野母商船
大正5年から航路が開設された村木汽船部が、昭和4年に野母商船㈱と
なりました。
昭和36年に長崎汽船を子会社化しています。
昭和54年には、博多から五島の航路も現在に至るまで就航されています。
放出品で出てくる廃札券は鉱山島であった島々を結んでいた航路のもののようで、
いずれも高島港発行の2等時代のものです。ここは国鉄連絡運輸指定駅だったのですね。
収集していませんが、軟券の廃札も結構放出されていますね。
野母商船
大正5年から航路が開設された村木汽船部が、昭和4年に野母商船㈱と
なりました。
昭和36年に長崎汽船を子会社化しています。
昭和54年には、博多から五島の航路も現在に至るまで就航されています。
放出品で出てくる廃札券は鉱山島であった島々を結んでいた航路のもののようで、
いずれも高島港発行の2等時代のものです。ここは国鉄連絡運輸指定駅だったのですね。
収集していませんが、軟券の廃札も結構放出されていますね。