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不思議活性

ちょっとした幸せを感じられたらな

廃墟(アサマモーターロッジ)と私  7

2022-11-17 07:30:56 | 想い出


   7

 振り返って見ると、みんな幻なのかも知れません。そう思えば、つまずいたこと、しりきれとんぼのような別れ・・・・、それはそれなんだと。時をかける少女のように、青春の夢に再び出会うことがあるのだろうか・・・・。

 ふと、ひとりのきみが書いた詩の紹介です。

 『空』

空は何時もそこにある
姿を変えながら
空は永遠にそこにある

たとえば
この空に浮かぶあの雲に乗れば
いつか君の所にたどりつけるの?

夜空にぼんやり浮かぶあの雲に乗れば
あの願い星に手が届くの?

空は
そんな沢山の思いを一瞬駆け巡らせる魔法をかける

遥か遠く高い所にある空は
何時もそこにある

みんなの思いと共に姿を変えながらそこにある

 再び、電子書籍・詩集『夢の翼』より。

 『木漏れ日と透明人間』

誰もいない
木漏れ日のなか
ひとつの人影が
足もとのどんぐりを
浮かびあがらせます

ふと 目にとまったのは
あかげら
悠然と どんぐりの幹を
餌を 啄ばみながら
上へ上へと

すると
チィ チィ チィー
サッと 風を切る音が

見あげると 今度は
紅葉した雑木林の
葉から葉影へと
青い痩せた小鳥たちが
飛び交っています

誰もいない やわらかな
木漏れ日のなか
雑木林は 風に揺れ
ぼくは
透明人間になりました

『廃墟と私』。想い出はまだまだありますが、ひとまず終わりにしたいと思います。いつか、再び透明人間となって、時空を自由に旅できたらな・・・・・。

       * * * * * * *

・終わりに、電子書籍・写真詩集『廃墟と恋人たち』の紹介です。

 『廃墟と恋人たち』
 
かさこそと 音をたてて 忍び込むのは誰だ
すっかり裸となった ぶな林が 風に揺れている

廃墟では 時々 プロモーションビデオ撮影が 行なわれ
若者たちの 楽しい音楽が 風にのって 流れていった

音楽とともに 映像を逆戻ししてみよう

遠く 遠く あの光まで届いてほしい
ひとりぼっちが切ない夜 星をさがしている
あした きみがいなきゃ困る あの光まで届いてほしい

もう 昔のように 不安になったりしない
だまって おれについてこいなんて
きみがいれば 木枯らしに勝てるさ ふたりで ずっと

おれは おれでありたかった 哀愁ただようあの町 
町の色は 透明だった オレンジ色の 田舎の景色
おれは おれであり続けるのか そして 夢を・・・・

廃墟であるおれは それらが 風のたよりに
スターゲイザー 冬の口笛 哀愁交差点 であることを
知った 朽ちかけた 廃墟の番人であった おれ
おれは おれであった 通り過ぎた 青春

おれは 朽ちかけた廃墟が なぜか好きだった
おれは赤煉瓦が ところどころ剥げ落ちた
その廃墟が いまでは
すっかり 裸になったからまつ林と 
まぶしい青空と光の風が

おや かさこそと 音をたてて 
忍び込む 恋人たちの影が


 最後までお付き合いありがとうございました。これは48歳から十年間の 拙い自分史というところでしょうか。


廃墟(アサマモーターロッジ)と私  6

2022-11-15 08:30:00 | 想い出
 

    6

巡りくる 澄み渡る 
秋の青空は
別れた 遠い日の
恋人たちの想い出を
・・・・

それにしても
この廃墟での
春を幾度 迎えたでしょう



 今はこの世から消えてしまったのですが、解体される最後まで、潔く高原の美しい自然のなかに包まれてあったのです・・・。

 堀辰雄の『美しい村』より。

 或る小高い丘の頂きにあるお天狗様のところまで登って見ようと思って、私は、去年の落葉ですっかり地肌の見えないほど埋まっているやや急な山径をガサガサと音させながら上って行ったが、だんだんその落葉の量が増して行って、私の靴がその中に気味悪いくらい深く入るようになり、腐った葉の湿り気がその靴のなかまで滲み込んで来そうに思えたので、私はよっぽどそのまま引っ返そうかと思った時分になって、雑木林の中からその見棄てられた家が不意に私の目の前に立ち現れたのであった。

また、立原道造の『萱草に寄す』より。

 夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
 水引草に風がたち
 草ひばりのうたひやまない
 しづまりかへつた午さがりの林道を


・続きは次回に・・・・。

廃墟(アサマモーターロッジ)と私  5

2022-11-13 06:45:45 | 想い出
 

    5

 私はその頃・2005年からブログを始め詩を書く仲間たちとの出会いが、私を再び、詩を書くことに誘ったのです。詩を書く仲間たちは、皆、それぞれの人生を、それぞれの悩みや希望とともに生きていました。そんな仲間たちとの出会いが多くのイマジネーションと生きる力を呼び起こしてくれました。 そして、電子書籍ではありますが、詩集『夢の翼』が誕生したのです。

 詩集『夢の翼』より。

  『あこがれ』

ぼくは どんよりとした雲の下
満開の桜並木には なぜか 息苦しさをおぼえてしまう
ぼくは 華やかに空を覆うように咲く桜より 
どこかの山あいに
そっと咲く 風に揺れる 山桜なんかが 好きだ
そして 山々は日々 緑を増していくだろう
山あいの村に住むきみは 何を夢みているのかな
ぼくは ただ風の音に耳を澄ませ
青い空と 流れる白い雲を 瞳に映すだろう
ただ きみへの憧れは あるがまま
そう
きみは 力強く
一歩を 踏みだすだろう
夏の訪れは
もうすぐです・・・

 でも、その時のブログ仲間とは、ほとんど今では音信不通となってしまいました。まるで、忘れられた廃墟が2013 年だったか、解体され今は想い出のなかにあるように。
振り返れば・・・・、2011年 平成23年3月11日には東日本巨大地震があり、福島原子力発電所の放射能漏れがありました。その年の冬は厳しく、私の愛していた廃墟の傍らの一本の山桜の大きな枝が、凍り付いた樹氷の重みで折れてしまったのです。

 そして、空中に飛散した放射能は、この廃墟にも届いていたのです。なぜか、それから 人生 生きていくことの大変さを思うばかりの私です・・・・。
 でも、木漏れ日はなにごともなかったかのようにやさしく廃墟を照らしました。



・続きは次回に・・・・。


廃墟(アサマモーターロッジ)と私  4

2022-11-10 07:03:37 | 想い出


      4

 さて、廃墟マニアなどに惜しまれ2014年に解体されてしまった建物に、なぜ私がこだわっているのかって・・・・。それは、立原道造や堀辰雄がこの地にかつて来たことがあるということ。私自身の勤め先が、この廃墟の傍らにあったということによるのです。そして、いつからか人生の悲哀を思うようになった私ですが、今は消えてしまい過去のものとなってしまったものにも光をあてていいのではと思うようになったのです。
 
 この廃墟の北側には活火山の浅間山があり、少し北に向かって歩いて行くと目の前にぐっとその雄大な姿を見せてくれるのでした。
 私のそこでの2002年・平成14年から10年ほどの勤務でしたが、その間に、数回ちょっとした小規模の噴火がありました。2009年2月の噴火ですが、噴煙は南東方向に流れ、埼玉、東京、神奈川など関東南部の各地でも降灰を確認したのです。そして、私の記憶になまなましく残っているのは、2004年・平成16年9月の噴火です。気象庁のそのときの記事の紹介です。活動経過・被害状況等として。

 火砕物降下。噴火場所は釜山火口。
 7 月下旬から噴煙活動活発。微弱火映。火口底温度上昇。火山ガスにより山腹の樹木変色。8 月31 日夜より地震多発。9 月1 日20:02 に21年ぶりに爆発して活動を再開。9 月1 日の爆発は、大きい爆発音と空振(205 パスカル:軽井沢町追分)を伴い、噴石を飛散、山頂の北東6kmまで最大3cm の火山礫が降下、北東方向の群馬県・福島県(最も遠いところは相馬市)の一部で降灰。9 月14~18 日小規模噴火がしばしば発生、特に16 日未明~ 17 日夕方はほぼ連続的に発生。南東の軽井沢町には多量の降灰があり、群馬県・埼玉県・東京都・神奈川県・千葉県(最も遠いところは勝浦市)の一部でも降灰。この頃火口底に新しい溶岩が出現。9 月23 日19:44 爆発。中程度の爆発音と空振が発生。爆発地震により御代田町御代田で震度1。山頂の北北東4km に最大3cm の火山礫が降下、北北東方向の群馬県・新潟県・山形県(最も遠いところは東根市)の一部で降灰。9 月29 日12:17 爆発。弱い爆発音と空振が発生。
爆発地震により軽井沢町追分・御代田町御代田で震度1 を観測。山頂の北4km に最大4cm の火山礫が降下、北から北北東方向の群馬県嬬恋村・長野原町・草津町等の一部で降灰。11 月14 日20:59 爆発。大きい爆発音と中程度の空振を伴い、山頂の東4km に直径4~ 5cm 火山礫(最大は7.5cm)が降下、長野県、群馬県、栃木県の一部で降灰。

 私は、生れてはじめてサラサラと舞ってくる火山灰を目にしたのです。その噴火を契機に、立原道造の詩を、改めて近しいものと感じた私です。

 立原道造詩集『萱草に寄す』より。

 はじめてのものに

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

……人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

 道造の詩の降りしきる灰は、1934~ 37・昭和9~12年にあった浅間山の噴火に関してなのだろう。道造が見たように、私も追分の空に降ってくる灰を見たということで、道造を近しい人のように勝手ながら思ったのです。最も、道造は24歳の若さでこの世を去っていて、私が追分の地で、浅間山の噴火に出会ったのはその倍の48歳の時でした。人生、半分を過ぎた自分ですが、なぜか、気持ちは若く第二の青春という感じでした。
挫折や失敗、失業などを経験して・・・、大人であるからこそ知る純粋さが第二の青春を夢見たのでしよう・・・。

・続きは次回に・・・・。






廃墟(アサマモーターロッジ)と私 3

2022-11-08 08:26:11 | 想い出


     3

 また長い冬が過ぎ、山桜咲く頃になると、この廃墟を訪れる若者たちの姿をよく見るようになったのでした。この時のなかに忘れられた廃墟がなぜか、若者のロックやビジュアル系バンドのプロモーションビデオ撮影などに利用されたのです・・・。
 この廃墟ですが、なぜ若者に好かれていたのかと言うと、洒落たホテルのように思われる廃墟にはステージがあり、そこで大きな音をたて演奏できること、林のなかの建物であることなどが良かったのでは。
 それに昭和40年代の当時のとても洒落たカタツムリ型の螺旋を描くコンクリ-ト造りの建物が長い月日を経て廃墟となってしまったのですが、そのどこか退廃的な感じが若者の音楽のプロモーションビデオ撮影の場所として、適していたのでしょう。私はと言うと建物の内部に入ったことは、数えるほどしかなく、出会ってから解体されるまでの間、その外観を季節の移ろいのなかの風景として見ていたのです。それでも透明人間となった私は、その廃墟での演奏の履歴を調べて見ました。

 2004年にリリースされたスピッツの「スターゲーザー」。ジャパハリネットの「哀愁交差点」。スキマスイッチの「冬の口笛」のプロモーションビデオからはじまり、ヴィジュアル系の2012年HEROの「to you...」、ガゼットの「体温」など・・・・・。
 スピッツの「スターゲーザー」のプロモーションビデオを見ていただくと、アサマモーターロッジと呼ばれた建物の様子がよくわかるでしょう。

『廃墟とロック』

飛び跳ねて
体を波打たせ
爆発したかと
おもえば
せつない気持よ
きみに届けと

ギターやドラムや
きみの歌声は
廃墟の窓から
風に乗って
大空のなかに

そんな
熱い熱い
ロックやヴィジュアル
の撮影が
数多くあった廃墟も

今は消えてしまいました

でも その熱い熱い
歌声はいつでも
心のなかに
甦る 熱い熱い
地球の鼓動です


・続きは次回に・・・・。

廃墟(アサマモーターロッジ)と私  1・2

2022-11-06 08:03:08 | 想い出

 
    『 廃墟(アサマモーターロッジ)と私』
      
      1

 人生、こうしてこの世に生きているということは、ときにそれは楽しいことではないでしょうか。箸が転んでも可笑しい年頃なんて言葉がありますが、この世に生まれてきた赤ちゃんや幼子の瞳を覗きこむと、それはそれは、世界が笑っていると思われても不思議ではないですね。また、この世に生まれてきたものは、いつかはこの世から消えてなくなってしまうのですから、明滅するそのときどきに、なにか心に感じられればそれでいいのでしょう・・・。
 今はなき想い出です。ところどころにひびが入った、赤レンガ造りのなんだか雰囲気のある廃墟に魅せられたのは、詩人・立原道造が恋人と歩いたという追分に勤務していた時でした。傍らの林のなかの、分厚いコンクリートで固められた要塞のような不思議な建物に出会ったのです。今はその廃墟もきれいに片づけられて跡形もないのですが。これからお話する物語は、私の平凡な日々に、ちょっとしたときめきをもたらしてくれた亡き廃墟と私のお話です。
 そう、48 歳から57 歳の10年間、軽井沢町追分の標高1000 メートルの小さな茶屋で働いていた私です。その小さな茶屋の傍らに、かつてアサマモーターロッジと呼ばれたその廃墟があったのです。そこは、一年中爽やかな風が流れ、訪れる人たちは皆、木陰で日々の喧噪を忘れてくつろいで行きました。

      2

 私はある日、ステファニーと出会ったのです。ステファニーは、一人旅の途中で、ふと、廃墟に立ち寄ったのです。初めて出会ったステファニーとは不思議に話が弾み、自分を透明にするという不思議なおまじないを教えていただきました。それは、あらゆるものは振動しているのであり、その振動数を高くしていけば肉体の束縛から離れ、透明人間になれるということでした。私とステファニーとの出会いはその一度だけでした。でも透明になる術を身につけた私は、ときどき、透明人間になってみたのです。

  『テレパシーな恋心』

ぼくが ステファニーと出会ったのは 
赤レンガ造りの小さな廃墟の前だった 
ステファニーは 自転車の一人旅の途中 
ぼくは 灰色の瞳のステファニーが 
なぜか 宇宙からの 訪問者のようにおもえたのです 

どこかの国の映画だったか 
夢に見た建物が 
宇宙への交信基地だったという話があったような 

ぼくは プレアデス星団という言葉に なぜか 
懐かしいおもいを抱きながら 
しばし ステファニーと 話すことなく 
テレパシーで交信したのでした 

「人間には 生まれかわりがありますが 
あなたの星でもそうですか」 

「はい わたしの星でもそうです でも 
地球人として 生まれかわる人は多くはいません」 

「あなたの星でも 愛という言葉はありますか」 

「はい でも わたしたちの星では 
ハート 心と心の交流を大切にします」 

秋の陽が傾くのは早いです 
競輪選手のようないでたちのステファニーは 

「じゃ 目的地に着いたら 絵ハガキを送るからね」と 

ぼくは 小さく 小さくなって行くステファニーの後ろ姿を 
見送りながら 

「この地球上の どこかで また 会えたらな・・・」 

やがて 遠くに見える アルプスの山並の上の 
白い雲が マジェンタ色に 染まりました 

 ステファニーと別れたその年の冬も、標高千メートルにある廃墟は時々雪に覆われ、私はというと、その廃墟で自然と透明人間になるのでした。


・続きは次回に・・・・。

閑話 3 暮らしていくということ

2022-09-09 05:25:56 | 想い出


 過去の雑記帳から。2016年10月12日。書かれた内容は、今の状況と変わっているかも知れませんが、当時の様子です。

 『暮らしていくということ』
 
 日々暮らしていくということは、生計を立て生活して行くことで、辞典には、生活給について、最低限度生活を保障することをたてまえとする給料とありました。私は61歳で失業したその後、なんとか再就職出来ましたが、その最初の給与は、手取りで42,194円でした。それからようやく半年が過ぎたこの頃です。今月の手取り給与は55,831円です。生活して行くということは大変なことで、生活保護という言葉が他人事には思えなくなりました。
 そんなこんなで、私は、生活保護、生活保護費について調べて見ました。

 人生は思わぬところでさまざまな不運に見舞われることがあります。

「家庭の事情で収入を得ることができない」
「病気で働くことが難しく生活が苦しい」
「母子家庭になってしまった」
「もらえる年金が少なくて生活が困難」

 どうにもならないのがお金の問題ですよね。
 このように、さまざまな事情で生活が困難な方に「最低限度の生活を保証」するのが生活保護制度です。つまり「生活保護費」を支給し、あなたとあなたのご家族の生活、または人生の手助けをするという制度なのです。
 生活保護で受けられる「生活保護費」を受給することによって、困窮している生活を立て直すきっかけとなり、また、ひとつの方法であり、あなたの生活の基盤となってくれるでしょう。

 生活保護とは、国の厚生労働省の定めにおいて、生活保護の受給を希望する方が資産や働ける能力など全てを活用してもなお生活に困窮する場合に、生活の困窮の状態に応じて必要な生活保護を行い、あなたが健康で文化的な生活を送れるよう最低限度の保障をし、また将来的に自立を助長する制度であるとしています。生活保護を利用することによって、生活保護費を受給しなければ生活が困難な方々が救われ、必要に応じて生活保護のさまざまな扶助や補助を受け、生活の基盤を取り戻すことが可能となり、再び自立した生活に繋がることを目的としているのです。

 そして、生活保護は、個人単位ではなく世帯単位での支給になり、世帯の収入が「生活保護基準額」より多いと生活保護費は受給できないとありました。

 生活保護費のうち、日常生活で最も必要な費用となる「生活扶助」の、各地域ごとの受給額一覧から、ひとつ、福島県郡山市 3級地の場合の紹介です。

標準3人世帯例:33才、28才、3才として、128,508円。
高齢者単身世帯例:67才として67,239円。
高齢者夫婦世帯例:68才、66才として、100,862円。
母子家庭世帯例:33才、5才、3才として、120,626円。

 また、世帯に障がい者がいる場合や母子家庭の場合など、各世帯の事情によって生活保護受給額は変わります。また、世帯の方に収入がある場合、これらの生活保護基準額から収入分が引かれた額が支給されます。

     * * * * * *

 私自身の給与が下がって行ったのはいつ頃だったか。バブルの崩壊は1990年11月頃始まったと言われているが、数値的に確認できる「バブルの崩壊」と、体感的な「バブルの崩壊」にずれがあり、例えば首都圏では新築マンション価格が1990年にピークとなるが、同圏における平均年収のピークは1997年であったというように。私自身が苦しく感じるようになったのは、製造業の勤務を辞めた2001年の頃からだったのです。2001年と言えば、アメリカ同時多発テロ事件が起きた年だったのですが。バブル崩壊により1973年(昭和48年)12月から続いた安定成長期は終わり、失われた20年と呼ばれる低成長期に突入したのです。思えば、昭和48年と言えば、私が高校を卒業した翌年で、まさしく、世の中の景気の流れとともに生きて来たのですね。
 ニューヨーク全米同時多発テロが起きた翌年2002年(平成14年)に、サービス業に転職した自分ですが、その時点から、給与は下がり続け、月給24万が17万となり、今では非正規雇用のパートタイマーである自分は8時間のフルタイムで働いても手取りで11万程になってしまったのです。
 なぜこのようになってしまったかって?要するに、社会全体が不景気であるということでしょうか。
 1997年(平成9年)4月に消費税が5%になってから生活が苦しくなったように感じていた自分ですが、2014年(平成26年)4月に消費税が8%になり、いっそう生活が苦しくなったことを実感するこの頃です。というのも、消費税が上がっても給与が上がるどころか下がる一方ですから・・・。
 始めに戻って、生活給について、最低限度生活を保障することをたてまえとする給料とありましたが、非正規雇用の人たちのなかには生活保護費に満たない給料で働いている人が多いのでは・・・・。

・あの頃から、6年たち・・・・、今はリタイア生活です。無駄な出費には気をつけていますが、自分だけの自由な時間が増えたことにホッとしています・・・・。

閑話 2 私という現象は・・・・

2022-09-07 06:17:33 | 想い出



2015年10月05日 ウェブリブログより

『わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です』
 
 このところ、SFものを読んでいます。SFは、科学的な空想にもとづいたフィクションの総称。メディアによりSF小説、SF漫画、SF映画、SFアニメなどとも分類される。日本では科学小説、空想科学小説とも訳されている。とありますが、それらを読んでいて思うのですが、科学的な描写もありますが、やはり登場人物の人間味ある描写に惹かれる私です。

 たとえば、アイザック・アシモフ作「精神接触」の書き出しはこうです・・・・。
 いかなる惑星もその果ては死なねばならない。生き残るためには、宇宙への脱出、冷えつつある太陽にさらに近い惑星、あるいは別の太陽をめぐる惑星への脱出がはかられるであろう。
 そう、惑星の終焉が間近に迫るとき、地底に生き残ったかれらが、遠い他の惑星地表に住む知的生命体に、必死の精神接触を試みたお話しですが、その地表に住む知的生命体とは、わたしたち人間をさしているのであり、そのわたしたちの生活はいとおしいものです。また地底の生命体もいとおしいのですが・・・・。
 
 わたくしごとですが、近ごろ、ブログを思うように更新できなくなりました。でも、いつか書けるときが来たら書こうとおもいますが・・・・。SFものに限らず、ごく普通な出来事を描いた小説でも、生きていることの喜びが感じられればいいですね。またSFといえば、わたしの好きな賢治の次の言葉は、いつ読んでもSF的だなと思う私です。

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 これらは二十二箇月の
 過去とかんずる方角から
 紙と鉱質インクをつらね
 (すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
 ここまでたもちつづけられた
 かげとひかりのひとくさりづつ
 そのとほりの心象スケッチです

・上の写真ですが、その当時の私の故郷のまもなく稲刈りの景色です。遠くに見える浅間山は、いつもわたしたちを見守っていてくれるようです。で、賢治の言葉ですが、今思うとSF的というより、あるがままのそのままの、明滅しながらここまでたもちつづけられた、そのとほりの心象スケッチなんですね。

 記事へのコメントも、忘れがたいので 掲載させていただきます。

ブログをきちんと続けるのは、けっこうたいへんですね。
私もだんだん、更新がすくなくなってしまって・・・・。
宮澤賢治もいいけど、アイザックアシモフもいいですね。
夢の世界に連れて行ってくれる、そんな表現力というか、
本の中に引きこむ、魅力がありますね。
                    なー

なーさん、ありがとうございます。SFは、ときに決まりきった発想からファンタジーな世界に連れていってくれますね。このところ創作意欲がしぼんでしまったが、いつか何か書けたらなと思います。ウェブリブログですが、振り返れば過去の思い出が、夢のようで楽しかったなと思います。「なー.の花次元わーるど」いつも楽しみです。
                    ふー

そちらの方も間もなく稲刈りなのですね。こちらの方も、もうすぐ稲刈りが始まると思います。今年も、もう10月。更新が少なくなったということですが、少ない更新でも、こうやって、時間がつながることのできること、嬉しく思っています。これからも、ささやかでも生きていることを感じながら暮らせていけたらと思います。
                    eri

eriさん、ありがとうございます。不思議ですね。顔を会わせたこともないのに、こうして話ができるということ。面と向かったら物おじしてしまう自分ですが、詩という世界がブログ仲間を繋いでいるのですね。こちら、このところ夜や朝が、急に寒くなってきました。生きているって、雨が降ったり、晴れたりいろいろですが、これからもよろしくです。
                    ふー

SFは、客観的に読むことができて、娯楽としても思う存分楽しめるところがいいですね。かけ離れているように思えることが、その実はとても身近なことであったりして、その結果、いろいろなことを素直に認めることが出来る気がします。
気負わず、心のままに続けていきましょう、ブログ!わたしは遅くにメンバーになりましたが、一年前くらいにサークルのメンバーのブログを拝見してまわり、悲しい別れがあったことを知りました。
出会いも別れも心のままに感じるままに、サークル、ブログ、これからも続けていきましょう。              
                    huko

hukoさん、ありがとうございます。hukoさんのコメントにいつも元気をいただく自分です。本当、いくつになっても、新しい出会いが待っているのであり、本にしても、さまざまな出会いがありますね。深まりゆく秋、そういえば、先日、三日月と金星が寄り添って輝いていてなんだか嬉しくなりました。
                    ふー

閑話 1 予言について

2022-09-05 06:30:36 | 想い出


 ウェブリブログが間もなく閲覧終了となってしまうので、時に、自分の書いた記事を読み直しています。

ウェブリブログ  
2006年07月04日 
 『予言について』

 きょうは、予言について、書こうとおもいます。予言と言えば、ノストラダムスの予言で、1999年の最後の審判というのがありましたが、今はなんとか21世紀にはいりました。また、地球規模の予言でなくとも、いろんな人が、未来について予言しています。たとえば、第二次世界大戦を予言された人もいます。思うに、それら予言には、大きく分けてふたつあるように思われます。
 ひとつは、今の置かれた状態から、明晰な頭脳でもって、きたるべき未来はこのようになるだろうと、推測して予言するもの。たとえば、一世紀以上もまえに、あるジャーナリストは、女性の解放について予言していました。
 それは、「世界じゅうの女性が権利の拡張と活躍の場の増大を享受するようになる。この新しい自由にともなって、それまで男性にだけ許されていたある種の性的行為が女性にも認められるようになる。加えて、仕事の幅が広がるため、子供をもとうとしない女性がふえる。」と。これなんか、今の世相をあてているようにも思われます。

 そして、もうひとつの予言とは、預言でもあります。それは、辞典をみますと、「預言・キリスト教で、神の霊感を受けた者が、神のおつげとして言うこと、また、そのことば。」とあります。日本では、大本教のお筆先などがあるように、宗教の教祖などが、神の霊感を受けた、神のおつげとしての予言が知られています。まあ、神様の預言ということは横においといても、「あと5年ないし10年は、アメリカ、日本、中国の経済は発展をする。しかし、世界中で貧富の差が非常に大きくなる」などの言葉は、今の世の中をみていると、自然と納得してしまいますね。
 われわれは、どこからきて、どこへいくのか・・・・。

2012年04月30日 23:45
 ある書物で知りました。予言には、潜在意識が関係しています。この潜在意識というのは、過去に一度覚えたことをただ単純に繰り返すだけの意識です。
 その習慣性から、次の傾向がわかり、おおよその予測ができるというわけです。潜在意識のクセをよい方向に変えるには自己暗示法が効果的だと…運命好転とも関係していて、とても興味深いですよね。
                         huko


イエスタデイ・ワンス・モア

2022-03-22 21:40:41 | 想い出

 カーペンターズと言えば、1970年代において独自の音楽スタイルを貫き、大きな成功を収め、1983年のカレンの死(32歳)により活動を終えた。とあります。なぜカーペンターズかって。自分がガラケーからスマホに変えて一年。夜眠る前にスマホのYouTubeで、「イェスタデイ・ワンス・モア」を聴くようになったからです。最初は違う歌い手の音楽を聴いていたのですが、YouTubeのおすすめで「イエスタデイ・ワンス・モア」が出たのが縁でした。曲「イエスタデイ・ワンス・モア」は1973年発表とのこと。1973年と言えば、自分が社会人になった頃で、その頃の自分はカーペンターズの曲を熱心に聴いたことはなく、自然に耳にしていた程度であったのです・・・。歌詞の和訳として、

若かった頃 ラジオを聴いて 好きな曲が流れるのを待っていた
その曲が流れると 一緒に口ずさんで 笑顔になれた

あの頃よく歌った愛の歌 歌詞を全部覚えてたものよ
あの懐かしいメロディは 今も私に心地よく響いて
過ぎ去った時間を溶かしてくれる

すべての良い思い出が はっきりとよみがえる
泣いてしまう思い出もあるけれど あの頃のように
過ぎし日々よ もう一度

 私は流れてくる英語は良く聴き取れないのですが、流れてくるカレンの歌声に何故か癒されるのです。32歳の若さでこの世を去ったカレン。その若いカレンの歌声。1973年から何十年過ぎたのでしょう。思えば、絵画にしても音楽にしても文学にしても、何十年過ぎようが、心に響くものは響くのですね・・・・。

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 いつからか、人間個人を金銭や物で換算する習慣、生き方が蔓延し、時に私自身お金に縛られるようになっています。イエスタデイ・ワンス・モアですが、社会人になった1973年頃の自分は、お金がなくてもそんなに苦にはしていなかったように思えます。思えば青春って、お金に縛られないという面がおおいにあるのかも・・・・。そんなわけで、32歳の若さでこの世を去ったカレンの歌声は自分のなかでの青春の輝きに繋がっているのかも・・・・。