ふじもん先生ブログ「世界のリアルをお届けします」

株式会社グローカルアース代表のふじもんが、世界のリアルと日々の活動をお届けします。

心を亡くすと書いて忙しいと読む意味が少しわかったような気がする。

2015-06-28 02:41:27 | 日記
2015年6月26日。


ペルーのイキトスという町からアマゾン川を下っていたとき、

「無」の支配に押し潰されそうになった。↓

http://blog.goo.ne.jp/team-nondakure/e/3537b6ee37e7829a04ea7a359a1688ad

「無」と付き合うことの難しさ。「無」の深さ。「無」の有り難さと「無」の怖さ。

深くて長い、アマゾンの時間だった。


ここはジョードプルからバラナシに向かう列車の中。

移動時間は、たったの24時間。

丸1日なんて大したことはない、あっという間だ。

なのに、何故か異様なまでに「無」を感じている。



学校の先生をしていたとき、忙しかった。

きっとどんな仕事をしていても日本で働くということは忙しいのだろうけど、

僕も同じだった。

あまり他のことを考えるゆとりなんてなかった。

子どもたちのことは大好きだし学校の仕事ももちろん好きだったから、

そんな日々が苦痛ということでは全然なかったけど、ゆとりは少なかった。


今僕は、ある意味ではかなりゆとりがある。

それは「モノ」的な話じゃなくて。

素晴らしきかな、ゆとり。

でもそのゆとりが、時として今の僕を苦しめる。


サルトルの言葉を思い出した。

「人間は自由の刑に処せられている」

身体的な自由ではなく、精神的な、心の自由が今の僕を苦しめる。

自由なのに苦しいなんて・・・と思われるかもしれないけれど、

時として、自由は苦しい。

「何かをやらなければいけない」「何かに追われている」

実はそれって、ある意味ではとても楽なことなんだな。

そのことだけを考えていればいいのだから。

そのことしか考えられないのだから。


人間の心はそんなに器用じゃないから、3つも4つも同時に思考するのは無理だ。

忙しく仕事に追われ、仕事じゃなくても何かに追われ、

そのことに気持ちを奪われている状態。

ネガティブでもポジティブでも、それはどちらでもいい。

それは、ある意味ではすごく楽なことなんだな。


「自由の刑」が、なんだかすごくよく分かる気がする。

今の僕は「何でもあり」の状態である。

それは身体的な話ではなくて。

僕の心は「何を思ってもよい」。

僕の心は「どう在ってもよい」。


すると、怖いのだ。

正直、僕は怖いんだ。


良いことも悪いことも、前向きなことも後ろ向きなことも、

次から次へと色んなことが心に襲いかかってくる。

僕は今「自由の刑に処せられている」のかもしれない。


制約があるということは、実は楽なことでもある。

学校の授業じゃないけど、「ああしなさい」「こうしなさい」と指示されるということは、

実は楽チンなのだ。

自分の心を活用しなくていい。

言われたことに心を向けていればいい。

酒を飲みながら夜な夜な愚痴を言っていたとしても、

その制約と引き換えに一定の安定と生存の約束(今の日本で言えばお給料ということであるが)があれば、

それもまた心地良いのだろう。

人間はかくも不思議な生き物で、自由を求めつつも、自由の世界に投げられることはまた恐怖でもあるのだろう。


「何でもあり」は実は超難しい。

今の僕の心は「何でもあり」。

何を考えてもいい。何を妄想してもいい。何を企ててもいい。

今の僕は、やりたいことも決まっているし、実際に動き出している。

それでいいじゃないか。何の問題もないじゃないか。

それなのに、そのはずなのに・・・。

すごく素晴らしいことであると同時に、きっと僕は「自由の刑」に処せられてもいる。

なんか、そんな気がする。


一度出した答えを考え直し、自己否定し、自己肯定し・・・

そんなことを繰り返す。

いや、繰り返さざるを得ない。きっとそれが「自由の刑」。

「無」とは自由であり、何でもありの状態。何でもありに縛り付けられる、その恐怖。

その中で、心の平安を保つことの難しさ。

多くの宗教で、瞑想を修業の核に置いていたりするけど、すごくよく分かる。

心を「無」に保ち、それでいて平安であること。

今の僕には、できない。


僕は別に、忙しく働くことを否定しているのではない。

ゆとりを持つことを肯定しているのでもない。

ただ、「無」と共存できない、「自由」と共に在れない自分を見つめているだけだ。

旅とは、そんな愚かな自分を嫌というほど気付かせてくれる作業でもある。


僕は旅を通して、きっと修行をしているのだと思う。

1人で世界を流れていると、全てのことを自分でしなくてはいけないとはいえ、

やっぱり自己と向き合う時間が圧倒的に多くなる。

僕はやっと少しだけ分かった気がする。

何より難しいのは、結局は自己との対話。

自己と向き合うこと。

こんなに手強い相手は、きっと世界のどこにもいない。

そんなこと、分かっていたつもりだったのにね。

一番近い存在なくせに、一番良く分かっているはずのくせに、

こんなに手強い相手は世界のどこにもいない。


世界を見つめて己を知る。

大切なことは、実は一番近いところにあるものなんだな。


今、この列車はどこを走っているのだろう。

間もなく日が暮れる。

埃立つ地平線に落ちていく夕日が、変に綺麗に感じる。


先ほど遭遇した夕立も、あっという間に通り過ぎてしまった。

バラナシ到着予定は、朝の9時くらい。

昼寝もしっかりしてしまったし、全然眠気もない。

僕の「自由の刑に処せられている」夜が、また始まる。




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