
年末に映画を見る余裕の時間があり、レコーダーのリストを見てると何故かポツンとスターウォーズのエピソード6だけが残されていた。
最近ではスピンオフ作品なども含めて多くのSW関連作品があるが、繰り返し観るのはEP4・5・6だ。
監督のルーカスは「考え得る限り最高の作品を目指しているから」との理由で過去のシリーズ作品に修正を加えている。
写真でも過去の作品をプリントするときに前のものとは違うものにしたいということもあるだろう。
その時の制作者の考えがわかるという点でも過去の作品に手を加えるということは悪いことではないだろう。
第三者が手で改変されるのではなく監督本人がやってることなので問題はないが、手を加えられる前の作品が封印されている状況は納得がいかないような気も。
EP6も「そこが変わってしまうんだ」という部分がひっかかっていて、EP4/5を観て残してたんだとエンディングを見て思った。
SWシリーズの好きな設定で、ジェダイは死んだあとも霊体?になってパダワンと会話するというシーンがある。
これはルーカスが影響を受けた監督(人)と直接対話しなくても、自分内で会話できるという暗喩だと思う。
肉体的な死が絶対的な終わりではないというようなことにも繋がってるのかと。
写真を撮るときも過去の写真家の作品を思い浮かべてシャッターを切ることもある。それは霊体となったジェダイマスターとの会話のようなものだと。
自分の作品が良いものであるという価値観はそういった、過去の作品の価値観によって積み上げられたものの上に成り立っているものか。
伝統芸能は型をきめ長い時間をかけてそれをブラッシュアップしていく手法にいきついた結果「伝統」になったのではないか。
自分の作品も誰かに思ってもらえるような作品になって欲しかったが、写真展や写真集を出すような状況でもない。
インターネットの片隅で誰に向けるでもなく写真を見せるというのが関の山か。
それはあて名や宛先のない手紙を書いているようなもので、それもいいものかなと。
また良くわからないしまとまらない考えになってコーヒーをひと口飲んだ。