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囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

恋の伝道師

2021年05月03日 | ●○●○雑観の森

 


「舟木一夫」になるはずだった「橋幸夫」

 ~ きょうレジェンドの誕生日 の巻】

 

 

未明のラジオから

数々のヒット曲が流れてきた。

1時間の特集番組を

寝床で目をつぶって聴いた。

吉永小百合も歌がうまい。

昭和の歌い手は

素朴な歌い方ながら

味に深みがある。

 

 

いつかどこかで読んだ話――。

 

橋があまりにも歌がうまいので

作曲家(たぶん吉田正)が

「橋君、もうそれ以上、うまくなるなよ」

と言ったそうである。

 

 

うますぎると、技巧ばかりが鼻につく

ということだろう。

堀内孝雄や武田鉄矢のように

カラオケバトルで70点台のプロもいるぐらいだから

うまい、うまくない、巧みか、ヘタか(ヘタウマか)

という尺度だけで芸を語れない。

 

 

わたしが愛する井上幻庵因碩のように

名人級の実力を認められながら

勝率が悪い強者だってかつてはいた。

 

 

ことほど左様に、芸とは何か

を軽々しく語るべきではないのか

 

 

 

橋幸夫(はし・ゆきお、1943年5月3日~) 1960年に「潮来笠」でデビュー。その後、舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」と呼ばれ、アイドル的な人気を博す。62年、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が発売から1カ月で30万枚を売り上げ、半年後には100万枚突破する。第4回日本レコード大賞を受賞し、2年後に「霧氷」で再び大賞に輝く。史上初となる2度目の大賞受賞となった。デビュー前にコロムビアのオーディションに落ちていたが、合格していたら芸名は「舟木一夫」になる予定だったと明かしている



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