
ブログを更新する度に自分の読書量の少なさを痛感する今日この頃

『レバレッジ・リーディング』という本を読みました。

ここで言う「レバレッジ」とは「てこ」という意味で、「レバレッジ・リーディング(Leverage Reading)」とは、読書で得た情報やノウハウを自分流に活用して大きな成果を生み出す事を目的とした「多読法」を指していいます。
「多読法」とは、読んで字の如く「多く読む」という意味でしょうが、ただ大量に読書をするのではなく、必要な情報を的確に吟味して自らに取り入れる「量よりも質」に重点を置いた読書法です。
この本の著者である本田直之氏(レバレッジコンサルティング代表取締役CEO)によると、読書は自分に対する最強の投資であり、レバレッジの原理を意識する事で少ない労力で大きな成果をもたらすと説きます。
つまり「多読」という言葉の意味は、不要だと思われる情報はどんどん捨てていく読書の術とも言えるでしょうか。
自分にとって必要な情報とそうでない情報を取捨選択し、「捨てる情報」を瞬時に判別するがゆえに多くの書物に目を通す事が可能となるのでしょう。
要点をいくつか列挙しますと、「レバレッジ・リーディング」では
①完璧主義をやめる
②読むのを諦める勇気を持つ
③本を捨てる勇気を持つ
④本を汚す事を心掛ける
といった点などを積極的に推進しています。
中には正直「えっ

まず、「①完璧主義をやめる」というのは、「②読むのを諦める勇気を持つ」にも通じてきますが、本に書かれてある情報全てを網羅しようとすると、まず大量の情報を物理的に仕入れられなくなる現実があります。
私も文章を書く機会が多いので分かりますが、頁稼ぎで文字を埋める場合が殊の外少なくありません。
それと一緒で、本として体裁を整えるために、文字で頁を稼ぐ手法は少なからず誰しも一度は経験する術かと思われます。
量を読みこなす事により、その著者が最も主張したい「幹」の部分と、体裁を整える為だけの「枝葉」の部分が、徐々に判別できる様になると言われています。
ゆえに、読書は「広く浅く情報を得る」ぐらいが丁度いいと説くのです。
本田氏は著書の中で「その読書法だと飛ばした部分に要点がある場合は損をするのでは

また、ビジネスの世界には「80対20の法則」というものがあるらしく、それを読書にも適用したと言っております。
この法則はイタリアの経済学者・ヴィルフレド・パレートが提唱したもので「イタリア国民全体の二割が、イタリア全体の八割の富を生み出している」という有名な法則らしいです。
この法則を読書に当てはめたことは、本田氏の経験値に基づくものらしいですが、まんざら嘘でもなさそうな気もします。
私も慣れない英語の書物に目を通す時などは、全てに目を通す事が物理的に不可能なので、要点のみ拾い読みをする事があります。
本によっては時間を掛けて読む事の必要性を説いておりますが、この「80対20の法則」の如く、おおよそ8割の本は広く浅くで結構だという事でしょうか。
「③本を捨てる勇気を持つ」というのも然りで、めまぐるしい早さで情報が飛び交う現代社会において、古い情報に縛られることの弊害も併せて説いているとも言えましょう。
ビジネスの世界においては、情報は「新しい」という事だけで価値になる場合が多々あるので、これも用途に応じて使い分けていく必要があると感じました。
また本田氏は、併せて本の整理に関しても重きを置いており、PCのフォルダの如くの本棚の活用を薦めています。
冒頭に掲示した本のカバー写真は、実際の本田氏の書斎のものらしいのですが、必要な時に必要な本がすぐ手元に取り出せる環境を保っておくことが、大きな成果に繋がるという事なのでしょう。
「道具としての本」を意識した本の整理術は確かに頷けました。
「④本を汚す事を心掛ける」も、まさに本を道具として使いこなそうとする具体的な意志の表れかと思います。
必要な部分にはペンなどでマーキングをして、余白には思い付いたことをその場でメモし、また付箋や折り目などを多用して本が汚れる事を臆さない姿勢が必要だと説いております。
これも、実は今まで私が実践していた事でもあるので素直に頷けました。
後日読み返す時など、ある意味「目次」を開く手間も省けますし、折り目が多く汚れた本ほど自分にとって価値ある内容が説かれているという事です。
積極的に本を汚す事には個人的に大賛成です。
次に、本田氏は本の選び方についても言及しておりますので、箇条書きですが簡単に以下にまとめておきたいと思います。
①著者で決める
書評やメルマガなどで高い評価を得ている著者、もしくは自分が読んでいてしっくりくる著者の本を優先的に選択する。
そのために書評やそれに関するメルマガなどは大いに活用する(本田氏お薦めの書評&メルマガも本著に紹介されています)。
②本のカバーや帯に書かれてある内容で決める
カバーや帯に記されるコピーやコメントなどで、自分の求めに合った本か否かが判別できる例が多い。
ワンフレーズ版の書評が掲載されている帯も多く、それを参考にして本の内容を判別する。
③「目次」、「まえがき」・「あとがき」などの内容から決める
「カラーバス効果」というものがあり、ペンなどでマーキングした箇所などは頁を開いてすぐ目につく様に、「目次」や「まえがき」・「あとがき」というのは、本全体の内容を要約したマーキング効果を示すものなので、それらを活用する手はない。
④「序章」がつまらない本は読むのを止める
著者というのは、自身の見解の大凡の要約や、その本を著すきっかけや経緯などについて「序章」で触れる傾向があるゆえ、冒頭の「序章」で興味が引かれない場合には、その本を諦める決断をする事も時に重要である。
などなど……。
本田氏は経営コンサルティングの会社の経営者で、この本をあくまでも「ビジネス書」として位置付けているので、全ての内容を我々の世界のモノサシ(価値基準)に当てはめる事は困難でありますが、「読書」という行為を「学ぶ」という視点で捉えれば非常に参考になった一冊でありました。
時に仏教的なモノの見方というのは、無駄なものから価値を見出す視点をも世に提供し、また無駄であるか否かといった“能所の見解”に擬議を呈す立場にあるとも言えましょう。
それらを踏まえた上で、且つ「無駄」というものを考えた場合、我々にとっての「無駄」とは、それは仏智慧を阻害する行為そのものに限定して使用するべきものと思います。
たまたま、ここ数年は有志らと『正法眼蔵』・「現成公案」巻を読み直す勉強会を行っておりますが、その「現成公案」の中で
自己を運びて万法を修証するを迷とす......
という有名な一節があります。
まさに我々の世界でいう「無駄」とは、ここで言う「自己を運びて......」という場合の仮設された「自己」を指して言うのでありましょう。
その「無駄」である自己(仮設された自己)を立てるゆえに、衆生は悟に大迷するのであり、はるかに法の辺際を離却してしまうのかもしれません。
万法すすみて自己を修証するが如く、まさに仏の家に身を投げ入れて諸事を観ていかなければならないと感じました。
まさに「無駄をすてる」という事は、「レバレッジ・リーディング」の世界では自分にとって利益になるか否かといったモノサシで計られた情報(無駄)をすてる事なのでしょうが、我々の世界で言うならば、その“自分にとって利益になるか否かといったモノサシ”自体を「無駄」と規定し、そのモノサシ(無駄)から解放される事を指して「すてる」と言うのではないでしょうか ―。
多少の論理の飛躍は否めませんが




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