囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

江戸の女相撲

2020年02月25日 | ●○●○雑観の森

▼いよいよ春場所(大坂場所)--2月24日に番付が発表されました

 

百年続けば立派な興行ではあるまいか 

 ~ 「伝統」「神聖」「女性」を巡る不可解

 ~ 春の嵐はあるのかの巻】


■江戸時代、趣味や娯楽が今日ほど豊富でなく、

当時の興行主たちはアタマをひねりまくり、

さまざまな見世物を考えた。

 

現代の人権感覚からするとトンデモナイことだが、

<「女性」と「目の不自由な人」との相撲>を考え出した者がいる。

これが大当たり、なかなかの評判となった。

 

怪しげな文献によると、

女力士は腰巻一枚、目の不自由な人は六尺褌一枚。

勝負としてはいい加減だが、物珍しさも手伝って、

興行は大いに賑わった、とのことである。

 


■文政9(1826)年春、江戸・上野山下での相撲大会。

連日大入り満員の盛況で、11人ずつの力士が出場した。

女の相撲取りの四股名といえば、

としの甲、花の山、乳ケ張、玉の輿、姥ケ里

腹やぐら、かひケ里、色気島、美人草、姉ケ淵、智慧の海。

片や、

向見ず、杖ケ嶽、佐栗手、杖の音、辻の音、

足駄山、もみおろし、武者振、笛の梅、夏嬉し、うば玉。

 

なんともヒトをおちょくったような話だが、

興行は大成功で、給金はよろしかったため、

転業組がそこそこあったという。

だが、誰でもやれるというものではなく、

女力士の体格は、四股名から想像できる様に、

本物の関取に迫る堂々としたものだったようだ。

 

■大人気の「女相撲興行」は、

「女同士」などに形を変えながらも、

大正時代まで続いたそうだ。

 

では「女は神聖な土俵に一切上がらせない」など、

誰がいつ言い出し、どうして約束事の様になったのだろうか。

こうしてみると、何とも怪しい話ではないか、と思う。

 

         ◇

 

まもなく春場所。

女性の知事や市長を土俵に上げるのを拒んだ

いわくつき?由緒ある?伝統の大坂場所である。

さて今回、

春の嵐があるや、なしや

 



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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kaminaribiko2)
2020-02-25 10:01:43
女相撲の四股名が傑作ですね。

「年の功」じゃなくて「年の甲」?😄
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Unknown (fumi-bow1956)
2020-02-25 10:38:45
@kaminaribiko2 でしょ! 
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Unknown (kaminaribiko2)
2020-02-25 11:08:41
そうです。スマホの上のコメントのポチを押してコメントさせてもらったのでしたが、私のIDがつかなかったのですね。失礼しました。でも、よく私ってわかりましたね。😃
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Unknown (fumi-bow1956)
2020-02-25 12:53:47
@kaminaribiko2 読者ですから!
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Unknown (fumi-bow1956)
2020-02-25 12:56:50
@fumi-bow1956 それと「でしょ」は
「傑作ですね」に対する「でしょ」でした。
言葉足らずで失礼いたしました。
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Unknown (nognogblack)
2020-02-26 15:45:08
フォロー頂きありがとうございます。
bikoさんが引用されていたのは、こちらの記事だったんですね!

たしかに女性を土俵に云々がナンセンスに思えて来ます(笑)
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Unknown (fumi-bow1956)
2020-02-26 15:56:57
@nognogblack こちらこそです。
全てを疑う、という「へそ曲がり」です。
bikoさんブログのファンクラブに入っています
(ホント?ウソ?)
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