淀川汽船
江戸時代は、三十石舟で行き来していた淀川の水運。
明治時代に入ると蒸気船が開発され始め、多くの舟運業者が増えだしました。
中期に、それら業者が組んで、明治20年に淀川汽船㈱に改組。
明治22年に東海道本線(今の京都線)、明治43年に京阪電気鉄道が開業し
水運は衰退、明治末期に汽船廃止。会社組織としては明治35年までのようで
残った同盟業者は少なくなっていったようです。
(広義でいうところの淀川汽船は約40年間活躍したという記事があります。)
明治42年には新淀川が共用開始され、汽船の就いていた大坂側の天満橋(八軒家浜か)
は本来の本流から支流の大川となっています。
大正時代は、主に貸切や曳船業に移っていきました。
明治40年8月3日 A型硬券 無地紋 下等 赤線3条 右書き 一般式
伏見~枚方
裏面 淀川汽船同盟
資料は、これだけでした。