
以前拙ログでも紹介をした南直哉師が、標記の如く「仏教・私流 Part2」を再会する運びとなりました。
南師と言えば、私が本山安居中に大変お世話になった参学師の一人であり、送行後は曹洞宗の古刹・青松寺(港区愛宕)にて獅子吼林サンガ主幹というお立場にありました。
その後、「イタコ」で有名な恐山(青森県むつ市)の院代に就任し、その傍ら、當山の人権主事を兼職して頂いておりました。
この「仏教・私流」― 、師がサンガ主幹の時代に、青松寺様にて月1回のペースで開かれていた仏教に関する勉強会を指して言います。
師の恐山院代への就任に伴い、一時休会となっておりましたが、東京赤坂にある豊川稲荷東京別院様のご協力により、再び陽の目を見ることとなりました。
前回はインド仏教思想の講義で休会となったので、今回は中国仏教思想を中心にしたテーマから再会するそうです。
個人的には、「夜話に云く……」で始まる道元禅師在世時の夜参を想起させる様な雰囲気を期待してやみません。
師は、以前より“「問い」から始まる仏教”というものを提唱しており、その言わんとするところは、先日上梓された『老師と少年』(新潮社)にも著されているものと思われます。
本山在籍時より、学人(修行僧)らとの「生きた仏教」による対話を重視しており、その対話により日常生活の中の禅というものに目覚めた輩も少なくありません。
まさに“語る禅僧”と云われる所以はそこにあるのではないでしょうか。
師のブログに記された
>ゴータマ・ブッダから道元禅師までの仏教の歴史的展開を、私一人の独断と偏見で論じるという、いささか無謀な試みである。
という「仏教・私流」の開催要旨 ―。
その師の「独断と偏見」がどれだけ聞く者に説得力を与え、その「いささか無謀な試み」がどの様に宗教のダイナミズムに転化していくのかをご堪能頂ければと思います。
なお、上記「仏教・私流 Part2」に関するインフォメーションは、南師のブログを直接ご参照頂ければと思います。



『老師と少年』は、南師の「問い」から始まる仏教の小説版ですね。
よく考えましたね。おもしろく読みました。
南師には永平寺安居中大変お世話になりました。
そして現在、ネット上での叢林安居では単頭和尚さまに大変お世話になっております
そう言えば、南師は永平寺時代から“問い”から始まる仏教という事をよく口にしておられました。
この本を読んで、少しは理解が深まった様な気がしております。
が、真相は如何なるものでしょうか
半ば放置状態(!?)と化している當寮へのコメントありがとうございますm(__)m
さて、お問い合わせ頂いた件ですが、連絡先が不明なゆえ當寮コメント覧でのお返事にてお許し願います。
絶版ということで、かなり求めるのが困難みたいですね。実は私も『語る禅僧』に関しては以前AERAに連載していた頃の内容しか存じ上げません(その連載記事をもとに書評を寄せた時もありますが・汗)。
どうしても購入をご希望の場合は、一応Amazonに出品はあるようです(既にご存じかもしれませんが......)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%9E%E3%82%8B%E7%A6%85%E5%83%A7-%E5%8D%97-%E7%9B%B4%E5%93%89/dp/4022572183/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1245573035&sr=8-1
値段などを見る限り、やはり希少価値みたいですね
あまりお力になれずに申し訳ございません