アメリカンな生活!

バイデン大統領より4歳下です。

築地本願寺・魚河岸水神社・波除神社参拝。お賽銭計333円。

2017-11-30 07:06:24 | 日記

お寺、神社の近くを通った時は、たいがい参拝することにしている。築地本願寺の参拝者は外国人が多く、(当たり前)お賽銭する習慣がないと見えて誰もしてなかった。「111円」のお賽銭はただ単に小銭が結構財布の中にあり「ぞろ目」で縁起がいいと思ったからだ。又、3ケ所のお賽銭の合計が333円というのも意識せず結果的にそうなった。インターネットで333を検索すると、以下のことが・・・
333はエンジェルナンバーで、1.困った時、天に向かい助けを求めなさい。2.内なる叡智に従いなさい。転生を繰り返し経験したことは魂に刻まれています。3.直観を信じなさい。4.3という数字は自由という意味が込められています。※10.まであるらしい。取り合えず「お気に入り」にしておく。じっくり思い出したら参拝したのは築地本願寺と魚河岸水神社の2ケ所で、お賽銭は111円2回で222円だった。困った、222もエンジェルナンバーで意味があるらしい。
※波除神社はイチョウの美しさに見とれて、写真を撮っただけ。

南天の木も勝手に生えた!

2017-11-29 07:12:37 | 日記
1昨年、我が家の周りの生垣を撤去、
 一昨年1月に生垣をフェンスに変えた。もう、生垣を選定・カットする体力がなくなったため、その決断をした。又、びわの木は子が小学生の時、給食で食べた種を育て20数年の間に屋根に達するまでになっていた。2階のベランダから手をのばすと容易にとれた。何にもしないのにそこそこ大きな実がなり美味しく食べられた。梅の木は15Kg以上梅の収穫があった。3月満開に咲く梅は桜より長く咲いていて目を楽しませてくれた。ぶどうの木も十数年、実もたわわになり8月から10月位まで食べ放題。生垣の中にシュロが2本背丈ほど成長、これもほっとくと家の高さを超えるそうだ。これら生垣以外の木を伐採する費用は1本10万円するらしいと聞いて、すべて私がのこぎりと電動カッターで伐採した。びわの木、ぶどう、生垣の中生えていたシュロ2本、軒の高さまでなった木苺2本。梅の木は玄関の階段の横で足場が悪いので業者に伐採を依頼した。フェンスが完成後、南天が玄関の近くと北側のバスルームの前に勝手に生えてきて、もう背丈ほど成長、今年初めて実をつけた。南天は「難転」とも書き悪いことをよいことに変えてくれる縁起のいい木らしい。

ぶらり旅⑤中央区築地市場

2017-11-28 10:43:51 | 日記

築地市場がなくなる前に見たかった。48年ぶりに市場内を散策する。いろんな国の外国人でいっぱいだった。10時半位は寿司屋さんを始め、仕入れする人でごったがえしているとこなのだが。やっぱり街の寿司屋さんの軒数は当時の半分以下と見た。寿司を食べる人・量ともに減ってないと思うが回転寿司や惣菜の方に変化したのだと思う。ホテルに勤務(資材部仕入課)時代はゴム長靴を履き、腰のベルトに現金を入れるバッグをつけて買い付けをしていた。朝、6時半出勤、フロントデスクから現金を受け取り(前日、各調理場の仕入れしリストを上司が予想の金額を経理課に指示)、7時頃トラックで築地市場へ向かう。半蔵門を下り右に国会議事堂・警視庁前を通り、有楽町のガード下を抜けて今度は左に日劇・和光・銀座4丁目の交差点を通り、次は右に歌舞伎座があったりで日本の首都東京のど真ん中で仕事をしてるんだなと思ってた。場内8051番大前水産はなかった。朝飯を食べていた喫茶店は当時のまま営業してた。トースト1枚が3枚分位厚いのがモーニングサービスでついていた。

いつのまにか、ススキが生えた

2017-11-26 19:06:08 | 日記

 満月の頃、伸びた雑草でも刈ろうと西側に回ったみるとなんとススキが数本生えていた。
月見にはだんごとススキが添えられている。ピッタリだなと思った。2ケ月経った今も西日にキラキラ光ってきれいだ。西の出窓は熱帯魚の水槽が2つ並んでおり雨戸を開けるとコケが生えやすい。水槽が二つになってからは殆ど閉めたままなのでススキが生えていたなんて知る由もない。水槽が2ツになったのはグッピーが増えすぎて仕方なく購入。グッピーが胎生だなんて知らなかった。60cm幅の水槽2つの重さは相当なものであの華奢な出窓はよく耐えているもんだと感心した。

ぶらり旅④杉並区高円寺駅

2017-11-26 12:22:28 | 日記
以前、勤務した会社は関東バスの「豊玉中ー高円寺駅」、当時は国鉄で「高円寺駅ー四谷駅」の区間しか定期券は認めてなかった。四谷駅から半蔵門へは徒歩10分位と記憶している。雨の日や嵐の日はその徒歩10分がしんどかった。その区間は都電もあるしバスも頻繁に運行していた。
 高円寺駅から数分のところに前に勤務した会社の女子寮ががあり、総務課の係長が寮長をしていた。
又、同じ課の同僚が数分のところ阿佐ヶ谷にアパートを借りていた。駅周辺は高層マンションが建っているわけではなく、ほぼ当時のままの風景でした。