バス・船舶硬券切符ジャーナル 本編

主として民営バス・船舶・ケーブル等、普通の鉄道以外の古い硬券切符情報です。
仕切り直しの新感覚・氷山の下部編。

硬券追究0130 赤城山ロープウェイ・リフト 赤城登山鉄道時代含む

2019年02月17日 | 硬券追究

赤城山ロープウェイ・リフト

東武鉄道は昭和30年頃より、赤城山の観光開発に乗り出し、赤城 山観光の循環回遊観光の
一環として、まず昭和32年7月21日に赤城登山鉄道という会社に東側の
利平茶屋~赤城山頂間にケーブルカーを開業させます。
続いて同社は同7月27日には西側からのロープウェイ、昭和33年1月にリフトを開業します。

桐生側からの東のアクセスは道路が悪路であったこともあり、集客が伸びず昭和43年に
ケーブルカーが廃止されてしまいます。
このときに会社名は赤城登山鉄道から赤城山ロープウェイに商号変更され、西側の施設が残ります。
昭和54年には東武興業に経営が移管されましたが、平成10年にロープウェイ、リフトとも
廃止されます。

硬券の切符は主として東武興業時代のものが多く出回っています。

廃札が多く、それほど熱心に揃えようという気はなく、適当になりますが、羅列します。


平成 B型硬券 橙とぶてつ地紋 相互式 〇特赤刷 (リフト区間)


平成 B型硬券 橙とぶてつ地紋 矢印式 小児 (リフト~ロープウェイ)

赤城山大洞駅発行の復路券のようですね。


平成 A型硬券 青とぶてつ地紋 往復券 (リフト区間)


平成 A型硬券 橙とぶてつ地紋 往復券 〇特赤刷 (リフト区間)


平成 A型硬券 橙とぶてつ地紋 往復券 〇特赤刷 小児 (リフト区間)

 

古い3等表記の時代は、社名が赤城登山鉄道時代の切符になります。


昭和34年 A型硬券 橙(焼)とぶてつ地紋 3等 往復券 (ロープウェイ~リフト)

開業後2年前後の切符なのですね。

券種が沢山あるはずの、ほんの一部のものしかご紹介出来ていません。


硬券追究0129 明智平ロープウェイ

2019年02月10日 | 硬券追究

明智平ロープウェイ

昭和8年に日光登山鉄道が開通させたものですが、戦中の昭和18年に不要不急線として
撤去されました。
昭和25年になり、東武鉄道により営業が再開されました。こういう復活は、他に例が
ないようでした。
昭和60年に日光交通へ営業を譲渡し、そのとき不動産自体は東武鉄道のままにされていたようです。


昭和43年 B型硬券青とぶてつ地紋 2等 矢印式 空中明智平駅発行

東武鉄道経営時代のものです。

東武興業がやっていたロープウェイとは違い、放出品も少なく収集が追い付いていませんが、
そのうち出てきたりするのでしょう。


硬券追究0128 南部バス

2019年02月03日 | 硬券追究

南部バス

南部バスは、南部鉄道から昭和45年に商号変更したバス会社です。
南部鉄道時代に鉄道線の営業は終えており、三八五交通の路線バスも譲渡を受けて
近年まで、一部の路線バスと長距離バスを運行してきましたが、昭和28年に事実上の倒産、
岩手県北バスと路線の譲渡を協議しました。
平成30年に法人格が消滅したらしいです。


平成13年 B型硬券 青BJR地紋 

変わった独特の様式で、長距離を活躍したバス路線のもので、十和田湖などにも寄っていたと思います。

長距離バスは、のちに高速道路経由になったのではなかったでしょうか。


硬券追究0127 南部鉄道(バス)

2019年01月27日 | 硬券追究

南部鉄道(バス)

南部鉄道とは、大正15年に設立された五戸電気鉄道が、昭和6年にバス事業に参入し、
五戸自動車を買収、昭和11年に五戸鉄道に改称し、昭和18年に近くの自治体の
バス事業を統合して昭和20年に南部鉄道となり、鉄道とともに動いてきました。
しかし、昭和43年の十勝沖地震の影響被害により鉄道が運休。
復旧に至れないまま昭和44年にはバス事業専業になりました。
昭和45年に南部バスに改称されることになります。


昭和37年 B型硬券 赤TTD地紋 一般式

これは、社バスの近距離の硬券で、表記は(バス乗車券)だけの券です。
この時代はA型券や、表記も「南部鉄道バス」「南鉄バス」などというものも存在し、
探せばバリエーションがあるように思います。

尻内は、八戸駅の当時の旧駅名でもあります。根城は東方面の市街側にあります。

 


昭和45年頃 A型硬券 青TTD地紋 一般式  国鉄連絡運輸

鉄道廃止後のモノクラスのもので、南部バスに変わる直前でしょうか。
廃札で出ているようなのですが、これに鉄道運休時の最終日を後からダッチング入れたらしき
いかにも鉄道運行最終日のような券もみられますが、大概それは人の魂胆が加わっているようです。
鉄道運休時の昭和43年なら2等表記があるはずですし・・・

鉄道運休後に五戸がバス駅として残ったときの最後の券でしょう。
鉄道復旧を見込んで作っていたものの残りではあるのかも知れませんが、
実際これはバスからの連絡用です。

 

PS:現在、過去の「硬券追究」のカテゴリー(0048~0119)は閲覧することができなくなっています。
   PCシステムの都合ですが。メンテするか別の形も試案中です。


硬券追究0126 早来運輸

2019年01月22日 | 硬券追究

早来運輸

大正10年の早来軌道㈱が昭和19年に早来鉄道㈱になり、路線バス事業にも
参入したのは昭和25年頃でした。鉄道が昭和26年春に廃止され、国鉄連絡運輸も
残されたまま早来運輸㈱としてバス事業の会社となり、後にタクシー事業もしています。
昭和35年に当時の定山渓鉄道の傘下として東急グループ入りしました。
平成3年に、あつまバス㈱に改称、平成17年に、じょうてつとの資本解消、
東急グループからはずれています。

国鉄連絡も引き継がれたことから、早来~厚真の路線においては連絡券の硬券の設備も
ありきたりながら有りました。


昭和35年 A型硬券 赤HPRしてつ地紋 3等 一般式  国鉄連絡運輸

苫小牧ゆきは結構一般的でな硬券かと思います。
着札や、特に廃札券も多く出回っていると思います。


昭和30年台前期? A型硬券 赤JNRこくてつ地紋 3等 一般式  国鉄連絡運輸

同じ3等時代ですが、国鉄地紋もありました。様式も違っているものです。
着駅が今は旅客駅として無き東札幌駅なのがちょっと良いです。
行き先は、色々と出ています。札幌ぐらいまでの中・近距離ゆきが多いです。

 


昭和30年台前期? A型硬券 赤JNRこくてつ地紋 3等 補充片道券  国鉄連絡運輸

これも国鉄地紋ですが、補充片道券に分類される券です。


昭和35年 A型硬券 赤HPRしてつ地紋 3等 補充片道券  国鉄連絡運輸

やはり補片についても国鉄地紋のものとは様式が違います。
国鉄地紋の券が少し古いのですかね。


昭和36年 A型硬券 赤HPRしてつ地紋 3等 往復券  国鉄連絡運輸

 昭和35年5月31日で3等級制が終わるので、このダッチング日付だと2等時代に入っていますが
訂正も何もしてありません。

しかしHPR地紋の券は、「真」は旧字の「眞」のままです。

 


昭和47年? A型硬券 灰HPRしてつ地紋 モノクラス  国鉄連絡運輸

経由地は記載がありませんが、やはり国鉄連絡券のようでA型です。

 


昭和58年? B型硬券 灰HPRしてつ地紋 モノクラス  国鉄連絡運輸

これも国鉄連絡とは聞きましたが、この時期は自社バスの苫小牧ゆきの路線もあり、
自社バスの券という可能性もあるのでしょうか。
下車前途無効などとたいっているのも気になったりします。

モノクラス後の2枚の券は実券ぽいですね。

このように硬券を出していたバス駅が「厚真」しかありませんので、あまり面白くない印象です。