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Meister von Grünfelder

日々の出来事を綴ります。たまにまともなことも書くかも知れません。

医療ドラマについて

2011-06-05 22:19:28 | Anesthesie
 近年、非常に多数の医療ドラマがある。
 医者を題材にしたものでも、有名な作品だけでも白い巨塔を筆頭に、医龍、チームバチスタの栄光、救命病棟24時、ブラックジャックによろしく、孤高のメス、振り返れば奴がいる、などなど沢山ある。

 では何故、所謂「医者モノ」の視聴率が高いのであろうか?


 我々医師は、自分たちが世の中で割と普通のポジションにいるものだと思っている。
 ところが実際には残念なことに、そうではない。医師は、歴史的に言っても一般社会から隔絶された、あるいは隔絶されるべき存在なのである。
 古来より、医師は非常に身分の低い存在であった。ヒポクラテスの時代は比較的上であったようだが、ヨーロッパとなると医師と床屋は一緒だった。文明開化以降の医師も、常に「お医者様」だった。要するに、身分は上流と下流を行き来してはいるものの、中間点に位置したことは現代までなかったのだ。
 現代になり、世の中は狭くなった。公共交通機関により世界は小さくなり、マスメディアやインターネットの発達により闇は明るく照らされるようになった。そして我々はどうなったか、といえば。ギルドの中身、あるいは闇(いかがわしい、という意味ではないが)であった部分までもが世間に晒されることとなった。勿論、それは悪いことではない。現代的価値観から述べるならば、自分の命を預ける者がどのような者かを知る権利(これも非常に新しい概念だ)はある訳だ。
 そして我々は、ようやく世間と同一の地点に降り立った。これが僅か数十年前のことだ。

 地上に降り立った我々がどうなったか。それは一般的な用語では、「医療崩壊」と呼ばれている現象だ。
 医師は、近所の八百屋と変わらない(八百屋をバカにしている訳ではない)価値になってしまったのだ。買った大根が腐っていたら、苦情を言うに決まっている。その一方、今までであれば「医療の限界」として片付けられていた、医療行為に伴う合併症が、世間に受け入れられなくなった。手術が成功しなければ、客(患者)は苦情(=訴訟)を言うようになったのだ。カフェの店員の愛想が悪ければ文句を言うように、医師の態度に気に食わないところがあれば、苦情を言うようになった。
 このような現象が何故起きたか? それは、上述のように医師が「当たり前」の存在になったからなのだ。たとえば医師が天上の存在であったならば、「診てもらっただけでも有り難い」のであって、このようなことは起きない。一方、医師が卑しむべき存在であったならば、苦情は出ない。その代わり、失敗した医師は死を以て贖うことになっていた。

 現代的価値基準が普遍的になっている一方、一般社会は医療の限界を知らない。八百屋と医療は変わらないものだと信じて疑わない。不満があれば全て文句をつければ解決するものだと信じている。だって、ドラマでは同じ病気の人が(奇跡的に、ではあっても)助かったのだ。ドラマも医療ドキュメンタリーも、一般社会にとっては一緒で、ギルドの中身を覗き見ることができる(と信じられているが…)ツールなのだ。
 だから、医療崩壊が起きることに何も不思議はない。


 今まで世に発表された医療ドラマは、どんなにリアルなものであっても、あるいはリアルなものであるからこそ、医療崩壊を引き起こす契機にしかならなかった。
 僕はそう思っている。

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