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囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

それぞれの秋/よくいきる

2020年09月09日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

「蟄居の日々ーーおうち生活」が続く世に、おもう の巻】

 


■今春、同好会の世話役を仰せつかったこともあって

会の広報公聴活動の一助に と「ネット掲示板」を創設したり、

居心地の悪そうな級位者を対象に短期講座を開いたり。

灯が消えそうな雰囲気を取っ払おうと、ごちゃごちゃやっている。

むろん、こういうことはやっていて面白いから

まずは自分自身のために勝手にやっている。


それなのに……

「そんなことをやって何になる」風のことをチクリ

時折 軽くいわれては、少し凹んで、消耗する。

「先輩、なあんにも分かっちゃいないなあ」


         ◇


■文化の日に生まれた「エッセイの大名人」が

亡くなられて、はや1カ月余りーー。

「失敗もまたよし」と題する小品を思い出し、読み返した。

「名人」は当時、仕事生活も切り上げようかという高齢となり、

残りの人生のあれこれを云々する。軽妙な筆致が愉しい。

 

序破急のうち「破」から紹介すると、こんな具合だ。

 

 昔は隠居と言った。

 仕事を若いものにゆずると裏へ引っ込むのである。

 しかし、

 「蔵売って日当りのよき牡丹かな」(瓢水)と悟ることは

 できないのが普通である。

 そこで、多くの隠居さんは、何かすることを見つける。

 趣味の稽古を始める。囲碁、将棋にこる。

 金があれば、書画骨董にうつつをぬかす。

 


著者(=名人)は手始めに「焼きものづくり」に挑戦するも

「個人月刊雑誌の発行」「テニス」「囲碁」「ゴルフ」と転戦。

趣味世界の迷宮に漂流する。そしてーー。

どれも これも ビギナーで終わった、

と ちょっぴり嘆息するのである。

 

 大学出のインテリ棋士について勉強をはじめ、

 これはおもしろいと思って、

 碁会所みたいなところへ通うようになった。

 知らない人と打つのがうっとうしく、

 「碁敵(ごがたき)はにくさもにくしなつかしさ」

 というところまでいかず退散、

 ことに相手の人品が上品でなく、

 闘志むき出しでつっかかってくるようだと

 気分がよくない。

 大先生には悪かったが自主落第する。

 

 (中略)

 

 ものごとは思うようにならないが、

 失敗、敗北というものは人間をきたえる力をもっている。

 それは老人も例外ではない。

 失敗は最高の教師である――

 そう思うと、やめたことが、

 みんなありがたいような気がするのである。

 

 

■さて、わたしはといえば、

リアル碁の長期休眠から覚醒し、5年目に入ろうとしている。

未明の棋譜並べが愉しく、余禄として右肩上がりも期待している。

牛歩ではあるが、このごろ手が見え、何か分かってきた?

勝ったり負けたりだが、そこそこ気をよくしている。

 

一方、この趣味もどこまで続くのやら、と思う。

ブログ執筆・閲読に時間を奪われているのも懸念材料。

インドア、アウトドアでいろんなことをやってきたが

ものになったと胸を張れるものはない。

 

その時は、その時だったし、ま、いいか。

 

 

 

外山滋比古(とやま・しげひこ、1923年11月3日~2020年7月30日) 英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。全日本家庭教育研究会元総裁。生まれは三河。博覧強記からは意外だが「外国の土を踏まなかった」らしい。90代になっても旺盛な執筆活動を続ける。

文化の日 国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。1946(昭和21)年に日本国憲法が公布された日であり、新憲法が平和文化を重視していることから「文化の日」と定められた。

 

▲未明、わたしはひとり静かに石を並べ、彼は じっと散歩の時を待っている

 

 



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