囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

平安京の面影をゆく3

2021年06月17日 | アウトドアにて

 

都市伝説千二百年 「みやこ」の痕跡/西寺(さいじ) の巻】

 

 

大極殿

羅城門

いまは跡地を示す石碑や銘板があるのみ。

 

京都人が「先の戦争」という

応仁の乱(1467~77年)までは

平安京はその名の通り平和だった。

周囲に城壁もなく

野戦部隊も駐屯したことがなかった。

 

平安京の玄関口には

緑色に輝く屋根瓦と

朱塗りの柱という

威風堂々たる羅城門がそびえ

門をくぐると

左右には大きな寺院があった。

 

ご存知、世界遺産の東寺(現存)

西寺(現在は石碑のみ)である。

後者はいま、公園となっている。

 

石碑のある小さな丘に立つ。

南に唐橋の住宅地が広がっている。

そこにはただ、少し暖かく清しい

そよ風が吹いているだけ――。

 

 


西寺(さいじ) 右京九条一坊にあった官寺。羅城門西側にあり、羅城門を挟んで東寺と対をなした。跡地は現在の京都市南区唐橋西寺町で「西寺跡」として国の史跡に指定されている。西寺は東寺と同様に天皇の国忌を行う役割をもっていた。また律令機構の一端を担う鴻臚館として外国使節接遇の施設でもあった。衰退・廃寺となったのは、立地する右京の水はけの悪さ、平安後期に住民がいなくなったための環境悪化、朝廷の支援を受けられなくなったことなどが原因とされている。官寺は、権力構造が変わることにより、衰退することが多かった。

 

 

 

公園という形をとっているが

それは墓標のための場所ではないか

唐橋地区の郷土史家のリポートによると

十世紀ごろまでは

官寺としての数々の役割がつづられている

廃寺に至るその後の記述は

とぎれとぎれになっていて

あとはミステリーである

 

 

 



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