囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

道楽にすがりて京の夏/続

2021年09月01日 | ●○●○雑観の森

 

 

 

 


【「古寺巡礼 京都20 西本願寺」(平成20年初版発行) の巻】

 

 


巻頭エッセイ「わが心の大屋根」(作家、五木寛之)から抜粋

 

「人生には大きな転機、

というものがあると私は思う」


「三つ目の転機といえば、

やはり五十歳を迎えた頃、

休筆生活に入ったことだろう。

いわゆる流行作家としての

目の回るような日々に区切りをつけ、

京都に移住したことである」


「京都へ住所を移すにあたって、

私の脳裏にあったイメージは、

二つの古風な建築物の姿だった。

一つは龍谷大学の文学部の建物で、

もう一つはそこに隣接してそびえる

西本願寺の巨大な瓦屋根のイメージである」


「私がはじめて龍谷大学の古い校舎を訪れたとき、

校門の前で不思議な光景を見た。

それは、校門をくぐる学生たちが、

ちょっと足をとめて軽く一礼する様子だった。

バイクでやってきたらしいジャンパー姿の学生は、

ヘルメットを脱ぎ、それを脇にかかえたまま

ぺこりと頭をさげて校門をくぐった。

この大学は普通の大学とは少し違うな、と、

感じたことをおぼえている。

こういう大学で学んでみたいな、とも思った」


「やがて様々な機縁から、

私は聴講生として

龍谷大学の門をくぐることとなった。

五十歳にさしかかって

人生の半ばを過ぎた時期である」


「いま、親鸞上人の七百五十回忌にむけて、

御影堂の大修復工事がすすめられている。

江戸時代の再建から、

三百数十年ぶりの大掛かりな工事である」


「修復なった大屋根の瓦の一枚一枚に、

門徒の思いが宿っていることを考えれば、

それはただの巨大建築ではない」


「最近、龍谷大学を訪ねる機会があった。

校門のあたりでしばらく様子を眺めていたのだが、

ほとんどの学生は一礼することなく

校門を通り過ぎるだけだった。

教職員らしき中年の男性が、

軽く頭をさげて門をくぐるのを見て、

ほっとした。

時の流れは逆らいがたいものであると、

あらためて感じさせられたものだった」

 


   *  *  *

 

作家の初期作品を、

わたしは思春期に愛読した。

「さらばモスクワ愚連隊」

「蒼ざめた馬を見よ」

「青春の門」

代表作は読みごたえがあったが

小品も優れて筆に味があった。

想像のつばさに生じる

映像と心情にリアリティーを感じるのは

その観察眼の鋭さにあったからだ、と思う。

 

 

かつての帝都のなかにどっかと腰を下ろす

東西の本願寺は日本最大の宗教教団である。

それが権力中枢とのかかわりを回避しつつ

都の重要で安全な一定点にとどまり続けた例は

世界的に極めて稀、と指摘するのは山折哲雄である。

これまた、目の付け所が一味違う。

 

寺社の多くは「昔からある場所」であるが

昔のままではなく、たえず変化してきた。

その風情を観察し、感じ、学びとするのも

マニアックながら趣味のひとつと

いえなくもない、のではあるまいか。

 

 

 

 

 

 


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