goo blog サービス終了のお知らせ 

不思議活性

ちょっとした幸せを感じられたらな

小倉百人一首 80

2024-11-30 00:01:08 | 小倉百人一首
  第八十首

長からむ 心も知らず 黒髪の
乱れてけさは    物をこそ思へ              

待賢門院堀河   
(生没年不詳) 父は神祇伯源顕仲。待賢門院に仕えて堀河と呼ばれた。門院の出家に伴い自らも出家した

部位 恋  出典 千載集 

主題
契りを結んだ翌朝の、心変わりを案じる恋の物思い 

歌意
末永く愛してくれると誓ったあなたの心が分からないので、一夜逢って別れた今朝の私の心はこの寝乱れた黒髪のように物思いで乱れていることですよ。
 
末永くいつまでも変らないお心かも知れないけれど。
 
後朝の恋の歌。『久安百首』の一首であるが、男からの歌にこたえて返歌を送るという想定のもとによまれている。黒髪の寝乱れた官能的な美しさと、愛するがゆえに疑いとなり思い乱れる女心の嘆きを巧みに、しかも実感をこめてよんでいる。

 俊成が、高く評価している女流歌人の一人であった。
 『金葉集』以下に、六十五首入集。


小倉百人一首 79

2024-11-27 03:26:00 | 小倉百人一首
  第七十九首

秋風に たなびく雲の たえ間より
もれ出づる月の かげのさやけさ           

左京大夫顕輔  
藤原顕輔 (1090-1155) 父は藤原顕季。父に和歌を学んで、歌道の六条家を受け継いだ。『詞花集』の撰者。

部位 四季(秋) 出典 新古今集 

主題
雲の間からもれて来る秋の月の光の清らかな美しさ 

歌意
秋風に吹かれて、大空に横に細くたなびいている雲の切れ間から、漏れて姿を現す月の光の、何という清らかな明るさであろう。

 六条家の顕輔の歌の中で、特に定家が高く評価した歌の一つ。平明であり、しかも清澄な歌であり、実感のこもった作。

 父、顕季以来の六条藤家の和歌の家説をうけつぎ、俊頼とも親交がありその影響をうけた。『金葉集』以下勅撰集入集、七十八首。


小倉百人一首 78

2024-11-25 19:29:04 | 小倉百人一首
  第七十八首

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に
幾夜ねざめぬ    須磨の関守        

源兼昌  
(生没年不詳) 父は俊輔。十二世紀初頭の歌人として知られる。

部位 四季(冬) 出典 金葉集 

主題
須磨の千鳥の声によってもよおされた旅の哀感 

歌意
海峡を隔てて日中は見えるあの淡路島から渡ってくる千鳥の鳴く悲しい声に、この須磨の関所の番人は幾夜目を覚まして物思いにふけったことだろうか。

 冬の須磨の浦に旅寝をして、千鳥のものがなしい声をきき、いかにも須磨という所がらか、ひとしおの哀れを覚え、関守のさびしさに託して、みずからの哀れをよんだ歌で、「関路千鳥」という題詠であるが、『源氏物語』の須磨の巻の「友千鳥もろごえに鳴くあかつきはひとりねざめの床もたのもし」の歌をふまえて余情深い歌となっている。

 『金葉集』以下、勅撰集入集七首。


小倉百人一首 77

2024-11-24 14:47:47 | 小倉百人一首
  第七十七首

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に     あはむとぞ思ふ             

 崇徳院  
(1119-1164) 父は鳥羽天皇。父と不仲で退位させられる。保元の乱を起こし、配流先の讃岐で没した。

部位 恋  出典 詞花集 

主題
仲をさかれても将来は一緒になろうという強い恋心 

歌意
急な傾斜のため、川の瀬が激しく速いので、岩にせき止められた水の流れが一度は二筋に別れても、また後ほど出会うように、熱い思いで別れた私たちもまた必ず逢おうと思う。

「岩にせかるる」 岩にせきとめられる。

定家は、この歌を『二四代集』恋二の巻頭に据えている。恋の心のはげしさが、急流の岩をかんで割れ砕ける力強さに印象づけられながら、鋭く迫ってくる歌で、保元の乱に破れて、讃岐の配所で、悲憤のうちに崩御された院のおもかげをも思いうかべながら、この歌をいっそう深く味わっていたのかもしれない。

『詞花集』以下、勅撰集入集七十七首。


小倉百人一首 76

2024-11-21 09:07:50 | 小倉百人一首
  第七十六首

わたの原 こぎ出でてみれば 久方の
雲ゐにまがふ     冲つ白波          
     
法性寺入道前関白太政大臣        
藤原忠通 (1097-1164) 忠実の子。兼実と慈円の父。太政大臣に至る。父や弟と氏長者の地位を巡り争った。

部位 雑  出典 詞花集 

主題
白雲と沖の白波とがとけあって見える大海原の眺め 

歌意
広々とした海(大海原)に舟を漕ぎ出して、遥かかなたを見渡すと、沖の方には白い雲に見間違えるほどの大きな白波が立っていたのです。

「雲ゐにまがふ」 くもゐの ゐ は 居るの名詞形。雲のかかっている所。さらに雲そのものをさす。

 海上遠望の題は、現存の資料に関する限り、最初のもので、承安二年の広田社歌合の海上眺望の先例となったともいえよう。

 書は法性寺流の祖といわれ、家集に『田多民治集』。『金葉集』以下に六十九首入集。


小倉百人一首 75

2024-11-19 19:10:24 | 小倉百人一首
 第七十五首

契りおきし させもが露を いのちにて
あはれ今年の     秋もいぬめり  
      
藤原基俊            
(1060-1142) 右大臣俊家の子。博学だが官位には恵まれなかった。晩年、出家した。

部位 雑  出典 千載集 

主題
願っていた子供の栄達の約束が果たされぬ悲嘆 

歌意
つらくても私を信じなさいというさしも草の歌に掛けた恵みの露のようにありがたい約束のお言葉を命綱のように頼ってきましたのに、今年の秋も過ぎてゆくようです。

「させもが露を」 させも草。もぐさ。さしもの意が含められている。

 子供の栄誉を願って、それが結局報いられずに終わった悲嘆の気持ちを、婉曲に恨みごとをいった歌。
 
和漢の才にすぐれ、『万葉集』次点の一人。『金華集』以下に百七首入集。


小倉百人一首 74

2024-11-17 23:31:51 | 小倉百人一首
  第七十四首

憂かりける 人をはつせの 山おろし
はげしかれとは 祈らぬものを              

源俊頼朝臣        
(1055?-1129?) 経信の子。もと堀河天皇近習の楽人。官位は高くないが、白河院の命で『金葉集』を撰す。

部位 恋 出典 千載集 

主題
つれない人をなびかせようと祈ったが、叶わぬ嘆き 

歌意
私につれないあの人をなびかせてくれるようにと初瀬の観音様にお祈りはしたが、ああ、初瀬の山に吹く冷たい山おろしよ、お前のように冷たくなれとは祈らなかったのに。

 この歌は、藤原俊忠」(定家の祖父)の家で、「祈れども、逢わざる恋といへる心をよめる」という題で詠まれています。」

「うかりける」 つらかった人。こちらが思ってもなびかなかった人。うかりけるとは我につらかりけるという心也。
「はつせ」は大和国磯城群(奈良県桜井市)。長谷寺(観音信仰)がある。「小初瀬の山の麓によきの天神と申す宮居あり恋を祈ると人申しし也」

 寛治三年四条宮扇合以下、大治元年摂政左大臣家歌合に至る多くの歌合に参加。『金華集』の撰者。『『金華集』以下、勅撰集入集約二百首。


小倉百人一首 73

2024-11-14 23:07:28 | 小倉百人一首
  第七十三首

高砂の をのへの桜 咲きにけり
外山のかすみ     立たずもあらなむ        

前中納言匡房    
大江匡房 (1041-1111) 匡衡・赤染衛門の曾孫。博学で白河院に重用された。数多くの著書を残す。

部位 四季(春) 出典 後拾遺集 

主題
はるかな山の峰に咲く桜への愛着 

歌意
遠くの高い山の頂きに山桜が美しく咲いたなあ。近いところの山の霞よ、どうか立たないでおくれ。あの美しい山桜が見えなくなってしまうから。

「立たずもあらなむ」 あってほしい。「なむ」は、あつらえ望む意をあらわす終助詞。

 歌合の歌題を儒者が出すという風潮を作ったのも匡房の影響ともいえるし、歌題が詩題と交錯し、院政期の和歌に、漢詩の清新なよみぶりを注入したことも注意されよう。
 若くして、蔵人・左衛門権佐・右少弁を兼ね、三事兼帯の才名を得、碩学として異例の昇進をした。家集に『江師集』。『後拾遺集』以下に百十四首入集。


小倉百人一首 72

2024-11-13 07:26:41 | 小倉百人一首
  第七十二首

音にきく たかしの浜の あだ波は
かけじや袖の     ぬれもこそすれ             
    
祐子内親王家紀伊       
平安後期の女流歌人で生没年不詳。祐子内親王(後朱雀天皇皇女)に仕えた。『堀河百首』の歌人の一人。

部位 恋  出典 金葉集 

主題
浮気で評判の男性に言い寄られ、それを拒む気持ち 

歌意
うわさに名高い高師の浜の波は身にかけますまい。袖が濡れては大変ですから。おなじように浮気で名高いあなたのお言葉は心にかけますまい。袖を涙で濡らすのは嫌ですから。

「あだ波は」 いたずらに打ち寄せ返す波。浮気な人をたとえている。
「かけじや袖の」 波を袖にかけまい。心にかけまい。

 『金葉集』の詞(→出展)に明らかのように、堀河院艶書合での俊忠の歌にこたえたもの。「荒磯浦」の地名を「高師浜」で受け、浪の寄るようにあなたのところへ通いたいというのを、そんなあだ波を受けるわけにはゆかないとつき放したもので、間然するところのない巧みな返歌であり、艶書合といった催しをもりあげ、あっといわせた歌。

 『後拾遺集』以下に二十九首入集。


小倉百人一首 71

2024-11-11 23:08:42 | 小倉百人一首
   第七十一首

夕されば 門田の稲葉 おとづれて
葦のまろやに     秋風ぞ吹く      

大納言経信     
源経信 (1016-1097) 詩歌管弦に秀で、数々の歌合に出席し、判者も務める。任地・太宰府で没した。

部位 四季(秋) 出典 金葉集 

主題
夕方の田舎家に稲田を渡って吹いて来る秋風の風情 

歌意
夕方になると、家の前の田んぼに秋の風が訪れ、稲葉がさやさやとよい音を立てて揺れる。その冷たくて心地好い秋風は、私がいるこの葦葺きの田舎家にも吹き渡ってくるよ。

 清新な叙景歌。常信・俊頼から俊成をへて新古今風に流れこんでくる新風のさきがけともいうべき歌である。ところは、師賢の梅津の山里において実景を思いうかべての作、しかも現代の写生歌とも異なる。

「夕されば」 夕方が来ると 「門田の稲葉」 家の前の田
「葦のまろや」 茅ぶきの田舎家。

 漢詩・和歌・音楽の三つの才能を兼ね備えている三船の才と、藤原公任と並び称されていました。『後拾遺集』以下、勅撰集入集八十七首。