注)この写真の人物は、僕じゃないっす。
オーストラリアへのワーキングホリデーと一度目の世界放浪の旅から帰国したのが、たしか28歳。(たぶん)
僕が初めて勤めた日本の学校は、通信制高校だった。
その縁もあり、その後も僕は通信制高校との関わりが何かと続いている。
通信制って面白い。良い意味で柔軟性のあるカリキュラムなので、上手く活用すれば個性的で独自の教育も実現させやすい。
僕はこの通信制というシステムに、1つの可能性を感じてもいる。
でも、当の子どもたちは決してそうではないことも多い。
通信制に通う子どもたちと話していると、次のような発言を間々耳にする。
「どうせ私たち通信だから・・・」
「みんなからも『へ~通信なんだ~』とかバカにされるし」
「親からも『あんたはどうせ通信なんだから・・・』って言われるんだよね」
通信制に通う子どもたちの中には、「通信制」というだけで劣等感を感じている生徒もいる。
あくまで僕の感覚値だけど、それはそこそこの数になるのではないだろうか。
そんなの関係ないよ。どこの学校を出たとか通信制とか全日制とか、そんなの関係ねぇんだよ、みんな!
そんなちっちゃな話に囚われないで。みんな1人1人には、間違いなくかけがえのない価値がある。
みんなのことを大切に思っている人は、間違いなくいるんだから。
みんなどうか、そのことを忘れないで。
そんな小さなことで、自信を無くさないで。
そんな些細なことで、自分を卑下しないで。
確かに今の通信制高校は、何らかの理由で「全日制高校に通えなくなってしまった人」の受け皿的な要素が強い。
確かにそれは事実だろう。
だから「私たちは普通の学校に通えなかったダメな生徒」的な意識を持ってしまっている子どもたちも少なくないのだ。
でもさ。
全日制高校に通えなくなったからって、それが何なの?
別にいいじゃん、毎日学校の通わない生き方があったって。
それにさ、毎日通ったところで、バカみてーに念仏唱えてるような授業をしている先生だってけっこういるべ?
卒業生に聞いてみたけど、「授業がつまらなくて死にそう」みたいな話もけっこう聞くしさ。
世の中の価値観は大きく変化している。仕事に関しても「毎日会社に行く」っていう発想も、もはや常識ではなくなりつつあるわけだし。
それにそもそも、今の日本の学校制度では高校って義務教育じゃないんだし!多様な学び方があって然りじゃないか。
憤りがあるんだよね、俺には。
中学校の先生方も(これも感覚値ですけど)通信制に対して良いイメージを持ってはいない。
「あの子は通信しかないかしら・・・」みたいな感じだ。
それは仕方ないと言えば仕方ない。僕も中学校の現場にいたし、その感覚はよく分かる。
良い学校も悪い学校も確かに存在する。全てが平等に、完璧にってわけにはいかない。それは分かってる。
僕は別に、全日制高校を批判しているわけでももちろんない。
だけど、その学校を卒業した子どもたちが、劣等感を感じてしまうような学校なんてあってはならんだろう。
通信制を出た子どもたちの全てが、堂々と「私は通信制高校の出身です!」って、胸を張って言えるような社会になってほしいな。
いや、「なってほしい」を願っても仕方ない。そうなるように働きかければいいのか。
実はある通信制高校で働く先生が、「世の中の人にもっと通信制高校を知ってほしい。そのために何かしたい」と言っているんです。
もしかしたら近々、「世の中の人に通信制高校をもっと知ってもらおうの会」的な団体もやってしまうかも(笑)。
いずれにしても、人間の価値は出身校なんかで決まるもんじゃない。
中卒とか高卒とか大卒とか、通信とか全日とか、そんな小さな話、どうだっていいんだ。
本質は、もっと違うところにある。
だから、最後の一言。
みんな、自分に自信を持って!みんなはみんなのままでいいんだぜ!自分に誇りを持って、生きたいように生きようぜ!
ふじもん