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不思議活性

ちょっとした幸せを感じられたらな

マルク・シャガール

2022-03-02 19:31:22 | 想い出


 そういえば美術館に足を運ばなくなり久しいです。本棚の片隅より、2008年のシャガール展のチケットが出て来ました。

 シャガールの人と作品より。はじめは荒唐無稽のものと見えてもやがてそれに惹きつけられるというのは、それがでたらめで根拠がない空想ではなくて、何かしらそこに根拠があるからだろう。作品として投げ出されたシャガールの幻想は、ある種の普遍性を獲得しているのである。たとえばわたしたちは、自然とともに生きてゆくことの歓びを歌ったシャガールの作品を見て、ただちに同様の生きる歓びを味わうことはないまでも、心のやすらぎを覚え、動物や樹木や花や人間が基本的な状態に置かれているのを見て、心が澄みわたるのを経験したりする。
       * * * * * *
 自分は若かった頃、油絵に悪戦苦闘したので、シャガールについて自分なりに書いてみます。1887年7月7日、白ロシアのヴィテブスク郊外リョースノ村のゲットーで、ユダヤ人家庭に生れる。死亡日:1985年3月28日、フランスサン=ポール=ド=ヴァンス。
 中学の教科書に載っていたのかな、「私と村」1911年の作品が印象に残っています。
 
そして、「誕生日」1915年の作品には驚きました。


 シャガールも、ゴッホに似て、故郷を離れ、1910年パリに出てから、明るい色調で、多くの色面で全体を分割するような画面の構成となっていったのですね。

 そして、自分が見た2008年、シャガール「花束の伝説」展より。
 1915年、28歳のとき、シャガールはベラと結婚します。ベラに出会ってからのシャガールは、肖像画に花束を描き始めます。しかし、1944年、シャガール57歳の時、最愛の妻ベラが急死します。一時はそのショックから筆も握れないほどでしたが、その悲しみを癒す新しい恋人ヴァヴァがシャガールを支えます。そして、花束を描いた絵画はますます多くなっていきました。シャガールの妻への愛、さらに、女性への愛が普遍化し、花束と恋人たちをモチーフにした作品がよく描かれるようになるのです。
 シャガールの生涯とも交差する「妻への愛」「女性への愛」さらにすべてを包み込む「人間愛」といったシャガールの「愛」の世界をどうぞご堪能ください。


イージー・ライダー

2022-02-24 20:11:25 | 想い出


監督 デニス・ホッパー キャスト ピーター・ホンダ デニス・ホッパー ジャック・ニコルソンの『イージー・ライダー』ですが、1969年公開のアメリカ映画で、日本では1970年公開とありました。ということは、自分は高校生の時に見たのだと。鬱屈とした高校時代の自分は一人でたまに洋画を見たのですが、今思い返しても中身はどのようだったか「イージー・ライダー」に限らず思い出すことは出来ません。

 イージー・ライダーに限って、記憶を巡らしてみると、オートバイに乗るその二人の姿がカッコ良かった。と言うことと。映画のラストで、農夫に撃たれて、あっけなく死んでしまい、鬱屈としていた自分は、納得出来なかった・・・・。と言うことかな。この歳になったから、今にして言えるのですが。1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、旧来の価値観や性規範に対抗するカウンターカルチャーの一翼を担ったヒッピー・ムーブメントに関係していたと言うこと。
 ヒッピーというのが良くわからない自分ですが、オートバイに乗る二人の姿は、徒党を組んだいわゆる暴走族とは違い、何かを求めオートバイを走らせているカッコいい姿に見えたのです。という自分の青春時代は、映画になんかならない、どこにでもある静かな時だったかなと・・・・。だからこそ、フィクションである映画の世界に、漠としたカッコいい姿を探していたのでは・・・・。この歳になり、事実は小説より奇なりと思う私ですが・・・・。

 それから少したち、1980年代、ようやく自分が社会人としての自覚を持つようになったのですが、1980年代(昭和55年から昭和64年/平成元年)は、わたしたちが記憶し、あるいは想像する以上に、多様性に富んだ時代だったということです。1979年12月にソ連のアフガニスタン侵攻があり、1980年モスクワオリンピックに日本は不参加となりましたが・・・・、奇しくも、2022年、きょうロシア軍が、ウクライナ各地で軍事侵攻というニュースを目にしました。ふと、平和な地球を願う自分です・・・・。



ブーベの恋人

2022-02-15 21:08:18 | 想い出



 思えば、町の映画館で見たのではなく、テレビの「世界名画劇場」で見たのかも・・・・。放送期間1976年8月2日~2003年3月3日までの27年間。毎月一回、日曜日に世界の名作映画を放送していた番組で、その放送作品リストで調べてみると、1989年10月29日「ブーベの恋人」とあります。実際には、監督:ルイジ・コメンチーニ 音楽:カルロ・ルスティケッリ 出演者 クラウディア・カルディナーレ ジョージ・チャキリスで。日本では、1964年秋公開とあります。
 イタリア中部トスカーナ州の小さな村で暮らす女性マーラ。父親と兄は反ファシスト派の活動家で、戦争中に兄は逮捕されて銃殺された。兄の同士だったブーベと恋に落ち、マーラは婚約する。突発的に人を殺してしまったブーベは、裁判の結果、懲役14年となり、マーラは2週間ごとに面会に訪れ、あと7年待てば、ブーベと暮らすことが出来るというところで、映画は終わっています。
 1989年といえば、自分は30代半ばというところで、独身の自分は、「世界名画劇場」をときどき見ていたのです・・・・。クラウディア・カルディナーレはそのブーベの恋人撮影の時は、25歳の美貌と純粋さに輝いていたのですね。自分は、映画のような恋には無縁でしたが、この歳になって、改めて、モノクロの「ブーベの恋人」を棚の片隅のビデオテープのなかから探し出し、見たのでした。この歳になって言えることは、映画のなかの話ですが、マーラは、7年後に36歳となり、刑期を終えたブーベとようやく新たな人生が始まるのではと・・・・。14年間も待っているマーラの思いの強さには驚きです。

 人生、オギャーとこの世に生まれ、いつしか20代30代となり、縁があれば結婚し家庭を持ち・・・・・。振り返って、自分もいつの間にか、人生後半になっています。青春時代に戻りたいとは思いませんが、ときには、想い出として・・・・・。









青春の光と影

2022-01-25 15:22:19 | 想い出
 


 部屋の片隅の段ボール箱のなかから、ひとつのサウンドトラック盤の紹介です。人生が何かなんて何もわからなかった高校生のときに手にしたレコード盤です。そのなかの、歌詞の訳として・・・毎日生きていて 何かを失い そして又
何かを得ていくの わたしは人生の両面を知ったの 光も影も それなのに わたしがおもい出せるのは 何故か愛の幻だけ 結局 人生なんて わたしにはわからない・・・

 鏡のなかの今の自分をみるに、それなりに、人生を少しはわかったかなと思えるのですが、人生百年の今、まだまだかなと思う自分がいます・・・・・。