昭和7年の5月11日。
当時の首相、犬養毅が、
海軍の青年将校、古賀清志らの襲撃を受けた。
古賀は、血盟団首領の井上日召から
「犬養は座談の名人だから
あれと話し出したら
必ず、丸め込まれる。
決して、口をきくな」
と含みを受けていた。
だから「話せば判る」
といった犬養に対し
古賀たちは「問答無用」と叫び
「撃て、撃て」と言って
ピストルを撃ち続けたのである。
◇
昭和27年7月20日に成立した
インドシナ戦争の休戦会談にて。
マンデス・フランス首相と
メンデス・インドシナ代表および
周恩来・中国首相の3者話し合いは、
「話し合いによる平和へ」と呼ばれた。
これは「話せば判る」の好例とされた。
インドシナ戦争 1946~54年にベトナム民主共和国の独立をめぐってフランスとの間で戦われた戦争。外国勢力の参戦、一進一退の戦況、停戦合意の不調で長期化したが、最終的にはベトナム民主共和国側の勝利で終わった。8年戦争で、双方に数十万人の戦死者が出た。
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そうイキリ立たないで
静かに落ち着いて
よく話し合いをすれば
物事は自ずから解決へと向かう。
それが「話せば判る」ということ。
しかし百人もいると
百通りの考えがあるもの。
とくに趣味の会は難しい。
深い考えもなく
自分勝手な物言いが出がちである。
利害・しがらみが薄いからといって
許されるものでもあるまいし。
判らずとも、判ったことにせよ。
一度、我執の応酬を許せば
まとまるものも、まとまらぬ。
高齢者の集いには船頭多し。
人生の荒波を乗り越えてきた経験と知恵に
大人の分別が加われば、何もそこまで。
悲しいかな、明鏡止水の道はなお遠く――。