておらず、これも情報が不足しております。この部分の判断理由について、マスコミ、裁判所双方に対して周知が求められます。現時点では「裁判官の思い込み」としか言えません。

勝訴という形によって反論の場を得られない国側に対して、傍論の形で「判断」を示すのは極めて異例ですし、このようなやり方は司法の場を自らの意見陳述の場としてしまう不公正な行為と言えます。今後同様の運用が行われれば司法の三審制をも破壊しかねないと考えられます。

靖国参拝に違憲判断 - 法的に読み解いてみる

2004-04-07 14:31:46 | JPN/日本のニュースなどにからむ
たまげた。よもやこんな判断があり得るとは思わなかったよ。
福岡地裁は小泉総理大臣の靖国神社参拝を違憲と判断したそうです。

ちょっと法的観点から読み解いてみます。

まず判決骨子の1においては『公用車を使用し、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳するなどしており、国家賠償法1条1項の「職務を行うについて」に当たる』とありますが、公用車の使用は総理大臣の安全確保の上で必要なものであり、私的公的を問わず、これを用いずに都心部で移動することが非現実的なため職務行為根拠にはあたらないと考えるべきです。つまり本件判決においては「公人」としての参拝の性質は「内閣総理大臣」としての記帳のみにあると言えます。

また判決骨子の2においては「本件参拝直後の終戦記念日には前年の2倍以上の参拝者が参拝しており、神道の教義を広める靖国神社を援助する効果をもたらした」ことから『一般人の宗教的評価、目的、行為の一般人に与える効果を考慮すると、憲法20条3項目によって禁止されている宗教的活動に当たり、同条項に反する』となっています。
ここで注目したいのは、本件判決は「参拝行為」それ自体を「宗教的活動」として認定、違憲としたものではなく、結果的に起きた参拝者の増加という事象から「宗教的活動」としての認定を行ったものであることです。

確かに靖国問題の表面化以降、靖国神社を参拝する人の増加という点では「国民への影響」があるでしょう。しかし、小泉総理大臣がたとえ「私人」の範囲で参拝を行ったとしても、そのことが報道されれば同様の影響があり得ることが予測されます。
つまり「総理大臣職にあるものが参拝を行った事実によって、いち神社を援助する結果となった」という結果的事実認定を以て小泉総理大臣の靖国参拝を違憲と判断すると「総理大臣に在任する者は国民への影響を鑑みていっさいの立場で、すべての範囲での宗教的活動が違憲となる」という判断を行ったのと同じことになってしまいます。

すなわち、この判断は憲法第20条1項の「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」に反する他、宗教的活動の限定を理由に内閣総理大臣職への就任が難しくなる事例が考えられることから憲法第14条の法の下の平等にも反することになり、違憲な判断と
なります。

憲法第20条はよく「3項」のみを取り出しての議論になりますが、1項に掲げられた文章をふまえた上で争点を明らかにするべきです。全文を持ち出すと
 
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

となっており、3項の規定は1項の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」を実現することを目的としているのは明白です。つまり、(*15:17修正原文:仮に小泉総理の参拝が3項にある宗教的活動にあたるとして、)上記の「参拝者増加」という結果が、1項の目的を達する上で問題となる「宗教的活動」にあたるかどうか、すなわち靖国神社に対して1項に掲げた「特権」が生じたかどうか、生じた利益が憲法上容認されうる範囲におさまるかどうかの限度論の問題であると思われます。

私から言わせてもらえば修学旅行でにぎわう日光、奈良、京都などの寺社仏閣系観光地の宗教法人は、修学旅行などの定着化で利益を得ているのですから、「参拝者の増加」を理由として「特定の宗教を援助した」とする判断が許されるならば、公立学校による寺社仏閣への修学旅行は違憲な宗教教育となってしまうでしょう。以前にも書きましたが、宗教的儀礼と宗教行為を混同するべきではないと思います。我が国においては、七五三で神社に参り、キリスト教式結婚式を挙げ、寺の墓に入ることが普通に行われているのですから、「参拝」が宗教的活動としてはどういった域にあるのかは不透明です。
そういった問題でありますから、容認限度という柔軟な思考で判断されるべき問題ではないでしょうか。

プロジェクトXをイラク等で放送

2004-04-06 18:44:46 | JPN/日本のニュースなどにからむ
イラクを含む中東、北アフリカ諸国にネットワークを持つレバノンの衛星放送局に、NHKの「プロジェクトX」が提供されるとのこと。
これ、外務省主導でやってるあたりがいいね。日本の技術力と職人魂そのものをエンターテイメント・ドキュメンタリー化した番組を放送することで、中東地域が日本との交流で得られる物がカネだけではないことをアピール。しかもローコスト。いい感じ。

「ディープラブ」ってどんなんじゃ

2004-04-05 02:29:28 | JPN/日本のニュースなどにからむ
「ケータイ小説」で話題になったやつだっけ?私の大嫌いな「感動するための感動」系に分類されるであろう「ディープラブ」映画版が公開されるっつーことで、ちょっと情報にあたってたら成城トランスカレッジ!! ―戯言@はてな― さんでの連載批評を見つけた読んだ。


「ぐぅ、バリ感動した」(w


これはすごい。すばらしい批評。もうね、絶対読んで。きっと、笑える批評だから、見てょ。ぉねがぃだょ♪(w


でまあ、以下は当該批評を読んでからにしてほしいんだけど。
私の大嫌いな思考回路のひとつに「選べる=個性的」ってのがあって。『自分の好きなのを3つか4つぐらいから選べるから個性的なあなたにおすすめ』みたいなヤツさ。もうね、アホかと。与えられた選択肢の中でしか個性発揮できないのかお前はと。
あとあれ、『カワイイシールで個性的にドレスアップ』とか『カワイイ絵文字で個性的な楽しいメール』みたいなの。オマエら「カワイイ○○でデコレーションする」って構図に乗っかってるだけで何が個性的だと小一時間。
で、前置きが長くなったけど、この「小説」も同じだね。「萌え要素」との関連づけで説明されてることを理解しやすく感じる私もアレゲだが、要するにパーツをルールにしたがって組み上げただけの商業作品。「描きたい」ものがあるというよりも「感動させたい(感動するというブランドを被せたい)」つーお話。あるテンプレートに「感動しそうな条件」を並べ立てて、その並び順をもって「作品」というわけだ。作者の個性のたわものというわけだ。

なんか、ひらめきと言うかメリハリの効いたものがないよ、最近。ズームばっかり使ってるデジタル2Dアニメーションみたいなものがいっぱいだ。
(「塊魂」はその点抜きん出ている)

■国旗・国歌――朝日社説に脱力する

2004-04-04 22:59:36 | JPN/日本のニュースなどにからむ
朝日新聞が、社説で産経と正面勝負をしているように見える。表面上は。

だが詳細を見れば「日本の公教育を担う教員には当然、国旗・国歌の指導義務がある」という部分を完全スルーし、「自由」の問題に持ち込もうとしているあたりが、姑息、などとは言わない。むしろ情けなすぎる。
考えてみてほしい。儀礼行為である国旗掲揚、国歌斉唱に朝日の書いているような「学校の自主性や個性」なんてあり得るのだろうか?「敬意をはらった扱い方」とはどのようなものか、それを学ぶのに式典ほど適切な場は存在しない。「国旗国歌はこのように扱われるべき」というガイドラインに反発して、わざわざこれを崩そうという動きがあったからこその「強制化」ではないだろうか。


朝日新聞がいくら争点ずらしをしても、以下の事実でこの問題は論破できる。

1.社会的なマナーとして「自国・他国の国旗や国歌は、敬意を払うべき対象である」というものがある。
これについて、朝日新聞側に異議があるとしたらば、それについてはもう、呆れるしかない。

2.国旗「日の丸」、および国歌「君が代」は日本国議会で議決されたものであり、また以前より慣習的に用いられていた。従って正式なものである。
これも誰もが認めるところであろう。その事自体に異議があるならば、民主的な手続きで抗議するべき問題である。

ここまでで既に「現在の日本国国旗および国歌に対しては、適切に敬意をもった扱いがなされるべきである」という「マナー」の存在が明らかになる。さらに続けてみよう。

3.卒業式や入学式はもとより、公教育の場は総じて政治的主張の場としてふさわしくない。
2で指摘した通り、日本国の公式な決定事項なのだから、この国旗及び国歌に「不満がある」ならば、それは政治的主張となる。不満をもつのは自由だが、教育の場で主張することはふさわしくない。内心の自由とはそういうことだ。「場をわきまえる」というマナーである。

4.教員には、マナーを教える責任がある
今回の社説に「学校が教えるのは知識やマナーだけではない」と自ら書いている朝日新聞が、まさかこれを否定することはできないだろう。教員は生徒に、上記二つの「マナー」を教える責任がある。
つまり「現在の日本国国旗および国歌に対しては、適切に敬意をもった扱いがなされるべきである」事実と、「場をわきまえる」ことを教える責任が、教職員には存在する。そして、その教職員が率先してこれらのマナーを破ることは、教育上問題がある。

これで何か不十分があるだろうか?


自ら学び、自ら考える力、いいだろう。ただしそれは、ふさわしい場で主張するべきである、ということ、そしてその主張が正当であると認められるまでは、今のルールに従う必要があるということ、この二つの責任が付随するものである。産経社説で指摘された「子供に知識やマナーを身につけさせる公教育」にはその責任についての教育も含まれている。ところが卒業式や入学式という「ふさわしくない場」で「行動」する教員たちが存在するために、まずこの教員たちに「責任」を教えなければいけなくなった。そこで「監視」に近いことが行われている。そういうことなのだ。

参考までに、ここまでの経緯をリンクしておく。

朝日新聞 3/31「そうまでして国旗を掲げ国歌を歌わせようとするのは、いきすぎを通り越して、なんとも悲しい」

読売新聞 3/31「教師が卒業式で起立を拒否するのは、高校野球の開会式で、運営に当たる大会役員が国旗に背を向けるのと同じだ」
産経新聞 4/1「そうまでして国旗・国歌を貶(おとし)めようとする論調は、なんとも悲しい」

朝日新聞 4/2 「処分という脅しをかけて強制するのは行きすぎだと主張しているのだ」

産經新聞 4/3 「日本の公教育を担う教員には当然、国旗・国歌の指導義務がある」

朝日新聞 4/4 「学校の自主性や個性を認めないやり方は、公教育にとってむしろマイナスだと考える」