【先生と呼ばないで! わたしが理想とする碁会とは】
大規模囲碁同好会のなかで
高齢者ビギナー「齢65」のわたしは
最年少ながら、代表世話人です
6年前の入会時の状況は遠いむかし
コロナ影響で様変わりしました
退会者が続出して、規模が縮小し
多くの高段者が姿を見せなくなり
で、碁会の棋力平均は下降気味です
会員の平均年齢は、およそ八十歳
90代若干▽80代と70代が大半▽60代ひとり
これが、ざっくりとした世代別分布です
棋歴も棋力もさまざま
60代70代で碁を覚え入段するヒト
半世紀以上も級位のままヒト
若い頃から強かったヒト
対局をじっくり観察すると、
そのワケが見えてきます
世代も棋力もばらばら
モノの捉え方・考え方もそれぞれ
どこに顔を向けて会運営するのか
そこがいまの役員会の旗の振り方
さじ加減の難しいところです
もちろん公平公正が大原則ですが……
◇
<同好会五段>のわたしがいま
対局するときに
上座に座ることが多いです
同じ五段であれば、長幼の序で
下座に坐って、盤を拭きます
でも最近は下座で打つことが
めっきり少なくなりました
囲碁は古典芸能ですから
その辺を間違えてはなりません
公務員や〝ちゃんとした会社〟なら
絶対にあり得ないのですが
わたしが禄をはんでいた業界は
そのへんがムチャクチャで
部下が上座に平然と鎮座して
下座の上司に食って掛かるなど
不心得者が後を絶たない
不良社会人の世界でした
とうぜん懲罰人事がありました
わたしも何人かを、そうしました
◇
囲碁のような「趣味の会」はどうかといえば
最年少のわたしが全会員に敬語で接します
が、相手に石を置かせて打つとなると
どうしても勝つことが多くなり
局後の検討も指導トーンとなります
その時のわたしは下座の碁打ちに
技術を教授しようは思っていませんし
できるほどの知識もまたありません
一緒に考え、自分のアタマで考えるクセを
つけてもらうことを目的にしているのです
碁のチカラが上がると、碁の深みを感じる
つまり不思議の扉をひとつ、またひとつ
自らの手で開けることになるのです
「指導」は答えを教えるのではありません
考えるヒントをあぶり出し、自分で解を見つける
そのお手伝いをするだけです
そういうことでなければ、
棋力は伸びて行かないでしょうし
教える愉しみもありません
指導されて、不快に思う人もおられるでしょう
であれば、自身で「碁の世界」を探ってください
わたしは、オセッカイのつもりはありません
そうでなければ、ミニ講座や指導碁をお受けください
教える側は、教えられる側の十倍のチカラや知識が必要
わたし自身の勉強にもなり、成長のきっかけになります
わたしも、教えた「人生の先輩たち」が
生き生きと碁を囲んでいる姿が嬉しくもあり
そしてわたし自身の成長にもつながるという
「一石二鳥の取り組み」なのですから――
▲過日実施の「級位者向けミニ講座」別名「初段になりましょうプロジェクト」のリハ風景
なんでもないようで、1週間ぐらい勉強し、課題を選び、テキストを作り、進行を練る――
エラソーに教授しているが、自分のためが第一、皆さんのためが第二なのです
みんながハッピーになるには、誰もが経験したはずの初級の頃を思い起こし、
そうして高段者は先にゲットした果実を分け合うことではありませんか?
今日の井山くんの大活躍も、少年の頃から支えてきた周囲があればこそです