アメリカンな生活!

バイデン大統領より4歳下です。

StayGold Ⅱ

2018-01-27 07:25:45 | 日記
2018年(平成30年)1月27日(土)
 医療費還付の準備は大筋できた。還付の金額は8千円代だ。昨年より少ない。年金から何もかも天引きされている。大して税金を払ってないので還付の金額も少ないんだろう。

 セイコーの逆輸入時計をAMAZONから買った。中国製のSEIKO5もあるが同じ形をしていて半額くらいだ。それにしてもゴールドに興味を抱いてから久しい。浅草寺のお札21番も金色だ。アメリカ人は手紙の最後に「StayGold!」と書くことがあるという。意味を知ってからなおさらだ。「輝いていてね!」いい言葉だ。

今年の寒さは記録的なもの

2018-01-26 07:39:04 | 日記
2018年(平成30年)1月25日(金) 
 昨日の都心の寒さは-4℃で、1970年(昭和45年)1月17日以来48年ぶりとの報道。
その日のことよく覚えている。大学を卒業する年で友人が単位不足で既にその科目の単位を取っている私に応援を依頼された。朝までコースで詰め込みをした。コタツに入り電気コンロにヤカンで蒸気を立てても寒い日だった。その友人は優秀で一流会社の内定をもらっていた。その必修科目をとらないと卒業ができないという崖っぷちの状態で必死だった。一夜漬けとはよくいったもので試験は成功無事卒業できた。疎遠になっているけどどうしてるかな。

 国税局から確定申告書が届いた。添付する医療費明細書用紙は税務署に取りに行くか、ダウンロードしたくてもプリンタがない。去年も下手な字で書いたんだからそれにしよう。

久しぶりにニシンを食べた

2018-01-25 07:52:58 | 日記
2018年(平成30年)1月24日

 えーニシンってこんなに小さかったケ。スーパーで珍しく見かけてつい買った。アジ位の大きさだった。ニシンのイメージはこれの1.5倍はある30cm位だ。子供の頃、春先にニシンはリヤアカーを引いた魚屋さんから箱買いをしていた。箱に何匹なのか定かではないが、その日は家族で6匹は七輪で焼いて食べた。大概どこの家庭でも焼いていてそこいらじゅう煙とニシン独特のにおいが漂った。残りのニシンは腹をさいて数の子と身欠きにしんニシンにしていた。だから周りの家の軒先にもニシンを干していた。これは漁師の家ではなく一般の家庭でやっていた。
 塩を振って焼いてたべた。あっさりしていて大きなアユを食べたような感じだった。大昔のニシンと姿・形は似ているが違う。子のニシンには数の子があり食べていた。

最後のクラウンの危機

2018-01-24 07:24:24 | 日記
2018年1月24日(水)

 最後のクラウンを購入した8年前から同じ「車屋さん」に車検をお願いしたり、修理をしてもらっている。
ホリデイ車検という「車屋さん」で1時間位待っている間に車検をしてしまう。予約割引やオイル無料交換等のサービスが有り。コストが安く年金生活者にとって「いいね!」。後ろのバンパーをわざわざ中古部品業者から取り寄せて交換、2万円とはびっくりだ。洗車したときトップのところに手が届きにくい。思い立って車高を下げる相談をしたところと「乗りごごちが悪くなるし止めた方がいいですよ。」のアドバイス。客の言う通りサスペンションの交換なりして注文を受けるのが普通だと思った。料金は10万円位、「車高調」という部品を使うと20万円位とのこと。それでもノーマルのままを勧める正直さには感心した。ゼロクラウンなので昨年から自動車税が5万円を超えた。固定資産税とあまり変わらなくなった。固定資産税はこの24年で半分位になった。まあいいっか。爺のくせに車高を下げてかっこよくしたかっただけさ。

ミツウマのゴム長靴

2018-01-23 06:59:01 | 日記

2018年(平成30年)1月23日(火)
 久しぶりに雪がつもった。子供時代を小樽・札幌で過ごした。長い冬はほぼ半年、ミツウマのゴム長靴をはいていた。母が編んだ毛糸の靴下と市販の靴下と最低でも2枚の靴下を履いていた。暖房用の石炭も雪が降る前の9月頃2t、炭小屋に搬入していた。北海道は勤務先から石炭の現物か現金で冬季手当として支給されていた。ゴム長靴といってもどこからともなく雪が入りビチャビチャで、家に帰るとストーブの傍で乾かしていた。スキーもスケートもゴム長靴で滑った。スキー靴やスケート靴を履くようになったのは小学校高学年になってからだった。スキー靴もミツウマのでやはりゴムでできていた。スキー靴が合成皮革とか革製になったのは高校生になったからの頃だった。靴底に滑り止めの合成皮革や革製の靴をはくようになったのも高校生になってからだ。それまでは長い間ミツウマのゴム長靴にお世話になっていた。