【「舟木一夫」になるはずだった「橋幸夫」
~ きょうレジェンドの誕生日 の巻】
未明のラジオから
数々のヒット曲が流れてきた。
1時間の特集番組を
寝床で目をつぶって聴いた。
吉永小百合も歌がうまい。
昭和の歌い手は
素朴な歌い方ながら
味に深みがある。
いつかどこかで読んだ話――。
橋があまりにも歌がうまいので
作曲家(たぶん吉田正)が
「橋君、もうそれ以上、うまくなるなよ」
と言ったそうである。
うますぎると、技巧ばかりが鼻につく
ということだろう。
堀内孝雄や武田鉄矢のように
カラオケバトルで70点台のプロもいるぐらいだから
うまい、うまくない、巧みか、ヘタか(ヘタウマか)
という尺度だけで芸を語れない。
わたしが愛する井上幻庵因碩のように
名人級の実力を認められながら
勝率が悪い強者だってかつてはいた。
ことほど左様に、芸とは何か
を軽々しく語るべきではないのか。
橋幸夫(はし・ゆきお、1943年5月3日~) 1960年に「潮来笠」でデビュー。その後、舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」と呼ばれ、アイドル的な人気を博す。62年、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が発売から1カ月で30万枚を売り上げ、半年後には100万枚突破する。第4回日本レコード大賞を受賞し、2年後に「霧氷」で再び大賞に輝く。史上初となる2度目の大賞受賞となった。デビュー前にコロムビアのオーディションに落ちていたが、合格していたら芸名は「舟木一夫」になる予定だったと明かしている。