てっちゃんの部屋(模型で見る鉄道車両)

小学校近くに一軒のプラモデル店があった。陳列ケースの高価な鉄道模型。子供のころの夢。大人になって集めた鉄道模型の紹介。

Nゲージ 国鉄、勾配補機蒸気機関車

2010年04月06日 | Weblog
日本は細長い国土の中央に山岳地帯が存在する平地の少ない海に囲まれた国である。日本海側と太平洋側を鉄道で結ぶには、長く続く勾配、トンネル、鉄橋などを経て漸く完成される。場所によっては険しい山岳地帯に長く続く急勾配が存在し、平地を走る機関車のみでは走行できない場所が存在した。このようなときには、機関車を2台(重連)もしくは3台連結(3重連)し運行した。同じ機関車を連結する場合も有れば、勾配区間専用の機関車を用意して運行する場合もあった。

4110型機関車は、1899年奥羽本線、福島・米沢間のうち、庭坂・米沢間の連続急勾配区間用のドイツからの輸入車4100型の改良・国産版として動輪5軸で登場し、奥羽本線、肥薩線(当時は鹿児島本線)人吉・吉松間などで活躍した。炭水車のないタンク機関車である。長い間活躍した後、奥羽本線ではE10に置き換え、肥薩線ではD51の重連に置き換えられ、一部は美唄鉄道等に譲渡され余生を送った。

模型はマイクロエース社から発売された。模型のプロトタイプは、美唄鉄道の4号機である。






E10形機関車は、奥羽本線の4110型の置き換えを目的に、D52のボイラーと動輪5軸の超大型機関車として昭和23年に登場した。しかし、超大型の機関車は、思ったほどの性能が得られないばかりか、曲線の通過性能が悪く、更に奥羽本線の交流電化も相まって、肥薩線、北陸本線(倶利伽羅峠越え)を経て、本来の性能を発揮するのではなく、北陸本線(米原-田町)間の非電化区間の牽引車として余生を送り、昭和37年に廃車となった。登場わずか14年の短命の機関車であった。なお、タンク機関車で運転台は通常のボイラ側でなく石炭槽側となる。

模型は、マイクロエース社から発売された、E10-1である。







2010.04.06 N-0026


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