ふじまりの農~テンキ 手描き屋珍道中

旅の途中できいた不思議な話と、目で見たモノ、耳で聞いたオト、鼻で嗅いだニヲイ

月は射手座の25度 その6

2016年06月13日 | 徒然、独歩


(月は射手座の25度 その3 からのつづき)

2011年12月に高校の先輩のYさんが亡くなったと知らせをもらって、すっ飛んでいった。

「ゾウの身体にノミのハート」を絵にしたような、チャーミングという言葉がぴったりな人だった。
そんなこと言おうもんなら「かーぺっぺっ、チャーミングって何よ(笑)」なんて江戸っ子口調で冗談を言うような人だった。
グルメで美味しいものが大好きで、縦にも横にも大きかった。
料理も上手かった。

冷たくなったYさんの部屋に着いたとき、部屋全体にビリビリした空気が漂っていて、
「みとめない!」
という言葉が聞こえてきそうだった。
Yさん宅の猫たちも何だかピリピリしていて、Yさんが横たわっている部屋には入ろうとしなかった。

Yさんは痩せこけていた。
側に立ててあった遺影がなかったら、危うく顔を思い出せなかったかもしれないくらい、面影わずか、だった。

遺影のYさんはふっくらほんわかしていて、私が記憶を失う前のYさんだった。
目の前のYさんは、見たことのないYさんだった。
それくらい印象が違った。
「ああ、15年 確かに過ぎたんだな…」
そう思ったとたん、頭の中に どかあん!という衝撃が走り、ふわぁっと部屋の畳の匂いが鼻に飛び込んできた。

それまでの約半年は、記憶が戻ったものの、解離症状がひどくて現実感がなかった。
コンビニでちょうど15年前流行ったスピッツの曲が流れたときなんか、いま自分がいるのが1996年なのか2011年なのか、本気でわからなくなったりしていた。

それが、この一瞬で治った。
1996年に置いてきぼりになってた自分の半分が、2011年にやっと追いついた感じだった。
親しかったYさんの変わりようを見て、時は確かに流れたのだとやっと実感したのだ。
Yさんに、連れ戻してもらったのだと、そう思っている。


と同時に、時間の流れというものをとても奇妙に感じた。
もし仮に、朝目覚めてカレンダーと時計が全部1996年になっていて、周りの人もみんな「今は1996年だよ」と言っていたら、「それでも今自分は2016年を生きている」と、どうやったら断言できるんだろう。
「いま」の連続が時を紡いでいるのだとしても、「過去」だと思っていた記憶が本当に「過去」にあったことかどうかって、案外あいまいかもしれないぞ、とすら思った。
確かなのって、「いま」「このとき」「目の前」だけじゃないんだろうか、とも。



私が到着してしばらくして、ご近所の方が見えた。
Yさんが元気だったころ着物を着て出掛ける時に
「見て見ておばちゃん、どうかな?」
と子どものように見せにきてくれてねぇと、その方は話してくれた。
Yさん、チャーミングだよ…。
その方はYさんの第2のお母さんみたいだった。

私はというと、若干Yさんの妹のような感じだった。
親に共通点があり、お互いよく話したりしていた。

Yさんのお母さんと、第2のお母さん、実の妹さんと、若干妹の私、の4人でしばらくおしゃべりした。
「みんなでスキーに行ったとき、猫耳つけてはしゃいでて(笑)」
「あら、その写真あるわよ」
等等、生前のYさんはあんなだったこんなだったとつらつら話していたら、気がついたら部屋の空気が穏やかになっていた。
猫たちも、部屋に入って来るようになった。
Yさんは、安心したんだ、と思った。

(つづく)

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