献立を咄(はな)してばかりうまがらせ 古川柳
【逃がした魚は美味しいか ~ 食い物の恨みは。 の巻】
「料理」
ということばは
室町の頃から使われていたらしい。
ところが中国では
「事務管理」「差配」の意味に用いられ
食物を調理するのは割烹といった。
割(さ)いたり、烹(に)たりするからである。
西洋ではクッキングといい
食物は火で調理するものだった。
衛生面に配慮が要ったからだろうか。
江戸時代、あるヒトが
思い切って八百善へゆき
とびきり上等の料理を注文した。
やがて豆腐と箸を持ってきたので
その客は「なんだ豆腐ぐらいなら
どこでもできるぞ」とひとくさり。
すると、給仕人が答えるには
「いいえ、
これは副食物(おかず)の変わり目ごと
箸を御拭いになるものでございます」と。
客は、ただ赤面するのみであったという。
◇
魯山人は、
うまいものひとつあげるとしたらと
必ずフグと答えたものである。
過日、わたしは休みを取って
淡路島にフグを喰らいにいくつもりが
不要不急よろしくないと、やめにした。
その日は自宅でアンコウ鍋としたが、
モヤモヤしたものが残っている。
いってみて、あじわって、なんぼ。
この冬から春にかけて、
遣り残し感が漂うのだろうか。
うんちく(蘊蓄) 十分研究してたくわえた深い知識
立春にはげまされたる心かな 国弘賢治