goo blog サービス終了のお知らせ 

不思議活性

ちょっとした幸せを感じられたらな

小倉百人一首 90

2024-12-12 05:59:34 | 小倉百人一首
   第九十首

見せばやな 雄島のあまの 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色は変はらず              

   殷富門院大輔    
(生没年不詳) 父は藤原信成。殷富門院(後白河院皇女亮子内親王)に仕え、門院の出家に従い出家した。

部位 恋  出典 千載集 

主題
相手のつれなさを嘆き、つらさを訴える恋の心情 

歌意
ああ、あの人に見せたいものよ。雄島の漁師の袖でさえ、どれほど波しぶきで濡れに濡れたとしても色が変わらないというのに、私の袖はもう涙ですっかり色が変わっている。

「見せばやな」見せたいものですよ。「あま」は漁夫。あの雄島の漁夫でさえ、濡れることは私の袖と同じく、ひどく濡れているけれど。色までは変わっていませんのに。

鈴木知太郎氏が、「松島やをしまが磯はあさりせし海士の袖こそかくはぬれしか」(後拾遺集、恋四)という本歌の、「帰結とした所を、むしろ起点において構想したもののようで、そこには本歌には見られない一つの屈折と趣向がある」といい、誇張は多いという批評もかえりみながら、結局はその修辞をひめて、「すこぶる巧みな手法と言わざるを得ない」と、当時の歌の世界の中に立ちいって鑑賞されている。

『千載集』以下勅撰集入集六十五首。


小倉百人一首 89

2024-12-11 06:22:37 | 小倉百人一首
  第八十九首

玉のをよ たえなばたえね ながらへば
忍ぶることの     弱りもぞする  
        
式子内親王        
(1149-1201) 後白河天皇の皇女。賀茂斎院を勤めた後、出家。藤原俊成、定家親子に和歌を学んだ。

部位 恋  出典 新古今集 

主題
人目を忍び心に秘める、忍ぶ恋の激しい心情 

歌意
私の命よ、絶えるなら絶えてしまうがいいわ。このまま生き永らえたとしても、恋心を隠し通す気力も衰えてしまうことでしょうから。

「忍ぶることの」 忍ぶこともできなくなり、心が外に現れるかもしれないから。

 式子内親王の代表作でもあり、『百人一首』中でも屈指の名歌に属する。「忍ぶる恋」(人目を忍ぶ恋)の題詠であるが、この歌題こそ、内親王の美しくも追いつづけた恋の姿勢であった。
 内親王の家司であった定家は、しばしばその邸に参入し、御病状の変化に一喜一憂するさまが『明月記』に書きとめられている。定家はこの一首を選ぶに当って、ありし日の内親王の姿をまざまざと思い出していたことであろう。

『千載集』以下百四十九首入集。



小倉百人一首 88

2024-12-10 06:18:24 | 小倉百人一首
  第八十八首

難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ
みをつくしてや 恋ひわたるべき          

 皇嘉門院別当  
(生没年不詳) 父は源俊隆。皇嘉門院(崇徳院皇后聖子)に仕えた。

部位 恋  出典 千載集 

主題
旅寝の一夜の契りゆえの一途な女の恋心のあわれさ 

歌意
難波江の葦を刈ったあとの一節の根のように、短い仮寝の一夜だけのために、難波江の名物「みをつくし」でもあるまいに私は身を尽くして一生恋することになるのでしょうか。

刈根に仮寝をかけ、一節に(ひとよ)に一夜をかける。「みをつくし」は、この身を捧げるの意。「わたる」は、時間的にし続ける。

「旅宿に逢う恋」という題詠である。旅宿ということから、難波を思いうかべ、芦、かりね、ひとよ、みをつくし、わたると、序詞、掛詞、縁語の技巧をつくし、しかも、旅の一夜のはかない契りのために、生涯身をささげて恋い続けなければならないとする、女の恋心のあわれさを美しく表出した艶ともいうべき歌。

 『千載集』以下に九首入集。


小倉百人一首 87

2024-12-09 00:36:50 | 小倉百人一首
  第八十七首

村雨の 露もまだひぬ まきの葉に
霧立ちのぼる     秋の夕暮れ      

寂蓮法師          
(1139?-1202) 俗名は藤原定長。俊成の兄弟・阿闍梨俊海の息子。俊成の養子となるが、後に出家した。

部位 四季(秋) 出典 新古今集 

主題
霧が立ちのぼる秋の夕暮れの、静かで心寂しい情景 

歌意
にわか雨のしずくがまだ乾かずにとどまって輝いている針葉樹(杉や檜)の葉に、霧が谷間から涌き上がってくる秋の夕暮れの光景よ。

「まだひぬ」まだ乾かない。「ひ」は「干る」の未然形。
 村雨がひとしきり降りすぎて  「まき」 杉や檜などの常緑の針葉樹の総称。 
 一幅の日本画の如き風景を、三十一音で手際よく描きあげ、淡々としてしかも幽寂である。

 多くの歌合に出席し、御子左家の有力歌人であった。健仁元年、和歌所寄人、『新古今集』の撰者となったが、撰歌途中で没。家集に『寂蓮法師集』がある。
『千載集』以下勅撰集入集百十七首。



小倉百人一首 86

2024-12-08 06:02:28 | 小倉百人一首
  第八十六首

嘆けとて 月やは物を 思はする
かこち顔なる     わが涙かな      

西行法師           
(1118-1190) 俗名は佐藤義清。もと武士だったが妻子を捨てて二十三歳で出家。諸国を旅して歌を多く詠んだ。

部位 恋  出典 千載集 

主題
恋の物思いで、月を見ても涙がこぼれ落ちる心境 

歌意
月が私を悲しませようとでもしているのか、いやそんなはずはないのだが、そうとでも思いたくなるほど、月にかこつけるようにして涙が流れてしまうのだ。

 嘆けといって月がもの思いをさせるのであろうか。「やは」は反語。いやそうではない。「かこつ」はかこつける。月のせいにする。

 西行には恋歌が多い。隠者歌人西行というイメージからは不思議にさえ思われることであるが、かえって、恋歌にこそ西行の特色をとらえる一つのかぎがあるともいえる。

 『千載集』以下に二百五十三首入集。



小倉百人一首 85

2024-12-05 06:29:14 | 小倉百人一首
  第八十五首

夜もすがら 物思ふころは 明けやらで
閨のひまさへ     つれなかりけり             

俊恵法師           
(1113-?) 父は源俊頼。東大寺の僧で、平安末期の代表歌人として知られる。鴨長明は弟子。

部位 恋  出典 千載集 

主題
訪れて来ない男のつれなさを恨む心 

歌意
夜通し、まだ訪れぬお慕いするあの方のことを思い悩むときは、夜はなかなか明けないで、あの方を待つはずの寝間の戸のすきまさえ、私の気持ちを分かってはくれないものだ。

 俊恵のもとに集まっていた歌人たちのグループ歌林苑での歌合の歌で、女の立場となって、恨む恋の風情をよみあげたもの。

 『千載集』恋二、七六五に「恋の歌とてよめる」として、寂蓮法師の歌があり、つづいて、「俊恵法師」として見える。

 東大寺の僧であったが、後、京都白河に歌林苑を営み、しばしば歌合や歌会を催し、貴賤僧俗の歌人を集め、和歌政所とも言われたという。
 『詞花集』以下に八十四首入集。



小倉百人一首 84

2024-12-04 05:56:56 | 小倉百人一首
  第八十四首

ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき    

藤原清輔朝臣    
(1104-1177) 顕輔の子。歌道の六条家を継いだ。『続詞花集』を編纂。

部位 雑  出典 新古今集 

主題
つらく苦しい現実に暗く沈みがちな心境 

歌意
もしこの世に生き永らえていたら、つらい今が懐かしく思い出されることもあるのだろうか。かつてつらかったあのときも、今思い返すと恋しく懐かしく思われるのだから。

 父顕輔と不和で、沈みがちな心境を述懐した歌で、六条家風のおだやかなよみぶりの中に、深い抒情を実感をこめてしみじみと歌っている。定家が先達六人の秀歌をあげた『遺送本近代秀歌』に、清輔の歌四首をあげる中の一首で、定家の好みにかなった清輔の代表作といえよう。

 家集に『清輔朝臣集』があり、『千載集』以下に八十九首入集。




小倉百人一首 83

2024-12-03 05:41:24 | 小倉百人一首
  第八十三首

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも        鹿ぞ鳴くなる    

皇太后宮大夫俊成          
藤原俊成 (1114-1204) 藤原俊忠の息子で、定家の父。優れた歌人で、歌学者でもあった。後白河院の命により『千載集』を編纂。

部位 雑  出典 千載集 

主題
夜の苦しみ、つらさをはらうすべのない深いさびしさ 

歌意
世の中には悲しみやつらさから逃れられる道はないのだろうか。世間からずっと離れた山奥でさえ、鹿が妻恋しさに悲しげに鳴く声が聞こえてくる。

 この俗世をのがれて、山の奥へのがれる遁世の身に、なお鹿の鳴く音がもの悲しく聞こえて、とてもこの世では、憂さからのがれることもできないと深く述懐する心を、「世の中よ 道こそなけれ」とまず二句切に言い切り、第三句以下鹿に実感をよせて余情深くよんでいるところ、王朝末の深いさびしさを巧みによみ得ている。

 家集に『長秋詠藻』。『詞花集』以下に四百十五首入集。



小倉百人一首 82

2024-12-02 05:53:49 | 小倉百人一首
  第八十二首

思ひわび さてもいのちは あるものを
憂きにたへぬは 涙なりけり    

道因法師            
(1090-?) 俗名を藤原敦頼。父は治部丞清孝。主に晩年、歌壇で活躍したといわれる。

部位 恋  出典 千載集 

主題
つれない人を恋慕うことのつらさ、悲しさ 

歌意
長い年月、つれない恋のため思い悩んでいても、こうして死にもせず命はあるのに、それでもそのつらさに耐えられなくて流れて仕方がないものは涙であることよ。

「思ひわび」 相手のつれなさを恨み、わが身の憂きを嘆きわびること。
「憂きにたへぬは」 つらさにたえないで 涙ばかりがこぼれ落ちることだ。

道因法師の和歌に対する思いは相当のものだったようで、和歌が上達するように七十を越えてから住吉明神に月詣でをした話があります。また、『千載集』に本人の死後に十八首が採られたことのお礼を言うために藤原俊成(撰者)の夢にでてきた話もあります。

 承安二年(1172年)出家。
『万葉集』に訓点を試みてもいる。『千載集』以下、勅撰集入集十一首。




小倉百人一首 81

2024-12-01 04:33:51 | 小倉百人一首
    第八十一首

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただありあけの 月ぞ残れる    

後徳大寺左大臣            
藤原実定(さねさだ) (1139-1191) 右大臣公能の子で、定家の従兄弟。祖父の徳大寺左大臣と区別して後徳大寺左大臣と呼ばれた。晩年に病のため出家。

部位 四季(夏) 出典 千載集 

主題
ほととぎすの初音の方には月が浮かんでいたこと 

歌意
戸外の明け方近い夜空を、ひと声ほととぎすの鳴いた方角を見ると、もうその姿はなく、(何ひとつ目にとまるものとてなく)ただ夜明けの下弦の月だけが残っているのであった。

 この実定の歌は素直で平坦なよみぶりで、あれやこれやとよみこまないで、しかも実感をこめているところがよいとする。

 宗盛に官を超えられ遠く厳島に詣でてようやく左大将になった話(平家物語)など逸話が多い。詩歌管弦にすぐれ、蔵書家でもあった。
『千載集』以下勅撰集入集七十三首。