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融通無礙【サプリ仏教】

2008年05月22日 00時31分23秒 | サプリメント仏教

先日、ある先輩の口から「融通無礙」という言葉を耳にした。

もちろん知らない言葉ではなかったが、その時は何だか心地よく自分の心に響いてきた。

今日は、その事について少し触れてみたい。

恥ずかしい告白にもなるが、私は「無常」を観じて自らの意思で出家した訳ではない。

しかし、この世界に入って初めてある種の「無常」を観じ、出家に憧れに近い感情を抱いたことがあった。

それは、この世界に入って初めて「貧瞋痴」の意味を観じたという事に等しい。人が陥りやすい「貪り」や「怒り」、「妬み」などの感情に犯された状態を間近に見る事ができたという意味である。

僧となってからの私は、比較的恵まれた環境の中で研鑽を積む事ができた気がする。

住職を含めた両親が健在であったゆえ、比較的長く叢林にも身を置く事ができた。

叢林を離れた後も、寺の経済的な事情から自立を促されはしたが、何とか学問の世界で生活の糧を得ることができた。

そういう環境にあって、時にやり甲斐のある仕事も与えられ、とても得難い経験を積ませて頂いたと今でも感謝している。

しかしその反面、その突飛な経歴が周囲にいらぬ誤解を与える事も度々あった。

良かれと思ってやっている事が第三者を不快にさせてしまったり、与えられた役割でしている事が出過ぎた行為として批判を受ける事も少なくなかった。

直接その相手に迷惑を掛けている訳でもなく、また実害を与えている訳でもないのに、何故そのような批判を浴びなければならないのか正直悩んだ事もあった。

しかし、時間の経過とともに「反面教師」という言葉の意味を学び、明らかに自らに非がない場合には、逆にその相手から僧としてやってはいけない事、口にしてはいけない事を学ぶ余裕も出てきた。

その様な経験を通して学んだのが、私にとっての「貧瞋痴」の意味である。

人は自分と他人との比較によって「貪り」の念を生じ、それに乗じて「怒り」や「妬み」の感情を抱くという「愚かさ」を持つ。

もともと異なる環境に身を置いているだけなのに、いらぬ比較によって自らの立つ位置を見失い、相手の境遇やしている事に対して、「貧瞋痴」の感情を露わにして根拠のない批判を繰り返す......。

私にとっては、その当時の経験こそが「三毒」という場合の毒という言葉の意味であった。

僧の身なれば、一番陥ってはいけない三毒に犯された状態を、私は同じ僧の言動から学んだのである。

もちろん私にも貧瞋痴の三毒に似た感情に襲われる時がある。また、いらぬ比較により相手にその感情をぶつけたくなる時もまれにある。

しかし、そのはけ口となった第三者にとっては甚だ迷惑な話であろう。当然の如く、その相手からは永遠に尊崇の念を抱かれる事はない。

それは、僧として大きな財産を失う行為に等しい。

その貧瞋痴の流転地獄から脱却する術が、私にとっての「出家」の意味であり、僧のあるべき姿に近づく術でもある。

その様な感情を忘れかけていた頃、偶然出会った言葉がこの「融通無礙」である。

これも言葉と経験の一致と言えるのか、別に自分の中で初めて聞く言葉でもないのに、なぜか非常に新鮮な言葉として自分の心に響いてきた。

この「融通無礙」という言葉には、まさに貧瞋痴たる三毒からの解放を促す意図があるのであろう。その具体的な生き方が「出家」の目指すところなのだと私は思う。「出家」を単なる「家出」の延長と同じ意味で捉えていてはあまりにも寂しくはないか......。

私の中で、「出家」の目指すべき生き方と「融通無礙」が一本の線で繋がった様な気がした。

その先輩も、これまで幾多の困難を乗り越えてきたからこそ、その言葉が腹落ちした部分があったのだと思う。その詳細については知る由もないが、ともに葛藤と前進の繰り返しがあったからこそ、今回の「融通無礙」の共感に繋がったものだと信じたい。

人それぞれに異なる環境で同じ時間を過ごす訳だが、「仏向上事」という言葉に象徴される様に、志を共有して前に進むことを決して諦めなければ、その道は異なっていても共感できる言葉があるという事を改めて学んだ。

これからますます「融通無礙」という言葉に縛られてみたいと嬉しい自己矛盾に陥った瞬間でもあった。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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共感したり! (秘書室長)
2008-05-27 11:24:22
私のように政治の世界に身を置いていると、和尚のいう貪り、怒り、妬みの感情がドグマのように渦巻いていることを実感します。
一般社会の話だけかと思ったら、和尚の世界にもあるのですね。
ま、その現実がなかったら宗教の存在意義もなくなってしまうような気がしますがが・・・。
反面教師、政治の世界にもたくさんいますよ!
このブログを読んで、この前の話がやっと自分の中でつながってきました。
返信する
コメントありがとうございますm(__)m (布教師@Net)
2008-05-27 22:01:44
> 秘書室長さま

た、確かに......秘書室長ですね(笑)

その節は、大変お世話になりました。

今回取り上げた「融通無礙」という言葉と、自らの体験が一致した経験を記事にしてみました。

仏教には「天上天下唯我独尊」という言葉がありますが、それは人間一人ひとりがそれぞれみな尊いと解されるべきで、他との比較を以て自らの優位性を誇示する思想ではないですよね。

そういう意味では、三毒に犯されているか否かでその言葉の解釈も違ってくるのでしょうか。

僧という存在は、「個の確立」を以て勝負していきたいものです。もちろん「貪り」、「怒り」、「妬み」の感情とは無縁で……。

話は変わりますが、そろそろ忙しくなりそうですか?

世間ではサミット後か!?とも噂されてますが、それだとちょうど研修の時期とも重なりますね。

政治の世界では、時に三毒がある種のパワーを生み出すのかもしれませんが、僧の世界ではそうあってならないと感じます。

与野党ともに正念場となりそうなサミットあけ、くれぐれも体調崩さぬよう、ご自愛のほどを。
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